熊本熊的日常

日常生活についての雑記

2万年対2時間半

2012年01月08日 | Weblog
佐倉にある国立歴史民俗博物館を訪れた。以前から一度観てみたいと思っていた博物館だったが、少し遠いのでなかなか足を運ぶ機会を作ることができなかった。今年に入ってから葉山や鎌倉の美術館を訪れたので、その勢いのようなもので、今日、足を伸ばしてみた。全く先入観無く訪れたつもりだが、見応えのある楽しい場所だった。

昨日の新年会に出かけるときに履いた靴底が思いの外摩耗していたので、午前中はその靴を持って購入店舗である外苑前のトレーディング・ポストに立ち寄る。外苑前から地下鉄銀座線で上野に出て、京成上野で12時07分発の特急に乗り換えて佐倉に行った。京成佐倉駅に着いたのが13時02分。京成本線は家屋が密集したなかを縫うように走るが、勝田台を過ぎたあたりから沿線は緑地が開けてくるというか、視界が遠方まで開けてくる。進行方向左手に印旛沼を過ごすと右手には緑に覆われた高台が見え、その緑から突き出した要塞のような建物の壁面に「歴博」の文字が浮かぶ。そこから線路に並行して道路が走っているらしく、ファミレスのロードサイド店舗の看板やコンビニのそれがいくつか続く。間もなく列車は京成佐倉駅に到着する。南口に出ると駅前にセブンイレブン。空が広い。

一見して、駅から歴博までの間に腹ごしらえをする場所がなさそうだと直感する。確かに、ファミレスはあったが、ここ数年はあの手の場所は利用しないように心がけている。駅前で適当なところを見つけて入ることにした。駅を背にして歩き出すと左手に中華料理屋がある。ここでもいいかなとは思ったが、もう少し進んで信号の角まで出る。その角に「Café de COT」という店がある。入口にメニューの一部を書いた黒板が出ていたので、それを見てこの店に入ることにした。入った瞬間の感じが良かった。まだランチの時間帯でもある所為かテーブルも半分くらい埋まっている。ランチメニューのなかから「牡蠣と牛蒡のパスタ」とアッサムを注文する。注文したものを待っている間に、先客は次々と勘定を済ませて出て行ってしまったが、ぼつぼつと新しい客が入ってくる。店の人とのやりとりを聞いていると、どの人も常連のようだ。こういう雰囲気の良い店というのが時々ある。料理も飲み物も特にどうというほどのことはないのだが、工夫が感じられる。そういう姿勢が客を吸引するのに重要なのだろう。食事を済ませて勘定を払うときに、店を開いてどれくらいになるのか尋ねてみたところ、今年で4年目に入ったという。

歴博へ歩いていくと、駅前で食事を済ませて正解だったことがわかる。このあたりは住宅街とはいえ、東京やその周辺の建て込んだものとはちがって、歩いているのが楽しくなるような長閑な雰囲気が漂う。歴博はかつての佐倉城の一画にある。維新後は陸軍佐倉連隊の駐屯地として使われた。1975年に歴史民俗博物館の基本設計が行われ、1977年に建設用地の無償所管換えが実施されて施設整備が着手された。翌78年に起工式が行われ本体施設が完成したのは1980年、翌年4月に国立大学共同利用機関として国立歴史民俗博物館が設置された。一般公開は1983年3月からである。電車の窓から見えた建物が要塞のように見えたのは、それが城を意識したものだからだろう。

さて、歴博の展示だが、閉館までの2時間半ではとても全部を観ることはできない。カバーしている時代が縄文時代から現代まで2万年なのである。それを2時間かそこらで眺めてやろうという発想に根本的な無理がある。大阪の民博もそうなのだが、歴史とか民族というような際限の無いテーマを相手にすれば、どれほど素材を厳選したところで語り尽くすことなどできるものではない。殊に歴史ともなると、そもそもの始まりがよくわからないし、「現在」というものも固定できるものではない。時々刻々と膨張を続けるのが歴史なのである。それを鉄筋コンクリートという固定された器に納めるというのだから、よほど知恵を絞らないといけないということになる。また、見学する側も、何を知りたいのか、何を見たいのか、という自分なりのテーマを持って展示の前に立たなければ、何ら得るところがない。見せる側見る側双方の気の合ったところで初めて実りあるものが生まれる。

何もこの博物館に限ったことではない。相手のあること全てに共通することだ。落語だって、漫然と聞いていたのではその本当の良さがわからないし、人との付き合いも欲得ずくでは楽しくもなんともない。どれほど些細なことであれ、自分が相手に対してどのように働きかけるか、相手に対して何ができるか、という意識がなければ関係性というものがそもそも成立しない。傍から見てどうこう、言語化数値化してどうこうというのではなく、自分の感覚として相手との対称性を認識できなければ関係と呼べるものは成立しないし維持できない。

私の場合、今回は歴史よりも民俗のほうに関心があってここを訪れた。陶芸をやっている所為もあり、器というものを考えるヒントのようなものをいつも求めている。そういう点で、縄文土器から現代の茶碗に至るまで一気通貫で概観できたことが面白かった。特に縄文土器から弥生土器に至る部分については思うところがあるが、それは明日にでも書こうと思う。

歴史に関しては、今自分が置かれている状況との関連という意味で関東大震災に関する部分や戦後の復興についてのところに強い興味を覚えたが、殊に戦後の部分で、復興や工業化の背後で農山漁村の自給自足的な生活様式が崩壊していったことを改めて認識させられたことに衝撃にも似た強い印象を持った。私個人としては親も祖父母も賃労働で生計を立てる家庭だったので、田舎の生活というものを全く知らない。ただ、以前にもこのブログで書いたかもしれないが、幼年時代に過ごした長屋は田圃を潰して造成した土地にあり、周囲には農地がかなり残っていた。殊に小学校低学年のうちは遊び相手の過半が農家の子供達だったこともあり、農家の様子というのは間接的には見聞きしている。確かにそうした農家が農業を廃業し、田畠を売却して事業を始めるとか、隠居するというような事例は身の回りにいくらでもあった。そういう家のなかには土地の売却で得た資金で大きな屋敷を建てる人が少なくなく、かなり頻繁にあちこちの棟上式に出かけて行っては、散撒かれる菓子や小銭を拾ってきた思い出がある。当時は漠然と成金はいいなというくらいのことしか思わなかったが、それが現在に至って様々な問題の根のひとつになろうとは、今から思い返せば妙な納得感がある。

企画展は「風景の記録」と題して写真資料が特集されている。関東大震災の前後、長崎への原爆投下の前後、といった写真資料は素朴な好奇心も手伝ってかなり熱心に見入ってしまった。長崎の原爆投下後の惨状を記録した写真が絵はがきに加工されて占領軍の兵士相手に販売されていたという事実には驚かされたが、戦争というのはそうしたものなのだろう。

歴博は交通の便が悪い立地の所為かもしれないが、閉館時間が16時30分とやや早めである。来る前にウエッブサイト上の利用案内を見たのだが、16時半というのは入館の最終だと勝手に解釈していた。確かに公共交通機関を利用して訪れることを考えると、職員の帰宅のことも勘案すれば、これくらいが妥当なのかもしれない。

帰りは京成佐倉16時45分発の快速西馬込行きに乗り、青砥で京成上野行きの普通列車に乗り換えて日暮里には17時49分に着いた。そこから京浜東北線と埼京線を乗り継いで実家へ行く。21時過ぎに実家を出て22時前に巣鴨の住処に戻った。