どういうわけで買ったのか記憶が定かでないのだが、最近、福沢諭吉の「学問のすゝめ」を読んだ。今まで読んだことがなく、世の中の多くの人が知っているであろう「天は人の上に人を作らず…」という断片だけが記憶の空間を彷徨していた。
今まで知らなかったのだが、「学問のすゝめ」は1冊の本ではない。明治5年から明治9年にかけて刊行された17編の小冊子の共通タイトルである。1編は現在の文庫本にして10頁ほどのもので、ひとつの小冊子にひとつのテーマで記述がなされ、主旨明快にして歯切れの良い文章だ。これが各編ともたいへんよく売れたのだそうだ。明治13年にこれらが合本されるのだが、その序によれば初編だけで20万部が売れたという。当時の日本の総人口が3,500万人なので人口の0.57%の読者ということになる。これを現在の人口1億2千万人を基準に計算すると68.5万部が売れたことになる。2009年の年間(2008年12月から2009年11月)ベストセラーは村上春樹の「1Q84」で2巻合わせて224万部なのだが、2位が「読めそうで読めない間違いやすい漢字」の115万部(以上、読売新聞ネット版2009年12月14日)なので、「1Q84」の売れ行きは統計的な言い方をすれば異常値だろう。総人口の0.57%というのは十分にベストセラーといえよう。
今読むと、「学問のすゝめ」の内容のほうは突っ込みどころ満載なのだが、文章のリズムが良く、一つの主張を実生活に根ざしたわかりやすい事例を挙げて述べているところが、維新直後の混乱のなかにある人々にとっては進むべき道を指し示しているように感じられたのではないだろうか。とにかく明快な文章だ。
現代であろうが、明治維新の頃であろうが、一寸先が闇であることに変わりはない。世の中を流通している情報量は現代のほうが格段に多いのだろうが、個人が処理できる情報量はいつの時代もたいして変わらないのではないか。人は見たいと思う現実しか見ないものだ。時は新政府成立直後で社会は依然混乱の中にあったであろう。この小冊子が発刊されていたのと同時代である明治10年には西南戦争もあった。そうしたなかにあって、合理性というものを前面に押し出した主張を展開することは、読者に対して改めて討幕とは何であったのか、来るべき時代がどのようなものであるべきなのか、ということを再考させたに違いない。そして、改めて希望を感じさせたに違いない。だからこそ、彼の義塾から多くの人材が新政府や産業界に入り、日本の新しい体制を作り上げるのに寄与したのである。
毒にも薬にもならないものは見向きもされない。当たり障りのないことというのは、あってもなくてもどうでもよいことでもある。「学問のすゝめ」では封建的旧秩序を打破し、合理性を重んじた新たな秩序の確立を謳っている。このため、当然に旧来の秩序を支持する勢力からは危険思想と見做され、福沢は命の危険に晒されたこともあったらしい。おそらく、福沢は自分の思想や哲学を公にすることで、同志と交際し、後輩を育成し、それら有為の人々が政府や産業界の要職に就くことで世の中全体を変革しようという、政治家以上に政治家的な人だったのではないだろうか。しかも、権力や財力にはそれほどの執着がなかったようで、だからこそ人が集まり、人が育ったということでもあるのだろう。権力や財力に執着が無いというのは無欲であるということではない。そうした目に見えるものを超えたところで自己を表現しようとした、ということだったのではないだろうか。本当に大きなもの、本当に大事なこと、といったものは目には見えないものである。目には見えないけれど、伝わるべき人には伝わるものでもある。「学問のすゝめ」というのは、小冊子ではあるけれど、それを時期を見ながら連続して発刊することで、その背後にあるものを伝えるべき人々に伝えた、ということであるように思う。
今まで知らなかったのだが、「学問のすゝめ」は1冊の本ではない。明治5年から明治9年にかけて刊行された17編の小冊子の共通タイトルである。1編は現在の文庫本にして10頁ほどのもので、ひとつの小冊子にひとつのテーマで記述がなされ、主旨明快にして歯切れの良い文章だ。これが各編ともたいへんよく売れたのだそうだ。明治13年にこれらが合本されるのだが、その序によれば初編だけで20万部が売れたという。当時の日本の総人口が3,500万人なので人口の0.57%の読者ということになる。これを現在の人口1億2千万人を基準に計算すると68.5万部が売れたことになる。2009年の年間(2008年12月から2009年11月)ベストセラーは村上春樹の「1Q84」で2巻合わせて224万部なのだが、2位が「読めそうで読めない間違いやすい漢字」の115万部(以上、読売新聞ネット版2009年12月14日)なので、「1Q84」の売れ行きは統計的な言い方をすれば異常値だろう。総人口の0.57%というのは十分にベストセラーといえよう。
今読むと、「学問のすゝめ」の内容のほうは突っ込みどころ満載なのだが、文章のリズムが良く、一つの主張を実生活に根ざしたわかりやすい事例を挙げて述べているところが、維新直後の混乱のなかにある人々にとっては進むべき道を指し示しているように感じられたのではないだろうか。とにかく明快な文章だ。
現代であろうが、明治維新の頃であろうが、一寸先が闇であることに変わりはない。世の中を流通している情報量は現代のほうが格段に多いのだろうが、個人が処理できる情報量はいつの時代もたいして変わらないのではないか。人は見たいと思う現実しか見ないものだ。時は新政府成立直後で社会は依然混乱の中にあったであろう。この小冊子が発刊されていたのと同時代である明治10年には西南戦争もあった。そうしたなかにあって、合理性というものを前面に押し出した主張を展開することは、読者に対して改めて討幕とは何であったのか、来るべき時代がどのようなものであるべきなのか、ということを再考させたに違いない。そして、改めて希望を感じさせたに違いない。だからこそ、彼の義塾から多くの人材が新政府や産業界に入り、日本の新しい体制を作り上げるのに寄与したのである。
毒にも薬にもならないものは見向きもされない。当たり障りのないことというのは、あってもなくてもどうでもよいことでもある。「学問のすゝめ」では封建的旧秩序を打破し、合理性を重んじた新たな秩序の確立を謳っている。このため、当然に旧来の秩序を支持する勢力からは危険思想と見做され、福沢は命の危険に晒されたこともあったらしい。おそらく、福沢は自分の思想や哲学を公にすることで、同志と交際し、後輩を育成し、それら有為の人々が政府や産業界の要職に就くことで世の中全体を変革しようという、政治家以上に政治家的な人だったのではないだろうか。しかも、権力や財力にはそれほどの執着がなかったようで、だからこそ人が集まり、人が育ったということでもあるのだろう。権力や財力に執着が無いというのは無欲であるということではない。そうした目に見えるものを超えたところで自己を表現しようとした、ということだったのではないだろうか。本当に大きなもの、本当に大事なこと、といったものは目には見えないものである。目には見えないけれど、伝わるべき人には伝わるものでもある。「学問のすゝめ」というのは、小冊子ではあるけれど、それを時期を見ながら連続して発刊することで、その背後にあるものを伝えるべき人々に伝えた、ということであるように思う。