熊本熊的日常

日常生活についての雑記

好日

2012年02月09日 | Weblog
これからの身の振り方を考える参考にと先日ガラスの表面加工について話を聞きに出かけてきたのだが、その続きで東京ビックサイトで開催中のギフトショーを見学してきた。そのガラス仕事の元締めがブースを出し、そこに実際に加工業を営んでいる何軒かの工房が出展するというので、そういう実例を前に話し合おうというのである。午前11時から1時間近く話し込んで、結論は留保したままなのだが、引き続き検討はすることになっている。それからさらに1時間ほど会場内を徘徊してきた。こういう展示会に足を運ぶのは、何年か前に通訳のアルバイトで幕張メッセに出かけて以来のことだ。その時は私の顧客がそこで開催されたセミコン・ジャパンという展示会にブースを出していて、そこに通訳として詰めていた。その数年前のセミコンに比べると今日のギフトショーのほうが人出が多いように感じられた。不景気の影響で従来の4日間開催というのを3日間に短縮しての開催なのだが、ギフトという間口の広い商材を扱う展示会という所為なのか、ひょっとして景気が少しは良くなっているのか、たいへん賑やかだった。ビックサイト全館を使った展示会なのでとても1時間では回ることができないのだが、今ここの出展社と商売をしようというつもりもないので、ざっと雰囲気だけ把握するには1時間で十分だ。腹も減ったので、会場を後にした。

今日はこの後に入っている予定が午後7時からだったので、間の時間はどこか美術館にでも出かけようかと思っていた。国際展示場前から豊洲行きのゆりかもめに乗って車窓を眺めていたら、ガスの科学館が目に入った。以前に誰かからけっこう面白いという話を聞いたことを思い出し、ちょっと寄ってみることにした。その前に豊洲駅前のなか卯で牛丼をいただく。ファーストフード系の店にはたまにしか入らないのだが、それぞれに特徴があって面白い。牛丼系の店というのは、客の殆どがカウンターやテーブルに覆い被さるように猫背で食べている。食事というより給餌のような雰囲気だ。給餌なので食べ終わればすぐに出て行く。ハンバーガー系は大きく2種類の客のパターンがある。ひとつは、食べることは二の次で、勉強や仕事をする場所として利用する人たち。もうひとつは高齢者が、まだ自分が若いということを自分に言い聞かせるべく利用するもの。あんなものを旨いと思って食べているとは思えないのだが、若い人たちに混じってハンバーガーを食べる私って棄てたもんじゃないわね、と言わんばかりの雰囲気を漂わせていたりすることが少なくない。どちらも店に滞在する時間は長い。回転寿司には妙な人がいる。「えんがわ」だの「中トロ」だのと、多少こだわりのある風なネタを注文して、どうよアタシ、というような風情の人が必ずいる。本当に寿司が好きな人は回転しない寿司屋へ行くのではないだろうか

ガスの科学館はガスの生産から消費に至るまでのことが一通りわかり易く説明されている。消費に関しては調理のことに大きく場所を割いている。直接ガスと関係ないような気がしなくもないのだが、ひとり暮らしで日々自炊をしている身には興味深いことが多く、なかなか見応えのある展示だった。あと、天然ガスがマイナス160度で液化されているというのは初めて知った。実演コーナーで説明役のオネエサンが風船を液体窒素に浸けると風船がしぼむのを見て、思い切り「へぇー!」と思った。たぶん、前のほうの席で説明を聞いていた子供達よりも私の方が驚いたのではないだろうか。透明な風船を使ったときにわかるのだが、そのしぼんだ風船のなかに少量の液体が溜まっているのである。それを液体窒素から出すと風船はもとのように膨らみ、中の液体はなくなっている。へぇー!

豊洲から地下鉄有楽町線で銀座一丁目に出て、徒歩で汐留ミュージアムに行く。現在開催されているのは「今和次郎 採集講義展」だ。私は大学時代の専門が経済史だったので柳田國男や今和次郎の著作は読んでいる。読んでいるのだが、そのときには面白いとは思わなかった。今も手元にドメス出版から出された今和次郎集のなかの第二巻「民家論」と第四巻「住居論」がある。改めてぱらぱらとめくってみると、これが興味深い記述ばかりで、どうしてあのとき全巻買わなかったのかと後悔の念に苛まれている。昨夜の和服の話にも通じることなのだが、自分とそれを取り巻く物理的なものに何を選択しどのように用いるかというのは、その人物の生き方や考え方に基づいていると言っても過言ではない。逆に、衣服や住居を見れば、その人の生き方や考え方が見えてくるということだ。河井寛次郎の言葉で「もの買ってくる 自分買ってくる」というのがあるが、これなどはまさにそういう意味だろう。今は今回展示されているようなものを見てあれこれ自分のなかにあるものと重ね合わせる楽しさを感じることができるのだが、学生時代はそれができなかった。今更ながら偏狭でつまらない人間だったと呆れてしまう。ただ、今の時代に見るからそう思うというのは承知しているけれど、今和次郎の考現学もあと少し踏み込みが欠けていたのではないかとも思う。尤も、自らの観察と記録を丹念に積み重ねていくという手法は深く思考するための大前提であり、今の時代に欠けていることでもある。情報通信技術の進歩で自分が経験していないことでもわかったようなつもりになってしまうほど潤沢な情報をいつでもどこでも必要な時に手にできてしまう、あるいは手にできてしまうという錯覚をしてしまう。これは危険なことだと思う。わかったつもりになる、ということはその先へ思考を深めることを止めてしまうということにもなる。あまり懐疑的になりすぎてもものの見方が偏狭になりかねないが、人の発想は経験を超えることができないものなので、興味を覚えたことや好奇心をそそられるようなことは、とりあえず体験してみるという姿勢を持たないと思考するという人間としての基礎能力が向上しない。今和次郎の研究成果の今日的な意義はその膨大な観察記録にあるのではなく、観察に向かわせた彼の精神の在り方を改めて見直すことにあるのではないだろうか。

夕食は銀座の煉瓦亭でオムライス、トマトサラダ、アイスクリームをいただく。煉瓦亭を初めて利用したのは大学1年の冬休み。当時、駿台でバイトをしていて、バイトの面倒を見てくださっていた正社員の方がキヤノン販売へ転職されることになった。そこで、バイト仲間のお茶大のオネエサンが幹事役となって送別会を催した会場が煉瓦亭だった。以来、平均すると年に1回くらいは利用させていただいている。日本の洋食屋さんのスタンダードと言えるような店で、料理もさることながら、食器類の佇まいや店員さんたちの立ち居振る舞いにも独特のものが感じられる。勘定を払うときに一万円札を出したら釣り札がすべて新札だった。そういう店なのである。

夜は昨日に引き続いて丸の内カフェでの教養講座聴講。今夜の講師は出光美術館学芸員の柏木麻里氏。講演は開催中の山田常山展に関するものだ。たいへんわかりやすい講演で、もう一度展覧会に足を運んでみようと思った。