子供と佐倉にある国立歴史民俗博物館を訪れる。天気が良かったので、ちょっと郊外へ足を伸ばしてみようかと思ったのである。前回1月にここを訪れたときは、初めてだったので見学の時間配分を誤ってしまったが、今回はそうしたことのないように気をつけた。子供が進学のことを考えなければならない時期に入っている。内部進学なので受験はしないのだが、今の段階では史学か日本文学に進みたいというようなことを言っている。そういうこともあって、一度ここに連れてきてみようという気持ちもあった。
前回は様々な縄文土器と弥生土器を一度に見たことで、いろいろ考えるところがあったが、今回もどちらかといえば、集落が形成されていく過程に関心が向いた。狩猟採取の生活から農業を営む生活になり、そこから社会構造が複雑化していく背後にどのような価値観や世界観があったのかというところに素朴に興味を覚える。社会階層の分化であるとか、後の職業にも通じる人々の間での役割分担の発生といったものが、どのような基準でどのような方法で進行したのか。一旦は決まった社会構造が大きく転換することがあるとすれば、それはどのような要因によるのか。
卵と鶏との関係のような話になってしまうのだが、皆が持っていないものを持っているとか、知らないことを知っているというような独自性というか抜きん出たものが階層分化や役割分担の重要な要素だったのではないか。それはその共同体の外部のものである。つまり、既存のものに依存している限り、上層階へは進むことができないということでもある。それは共同体における個人の立場にとどまらず、共同体間の力関係にも当てはまることだろう。それまでになかったことというのは、その社会のなかでは評価が定まっていない。しかし、評価が定まるということは、社会の中に取り込まれたということでもあるので、評価が定まっていないものを扱うというリスクを負わなければ、その対価は期待できないのである。
今の我々が暮らす時代や社会にそうした気概があるだろうか。溢れんばかりの情報のおかげでどうでもいいような細部の知識にこだわる評論家のような矮小な輩ばかりが多くなり、常識を破ろう、人の考えないようなことに挑もうという人が少なくなっているような気がしてならない。それは経済成長というものが期待できなくなった結果として既存のものに執着する保守性が強くなり、そうした後ろ向きの姿勢によって成長の芽を摘むことになるという悪循環に陥っているということではないかと思う。
日本だけでなく世界の歴史を振り返るとき、経済成長は交易によってもたらされている。必ずしも対等な立場での交易だけでなく、戦争や強奪によって無理矢理権益を得たというようなことも含め、ある場所ではふんだんにあるものを、それが稀少とされる場所に持ち込むことによって、その同じものの価値が何倍にも跳ね上がる。その尺度の転換を首尾よく利用できた者が富を手にすることができるのである。交易を可能にするのは知識と技術だ。遠方まで安全に往復できるだけの知識や装備を持たなければならない。交易によって得た富を使って知識や技術を獲得し、それを利用して稀少であるはずのものを大量に準備することが可能になり、それがさらに富をもたらす。だからこそ、人はシルクロードを旅し、大航海に乗り出したのである。命を賭けるに足る報酬を得ることができると思うから、危険を顧みずに大海原や大平原の先を目指したのである。
もちろん知識や技術のフロンティアはこれまでの蓄積のおかげで小さくなっているのかもしれない。しかし人知の及ぶ範囲など知れたものではないか。立ち位置を少し変えただけで、同じものが全く違って見えるということは程度の差こそあれ誰しも経験があるのではないだろうか。閉塞も解放も自分の脳のなかの営みに過ぎないことのように思う。
ところで歴史民俗博物館だが、展示内容もさることながら、佐倉城址というまとまった緑地のなかに立地していることもあり、散策するのにもたいへん気持ちのよい場所だ。普段、雑踏の中で生活しているので、週末などにこういう空の開けた場所を歩くと生気が高まるような心地がする。
前回は様々な縄文土器と弥生土器を一度に見たことで、いろいろ考えるところがあったが、今回もどちらかといえば、集落が形成されていく過程に関心が向いた。狩猟採取の生活から農業を営む生活になり、そこから社会構造が複雑化していく背後にどのような価値観や世界観があったのかというところに素朴に興味を覚える。社会階層の分化であるとか、後の職業にも通じる人々の間での役割分担の発生といったものが、どのような基準でどのような方法で進行したのか。一旦は決まった社会構造が大きく転換することがあるとすれば、それはどのような要因によるのか。
卵と鶏との関係のような話になってしまうのだが、皆が持っていないものを持っているとか、知らないことを知っているというような独自性というか抜きん出たものが階層分化や役割分担の重要な要素だったのではないか。それはその共同体の外部のものである。つまり、既存のものに依存している限り、上層階へは進むことができないということでもある。それは共同体における個人の立場にとどまらず、共同体間の力関係にも当てはまることだろう。それまでになかったことというのは、その社会のなかでは評価が定まっていない。しかし、評価が定まるということは、社会の中に取り込まれたということでもあるので、評価が定まっていないものを扱うというリスクを負わなければ、その対価は期待できないのである。
今の我々が暮らす時代や社会にそうした気概があるだろうか。溢れんばかりの情報のおかげでどうでもいいような細部の知識にこだわる評論家のような矮小な輩ばかりが多くなり、常識を破ろう、人の考えないようなことに挑もうという人が少なくなっているような気がしてならない。それは経済成長というものが期待できなくなった結果として既存のものに執着する保守性が強くなり、そうした後ろ向きの姿勢によって成長の芽を摘むことになるという悪循環に陥っているということではないかと思う。
日本だけでなく世界の歴史を振り返るとき、経済成長は交易によってもたらされている。必ずしも対等な立場での交易だけでなく、戦争や強奪によって無理矢理権益を得たというようなことも含め、ある場所ではふんだんにあるものを、それが稀少とされる場所に持ち込むことによって、その同じものの価値が何倍にも跳ね上がる。その尺度の転換を首尾よく利用できた者が富を手にすることができるのである。交易を可能にするのは知識と技術だ。遠方まで安全に往復できるだけの知識や装備を持たなければならない。交易によって得た富を使って知識や技術を獲得し、それを利用して稀少であるはずのものを大量に準備することが可能になり、それがさらに富をもたらす。だからこそ、人はシルクロードを旅し、大航海に乗り出したのである。命を賭けるに足る報酬を得ることができると思うから、危険を顧みずに大海原や大平原の先を目指したのである。
もちろん知識や技術のフロンティアはこれまでの蓄積のおかげで小さくなっているのかもしれない。しかし人知の及ぶ範囲など知れたものではないか。立ち位置を少し変えただけで、同じものが全く違って見えるということは程度の差こそあれ誰しも経験があるのではないだろうか。閉塞も解放も自分の脳のなかの営みに過ぎないことのように思う。
ところで歴史民俗博物館だが、展示内容もさることながら、佐倉城址というまとまった緑地のなかに立地していることもあり、散策するのにもたいへん気持ちのよい場所だ。普段、雑踏の中で生活しているので、週末などにこういう空の開けた場所を歩くと生気が高まるような心地がする。