年明け最初の美術展は神奈川県立近代美術館葉山で開催中の「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」から始まった。「芸術新潮」の1月号がベン・シャーンの特集を組んでいて、それを読んで実物が見たいと思ったのである。「ベン・シャーン」という名前は初めて耳にするように思ったが、作品を見るとなんとなく見覚えがあるような気がした。つまり、この作家に対してはその程度の認識しかなかった。それが「芸術新潮」の記事を読んで、俄然興味が湧いてきた。どれほど高精細な写真であっても実物に勝るものはないし、なによりも実物の大きさというのが印象を左右する大きな要素なので、興味が湧いたら実物を見るというのが、その興味の先に何事かを見出す基本だ。これは絵画や写真に限ったことではないのは言うまでもない。私は自分が若い頃にその基本を疎かにしたツケを今頃になって払っている気がしてならない。殊に人に対する姿勢が消極的に過ぎたと反省している。
巣鴨から葉山までは電車とバスを乗り継いで約2時間かかる。午前10時過ぎに住処を出たが、年賀状を発送するために近所にある巣鴨郵便局に立ち寄る。くじ付の年賀切手を買って、局内の机で準備してきたはがきに切手を貼る。それを投函して外に出たら10時半を回っていた。巣鴨から山手線外回りで東京に出て、11時12分発の小田原行き普通列車に乗る。戸塚で横須賀線に乗り換える。東海道線と横須賀線が分岐するのは次の大船だが、戸塚で乗り換えると同じホームでの乗り換えとなるので、乗り換えのために電車に乗り損なうというようなことがない。戸塚11時51分発の横須賀線逗子行きに乗ると終点には12時13分に到着する。ちょうど腹の空く時間でもあるので、駅構内にある立ち食いそば屋の大船軒で「鯵賄いごはん」と単品の天ぷらを頂く。酢で締めたぶつ切りの鯵が酢飯の上に乗った素朴な丼だ。たまに立ち食い蕎麦が食べたくなって、駅構内の店を覗くのだが、思いの外、多種多様なメニューがある。ちょとしたことなのだが、それぞれの店が工夫をしている様子が伝わってきて、利用する立場としては素直に嬉しくなる。
逗子駅前からは路線バスで約20分で美術館の前に着く。このバス路線は特筆ものだ。なにが凄いかというと、普通の大型バスなのだが、バス路線の半分くらいがやけに狭い道なのである。よくもまぁこんな道にバスを通すものだと感心してしまう。今日は天気に恵まれたので、海沿いの道を行く車窓からの眺めがたいへん気持ちよいものだった。
前回、この県立近代美術館葉山を訪れたのはジャコメッティ展のときだったような記憶がある。とすると、5年半ぶりだ。尤も、あれから何か大きな変化がある様子もない。いざ、ベン・シャーンの絵や写真を眺めると、雑誌の記事であれこれ想像していたことがストンと了解されたり、あるいは、現物はこういうものなのかと驚いたり、とにかく楽しい。今回の展示作品は自分で撮った写真を基に構成したものが多く、そういう作品は絵と基になっている写真とが並んで展示されている。モチーフになっているのは市井の人々。それもどちらかといえば庶民やそれ以下の境遇に置かれている人たちだ。彼自身が帝政ロシアでユダヤ人家庭に生まれ、迫害から逃れるように米国へ渡り、苦労を重ねて芸術家となった生い立ちを持つということも、社会の弱者へ意識を向ける要因のひとつになっているのではないだろうか。彼の場合はアーティストとしての地位を確立した後も一貫して社会が抱える問題に注目し続けた。それが「社会派」と呼ばれる所以でもある。
正直なところ、彼の絵にも写真にも特段惹かれるものは覚えない。ただ単純化された構図とか、その割に几帳面に描かれた煉瓦の壁とか床の板に、妙に引っ掛かるものを感じる。また、写真と絵を並べたときに、何故、数ある人物からその人物を選んだのか、とか、背景を変えることで何を伝えようとしたのか、というようなことが気になるのである。あと、レコードジャケットの仕事はカッコいい。近頃は音楽といえば自分の気に入った曲だけをダウンロードするという買い方が一般的であるようだが、やはり「アルバム」と呼ばれたLPレコードが音楽市場のあり方としてのひとつの頂点だったように思う。ジャケットのデザインは、LPサイズだから様になるのであって、CDサイズに小さくなるとデザインの味わいが薄れてしまう。確かに、LPの時代にはジャケットのデザインに惹かれて買ってはみたものの、肝心の音楽のほうにがっかりするというようなこともあった。それでも「まぁ、いいっか」と思えるようなジャケットなら救いを感じたのである。今日の展示を観ると、そういうジャケ買い衝動を起こさせるようなものが並んでいて、ふと、そうした苦い思い出が脳裏をよぎったりした。
来日したときの写真は、やはり自分が日本人なので、素朴に興味を覚えた。62歳のときに、ニュージーランド、インドネシア、タイ、日本などを3ヶ月ほどかけて旅行したそうだが、日本では京都の俵屋旅館に1ヶ月ほど逗留したという。つまり、日本では実質的に京都にしか滞在していなかったのである。一昨年の6月、私はたまたま京都へ旅行に出かけたのだが、その時宿泊したホテルが俵屋の近くだった。さらにこれも偶然だが、彼が京都滞在中に骨董品を購入したという新門前通りはAero Conceptの直営店がある通りでもある。京都で彼が撮った写真を見ると、現在の様子とさほど変わっていない。今から50年以上も前のことなのに、今でも違和感なくすっと入ってくる風景が京都という街を特徴付けているということなのかもしれない。
ベン・シャーンの仕事で日本と関係あるものとしては第五福竜丸事件に触発されたとされる「ラッキー・ドラゴン」シリーズがある。このなかの主要なものが展示されていたが、被爆国というのも日本を特徴付ける要素の一つだとの思いを新たにした。私はまだ広島にも長崎にも行ったことがないのだが、少なくともどちらかの街を今歩いておかなければならないとの思いが日に日に強くなっている。福島の原発のことも広島長崎への思いを強くするひとつの契機だったし、それ以前に、職場の同僚のオーストラリア人が日本人の配偶者を得て、休暇で来日したときに、日本のことを知るには広島を見ておかないといけないと思った、と言ってかの地へ出かけたのも、私の中で広島への興味が湧くひとつの出来事だった。やはり、広島へ行かなければならない。
美術館の裏手は海岸で、この寒い中、サーフィンを楽しむ人たちがたくさんいた。バスで逗子駅に戻る途中、駅近くになってノロノロ走る車窓から商店街の街並みを眺めていたら、英会話教室だの中国語教室だの富士山の写真募集だのと手書きのポスターが店先に貼られているカフェが目についた。駅でバスを降りてからそのカフェへ行ってみると、店の奥では何やらサークル活動中らしき中年男女のグループがいた。カフェだがコーヒーではなく田舎しるこを頂いた。いかにも自家製という暖かい感じのおしるこだった。
帰りは逗子16時03分発の湘南新宿ライン宇都宮行きで池袋まで出て、山手線に乗り換えて巣鴨まで戻った。住処には17時半頃着いた。
巣鴨から葉山までは電車とバスを乗り継いで約2時間かかる。午前10時過ぎに住処を出たが、年賀状を発送するために近所にある巣鴨郵便局に立ち寄る。くじ付の年賀切手を買って、局内の机で準備してきたはがきに切手を貼る。それを投函して外に出たら10時半を回っていた。巣鴨から山手線外回りで東京に出て、11時12分発の小田原行き普通列車に乗る。戸塚で横須賀線に乗り換える。東海道線と横須賀線が分岐するのは次の大船だが、戸塚で乗り換えると同じホームでの乗り換えとなるので、乗り換えのために電車に乗り損なうというようなことがない。戸塚11時51分発の横須賀線逗子行きに乗ると終点には12時13分に到着する。ちょうど腹の空く時間でもあるので、駅構内にある立ち食いそば屋の大船軒で「鯵賄いごはん」と単品の天ぷらを頂く。酢で締めたぶつ切りの鯵が酢飯の上に乗った素朴な丼だ。たまに立ち食い蕎麦が食べたくなって、駅構内の店を覗くのだが、思いの外、多種多様なメニューがある。ちょとしたことなのだが、それぞれの店が工夫をしている様子が伝わってきて、利用する立場としては素直に嬉しくなる。
逗子駅前からは路線バスで約20分で美術館の前に着く。このバス路線は特筆ものだ。なにが凄いかというと、普通の大型バスなのだが、バス路線の半分くらいがやけに狭い道なのである。よくもまぁこんな道にバスを通すものだと感心してしまう。今日は天気に恵まれたので、海沿いの道を行く車窓からの眺めがたいへん気持ちよいものだった。
前回、この県立近代美術館葉山を訪れたのはジャコメッティ展のときだったような記憶がある。とすると、5年半ぶりだ。尤も、あれから何か大きな変化がある様子もない。いざ、ベン・シャーンの絵や写真を眺めると、雑誌の記事であれこれ想像していたことがストンと了解されたり、あるいは、現物はこういうものなのかと驚いたり、とにかく楽しい。今回の展示作品は自分で撮った写真を基に構成したものが多く、そういう作品は絵と基になっている写真とが並んで展示されている。モチーフになっているのは市井の人々。それもどちらかといえば庶民やそれ以下の境遇に置かれている人たちだ。彼自身が帝政ロシアでユダヤ人家庭に生まれ、迫害から逃れるように米国へ渡り、苦労を重ねて芸術家となった生い立ちを持つということも、社会の弱者へ意識を向ける要因のひとつになっているのではないだろうか。彼の場合はアーティストとしての地位を確立した後も一貫して社会が抱える問題に注目し続けた。それが「社会派」と呼ばれる所以でもある。
正直なところ、彼の絵にも写真にも特段惹かれるものは覚えない。ただ単純化された構図とか、その割に几帳面に描かれた煉瓦の壁とか床の板に、妙に引っ掛かるものを感じる。また、写真と絵を並べたときに、何故、数ある人物からその人物を選んだのか、とか、背景を変えることで何を伝えようとしたのか、というようなことが気になるのである。あと、レコードジャケットの仕事はカッコいい。近頃は音楽といえば自分の気に入った曲だけをダウンロードするという買い方が一般的であるようだが、やはり「アルバム」と呼ばれたLPレコードが音楽市場のあり方としてのひとつの頂点だったように思う。ジャケットのデザインは、LPサイズだから様になるのであって、CDサイズに小さくなるとデザインの味わいが薄れてしまう。確かに、LPの時代にはジャケットのデザインに惹かれて買ってはみたものの、肝心の音楽のほうにがっかりするというようなこともあった。それでも「まぁ、いいっか」と思えるようなジャケットなら救いを感じたのである。今日の展示を観ると、そういうジャケ買い衝動を起こさせるようなものが並んでいて、ふと、そうした苦い思い出が脳裏をよぎったりした。
来日したときの写真は、やはり自分が日本人なので、素朴に興味を覚えた。62歳のときに、ニュージーランド、インドネシア、タイ、日本などを3ヶ月ほどかけて旅行したそうだが、日本では京都の俵屋旅館に1ヶ月ほど逗留したという。つまり、日本では実質的に京都にしか滞在していなかったのである。一昨年の6月、私はたまたま京都へ旅行に出かけたのだが、その時宿泊したホテルが俵屋の近くだった。さらにこれも偶然だが、彼が京都滞在中に骨董品を購入したという新門前通りはAero Conceptの直営店がある通りでもある。京都で彼が撮った写真を見ると、現在の様子とさほど変わっていない。今から50年以上も前のことなのに、今でも違和感なくすっと入ってくる風景が京都という街を特徴付けているということなのかもしれない。
ベン・シャーンの仕事で日本と関係あるものとしては第五福竜丸事件に触発されたとされる「ラッキー・ドラゴン」シリーズがある。このなかの主要なものが展示されていたが、被爆国というのも日本を特徴付ける要素の一つだとの思いを新たにした。私はまだ広島にも長崎にも行ったことがないのだが、少なくともどちらかの街を今歩いておかなければならないとの思いが日に日に強くなっている。福島の原発のことも広島長崎への思いを強くするひとつの契機だったし、それ以前に、職場の同僚のオーストラリア人が日本人の配偶者を得て、休暇で来日したときに、日本のことを知るには広島を見ておかないといけないと思った、と言ってかの地へ出かけたのも、私の中で広島への興味が湧くひとつの出来事だった。やはり、広島へ行かなければならない。
美術館の裏手は海岸で、この寒い中、サーフィンを楽しむ人たちがたくさんいた。バスで逗子駅に戻る途中、駅近くになってノロノロ走る車窓から商店街の街並みを眺めていたら、英会話教室だの中国語教室だの富士山の写真募集だのと手書きのポスターが店先に貼られているカフェが目についた。駅でバスを降りてからそのカフェへ行ってみると、店の奥では何やらサークル活動中らしき中年男女のグループがいた。カフェだがコーヒーではなく田舎しるこを頂いた。いかにも自家製という暖かい感じのおしるこだった。
帰りは逗子16時03分発の湘南新宿ライン宇都宮行きで池袋まで出て、山手線に乗り換えて巣鴨まで戻った。住処には17時半頃着いた。