いつも不思議に思うのだが、何かを買ったり体験したりするのに長蛇の列ができることがある。どこぞのバウムクーヘンだとか、ドーナツとか、ラーメンとか。平日の昼間だというのに国立新美術館で開催中のオルセー美術館展は2階会場から1回エスカレーター下にかけて30分待ちの列ができていた。会期終了が迫っている所為もあるのかもしれないが、おそらくメディアで取り上げられたのであろう。私が会期開始直後の5月28日に訪れたときは、やはり平日の昼間だったが、楽勝でゆったりと眺めることができた。
ゆっくりと眺める分には、たいへん素晴らしい展覧会だと思う。そのことは5月28日付のブログ「誇大広告ではない」に書いた。しかし、こんな行列に並んでまで観るほどのものだろうかとも思う。昔、ミロのヴィーナスが来日したときは7時間待ちというときもあったそうだが、ルーブルでは多少人だかりがしているときもあるが、並んだりせずに舐めるように眺めることができる。モナリザはさすがに人だかりが絶えることはないのだが、それでも並ぶというほどではない。今回のオルセー展も、こんな行列に並ぶくらいなら日を改めてパリに行ったほうがよい。いまどきは国内旅行とたいして変わらない費用でパリ往復することなど容易なことなのだから。
さて、その行列を横目に1階の展示室で開催中のマン・レイ展をゆっくりと観てきた。2007年から欧州を起点に巡回を始めたものが、この7月から東京で開催されている。2008年3月にロンドンのTATE Modernで開催された「Duchamp, Man Ray, Picabia」を観たが、今回の東京展はMan Rayに絞ったものだ。今、何故、マン・レイなのか。そんなことは、どうでもよいのだが、今回の展覧会で印象に残ったのは彼の出会い、特に配偶者との関係だ。最初の妻はベルギーで出会った詩人で、この人と正式に離婚したのかどうなのかわからないが、フランスで「モンパルナスのキキ」と呼ばれた人物と6年間同棲している。キキは彼のもとを去って別の男性と結婚してしまい、そのことが彼に大きな衝撃を与えてみたりする。彼は米国に戻り、そこでジュリエット・ブラウナーと出会い、彼女をモデルにして写真を撮ったり絵を描いたりしているうちにそういう関係になる。結局、その後の生涯をジュリエットと共にすることになる。
その時々のパートナーが彼の作品に大きな影響を与えているように見える。人間なのだから、その精神状態が表現に反映されるのは当然なのだが、そうは思っても、表現の変化から彼の心情の変化を想像するのは楽しいことだ。画家や写真家の心情を推し量ることも愉快だが、表現の対象となっているモデルの心情を覗き見るのもまた楽しい。殊に写真の場合は撮影者と被写体との関係が如実に写真に現れる。最終的にジュリエットがマン・レイの後半生の伴侶となったことを知っているからそう見えるのかもしれないのだが、ジュリエットは彼が撮影したどの被写体よりも撮影されることを喜んでいるように見えるのである。彼のことが好きで好きでたまらなかったのだろうなと、思ってしまう。展示会場には彼が1951年から76年まで彼女と暮らしたパリのフェルー街のスタジオで、ジュリエットが彼を回顧しながら語るビデオが流れている。その彼女の様子が、いかにも愛おしいものを語っているようで、それだけで2人の生活がいかに充実していたかが伝わってくるかのようだ。
結局、人生の幸福というのは、人との出会いのなかにあるのだろう。そんなことを考えながら会場を後にした。
ゆっくりと眺める分には、たいへん素晴らしい展覧会だと思う。そのことは5月28日付のブログ「誇大広告ではない」に書いた。しかし、こんな行列に並んでまで観るほどのものだろうかとも思う。昔、ミロのヴィーナスが来日したときは7時間待ちというときもあったそうだが、ルーブルでは多少人だかりがしているときもあるが、並んだりせずに舐めるように眺めることができる。モナリザはさすがに人だかりが絶えることはないのだが、それでも並ぶというほどではない。今回のオルセー展も、こんな行列に並ぶくらいなら日を改めてパリに行ったほうがよい。いまどきは国内旅行とたいして変わらない費用でパリ往復することなど容易なことなのだから。
さて、その行列を横目に1階の展示室で開催中のマン・レイ展をゆっくりと観てきた。2007年から欧州を起点に巡回を始めたものが、この7月から東京で開催されている。2008年3月にロンドンのTATE Modernで開催された「Duchamp, Man Ray, Picabia」を観たが、今回の東京展はMan Rayに絞ったものだ。今、何故、マン・レイなのか。そんなことは、どうでもよいのだが、今回の展覧会で印象に残ったのは彼の出会い、特に配偶者との関係だ。最初の妻はベルギーで出会った詩人で、この人と正式に離婚したのかどうなのかわからないが、フランスで「モンパルナスのキキ」と呼ばれた人物と6年間同棲している。キキは彼のもとを去って別の男性と結婚してしまい、そのことが彼に大きな衝撃を与えてみたりする。彼は米国に戻り、そこでジュリエット・ブラウナーと出会い、彼女をモデルにして写真を撮ったり絵を描いたりしているうちにそういう関係になる。結局、その後の生涯をジュリエットと共にすることになる。
その時々のパートナーが彼の作品に大きな影響を与えているように見える。人間なのだから、その精神状態が表現に反映されるのは当然なのだが、そうは思っても、表現の変化から彼の心情の変化を想像するのは楽しいことだ。画家や写真家の心情を推し量ることも愉快だが、表現の対象となっているモデルの心情を覗き見るのもまた楽しい。殊に写真の場合は撮影者と被写体との関係が如実に写真に現れる。最終的にジュリエットがマン・レイの後半生の伴侶となったことを知っているからそう見えるのかもしれないのだが、ジュリエットは彼が撮影したどの被写体よりも撮影されることを喜んでいるように見えるのである。彼のことが好きで好きでたまらなかったのだろうなと、思ってしまう。展示会場には彼が1951年から76年まで彼女と暮らしたパリのフェルー街のスタジオで、ジュリエットが彼を回顧しながら語るビデオが流れている。その彼女の様子が、いかにも愛おしいものを語っているようで、それだけで2人の生活がいかに充実していたかが伝わってくるかのようだ。
結局、人生の幸福というのは、人との出会いのなかにあるのだろう。そんなことを考えながら会場を後にした。