熊本熊的日常

日常生活についての雑記

暑い日に

2010年08月16日 | Weblog
立秋の声を聞いて暑さが焦ったのか、連日とても暑い。昨日はとうとう家から一歩も外に出なかった。今日もそうしたかったのだが、勤めがあるので仕方なく夕方に出かけた。午後5時近かったが、それでもこれまでにないほど暑く感じた。深夜、職場があるビルから外に出たときも、これまでにないほど暑く感じた。山手線に乗って、巣鴨のホームに降り立ったとき、ようやく人心地付いたような心持になった。

気象庁によれば、今日の東京の最高気温は36.3度、最低気温28.1度、平均32.2度、最高湿度64%、最低湿度46%、平均風速2.2メートル、最大風速5.3%南南東方向、日照時間8.9時間、とのことである。体感としては、路面や建物の照り返しもあるので、もう少し暑苦しく感じられる。

普段はエアコンを使わない、という話は過去に何度か触れているが、さすがにこれほど暑いとエアコンのスイッチを入れたくなる。しかし、滅多に使わないのでリモコンがイカレテいる。恐らく、基板のどこかにガタがきている。なんとなく真ん中あたりが熱い。発火するかもしれない。とかなんとか思いつつ、一旦電池を外し、しばらく時間を置いて入れなおすと、なんとか復活する。このまま使い続けて本当に発火事故を起こしても厄介なので、メーカーの出先に電話を入れてみてもらうことにする。テレビやビデオのリモコンなら代わりのものがいくらでも量販店などで手に入るが、エアコンのリモコンとなると微妙である。というわけで、昨日、今の住まいの地域を管轄している東京ガスライフバルに電話をする。

今の住処のエアコンのメーカーは東京ガス。ますます微妙なところだ。こういう電話はなかなかつながらないものだが、さすがに公益企業ともなると呼び出し音が鳴るかならないかのうちにつながる。但し、昨日は日曜だったので、要件を伝え、今日の午前中に訪問を受けることにして、電話を切った。そして、今日の午前中に電話があり、エアコンの機種などの情報を伝え、それから1時間ほどで新品のリモコンを持ったサービス担当の人がやってきた。

リモコンが新品になったことで問題は解決。リモコンの在庫はまだ余裕があるようだが、エアコン本体の部品在庫がそろそろ品薄になっているのでそのつもりで、との助言も頂く。エアコンは住処の付帯設備なので大家さんの所有物なのだが、わざわざ報告して費用を負担してもらうほどのことでもないと思い、こちらで全て処理する。リモコンが3,990円、出張費用が2,790円、合計6,780円だった。異様に高価なリモコンだが、諸々の事情を推察すれば、こんなものだろう。さすがに東京ガスのサービスマンもリモコンの値段は言いにくそうだった。

昔はどの街にも電器店があり、家電製品はそういう店で購入し、なにか問題があればメーカーの修理窓口に連絡をする前に、まずは電器店に相談をし、たいがいのことはそこで解決されたものだ。それがいつしか家電製品は量販店で購入し、そこが修理窓口としての機能も担っているが、総じて家電製品の単価が低下した所為もあって、問題が起これば即買い替えというケースも増えているのではないだろうか。

こうした傾向は家電製品に限ったことではなく、消費財全般が量販店主体の流通機構のなかに組み込まれ、個人商店の多くが姿を消してしまった。それは流通の変化だけではなく地域社会の在り様の変化でもあるように思う。顔見知りの商店の人が、商品のことや諸々でその地域住民との接点を持ち、そうした緩やかなつながりが、ある種のライフネット的なものとして機能していたのではないだろうか。

資本の論理に従って大量流通産業が小資本を駆逐し、消費者も安価な製品を手にすることで実質的な購買力が向上した。その結果、地域単位の商店街は姿を消し、代わってコンビニが登場したものの、そこに商店街ほどのライフネット機能は期待しがたいだろう。物やサービスは過去数十年の間に確かに豊富に便利になったと思う。しかし、それがよいことばかりであったかどうか。

熱中症というのは屋内で罹ることもあるそうだ。暑いときには無用な外出は避けて家で寛ぐのがよいと思うが、家では寛げない事情の人もあるだろう。暑さもしんどいが、暑さで身の回りの人間関係の脆弱さを否応なく意識させられるのもしんどいことだ。自分の人間関係は自助努力によって開拓し維持されるべきものなのだが、そう突き放してみるのもなんとなく酷なようにも感じられてしまう。ちょっとした工夫で、もう少し楽しい暮らしができるように思うのだが、なにか上手い手立てはないものだろうか。

ところで、街の電器店といえば、何年か前に観た「幸福のスイッチ」という映画が面白かった。