熊本熊的日常

日常生活についての雑記

見えるもの見えないもの

2012年01月29日 | Weblog
子供と一緒に、午前中は日本民藝館でスリップウェアを眺め、午後は出光美術館で山田常山の急須を眺めてきた。民藝館のスリップウェアは主としてイギリスのものだ。そう思って見る所為もあるかもしれないが、やはり肉と野菜を煮込んだような料理を盛るのによさそうな気がする。貧乏性なので、皿を飾るだけという用途では考えることができず、ついつい何を盛るかということを思ってしまう。急須のほうは、煎茶を淹れる道具なので中身については想像の余地はそれほどないのだが、どのような場で使うかということはあれこれと考える楽しさがある。

スリップウェアに対する興味は、なぜあのような装飾をしようと考えたのかというところに尽きる。陶器の化粧というのは、一旦乾燥したものに水を掛けるようなものなので、制作そのものがそこで終わってしまうというリスクが高い。そこまでして施すような装飾なのだろうかと思うのである。勿論、それは見る人作る人それぞれの考え方なので正解というものはない。それにしても、目の前に並んでいるような器で作り手は何を表現しようとしたのかということは素朴に疑問に感じる。私は人の手仕事に無駄や無意味なところは一つも無いと思っている。動作のひとつひとつを丹念に意識するわけではなくとも、なにかしらの考えや思いがあって身体は動いているはずだ。勝手な想像だが、模様を付けることで食事という人間と自然が直接に関わる場を神聖化したのではないかと思う。縄文土器が実用というよりは呪術や祭礼の道具として用いられたと推定されるように、装飾というのは単に美意識というような牧歌的なことではなく、自分たちの生活を取り巻く不可視のものに対する怖れと敬意を表現する行為なのではないだろうか。とすると、古い時代のスリップウェアの模様も、単なる指跡ということではなく、手をかけることそのものに製作中の器類を使うことに際して、具体的には食事の場において、そうした敬意を表現するひとつの方法なのではないだろうか。そう思って眺めれば、古びた厚めの皿もなにやら輝きを増すように見えなくもない。

これが急須となると自分の生活に身近になる分、敬意だの怖れだのということを思う以前に、そのものの佇まいが自分のなかにしっくりとくるのかこないのかという原始的な感覚が反応する。特定の作家の回顧展のような展示は往々にして年代を追うように作品が並ぶ。山田常山展も例外ではない。作家によっては生涯ほとんど変わらないという人もいないわけではないのだが、多くの場合は変化していく。その時々でテーマを追求する人が多いらしく順繰りに連続性を持って変化するよりは、相変化と呼ぶことができるような段階的な変化をする人が多いように思う。今回の展示では、最初の部屋の作品が私は好きだ。急須という日常の道具だが、はっとするような美しさを感じる。それが奥の展示室に進むにつれて作為が勝ってくるように感じられて魅力が減じていく哀しみのようなものを覚えた。作家の悩みというか、試行錯誤の痕跡というか、あれこれ思い悩みながら制作しているのではないかと思ってしまうのである。その過剰な意識がなんとなく痛々しく感じられてしまう。実際に作家が悩んでいたかどうかなど私は知らない。ただ、そうだったのではないかと思ってしまうのである。

昼は天一でおまかせを頂いた。天ぷらというのは良質の具材に衣を付けて揚げるだけのものではない。具材によって、その旨さが最も引き立つ火の入り加減というものがある。その判断はマニュアル化できるようなことではない。ひとりひとりの職人の経験と勘と腕に任されている。そういう商売を大看板を掲げて営むというのは並大抵のことではない。料理であろうと、作陶であろうと、人の手で生ものを扱う作業というのはその時々一回限りのことである。作り手と素材と道具類などと、作られたものを受け取る側との全ての気が上手く重なったときに、そこに関わる全ての人が至福の時を味わうことができるのだと思う。看板や名前というのは支えるものであって寄りかかるものではない。しかし、人には我とか欲といったものがあるので、有名になれば慢心が生じるのは自然なことなのかもしれない。ふとそんなことを考えた。