不動産の内見に出かける。近所というわけではないのだが、散歩がてら1時間近く歩いていく。一応、今の巣鴨の住処は勤務先名義で借りているので、これを退職日翌日から私の名義に変更するという手続きを進めている。今の住処に取り立てて不満はないのだが、クビになった先の名義で借りていたというのはげんが悪い。ここは状況が厳しいからこそ、腐れ縁を潔く断ち切る意味でも処替えをしようと思っている。しかし手元不如意である。となると移る先についてはあれこれと厳しい制約が生じることになる。といって細かいことを言い出すと何もできないということになりかねない。そこで今回は以下の3条件を考えた。
一 洪積台地に位置している
二 現在の家賃と同額で現在の住処より広い、または、現在の住処と同じ広さで現在の家賃より安い
三 駅から徒歩圏内
このブログの読者はお気付きのことと思うが、私の「徒歩圏内」というのはかなり広範に及ぶので、あまり意味を成さないかもしれない。しかし、都内で洪積台地というと山手線より東側は考慮すべき対象から丸々外れてしまう。第一の条件は、都区内ではかなり厳しいものなのである。
それで、今日拝見した物件は、まだ退去前なので現在の住人の方にいろいろお話しを伺うこともできて、結果がどうあれ、たいへん勉強になった。ちなみに、第二の条件に関しては、同家賃で倍の広さになる物件だ。そんな甘い話があるだろうかと思われるかもしれないが、家というのは家賃と広さだけで決まるものではない、と言えばどのような物件なのか想像はつくだろう。おそらく、世間の多数派の意見ならば過酷な物件ということになるのだろうが、私は気に入った。ただ、数日前に仮押さえをして検討中の人がおられるそうなので、その人が正式に決めれば私にはまわってこない。それはそれで仕方のないことなので、探し続けるだけのことだ。
それにしても空いている不動産が思いの外多くて、少し恐くなる。都内でも特定少数の場所については、このご時世でも家賃が上がっているそうだが、今日歩いたところなど至るとこに貸家や貸事務所の貼り紙があった。地方都市では「シャッター商店街」というのが当たり前のように広がっていたりするものだが、都内も繁華街を外れたところでは似たような風景が見られる。私は身近に農業に従事する人がいないのであまり意識していないのだが、風景という点では農村の荒廃も深刻だという。今はTPPにまつわる議論が聞こえてくるが、TPPに参加しようがしまいが、そもそも議論の対象となっている日本の農業が存在するのかということが問題だろう。確かに生産額という尺度では、日本の農業総産出額は平成22年において8兆1,214億円である。これはどのような規模かというと、少し時間を遡り2005年(平成17年)では8兆5,119億円と少し多く、同年においては中国、米国、インド、ブラジルに次いで世界5位だそうだ。尤も、金額表示というのが曲者で、平成22年の内訳を見ると67.9%が耕種で残りが畜産だ。さらに内訳を見れば一番多いのが野菜で全体の27.7%、それに米19.1%、乳用牛9.5%、果実9.2%、鶏9.1%、豚6.5%、肉用牛5.7%と続く。海外で生活をしてみればよくわかるのだが、日本の農産物は総じて高価だ。それは色形が美しいとか、揃っているとか、ちょっと他国産には見られない特徴がある。腹を満たすのは見栄えではなくて中身なので、これが生産量となると心もとないことになり、カロリーベースの食糧自給率39%という数字になる。話が大きく脱線したが、要するに耕作が放棄されて荒れている農地が増えているということを言いたかっただけだ。都市の住宅や事務所と言わず、農村の農地と言わず、日本の至るところが空いて荒れているのである。
そうしたなかで残存能力を活用することを考えないといけない。いやらしい言い方をすれば、生活のためになんとか勝ち馬を見つけ出してそれに乗らないといけないのである。経済成長が当然とされていた頃には考えられなかったことだ。どんな馬でも永久に走り続けることはできない。適当に乗り換えの馬を見つけるという作業も自分が生きている限り継続しないといけない。冒頭で「腐れ縁を断つ」というような言い方をしたが、要するに常に新しいことに挑戦し続けないと生活を継続することができないのではないかと思うのである。巣鴨の住処に籠ってこんな駄文を書き散らかしている場合ではないのだ。
一 洪積台地に位置している
二 現在の家賃と同額で現在の住処より広い、または、現在の住処と同じ広さで現在の家賃より安い
三 駅から徒歩圏内
このブログの読者はお気付きのことと思うが、私の「徒歩圏内」というのはかなり広範に及ぶので、あまり意味を成さないかもしれない。しかし、都内で洪積台地というと山手線より東側は考慮すべき対象から丸々外れてしまう。第一の条件は、都区内ではかなり厳しいものなのである。
それで、今日拝見した物件は、まだ退去前なので現在の住人の方にいろいろお話しを伺うこともできて、結果がどうあれ、たいへん勉強になった。ちなみに、第二の条件に関しては、同家賃で倍の広さになる物件だ。そんな甘い話があるだろうかと思われるかもしれないが、家というのは家賃と広さだけで決まるものではない、と言えばどのような物件なのか想像はつくだろう。おそらく、世間の多数派の意見ならば過酷な物件ということになるのだろうが、私は気に入った。ただ、数日前に仮押さえをして検討中の人がおられるそうなので、その人が正式に決めれば私にはまわってこない。それはそれで仕方のないことなので、探し続けるだけのことだ。
それにしても空いている不動産が思いの外多くて、少し恐くなる。都内でも特定少数の場所については、このご時世でも家賃が上がっているそうだが、今日歩いたところなど至るとこに貸家や貸事務所の貼り紙があった。地方都市では「シャッター商店街」というのが当たり前のように広がっていたりするものだが、都内も繁華街を外れたところでは似たような風景が見られる。私は身近に農業に従事する人がいないのであまり意識していないのだが、風景という点では農村の荒廃も深刻だという。今はTPPにまつわる議論が聞こえてくるが、TPPに参加しようがしまいが、そもそも議論の対象となっている日本の農業が存在するのかということが問題だろう。確かに生産額という尺度では、日本の農業総産出額は平成22年において8兆1,214億円である。これはどのような規模かというと、少し時間を遡り2005年(平成17年)では8兆5,119億円と少し多く、同年においては中国、米国、インド、ブラジルに次いで世界5位だそうだ。尤も、金額表示というのが曲者で、平成22年の内訳を見ると67.9%が耕種で残りが畜産だ。さらに内訳を見れば一番多いのが野菜で全体の27.7%、それに米19.1%、乳用牛9.5%、果実9.2%、鶏9.1%、豚6.5%、肉用牛5.7%と続く。海外で生活をしてみればよくわかるのだが、日本の農産物は総じて高価だ。それは色形が美しいとか、揃っているとか、ちょっと他国産には見られない特徴がある。腹を満たすのは見栄えではなくて中身なので、これが生産量となると心もとないことになり、カロリーベースの食糧自給率39%という数字になる。話が大きく脱線したが、要するに耕作が放棄されて荒れている農地が増えているということを言いたかっただけだ。都市の住宅や事務所と言わず、農村の農地と言わず、日本の至るところが空いて荒れているのである。
そうしたなかで残存能力を活用することを考えないといけない。いやらしい言い方をすれば、生活のためになんとか勝ち馬を見つけ出してそれに乗らないといけないのである。経済成長が当然とされていた頃には考えられなかったことだ。どんな馬でも永久に走り続けることはできない。適当に乗り換えの馬を見つけるという作業も自分が生きている限り継続しないといけない。冒頭で「腐れ縁を断つ」というような言い方をしたが、要するに常に新しいことに挑戦し続けないと生活を継続することができないのではないかと思うのである。巣鴨の住処に籠ってこんな駄文を書き散らかしている場合ではないのだ。