出光美術館の特別講座「美人画の見方」を聴講した。
骨隠す 皮には誰も 迷うなり
好きも 嫌いも 皮の技なり
誰が言ったか知らないが、こんな歌がある。どれほど美人だといわれても、あるいは不細工だといわれても、最後は髑髏だというのである。最近流行の白骨遺体を、粘土などを使って生前の姿に戻す特殊技能者もおられるようだが、そういう技能を持たない圧倒的大多数の人にとっては、しゃれこうべを前にして、その生前の姿を想像するというのは至難の技である。しゃれこうべにまでは至らなくとも、若い頃の面影が全く想像できないくらいに容姿が変容してしまう人もいる。美人であるとかないとか、刹那的などうでもよいことのようでもあるのだが、世間から美人とされる人がちやほやされるのも現実だろう。昨日のブログで、元ミス横国と下北でお茶をした話を書いたが、やはり美人というのは、一緒にいるだけで心踊るものである。
さて、その「美人」という言葉だが、近代以降に用いられるようになった用語なのだそうだ。誰もが支持する説というわけではないようだが、「美人画」の源流を辿れば神仏像に行き着くのではないかという。仏教において仏様は性別を超越した存在とされるが、仏教発祥の地であるインドの神話には女神も登場する。日本の美術史上、「美人画」の最初とされるのは正倉院にある「鳥毛立女図屏風」なのだそうだ。確かに、ここに描かれている女性から、時代を下り、少なくとも明治の「三大美人画家」と呼ばれる上村松園、鏑木清方、伊東深水に至るあたりまでは、「美人」のイメージに連続性があるように思われる。それがどういうわけで断絶してしまったのか。私は「断絶」と思っているのだが、そのあたりのことについては、そのうちおいおい考えてみたい。
美人画のほうだが、「画」となるといろいろと約束事があるようだ。今日の講義のなかでは、浮世絵に描かれているモチーフとしての美人を、それ以前の仏画や禅画と、図像として比較対照していた。一見すればただの女性が、そのように眺めてみれば観音様であったり普賢菩薩であったりするのである。今となっては、図像の類似性しかわからないが、描かれた時には単なる絵画ではなく、そこに何がしかの意味が込められていたということなのかもしれないし、単に図像や意匠として過去の作例を利用したというだけのことかもしれない。
昨日の黒田征太郎の絵にしても、描いているところを目の当たりにするのと、描かれた結果だけを見るのとでは、そこから感じるものは自ずと違う。時間とか時代を共有するという経験の有無は、絵画に限らず物を見る際の重要な要素である。美人画は、そこに「美」とか「美しい人」ということの価値や意味が語られているはずだが、それを理解するにはそれが描かれた時代やそこに描かれているものについての知識が不可欠になる。また、単に「知識」と言えば、それは断片のようなもので、非連続に知識を並べてみたところで、果たしてその対象物が制作された意図が了解できるかどうか心もとない。物事を、それが生れた文脈から切り出してしまえば、その制作技法や使われている材料といったことについての知識をいくら豊富に収集したところで、その物事を理解することはできないのではないだろうか。美術品に限らず、物事はその背景といっしょに経験することでしか、我々はそれを「見た」ことにはならないのではないか。
美術品を観て、その解説を聴いて、自分の中の限られた知識や経験と照合して、そこに形作られる空想の世界に遊ぶというのは、それはそれとして愉快なことだ。しかし同時に、空想することはその断片性を意識することでもある。そこに改めて物事が何事かと連続していることによる意味とか価値の重さも知るのである。自分というものは連続性のなかにだけ存在するということでもある。特定のことだけを抜き出してしまえば、ただの髑髏でしかないということなのだろう。
骨隠す 皮には誰も 迷うなり
好きも 嫌いも 皮の技なり
誰が言ったか知らないが、こんな歌がある。どれほど美人だといわれても、あるいは不細工だといわれても、最後は髑髏だというのである。最近流行の白骨遺体を、粘土などを使って生前の姿に戻す特殊技能者もおられるようだが、そういう技能を持たない圧倒的大多数の人にとっては、しゃれこうべを前にして、その生前の姿を想像するというのは至難の技である。しゃれこうべにまでは至らなくとも、若い頃の面影が全く想像できないくらいに容姿が変容してしまう人もいる。美人であるとかないとか、刹那的などうでもよいことのようでもあるのだが、世間から美人とされる人がちやほやされるのも現実だろう。昨日のブログで、元ミス横国と下北でお茶をした話を書いたが、やはり美人というのは、一緒にいるだけで心踊るものである。
さて、その「美人」という言葉だが、近代以降に用いられるようになった用語なのだそうだ。誰もが支持する説というわけではないようだが、「美人画」の源流を辿れば神仏像に行き着くのではないかという。仏教において仏様は性別を超越した存在とされるが、仏教発祥の地であるインドの神話には女神も登場する。日本の美術史上、「美人画」の最初とされるのは正倉院にある「鳥毛立女図屏風」なのだそうだ。確かに、ここに描かれている女性から、時代を下り、少なくとも明治の「三大美人画家」と呼ばれる上村松園、鏑木清方、伊東深水に至るあたりまでは、「美人」のイメージに連続性があるように思われる。それがどういうわけで断絶してしまったのか。私は「断絶」と思っているのだが、そのあたりのことについては、そのうちおいおい考えてみたい。
美人画のほうだが、「画」となるといろいろと約束事があるようだ。今日の講義のなかでは、浮世絵に描かれているモチーフとしての美人を、それ以前の仏画や禅画と、図像として比較対照していた。一見すればただの女性が、そのように眺めてみれば観音様であったり普賢菩薩であったりするのである。今となっては、図像の類似性しかわからないが、描かれた時には単なる絵画ではなく、そこに何がしかの意味が込められていたということなのかもしれないし、単に図像や意匠として過去の作例を利用したというだけのことかもしれない。
昨日の黒田征太郎の絵にしても、描いているところを目の当たりにするのと、描かれた結果だけを見るのとでは、そこから感じるものは自ずと違う。時間とか時代を共有するという経験の有無は、絵画に限らず物を見る際の重要な要素である。美人画は、そこに「美」とか「美しい人」ということの価値や意味が語られているはずだが、それを理解するにはそれが描かれた時代やそこに描かれているものについての知識が不可欠になる。また、単に「知識」と言えば、それは断片のようなもので、非連続に知識を並べてみたところで、果たしてその対象物が制作された意図が了解できるかどうか心もとない。物事を、それが生れた文脈から切り出してしまえば、その制作技法や使われている材料といったことについての知識をいくら豊富に収集したところで、その物事を理解することはできないのではないだろうか。美術品に限らず、物事はその背景といっしょに経験することでしか、我々はそれを「見た」ことにはならないのではないか。
美術品を観て、その解説を聴いて、自分の中の限られた知識や経験と照合して、そこに形作られる空想の世界に遊ぶというのは、それはそれとして愉快なことだ。しかし同時に、空想することはその断片性を意識することでもある。そこに改めて物事が何事かと連続していることによる意味とか価値の重さも知るのである。自分というものは連続性のなかにだけ存在するということでもある。特定のことだけを抜き出してしまえば、ただの髑髏でしかないということなのだろう。