熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ハイドン 交響曲45番

2010年08月12日 | Weblog
コンサートに出かけてきたというわけではない。この曲は「告別」と呼ばれるものである。ご存知の方も多いだろうが、交響曲であるにもかかわらず、この曲は消え入るように終わる。最終楽章の途中から、楽団員が1人また1人と演奏を止めて静かに袖に引き上げる。最後に残った第一バイオリンの奏者2名だけが残って曲を終え、静かに立ち去る。初めてこの場に遭遇したときは、一体何事が起こったのかと思ったが、客席は何事もないかのように静まり返っていたので、事情を知らないのは私だけだったのだろう。

お盆の時期で都心がやや空いている雰囲気の所為もあるのだろうが、今世紀に入ってからのこの国の様子は「告別」の最終楽章のようにも感じられる。少なくとも自分が身を置く業界は参加者が顕著に減少し、今や風前の灯のようだ。例外的に気を吐いている限られた小数の参加者があるのだが、それは最後の第一バイオリンのようなものだろう。演奏者は席を立って行くところがあるからよいが、行くあての無い者はとりあえず途方に暮れてしまう。少なくとも私はかなり動揺しているのだが、街の風景は何事も無いかのようだ。私だけが事情に疎いのだろうか。

今日は以前の仕事で関係のあった人と「ふきぬき」の新宿支店で昼食を共にした。もう知り合ってから12年ほどになるのだが、仕事の関係が無くなってからも、こうして時々会っている。彼は去年だったか一昨年だったか、リストラに遭い、今は外資系企業の勝手駐在員のようなことをしている。「勝手」というのは、その企業は正式には日本に事務所を開いておらず、彼がその企業と契約して、日本での採用活動をしているということだ。日本に関係のある仕事なのだが、日本に事務所を構えるとコストが嵩むので香港とシンガポールでアジア関連の仕事とあわせて日本の仕事もカバーしているのだそうだ。人が足りなくて採用するのではなく、そのポジションにふさわしい人がいれば採用するということらしい。現時点で候補者は5人だそうだが、それぞれに問題があって採用には至っていないのだという。

私は過去に4回転職をしている。過去に勤めた4社のうち2社はもう日本に無い。さらに言えば、大学を出て最初に就職した会社は今も健在だが、社名と資本関係は大きく変化した。現存しているもう1社も株価は10円台という有様だ。今の勤め先も先月に職場を半分に縮小した。人によって考え方や感じ方は違うのだろうが、今日昼食を共にした人も、先月下旬に昼食を共にした元同僚も、世の中の様子が尋常ではないと語っていた。私も同感なのだが、何がどう尋常ではないのかということは言葉にならないのである。何かがおかしいということだ。

「告別」は最後の2人が退出した後しばらくして、指揮者の合図で全員が定位置に戻って観客からの拍手を受ける。楽団員が1人また1人と立ち去るのは、やがて戻ってくることがわかっていても、やはり不安な雰囲気を醸し出す。今、私が暮らしているのは、戻ってくるとは思えないような状況のなかである。

おそらく、誰もが同じような不安感を抱えているのではないだろうか。不安だから気持ちが萎縮する。気持ちが萎縮するからリスクを取ることができず縮小均衡を志向する。リスクを取らないので発展的な行動を取ることができない。行動がないので新しいことが生れない。かくして、物事は低調に向かい、ひとつまたひとつと活動が停止する。