東京、静岡など計9人が不明=100歳以上の高齢者(時事通信) - goo ニュース
30年間ミイラと同居している家族が紹介され、さっそく日本のあちこちでミイラ探しが始まった。当然のことながら、似たようなケースがあちらこちらから出てくる。ミイラになってしまえば臭いもさほど気にならなくなるのだろうが、死後しばらくは死臭がたいへんだろう。広い家なら開かずの間のようなものを設けることもできるのだろうが、どの家庭でもできることではない。なかにはどこかへ運んで捨ててしまうというようなこともあるだろう。東京湾だの荒川だのの底には浮かばれない死体がいくつもあると考えるのは自然なことだ。あるいはゴミとして捨てられたものもあるかもしれない。火葬場ではなくゴミ処理場で廃棄物と一緒に焼却されてしまったら、その存在の手掛かりなど何も残らない。
こういうのを何と呼ぶのだろう。独居老人の死は「孤独死」などと言われる。家族と同居しているなかで死に、その死体が遺棄されるのは、少なくとも形式的には「孤独」ではない。なかには、年金を通じて死後も家族とつながっていたりする死体もある。
年金保険料の支払が1年半ほど滞ればヤクザまがいの取立て電話をよこす行政が、30年間死体に年金を支給し続ける。人口構成の高齢化が無くても、これでは年金制度は破綻する。しかし、この問題に関しては行政を責めるわけにはいくまい。家族が病気になれば看病をし、亡くなれば所定の手続きをして弔う。それを当然のこととし、その「当然」に縋らなければ、行政コストは爆発的に膨張してしまう。今回の「事件」が波紋を広げたのは、それがどちらかといえば稀な事象であるからだ。稀でなければ報道はされない。例えば、自殺が稀であった頃には、ひとつひとつの自殺が「事件」になったが、交通事故の死者の倍ほどの自殺者があることが常態となってしまうと著名人でもない限り自殺は「事件」にはならなくなってしまった。形式的には家族と同居していることになっているのに所在不明の人が、高齢者に限らず、おそらくいくらでもいるだろう。果たしてそれは「事件」なのだろうか。「事件」だとすれば、どれほどの「事件」が解決されるだろうか。
今はまだ数えるほどの不明者だが、調べれば調べるほど不明者の数は増える。現時点での数えるほどの不明者にしても、何人消息を突き止めることができるだろうか。そう遠くない将来に、こうした不明者の発見は「事件」ではなくなる。独居でも同居でも人は必ず死ぬ時が来る。その死を安らかにするのは、行政なのか、家族の絆なのか、それとも…
30年間ミイラと同居している家族が紹介され、さっそく日本のあちこちでミイラ探しが始まった。当然のことながら、似たようなケースがあちらこちらから出てくる。ミイラになってしまえば臭いもさほど気にならなくなるのだろうが、死後しばらくは死臭がたいへんだろう。広い家なら開かずの間のようなものを設けることもできるのだろうが、どの家庭でもできることではない。なかにはどこかへ運んで捨ててしまうというようなこともあるだろう。東京湾だの荒川だのの底には浮かばれない死体がいくつもあると考えるのは自然なことだ。あるいはゴミとして捨てられたものもあるかもしれない。火葬場ではなくゴミ処理場で廃棄物と一緒に焼却されてしまったら、その存在の手掛かりなど何も残らない。
こういうのを何と呼ぶのだろう。独居老人の死は「孤独死」などと言われる。家族と同居しているなかで死に、その死体が遺棄されるのは、少なくとも形式的には「孤独」ではない。なかには、年金を通じて死後も家族とつながっていたりする死体もある。
年金保険料の支払が1年半ほど滞ればヤクザまがいの取立て電話をよこす行政が、30年間死体に年金を支給し続ける。人口構成の高齢化が無くても、これでは年金制度は破綻する。しかし、この問題に関しては行政を責めるわけにはいくまい。家族が病気になれば看病をし、亡くなれば所定の手続きをして弔う。それを当然のこととし、その「当然」に縋らなければ、行政コストは爆発的に膨張してしまう。今回の「事件」が波紋を広げたのは、それがどちらかといえば稀な事象であるからだ。稀でなければ報道はされない。例えば、自殺が稀であった頃には、ひとつひとつの自殺が「事件」になったが、交通事故の死者の倍ほどの自殺者があることが常態となってしまうと著名人でもない限り自殺は「事件」にはならなくなってしまった。形式的には家族と同居していることになっているのに所在不明の人が、高齢者に限らず、おそらくいくらでもいるだろう。果たしてそれは「事件」なのだろうか。「事件」だとすれば、どれほどの「事件」が解決されるだろうか。
今はまだ数えるほどの不明者だが、調べれば調べるほど不明者の数は増える。現時点での数えるほどの不明者にしても、何人消息を突き止めることができるだろうか。そう遠くない将来に、こうした不明者の発見は「事件」ではなくなる。独居でも同居でも人は必ず死ぬ時が来る。その死を安らかにするのは、行政なのか、家族の絆なのか、それとも…