先週挽いた碗3つを削って、一個挽きで壷を一つくらいは挽けるだろうと思って轆轤に向かった。ところが、碗の乾燥が不十分で思うように削ることができず、壷どころか来週も引き続いて碗の削りをすることになった。別に焦る理由もないので、そういうこともあるだろうと淡々と今日できる限りのことをして削りかけの碗を室に戻す。
陶芸の後、注文しておいた本をLibroで受け取る。先日、鎌倉の県立近代美術館で観たシャルロット・ペリアン展の図録とペリアンの自伝だ。どちらも美術館の売店で立ち読みをして、じっくりと読んでみたいと思ったので売店では買わずに注文をしたのである。Libroの池袋西武店で買うと、陶芸教室の会員証の提示で5%の割引になるからだ。
書店から無印良品に回って眼鏡を新調する。度が進むと同時に老眼も始まっていて少し不自由を感じていた。それが先週、香港に出かけたときに空港で航空会社の看板やゲートの案内板が読みにくいという経験をして眼鏡を作り直さないといけないとの思いを強くした。最初は今かけている眼鏡のレンズを交換するつもりだったのだが、売り場の人に現状を説明して検査をしてもらうと、近くのものを長い時間見る場合は今使っている眼鏡を使い、普段かけるのは少し度を強くしたものを新たに作って使うのが、少し面倒でも現実的ではないかとの結論に至ったのである。
無印を出て、少し遅めの昼食を頂くことにする。齢を重ねる毎に少しずつ食が細くなり、近頃は一日一食のこともある。今日は軽く朝食を頂いたが、午後2時を過ぎて少し小腹が減った。先日香港へ出かけてみて、中国語を習おうかとの思いが漠然と湧いたので、ベルリッツで話を聞いてみるつもりで、池袋校へ向かう。その前に、財布のなかに一銭の現金も無かったので、無印の通りを挟んで向かいにあるシティバンクで現金をおろし、そのまま通りをベルリッツのある方向へと歩き始めた。ほどなく蕎麦屋のランチの看板が目に入った。腹が減っていなければ通り過ぎてしまいそうな地味な看板だ。蕎麦くらいがちょうどよい程度の腹の空き具合だったので、看板が出ているビルの階段を地下へと降りた。看板に負けぬくらい地味な構えの蕎麦屋があった。一見したところ立ち食い蕎麦屋に毛の生えた程度の雰囲気だ。小さな店内には3人組の客がメニューを眺めていて、奥のテーブルで看護師の制服を着た人がひとりで何か食べていた。店員に案内された席に着いて、外の看板に出ていたメニューのなかから「Aランチ」を注文した。せいろと豚焼肉丼のセットだ。
結構時間を置いてから運ばれてきた蕎麦を見て「おっ」と思う。立ち食い蕎麦ではない。それらしい佇まいの江戸切りだ。これは心して頂かないといけない、という気分になる。蕎麦猪口に汁を淹れて一口手繰る。旨い。改めて考えてみると、立ち食いのような狭い店というのは江戸の蕎麦屋としては正統だろう。そもそも江戸切りというのは、酒の肴にするならともかく、時間をかけて食べるものではない。すっと店に入って、さっと食べて出るものだ。蕎麦というものが時間の経過に耐えるものではないのだから、少量をさっと食べるというのは合理的なことだ。江戸切りについてはここでうだうだ書くよりも落語の「そば清」を聴いたほうがよいだろう。「そば清」の成立は寛文12年(1672年)頃だそうなので、当時としては蕎麦に限らず、江戸のような都市の庶民の食べ物というのは量が少ない。なぜなら、今のように朝昼晩というような食事の仕方ではなく、腹が減ったら食う、という食べ方だったからだ。日に3食というのは産業革命以降、工場の操業に都合が良いように、つまり、なるべく稼働している機械を止めないように労働者を使うために設定された習慣なのである。だから江戸では蕎麦だけでなく寿司も少量をつまむ程度の食べ方を前提に考案されたものだし、天ぷらも人気を集めた屋台だったそうだ。それにしても、こんな場所にこんなに旨い蕎麦屋があるとは嬉しい驚きだ。蕎麦だけでなく、豚丼も味噌汁も香の物も全部美味しかった。「浅野屋」という店だ。
ベルリッツで話を聞いたところ、中国語は個人レッスンのみで、クラス制の授業は無いそうだ。個人レッスンとなると授業料がそれなりなので、やる気が後退してしまった。無印に寄って眼鏡を受け取って巣鴨の住処へ戻る。今は注文してから1時間ほどで眼鏡が出来上がる。便利になったものだ。
陶芸の後、注文しておいた本をLibroで受け取る。先日、鎌倉の県立近代美術館で観たシャルロット・ペリアン展の図録とペリアンの自伝だ。どちらも美術館の売店で立ち読みをして、じっくりと読んでみたいと思ったので売店では買わずに注文をしたのである。Libroの池袋西武店で買うと、陶芸教室の会員証の提示で5%の割引になるからだ。
書店から無印良品に回って眼鏡を新調する。度が進むと同時に老眼も始まっていて少し不自由を感じていた。それが先週、香港に出かけたときに空港で航空会社の看板やゲートの案内板が読みにくいという経験をして眼鏡を作り直さないといけないとの思いを強くした。最初は今かけている眼鏡のレンズを交換するつもりだったのだが、売り場の人に現状を説明して検査をしてもらうと、近くのものを長い時間見る場合は今使っている眼鏡を使い、普段かけるのは少し度を強くしたものを新たに作って使うのが、少し面倒でも現実的ではないかとの結論に至ったのである。
無印を出て、少し遅めの昼食を頂くことにする。齢を重ねる毎に少しずつ食が細くなり、近頃は一日一食のこともある。今日は軽く朝食を頂いたが、午後2時を過ぎて少し小腹が減った。先日香港へ出かけてみて、中国語を習おうかとの思いが漠然と湧いたので、ベルリッツで話を聞いてみるつもりで、池袋校へ向かう。その前に、財布のなかに一銭の現金も無かったので、無印の通りを挟んで向かいにあるシティバンクで現金をおろし、そのまま通りをベルリッツのある方向へと歩き始めた。ほどなく蕎麦屋のランチの看板が目に入った。腹が減っていなければ通り過ぎてしまいそうな地味な看板だ。蕎麦くらいがちょうどよい程度の腹の空き具合だったので、看板が出ているビルの階段を地下へと降りた。看板に負けぬくらい地味な構えの蕎麦屋があった。一見したところ立ち食い蕎麦屋に毛の生えた程度の雰囲気だ。小さな店内には3人組の客がメニューを眺めていて、奥のテーブルで看護師の制服を着た人がひとりで何か食べていた。店員に案内された席に着いて、外の看板に出ていたメニューのなかから「Aランチ」を注文した。せいろと豚焼肉丼のセットだ。
結構時間を置いてから運ばれてきた蕎麦を見て「おっ」と思う。立ち食い蕎麦ではない。それらしい佇まいの江戸切りだ。これは心して頂かないといけない、という気分になる。蕎麦猪口に汁を淹れて一口手繰る。旨い。改めて考えてみると、立ち食いのような狭い店というのは江戸の蕎麦屋としては正統だろう。そもそも江戸切りというのは、酒の肴にするならともかく、時間をかけて食べるものではない。すっと店に入って、さっと食べて出るものだ。蕎麦というものが時間の経過に耐えるものではないのだから、少量をさっと食べるというのは合理的なことだ。江戸切りについてはここでうだうだ書くよりも落語の「そば清」を聴いたほうがよいだろう。「そば清」の成立は寛文12年(1672年)頃だそうなので、当時としては蕎麦に限らず、江戸のような都市の庶民の食べ物というのは量が少ない。なぜなら、今のように朝昼晩というような食事の仕方ではなく、腹が減ったら食う、という食べ方だったからだ。日に3食というのは産業革命以降、工場の操業に都合が良いように、つまり、なるべく稼働している機械を止めないように労働者を使うために設定された習慣なのである。だから江戸では蕎麦だけでなく寿司も少量をつまむ程度の食べ方を前提に考案されたものだし、天ぷらも人気を集めた屋台だったそうだ。それにしても、こんな場所にこんなに旨い蕎麦屋があるとは嬉しい驚きだ。蕎麦だけでなく、豚丼も味噌汁も香の物も全部美味しかった。「浅野屋」という店だ。
ベルリッツで話を聞いたところ、中国語は個人レッスンのみで、クラス制の授業は無いそうだ。個人レッスンとなると授業料がそれなりなので、やる気が後退してしまった。無印に寄って眼鏡を受け取って巣鴨の住処へ戻る。今は注文してから1時間ほどで眼鏡が出来上がる。便利になったものだ。