東京国立博物館に「北京故宮博物院200選」を観に行く。会期終了間近で通常ならば混雑するはずだが、東博の場合は客の大多数が取り立てて美術が好きなわけでもない老人なので、今日のように寒さの厳しい日は出足が鈍いだろうと踏んだのである。果たしてその通りだった。
先日、香港の美術館を訪れたときにも感じたのだが、中国美術の主流は書画であるようだ。漢字を創造した文化なので、そこに特別な思い入れがあるというのはうなずけることだ。科挙でもしっかりとした楷書を書くということが大きな評価ポイントであったという。今回の北京故宮博物院展も多くのスペースを占めているのは書である。画に付された讃や詩といった他の美術領域の付属部分も含めると、中国美術=書と言っても過言ではないほどだ。手書きの文字を見て巷の人々が達筆だの悪筆だのと言い合うのは日本人も同じで、日本にも書道という確立された美術領域があるところを見ると、文字というものに対する美意識は大陸にも日本にも通じ合うところがあるのかもしれない。
しかし、この国で「美術館」という看板を掲げた施設で最初の展示が書というところは思いつかない。鴬谷の書道博物館のように専門の美術館は例外だ。日本の美術館でありながら、西洋絵画を売りにしているところならいくらもある。これはどういうことだろうか。私は美術の門外漢なのできちんとした知識は無いのだが、美術に限らず日本発のものというのが無いのではなかろうか。その時々の流行のもののなかから自分たちの好みに馴染むものを引っぱり込んできて、自分好みに洗練していくという過程そのものがこの国の文化を特徴付けているような気がする。書も絵画も華道も茶道も近代産業も全部そんなふうに見える。ふと、以前読んだ坂田和實の「ひとりよがりのものさし」を思い出す。車箪笥についての記述にこのようなものがあった。
「箪笥は桐製、ボロボロ、虫喰いの大安物。しかしそのプロポーションの良さと、引き手の金具などに見られる軽み―――これが日本の家具本来の美しさではないかと僕は思っている。」
家具に限らず、この国の文化の基調には軽みというものがあるように思う。「軽妙洒脱」というのは褒め言葉だろう。軽さというのが価値基準の重要な要素となっているような気がするのである。それは時々の最先端を自由自在に取り込んで自分たちのものとしてカスタマイズしてきた歴史に通じるのではないかと私は思っている。そう考えれば、美術館の最初の展示が西洋絵画であるのは、ある意味当然のことと合点がいくのである。
よく普遍性という言葉を見聞きする。私もこのブログで時々使う。しかしよくよく考えてみれば真に普遍的なことというものがあるだろうか。そんなものがそもそも無いから「普遍性」「普遍的」と喧しく言うのだろう。中国、といっても多くの民族から成る複合体だが、代々この地域を統治してきた王朝が重要視してきたとされる中華文化、多数派である漢民族の文化の担い手としての正統性は、その基盤が不安定であるが故に軽いと困るのである。欧州の歴史や文化にも言えることだが、陸続きで異質な文化と接している緊張感を抑えるには、自分たちの存在の正統性を主張するに足る確たる証が必要なのだろう。そこに時々の貴重品や稀少品をしゃかりきになって蒐集する必要が生じるのである。勢い重厚長大を指向した文化が出来上がる。紫禁城は城という域を脱してそれがひとつの町のようだし、古代の大帝国の首長の館というのはどれも似たように巨大なものではなかっただろうか。自分を大きく見せる、というのは発情期の畜生のようだが、要するに人は年がら年中発情しているということだ。そうしていないと生命をつなぐことができない弱さがあるということだろう。
故宮博物院の宝物を前にして、その美意識と自分のそれとの間に果てしない距離を覚えるのは、勿論私が貧乏でそうしたものとの縁が無いという所為も多分にあるのだろうが、日本という国で生まれ育って生涯を全うしようとしていることが大きく作用していると思う。
最近ご無沙汰だった法隆寺宝物館も覗いてみた。改めてそこに並べられている仏像や装飾品を眺めてみると、時代が古い分、造形に未熟なところを感じるがそれを同時代の大陸のものと比較した時に完成度の低さと捉えるか、独自の解釈と捉えるかということを思った。気になるのは仏像の姿勢が悪いことだ。どれも猫背で老人がやっと立っているような風情だ。後代の美しい立ち姿とはちょっと違う。これは何故だろう?
東京芸大の学食で一服した後、久しぶりに寄席でも覗こうかと思った。最初に鈴本へ行ってみるとトリが白鳥なので却下。地下鉄を乗り継いで池袋演芸場へ行くと、そこもぱっとしなかったので却下。新宿へ移動して末広亭に落ち着く。平日夜の部としては平均的な人の入りだろう。寄席は落語を聴きに行くというよりも、今時こんな芸が生き残っていたのかというある種の考古学的興奮を体験する場だと思っている。落語のほうは時間の制約があるので大きなネタはできない。そこをどう上手く聴かせるかというのが芸というものだろうが、それを期待するのは酷というものだろう。今日一番面白いと思ったのは、江戸の物売りの呼び声を演じるというものだった。あってもなくてもよいものを売って商売にするというのだから、呑気に聞こえる呼び声には呑気ではない意気が込められているはずだ。今時は物売りというのは殆ど聞かなくなったが、それは商売への意気込みが全体として低下したということなのか、単に意気込みを資本に置き換えたということなのか。なんでもかんでもデジタル表示というのは、果たして未来につながることなのか、自分自身の生活を知らず知らずに痩せらせる自殺行為なのか。
寄席がはねてから、近くの桂花ラーメンで遅めの夕食にする。学生時代の友人で親が熊本出身だという奴がいて、この店は彼に教えてもらった。今年彼から届いた年賀状には「今年は生涯忘れない年になりそうです」と書いてあった。彼の勤務先は東京電力だ。
先日、香港の美術館を訪れたときにも感じたのだが、中国美術の主流は書画であるようだ。漢字を創造した文化なので、そこに特別な思い入れがあるというのはうなずけることだ。科挙でもしっかりとした楷書を書くということが大きな評価ポイントであったという。今回の北京故宮博物院展も多くのスペースを占めているのは書である。画に付された讃や詩といった他の美術領域の付属部分も含めると、中国美術=書と言っても過言ではないほどだ。手書きの文字を見て巷の人々が達筆だの悪筆だのと言い合うのは日本人も同じで、日本にも書道という確立された美術領域があるところを見ると、文字というものに対する美意識は大陸にも日本にも通じ合うところがあるのかもしれない。
しかし、この国で「美術館」という看板を掲げた施設で最初の展示が書というところは思いつかない。鴬谷の書道博物館のように専門の美術館は例外だ。日本の美術館でありながら、西洋絵画を売りにしているところならいくらもある。これはどういうことだろうか。私は美術の門外漢なのできちんとした知識は無いのだが、美術に限らず日本発のものというのが無いのではなかろうか。その時々の流行のもののなかから自分たちの好みに馴染むものを引っぱり込んできて、自分好みに洗練していくという過程そのものがこの国の文化を特徴付けているような気がする。書も絵画も華道も茶道も近代産業も全部そんなふうに見える。ふと、以前読んだ坂田和實の「ひとりよがりのものさし」を思い出す。車箪笥についての記述にこのようなものがあった。
「箪笥は桐製、ボロボロ、虫喰いの大安物。しかしそのプロポーションの良さと、引き手の金具などに見られる軽み―――これが日本の家具本来の美しさではないかと僕は思っている。」
家具に限らず、この国の文化の基調には軽みというものがあるように思う。「軽妙洒脱」というのは褒め言葉だろう。軽さというのが価値基準の重要な要素となっているような気がするのである。それは時々の最先端を自由自在に取り込んで自分たちのものとしてカスタマイズしてきた歴史に通じるのではないかと私は思っている。そう考えれば、美術館の最初の展示が西洋絵画であるのは、ある意味当然のことと合点がいくのである。
よく普遍性という言葉を見聞きする。私もこのブログで時々使う。しかしよくよく考えてみれば真に普遍的なことというものがあるだろうか。そんなものがそもそも無いから「普遍性」「普遍的」と喧しく言うのだろう。中国、といっても多くの民族から成る複合体だが、代々この地域を統治してきた王朝が重要視してきたとされる中華文化、多数派である漢民族の文化の担い手としての正統性は、その基盤が不安定であるが故に軽いと困るのである。欧州の歴史や文化にも言えることだが、陸続きで異質な文化と接している緊張感を抑えるには、自分たちの存在の正統性を主張するに足る確たる証が必要なのだろう。そこに時々の貴重品や稀少品をしゃかりきになって蒐集する必要が生じるのである。勢い重厚長大を指向した文化が出来上がる。紫禁城は城という域を脱してそれがひとつの町のようだし、古代の大帝国の首長の館というのはどれも似たように巨大なものではなかっただろうか。自分を大きく見せる、というのは発情期の畜生のようだが、要するに人は年がら年中発情しているということだ。そうしていないと生命をつなぐことができない弱さがあるということだろう。
故宮博物院の宝物を前にして、その美意識と自分のそれとの間に果てしない距離を覚えるのは、勿論私が貧乏でそうしたものとの縁が無いという所為も多分にあるのだろうが、日本という国で生まれ育って生涯を全うしようとしていることが大きく作用していると思う。
最近ご無沙汰だった法隆寺宝物館も覗いてみた。改めてそこに並べられている仏像や装飾品を眺めてみると、時代が古い分、造形に未熟なところを感じるがそれを同時代の大陸のものと比較した時に完成度の低さと捉えるか、独自の解釈と捉えるかということを思った。気になるのは仏像の姿勢が悪いことだ。どれも猫背で老人がやっと立っているような風情だ。後代の美しい立ち姿とはちょっと違う。これは何故だろう?
東京芸大の学食で一服した後、久しぶりに寄席でも覗こうかと思った。最初に鈴本へ行ってみるとトリが白鳥なので却下。地下鉄を乗り継いで池袋演芸場へ行くと、そこもぱっとしなかったので却下。新宿へ移動して末広亭に落ち着く。平日夜の部としては平均的な人の入りだろう。寄席は落語を聴きに行くというよりも、今時こんな芸が生き残っていたのかというある種の考古学的興奮を体験する場だと思っている。落語のほうは時間の制約があるので大きなネタはできない。そこをどう上手く聴かせるかというのが芸というものだろうが、それを期待するのは酷というものだろう。今日一番面白いと思ったのは、江戸の物売りの呼び声を演じるというものだった。あってもなくてもよいものを売って商売にするというのだから、呑気に聞こえる呼び声には呑気ではない意気が込められているはずだ。今時は物売りというのは殆ど聞かなくなったが、それは商売への意気込みが全体として低下したということなのか、単に意気込みを資本に置き換えたということなのか。なんでもかんでもデジタル表示というのは、果たして未来につながることなのか、自分自身の生活を知らず知らずに痩せらせる自殺行為なのか。
寄席がはねてから、近くの桂花ラーメンで遅めの夕食にする。学生時代の友人で親が熊本出身だという奴がいて、この店は彼に教えてもらった。今年彼から届いた年賀状には「今年は生涯忘れない年になりそうです」と書いてあった。彼の勤務先は東京電力だ。