熊本熊的日常

日常生活についての雑記

花のように

2012年02月12日 | Weblog
10日に下肢静脈瘤の手術を受け、その日から翌朝までは左脚を圧迫包帯で巻いていたのだが、包帯を解いた後は特殊なストッキングを履いている。それが何事もなく治まっていればよいのだが、歩いたりしているうちにずり落ちてくる。ずり落ちたのを直すにはズボンを脱がないといけないので、数時間おきにトイレの個室に入ることになる。ところが、トイレというものは自分の都合に合わせてそこにあるわけではない。これからしばらくはトイレの位置に気を配っておかないといけない。で、そのストッキングなのだが、ずり落ちることの他に気になることがある。脚の付け根を締め付けるテープ状の部分があり、そこに花の模様が編み込んである。男女の別のあるものではないので、女性も着用することを念頭にこのような模様があるのだろう。常々疑問に思っているのだが、女性の下着などでレース状の模様が入っているのがあるが、あれは何故なのだろうか。下着にレースの模様は果たして必要なのだろうか。そこに如何なる美意識を発露しようというのだろうか。新宿の靖国通りの地下街に女性用下着の専門店があり、その前を通るたびにそのディスプレイに眼が釘付けになるのだが、色といい意匠といい、あの装飾は一体誰に見せるつもりで施されているのだろうか。時々人に尋ねてみたりするのだが、未だに説得力のある明快な解答を得たためしが無い。ちなみに、このストッキングはドイツ製なので、日本の下着固有のことではなく、あちら側でも状況は同じなのだろう。

それで花の話題だが、今日は深沢の而今禾を訪れ花道家である上野雄次氏による花いけの実演を拝見してきた。大きな壷に桜の枝とツツジを生けたり、別の壷に別の苔のついた枝と菜の花を生ける、たいへんダイナミックなものだった。桜は勿論咲いていない。まだ漸くこれから蕾をつくろうかというようなところだ。寒い日が続いているが、それでも花の素くらいはそれとなくわかる。2月も中旬に入ったので、あと1ヶ月半もすれば咲き出すものもあるだろう。自分のことも含め、世間はあたふたとしょうもないことに追われているのだが、そんなことはお構いなしに自然は時を刻み続けている。しょうもないことやしょうもない人に自分の生活を乱されたとき、それを立て直すのに必要なのは何があっても変わらずに身近にある類のものだと思う。少しくらい寒かったり暑かったりしても毎年当たり前のように花をつけたり実を結んだりする草木もそうしたもののひとつだろう。そういう意味で草木のような人になりたいものである。