予定通り広島を発って、大阪の国立民族学博物館を訪れる。友の会の会員になって初めて会員証を使っての入館だ。現在、特別展示棟と常設のほうのヨーロッパのコーナーが改修工事中だが、それでも2時間や3時間程度では回りきれない内容なので全く問題ない。今回は陶磁器と布に焦点を当てて見学することに決めていた。最初はアメリカのコーナーで、粘土をたたいて成形する様子を映した映像に見入る。技法として、轆轤以外にいくつも成形の方法があることは承知しているし体験もしているが、たたいてこれほど整った形になるというのは、理屈としては納得できるのだが、思いもよらないことだ。展示品や映像を見る限り、ほぼ均一の厚さに仕上がっている。これに生乾きのまま彩色を施し、低火度で焼成する。焼き上がると彩色部分に土でネガティブマスクを施して燻すとマスクをしなかったところが煤け、マスクのところに地の顔料が残り、模様ができあがる。水洗いをして完成だ。日本の一般的な陶器に比べると工程が短縮されていて、できあがったものがなんとなく脆い印象を受けるが、生活に必要十分なだけの強度は確保されているはずなので、これでよいのだろう。陶磁器の歴史は古く、遡ればどれも同じような土器の類に行き着く。それが現在のように地域毎に多様性が生まれるのが、人類のそれと重なり合うようで面白い。土を成形して焼成するという基本が同じでも、手間のかけ方や装飾にそれぞれの人や土地の個性が現れている。物事の道理というものに絶対唯一というものがないということが、こういうところからもわかるのである。
今回は昨年3月に訪れたときに時間の都合で観ることのできなかった東南アジアから東アジアにかけてのところに重点を置いた。陶芸をやっている所為もあるのかもしれないが、朝鮮半島のコーナーで食器の使われ方であるとか大甕の佇まいといったものに興味を覚えた。例えば食事のとき、日本では飯碗は持って食べる。朝鮮半島の人たちは食器は卓の上に置いたまま食べる。手に持たないとなると、熱の伝導性は考慮の範囲外になる。そうなると器の厚さとか軽さ、中に熱いものを入れたときの器の感触、といった持つことをあれこれ考えて器を作ろうという発想は起こらない。こうしたことが形状や厚みに影響を与えないはずはないのである。また、今はどの家庭でもというわけではないらしいが、朝鮮半島では旧暦の端午の節句から盆にかけては陶磁器の食器を使い、それ以外の時期は金属器を使うという。食器に盛られるもののほうは、夏でも冬でもキムチに象徴される保存食が多用されていることに変わりはないので、内容物の状態に合わせて器の形状や大きさを考えるとなると、陶磁器も金属器も似たようなものになるはずだ。そこへ、成形の合理性というものを考慮して、最終的な形が決まるのだろう。また、器の内容物を口に運ぶ道具は、日本では箸が基本だが、朝鮮半島は箸と匙の両方を用いるというのも形状に影響を与えるだろう。そんなことをつらつらを思いながら展示されている器類を眺めているだけで楽しい。ちなみに、キムチの味を大きく左右するのは白菜を漬け込む前に下処理をする際の塩加減だそうだ。
14時からの友の会会員向け講演会を聴講するつもりだったのだが、展示を眺めている間に時間になってしまったので、講演のほうはパスして15時頃、博物館を出る。この後、16時過ぎに友人と梅田で待ち合わせていた。民博から梅田まではモノレールと地下鉄御堂筋線を乗り継いで30分程度なのだが、土地勘の無い場所なので、時間に余裕を持って行動する。昨年3月に初めて太陽の塔を見たときは感動した。あのときは夜行バスで新宿から大阪へ向かったのだが、車窓から見えたてっぺんの金色の顔のような部分が朝日に輝いていた。まずその風景に魅了され、万博公園に着いて正面から見上げた感じも良かった。当初は万博終了後に撤去される予定だったそうだが、残すことになったというのは自然なことのように思われる。
今日会う友人は留学時代の学友で、まさに朋友である。その後、彼はロンドン勤務以外は関西圏での勤務が続き、私のほうは専ら都内での勤務だったので、なかなか会う機会もなく、私の子供が生まれた頃に彼が勤務先の研修で東京に出て来て当時の私の住処に泊まって以来、17年ぶりの再会だ。いざ再会してみると双方ともそれほど大きな変化はないのですぐに互いを認識できた。彼は「変わっとらへんな。ちょっとこのあたりが薄くなったけど」と私の額のあたりを指差す。私が「あぁ、ここなぁ、放射能のせいなんだよ」と返すと、一瞬顔つきが真面目になって、「えっ、そうなん?」と言ってちょっとした間ができる。「んなわけないな」とまた弛緩するのだが、たとえ一瞬でも真に受けるところが彼の真面目な性格を物語っている。20時頃まで大阪駅の駅ビルにある飲み屋で語り合い、御堂筋線の新大阪で別れた。今日のブログのタイトルのように感じてもらえたら嬉しいなと思いつつ。
今回は昨年3月に訪れたときに時間の都合で観ることのできなかった東南アジアから東アジアにかけてのところに重点を置いた。陶芸をやっている所為もあるのかもしれないが、朝鮮半島のコーナーで食器の使われ方であるとか大甕の佇まいといったものに興味を覚えた。例えば食事のとき、日本では飯碗は持って食べる。朝鮮半島の人たちは食器は卓の上に置いたまま食べる。手に持たないとなると、熱の伝導性は考慮の範囲外になる。そうなると器の厚さとか軽さ、中に熱いものを入れたときの器の感触、といった持つことをあれこれ考えて器を作ろうという発想は起こらない。こうしたことが形状や厚みに影響を与えないはずはないのである。また、今はどの家庭でもというわけではないらしいが、朝鮮半島では旧暦の端午の節句から盆にかけては陶磁器の食器を使い、それ以外の時期は金属器を使うという。食器に盛られるもののほうは、夏でも冬でもキムチに象徴される保存食が多用されていることに変わりはないので、内容物の状態に合わせて器の形状や大きさを考えるとなると、陶磁器も金属器も似たようなものになるはずだ。そこへ、成形の合理性というものを考慮して、最終的な形が決まるのだろう。また、器の内容物を口に運ぶ道具は、日本では箸が基本だが、朝鮮半島は箸と匙の両方を用いるというのも形状に影響を与えるだろう。そんなことをつらつらを思いながら展示されている器類を眺めているだけで楽しい。ちなみに、キムチの味を大きく左右するのは白菜を漬け込む前に下処理をする際の塩加減だそうだ。
14時からの友の会会員向け講演会を聴講するつもりだったのだが、展示を眺めている間に時間になってしまったので、講演のほうはパスして15時頃、博物館を出る。この後、16時過ぎに友人と梅田で待ち合わせていた。民博から梅田まではモノレールと地下鉄御堂筋線を乗り継いで30分程度なのだが、土地勘の無い場所なので、時間に余裕を持って行動する。昨年3月に初めて太陽の塔を見たときは感動した。あのときは夜行バスで新宿から大阪へ向かったのだが、車窓から見えたてっぺんの金色の顔のような部分が朝日に輝いていた。まずその風景に魅了され、万博公園に着いて正面から見上げた感じも良かった。当初は万博終了後に撤去される予定だったそうだが、残すことになったというのは自然なことのように思われる。
今日会う友人は留学時代の学友で、まさに朋友である。その後、彼はロンドン勤務以外は関西圏での勤務が続き、私のほうは専ら都内での勤務だったので、なかなか会う機会もなく、私の子供が生まれた頃に彼が勤務先の研修で東京に出て来て当時の私の住処に泊まって以来、17年ぶりの再会だ。いざ再会してみると双方ともそれほど大きな変化はないのですぐに互いを認識できた。彼は「変わっとらへんな。ちょっとこのあたりが薄くなったけど」と私の額のあたりを指差す。私が「あぁ、ここなぁ、放射能のせいなんだよ」と返すと、一瞬顔つきが真面目になって、「えっ、そうなん?」と言ってちょっとした間ができる。「んなわけないな」とまた弛緩するのだが、たとえ一瞬でも真に受けるところが彼の真面目な性格を物語っている。20時頃まで大阪駅の駅ビルにある飲み屋で語り合い、御堂筋線の新大阪で別れた。今日のブログのタイトルのように感じてもらえたら嬉しいなと思いつつ。