東海道新幹線が13時49分頃から17時13分にかけて架線の断線事故のために上下線で不通になった。架線の断線とはどういうことなのだろう?
毎日たくさんの列車が高速で走る幹線の架線は当然に磨耗する。パンタグラフは約5kgほどの力で架線に押し付けられており、構造体はジュラルミン製、架線と接触する摺板は焼結合金などが使われているのだそうだ。新幹線の摺板が何でできているのかは知らない。架線のなかでこのパンタグラフと接触するトロリー線は銅線である。少なくとも摺板のほうは規定の走行距離に応じて交換される。
保線作業というのは毎日実施されているはずだ。今日は断線事故現場付近で沿線の枯れ草が燃えるという火災事故も併発したようだが、冬場の乾燥した状況下に枯れ草があれば何かの拍子に燃え出す可能性があるというのは保守作業の専門家でなくともわかる。それが放置されていたことに、まず、驚いた。鉄道というのは自動車と違って専用軌道を走るため、車両の運動に関する自由度が自動車とは比べ物にならないくらい限られているということを、最近読んだ「電車の運転」という中公新書で知った。
形あるものは必ず壊れる。だからこそ、日々の保守点検が欠かせないはずだし、そうした保守点検にもかかわらず発生する障害に対し、当然に即応体制が敷かれているべきである。まして新幹線は日本経済の物流の大動脈とも言える文字通りの大「幹線」である。それが、天変地異も何もない穏やかな冬の昼下がりに3時間半にわたって機能を完全に停止するとはどういうことなのだろう。
2008年7月26日付と27日付のブログにあるように、ユーロスターでロンドンとパリを往復した。このとき、パリから戻る列車で、たまたま私が乗車していた車両の空調が故障した。日本の夏で窓の開かない車両の空調が故障したというならたいへんなことだが、ユーロスターが走る地域の夏は空調がなくては我慢ができないというほどではない。それでも、乗客ひとりひとりにペットボトル入りのミネラルウォーターが支給され、しかもお代わり自由で、次回のユーロスター利用に際し、ロンドン=パリ片道なら無料、往復なら半額という措置が取られた。車掌が客席をまわり、ひとりひとりの乗客の乗車券の裏側に何やら符丁を記入した。果たして後日、その裏書された乗車券を手にセント・パンクラス駅のユーロスター専用出札口へ行くと、確かに所定の半額で往復乗車券を手にすることができた。
新幹線に比べれば何かとトラブルの多いユーロスターだが、切符を買うところから始まって列車を降りるまで、職員の対応は気持ちがよい。空調故障でこれほどの対応をするというのは、それだけ提供するサービスに対する想いがあるということなのではないだろうか。
JRの場合はどうだろう。今回の架線事故では56本の列車が運休を余儀なくされ、運行されていた列車は最大270分程度の遅延をしている。運休や遅延は、発生してしまったものはどうしようもないが、それに関して会社は乗客に対してどのような対応をしたのだろうか。
JRが国鉄だった頃、鉄道職員の乗客に対する態度は総じて酷いものだった。その最たる象徴が春闘だろう。「春闘」という呼称が示すとおり、毎年春に国鉄の国労と動労という労働組合がストライキを打つのは年中行事のようなものだった。労働条件の改善は必要だろうが、毎年決まった時期に当然の如くに徒党を組んで職場を放棄するという神経は理解に苦しむ。職場を放棄するだけならまだしも、大量の看板やビラや横断幕を準備し、それらを駅施設や車両に大量に貼り、その上、ペンキで意味不明の文言を書きなぐったりしていたのである。それらの費用を労働条件の改善に回すという発想は無かったのだろう。あの組合員たちは何がしたかったのだろう。
その国鉄がJRになって20年以上が経ち、職員の意識は、あの横暴だった時代からどれほど変わったのだろうか。人は総じて権威に対して畏怖の情を抱くものである。物事には裏表があるものだ。畏怖の情の裏側には憎悪の念も潜んでいたりするものである。その権威を可視化したものには制服や紋章やさまざまな小道具類がある。制服を着る商売の人は、そういうことも考えて言動や行動を起こさないと、思わぬ感情の対立を生むものだということも認識しておいたほうがよいだろう。鉄道職員が客から暴行を受けるという事件があることは承知しているが、あの暗黒時代を知る身としては、正直なところ被害者に対してあまり同情の念は起こらない。加害者の多くが50代60代ということは、そうした暗黒時代の影がいまだに残っているような気もしないわけではない。
余談が過ぎてしまったが、今回の事故で思いがけず人生が暗転してしまったなどという人が生まれなかったことを祈っている。
毎日たくさんの列車が高速で走る幹線の架線は当然に磨耗する。パンタグラフは約5kgほどの力で架線に押し付けられており、構造体はジュラルミン製、架線と接触する摺板は焼結合金などが使われているのだそうだ。新幹線の摺板が何でできているのかは知らない。架線のなかでこのパンタグラフと接触するトロリー線は銅線である。少なくとも摺板のほうは規定の走行距離に応じて交換される。
保線作業というのは毎日実施されているはずだ。今日は断線事故現場付近で沿線の枯れ草が燃えるという火災事故も併発したようだが、冬場の乾燥した状況下に枯れ草があれば何かの拍子に燃え出す可能性があるというのは保守作業の専門家でなくともわかる。それが放置されていたことに、まず、驚いた。鉄道というのは自動車と違って専用軌道を走るため、車両の運動に関する自由度が自動車とは比べ物にならないくらい限られているということを、最近読んだ「電車の運転」という中公新書で知った。
形あるものは必ず壊れる。だからこそ、日々の保守点検が欠かせないはずだし、そうした保守点検にもかかわらず発生する障害に対し、当然に即応体制が敷かれているべきである。まして新幹線は日本経済の物流の大動脈とも言える文字通りの大「幹線」である。それが、天変地異も何もない穏やかな冬の昼下がりに3時間半にわたって機能を完全に停止するとはどういうことなのだろう。
2008年7月26日付と27日付のブログにあるように、ユーロスターでロンドンとパリを往復した。このとき、パリから戻る列車で、たまたま私が乗車していた車両の空調が故障した。日本の夏で窓の開かない車両の空調が故障したというならたいへんなことだが、ユーロスターが走る地域の夏は空調がなくては我慢ができないというほどではない。それでも、乗客ひとりひとりにペットボトル入りのミネラルウォーターが支給され、しかもお代わり自由で、次回のユーロスター利用に際し、ロンドン=パリ片道なら無料、往復なら半額という措置が取られた。車掌が客席をまわり、ひとりひとりの乗客の乗車券の裏側に何やら符丁を記入した。果たして後日、その裏書された乗車券を手にセント・パンクラス駅のユーロスター専用出札口へ行くと、確かに所定の半額で往復乗車券を手にすることができた。
新幹線に比べれば何かとトラブルの多いユーロスターだが、切符を買うところから始まって列車を降りるまで、職員の対応は気持ちがよい。空調故障でこれほどの対応をするというのは、それだけ提供するサービスに対する想いがあるということなのではないだろうか。
JRの場合はどうだろう。今回の架線事故では56本の列車が運休を余儀なくされ、運行されていた列車は最大270分程度の遅延をしている。運休や遅延は、発生してしまったものはどうしようもないが、それに関して会社は乗客に対してどのような対応をしたのだろうか。
JRが国鉄だった頃、鉄道職員の乗客に対する態度は総じて酷いものだった。その最たる象徴が春闘だろう。「春闘」という呼称が示すとおり、毎年春に国鉄の国労と動労という労働組合がストライキを打つのは年中行事のようなものだった。労働条件の改善は必要だろうが、毎年決まった時期に当然の如くに徒党を組んで職場を放棄するという神経は理解に苦しむ。職場を放棄するだけならまだしも、大量の看板やビラや横断幕を準備し、それらを駅施設や車両に大量に貼り、その上、ペンキで意味不明の文言を書きなぐったりしていたのである。それらの費用を労働条件の改善に回すという発想は無かったのだろう。あの組合員たちは何がしたかったのだろう。
その国鉄がJRになって20年以上が経ち、職員の意識は、あの横暴だった時代からどれほど変わったのだろうか。人は総じて権威に対して畏怖の情を抱くものである。物事には裏表があるものだ。畏怖の情の裏側には憎悪の念も潜んでいたりするものである。その権威を可視化したものには制服や紋章やさまざまな小道具類がある。制服を着る商売の人は、そういうことも考えて言動や行動を起こさないと、思わぬ感情の対立を生むものだということも認識しておいたほうがよいだろう。鉄道職員が客から暴行を受けるという事件があることは承知しているが、あの暗黒時代を知る身としては、正直なところ被害者に対してあまり同情の念は起こらない。加害者の多くが50代60代ということは、そうした暗黒時代の影がいまだに残っているような気もしないわけではない。
余談が過ぎてしまったが、今回の事故で思いがけず人生が暗転してしまったなどという人が生まれなかったことを祈っている。