熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「China」

2008年12月18日 | Weblog
今日は内見客を迎えた。ロシア人の男性だ。午後7時の予定だったが、6時半頃にやって来た。関心の所在は誰でも同じらしく、想定の範囲内の質問ばかりだった。彼が気にしていたのは浴室のシャワーの水圧だった。私も彼に言われて初めて気がついたのだが、シャワーヘッドを高い場所に持ち上げると、水が出なくなってしまう。普段、浴槽のなかで座った状態で使用しているので、全くに気にならなかった。彼は浴槽のなかで立った状態でシャワーを利用するつもりらしい。それはやめておいたほうがよいのではないかと思うのだが、余計なことは言わないことにした。

なぜ、ロシア人だとわかったかというと、内見中に彼の携帯に電話があり、その会話を聞いていたら「ニェット」とか「ダー」とか言っていたので、「ロシア人かい?」と尋ねてみたのである。彼は私に「中国人?」と尋ねた。リビングの書棚に「China」という大きな本があったので、そう思ったのだそうだ。

「China」は1949年から2008年までを対象とした中国の写真集である。文字通り中国という国を西洋に紹介する内容で、英仏独の3カ国語の文章が添えられている。1976年に毛沢東が亡くなるまで、中国は毛沢東の国だったかのような印象を受ける。公式行事といえば、人々は手に手に赤い表紙の毛沢東語録を持って集まり、学芸会のようなことをする。資本家や資本家的発想は悪であり、生活は毛主席の中国共産党にお任せするのが正しい生き方であるかのような雰囲気を感じる。それが毛沢東の死後、様相が一変するのである。共産党にお任せのはずが、「自由」を求める旨のことが書かれたプラカードを掲げた人々の写真があったり、毛沢東路線の継承者であったはずの人たちが裁判の被告になっている写真があったり、一見してこの国が迷走状態に入ったかのような印象になる。そのクライマックスが天安門事件だろう。この後、中国は急速に世界経済のなかに組み込まれていく。そして現在に至るのである。

中国は世界で最も古い歴史を持つ地域であるが、そこに興った国は古代から20世紀に滅亡する清に至るまで王制国家である。1949年に建国された中華人民共和国も共産党王朝のような様相があったように思う。共産党政府というより、特定の個人による支配体制として共産党という組織が存在していた、というほうが現実の姿を言い当てているのではないかとさえ思う。それが、市場メカニズムに組み込まれることによって、特定の個人を崇拝するという国家のありようが変容している。

中華人民共和国の国家元首は「国家主席」というものだが、1975年から1982年までは名実とも廃止されている。現在は復活しているものの、毛沢東が主席であった時代のそれとは違って儀礼的権限しかなく、その権威の裏付けとなっているのは共産党総書記という共産党内部での地位に拠るところが大きい。

明確に特定の権威に依存する国家体制というのは、それだけ一般国民の生活が厳しいという現実を表現しているように思う。国家という権威の存在感が低下するということは、それだけ国民個人の経済力が向上しているということだろう。自分で立って歩くことができれば、寄りかかるものを必要としないものだ。人類の歴史というのは、結局のところ、ひとりひとりが自立して生きることができる世の中を目指すという方向性のなかで展開されてきたとも言えるだろう。無力の時には、王を求め、神を求める。文明の発展に伴って、世の中の道理というものが特定の存在の恣意によるものではなく、ある種のメカニズムのなかで機能しているということが明らかになり、人々は王や神ではなく、そのメカニズムに関心を向けるようになる。それとともに、単なる権威ではなく、自己の利益に結びつく具体的な権威を求めるようになる。あらゆるものが市場というメカニズムのなかで取引される時代にあっては、その具体的な権威は経済力だろう。国家権力は信用の裏付けという意味において権力たりうるのである。「億万長者」という時の「億万」に実質的な意味を与えるのが国家権力ということだ。

そうした現在という場において、権力に求められている能力は、経済力の背後にある市場メカニズムを円滑に機能させる調整能力だ。つまり、市場というものへの深い理解と洞察だ。これがないと国家あるいはその象徴たる通貨は信用を失うことになる。これは株価にもあてはまるかもしれない。会社というのは利益追求を目的とする集団、と定義されている。自社の事業に対する深い理解と洞察がないと見なされた企業は市場から排除される、と言えるのではないだろうか。今、世界経済が混乱しているように見えるが、株式市場も外国為替市場もそうした根っこのところから眺めてみれば、少し違った風景が見えるかもしれない。

もちろん「China」を買ったのはそんなことを考えてのことではなく、単にそこに掲載されている写真が面白かったからである。

忘年会

2008年12月17日 | Weblog
今日は忘年会である。職場で自分が所属するグループの東京在勤の人たちの忘年会であり、ロンドンでひとりで働いている私には関係ない。

今日は水曜日なので、ナショナル・ギャラリーの夜間開館日だ。去年の今ごろは、トラファルガー広場には舞台が設置され、連日なにがしかのイベントがあったが、今年はそういうものがない。巨大なツリーは去年と同じで、そのツリーの下で賛美歌のコーラスが行われているのも同じだが、それを聴く観客は寂しい限りである。金融機関の人員整理が今月に入っても止まらない上に、先日倒産したWoolworthsの買い手が見つからず、昨日、約2万7千人の従業員の解雇が決まったとの報道があった。世の中の雰囲気として、馬鹿騒ぎを自粛せざるを得ないものがある。

ロンドンの生活で気に入っていることのひとつは、仕事帰りに博物館や美術館に立ち寄って、ゆっくりと好きな物を鑑賞できることである。最近はひとりで気に入った絵だけを眺めることが多いのだが、夜間でもキュレータートークが実施されている。11月19日に訪れた時は全館開館していたが、今日はレンブラントの初期の作品が並ぶ一画とフランス絵画のコーナーの一部が閉鎖されていた。それでも、ほぼ全館開館といえる状況であり、これはいままでにないことである。クリスマスが近い所為で、一部の宗教画は、照明を落として、その代わりにキャンドルを並べて展示されていた。宗教画自体に興味は無いのだが、表現としては同じモチーフが時代や画家によって様々に描かれているので、それを比べて観るのが楽しい。去年の今ごろは、まだ宗教画には目もくれなかったのだが、今や「セバスチャン」などはすっかりおともだちのようになってしまった。でも、一番好きなセバスチャンはルーブルにあるマンテーニャの作品だ。

今年も残すところ2週間。来週の水曜日はクリスマスイブなので、夜間の開館はない。大晦日はトラファルガー広場で馬鹿騒ぎがあるだろうから、開館していても、多分来ないだろう。私にとっては、今日はナショナル・ギャラリーでのひとりだけの忘年会だ。

応用問題

2008年12月16日 | Weblog
景気が急速に悪くなり、原油価格も下がり、ポンドも対主要通貨全てに対して下がったら、果たして消費者物価はどうなるのだろうか、という経済学の応用問題のような状況になっている。景気の悪化と多くの工業製品の原料でもありエネルギー源でもある原油の値下がりは、物価を押し下げる要因である。ポンド安は輸入物価を上昇させる。どちらの要因がより強く経済に作用するか、ということだ。

産業構造での英国と日本の違いは、製造業の割合が日本のほうが高く、金融業の割合が英国のほうが高いということだ。そして貿易収支は日本が輸出超過で英国は輸入超過である。ポンド安は、もし英国に輸出商品があれば、その価格競争力を高めることにつながり、製造業を中心に恩恵を受けることになるはずだ。

工業製品のなかで最も波及効果の大きな製品は自動車である。自動車は鋼板、鋳物、ゴム、各種電気製品、繊維製品、ガラス製品などから構成されており、しかもひとつひとつの部品が高精度で加工されていなければならない。一国の工業力の水準を端的に表す製品である。事実、国際競争力のある自動車メーカーがある国は世界のなかでも数えるほどしかない。

工業団地を造成するときも、自動車メーカーが進出する場合とそうでない場合とでは、団地の規模が段違いに異なる。自動車工場ができれば、それに付随して自動車部品工場が集積し、さらにそうした工場群の要請によって金型などの基盤産業も集積する。それら多様な産業による有形無形のネットワーク・インフラを利用すべく自動車の生産に直接関連しない電機や精密メーカーの工場までもがそうした工業団地に進出する。中国やインドが自国の自動車産業育成に熱心に取り組むのは、そうした波及効果の大きさを産業政策の上で重要視しているからに他ならない。

英国には自動車メーカーがない。昔はあったが、今はもうない。スポーツカーなど趣味的に使われる車のメーカーは健在だが、大衆車のメーカーも高級車のメーカーも悉く海外資本の傘下に下ってしまった。英国を代表するブランドであるロールスロイスはドイツのBMW、ベントレーはやはりドイツのフォルクスワーゲン、ジャガーとランドローバーはインドのタタ、ボクソールは米国GMの傘下である。英国で最も売れている車種はフォードのフォーカスだそうだ。

世界で初めてジェット旅客機を生んだ航空機産業も、タイタニックのような巨大客船を生んだ造船業も、今はもうない。かろうじて電気掃除機メーカーのダイソンが気を吐いている。

英国の産業の中核は金融である。GDPの3割を占める国内最大の産業だ。それが機能不全に陥ったのだから、ポンドの信任が揺らぐのは当然であろう。ポンド安で恩恵を受けるべき産業がなければ、経済の自律的な回復の鍵を何に期待すればよいのだろうか。

日本はどうだろう。結局のところは輸出依存型経済という姿は昔も今も変わらない。最大手の輸出先は米国だ。米国の産業構造は英国とよく似ている。やはり金融中心の経済である。米国も英国同様に貿易収支は赤字だが、その規模は比較にならないほど大きい。かつて米国製品が世界を席巻していた時代を知る人のなかには、ドル安が米国産業界の利害と一致すると感覚的に信じている向きも少なくないだろうが、果たして今でもそう言えるだろうか? 今はまだ、世界経済の混乱が始まったばかりの段階なので、迷走状態にあるが、過去の習慣を離れて現実をあるがままに見直せば、自ずと落ちつきどころが見えてくるような気がする。

参考文献:OECD Factbook 2008

視而不見

2008年12月15日 | Weblog
昨日、自然史博物館で観た「ダーウィン展」も興味深いものだった。ダーウィンの業績は今更語るまでもないことなのだが、本展ではビーグル号での航海で彼が目にしたものと、そこから進化論に至る道筋を追ったものである。

この展覧会の要旨のひとつでもあるのだが、ダーウィンは進化論を発見したのではない。既に彼が生きた時代には進化論に近い考え方というものがいくつか発表されていて、それ自体は新しい理論というわけではなかったのだそうだ。この企画展で強調しているのは、5年間に及ぶ航海で観察した事実を、理論という形に体系化する科学的手法を彼が発見したことなのである。

英国海軍の測量船であったビーグル号にダーウィンが乗り組むことになったのは、博物学者として船長のロバート・フイッツロイの話し相手となるためだったという。彼を乗組員に推薦したのはケンブリッジ大学で彼が師事していたジョン・スティーブンス・ヘンズローのだった。ビーグル号は1831年12月27日にプリマスを出港。時にダーウィンは22歳。本人は博物学者という自覚はなかったそうだ。帰国したのは1836年10月2日、そして「進化論」を出版するのは1859年11月24日である。

新しい理論ではないとは言いながら、教会の権威は今よりもはるかに大きなものであったろうし、人間もサルも時代を遡れば同じルーツに行き着くなど、誰も受け容れることのできない話であっただろう。その世間に受け容れられそうにない主張をするのである。その準備に20年以上の歳月を要するのは当然のことだったのではないか。

ビーグル号の航海での様々な観察があり、それに触発された発想があり、それを体系化する時間と他の学者の研究成果がある。そうしたひとつひとつのことを丹念につなぎ合わせた結果としての進化論である。出版する時点で、既に迷いは無かっただろう。だからこそ、教会や保守層からの激しい批判にも耐え、賛同者を着実に増やすことができたのである。

えてして人は自分の見たいと思うものしか見ないものである。たとえ事実であっても、自分にとって都合の悪い現実は、異常なこととして深く考えることをしない。自分の論理が決定的に破綻をきたしてから、ようやく現実の姿に気付くというのはまだ救いがあるほうで、それでも現実を否定するという人も珍しくはない。まずは事実を適切に認識すること、そうした認識を地道に累積させること、そうして初めて既存の枠組みでは考えることができなかったことを考えることができるようになるものだ。

そんなことは当然だと思う人が多いだろうが、なかなかできることではない。自分で観察したり考えたりすることをせず、安易に他人や世間の妄言を信じるから、結局いつも右往左往することになる。11日にFBIに逮捕されたナスダックの元会長、バーナード・マドフが集めた金はまだ未確定だが現時点では約500億ドルと報道されている。彼のファンドには野村グループをはじめとして世界の名立たる機関投資家が出資をしていることが既に明らかになっている。「プロの資産運用」などと宣いながら、詐欺ファンドに軽軽と引っ掛かる。「プロ」の現実とはこの程度なのである。

娘へのメール 先週のまとめ

2008年12月15日 | Weblog

元気そうでなによりです。
シーパラは楽しかったですか?

こちらはいよいよ寒くなりましたが、たぶん東京とそれほど変わらないのではないかと思います。時々冷え込んで、朝夕は道路が凍結することもありますが、雪が舞うこともなく、降るとすれば雨です。

帰国が近づいてきたので、食材や家事用消耗品を使い残さないよう、頭を悩ませています。でも、たぶん、食用油は使い切れそうにありませんし、洗剤類もかなり残ってしまいそうです。洗剤はそのまま次の入居者に残せばよいことですが、他人が使い残した調味料や食用油はさすがに使えないだろうと思いますので、口に入れるものは捨てるしかないような気がします。

カレンダーはどうでしょう? 去年よりはよくできたような気がします。今年は原則としてその月に撮影した写真を使うように心がけました。1月の雪景色は4月に撮影したもので、12月のサンタの写真は去年の12月に撮影したものです。あとは月と写真が対応していますので、なんとなくこちらの季節の雰囲気がわかるかと思います。写真は全てイギリス国内で撮影したものです。
もう冬休みですか? 休みでもしっかり勉強して、落第しないようにしましょう。家事の手伝いも少しはして下さい。家事ができないというのは、人間として非常にまずいと思います。目標として、ひとりで生活ができるような実用的能力を身につけるというのは大切なことです。

では、風邪などひかぬよう、健康管理をしっかりしてください。


決定的瞬間

2008年12月14日 | Weblog
よくVictoria and Albert Museumに出かけるのだが、出かける度にその隣にある自然史博物館(The Natural History Museum)の建物が気になっていた。それで今日は自然史博物館のほうを訪れてみた。

12月11日付「大英博物館にて」に書いたように、ここは大英博物館の分館として設立された博物館である。大英博物館と同様に入場無料だが、有料の企画展も開催されている。今日は「Wildlife Photographer of the Year 2008」と「Darwin Big Idea Big Exhibition」が開かれており、両方とも観てきた。

写真は自分では殆ど撮らないのだが、観るのは好きだ。日本に持ち帰るべく買い込んだ書籍のなかにも写真集がいくつかある。

夏にパリに遊びに行った時、偶然にポンピドーセンターで開催されていたMiroslav Tichy展のカタログ。この人の写真は美しいとか醜いというレベルを超越したものだ。情熱とか執念とか、自分の内部から湧き上がるものを、たまたま写真という形で表現した、というべきものだ。「表現」などという生易しいものではない。たまたま彼の写真を評価する人がいたから、ポンピドーセンターで企画展が開催されるほど高名になったが、その無数の「たまたま」のひとつでも欠けていれば、ただの変態ジジイだ。今、意図的に「たまたま」という語彙を多用した。とにかく彼の「作品」を見れば、その意図を理解してもらえると思う。しかし、おもしろい写真だと思う。手作りのカメラで撮影するというのもよい。完成された不完全、とでも呼びたい作品群だ。

‘The Great LIFE Photographeres’は写真誌’LIFE’の総集編のようなものだ。写真というのは、我々が目にしている光景を切り取ったものであるはずだが、絵になる瞬間を集めてみれば、我々の生きている場がいかに劇的なものであるかということに気付かされる。もちろん、LIFEに掲載される写真は、それが「事件」の現場を撮影したものなのだから、劇的であるのは当然なのだが、被写体の多くは市井の人々である。戦争や騒乱も、決して特殊なことではないだろう。今この瞬間においても、世界のどこかで何かしらの事件が起っているのである。

‘Martin Parr’の写真集は是非一冊欲しいと思っていた。この人の写真は’LIFE’に掲載される種類のものではない。皮肉で、どこか人を食ったところがあり、でも憎めない茶目っ気がある。身近にこういう視線を持った人がいれば、たぶん、不愉快に思うだろう。しかし、距離を置いて眺めれば、人間の行動の滑稽さを巧みに捉えていると思える。感嘆に値するほど面白い写真が満載である。

そして今日の’Wildlife’だが、これは美しいとしか言いようがない。ネイチャーフォトと呼ばれる分野の写真展入選作を集めた展覧会である。当然のことだが、自然の風景というのは撮影者の思い通りにはならない。撮影しようとする対象の生態系や生活史を研究し、狙いを定めて、思い描いた風景が現れるのをひたすら待つのである。一枚の写真が表現する息を飲むような美しさは、そうした入念な準備と幸運の賜物なのである。しかし、そうした段取りが透けて見えてしまっては、なんとなく浅ましい写真になってしまうものである。胸を打つ一瞬は、いつまで待っても訪れないかもしれない。だからこそ、その一瞬に出会った時の驚きと喜びが大きく、忘我の境地になる。我を忘れてシャッターを切った時に、この世の物とも思えない美しい一瞬が写っている、と思いたい。今回の展覧会で興味深かったのは、子供たちが撮影したものである。やはり成人の部に比べればテクニックの欠如や準備不足・知識不足の感は否めないのだが、素直な感動が伝わってくるという点では成人の部を超えていると感じられるものもあった。特に気に入ったのは、10歳以下の部で佳作(Highly Commended)に選ばれていた’Treetop jigsaw’という作品だ。これは熱帯雨林の森のなかで、木々を見上げて撮ったものである。木漏れ日が逆光になり、モノクロのような絵になっている。その光と陰のコントラストを通じて森の深さや木々が描き出されており、森のなかで感じる不安とか森の大きさといった撮影者の心象も見事に表現されていると思った。10歳以下の部の入選作’Snow pose’もよかった。雪の中を行くキツネが立ち止まって振り返っているところを撮影している。雪に覆われた野に残るキツネの足跡、その雪にかかる木の影が、どこか虚無的だ。そこにキツネの振り返った姿があることで、画面に緊張感が生まれている。素晴らしい作品だ。

写真は撮影する人によって同じ風景が全く違ったものに加工される。それが人生の何事かを象徴しているようで面白い。ある瞬間の捉え方が、その人の人生を決定しているような気さえする。

引き蘢り

2008年12月13日 | Weblog
今日は雨で風も強い。しかも、雨はやむ気配がない。そんなわけで、一歩も家から外に出なかった。

ロンドンでは雨が降るのは珍しくないが、一日中降り続けるのは珍しい。出かけなければならない用事もないので、別にそれで困ることもない。ただ、ロンドンでの生活も残すところあとわずかなので、見逃したものがないか、週末は徘徊しながら考えてみたいのである。天気が悪いと人出が少なくなるので、徘徊するには好都合なのだが、雨だけならまだしも、風が強いと出歩くのが億劫になる。

引き蘢っていると退屈かというと、そうでもない。本を読んだり駄文を書きなぐったりしていると、あっという間に時間が経ってしまう。これはこれで楽しいものである。

昔の未来

2008年12月12日 | Weblog
昔、冷戦というものがあった。規模の大小を問わず、争い事というのは、終わってみれば、何が原因だったのか、何を求めて争ったのか、よくわからないものである。そして、長い目で見れば、勝っても負けても、争い事で得ることというのは知れている。一方の当事者であったソ連という国は、今はもうない。それで世の中が平和になったわけでもない。

仕事帰りにVictoria and Albert Museumに寄り、”Cold War Modern”という企画展を観てきた。これは冷戦時代のなかでも、特に1945年から1970年にかけてのデザインを概観したものだ。「デザイン」と言ってしまうと漠然としたものに聞こえてしまうのだが、家具、家電製品、建築、商業デザインなど様々なものである。

展覧会のタイトルにも’Modern’という言葉が使われているが、この言葉の背後には、時代の変化というものに方向性があり、過去より未来に価値があるとの前提がある。20世紀のなかばにおいて、誰もが健康で文化的な生活を営むことができる、ということは未来の話だった。第二次世界大戦後の荒廃した世界にあって、人々がそうした未来を指向するのは当然のことであったろう。

展示は一枚の写真パネルから始まる。瓦礫の山の上に立って配給物資を運んで来る輸送機を見上げるベルリンの人々。ベルリン封鎖によって当時の西ベルリンが陸の孤島と化した際に、米国を中心とする旧連合国の西側諸国が実施した”Airlift”と呼ばれる西ベルリン救援作戦の一風景である。この写真が撮影された時から60年を経て、世界は果たして当時の人たちが目指したものになったのだろうか、と思う。

現在の欧州や日本の社会が瓦礫の山から始まったという事実は、デザインを考える上で、実は重要なのかもしれない。「これからどうなるんだろう」という不安と、「これから新しい世界を作るんだ」という希望とが入り交じった状況のなかで東西の対立という新たな緊張が起る。東西それぞれの陣営で、自分たちの目指すユートピア的未来が語られる。どちらの側でも、何故か直線的なデザインとか流線型が目立つのだが、それは当時の豊かさの象徴でもあった鉄鋼製品をふんだんに使った大量生産品を指向した結果として、そのような形のものが多く考え出されたということなのだろうか? 一方で、球型に近いデザインも、インテリアを中心に多く見られる。そのなかにはソニーやパナソニックのポータブルテレビもある。IBMの電動タイプライターは、私が社会人になったばかりのころ、職場にあったものだ。自分が日常で利用していたものを博物館の展示で見るのは新鮮な気分がするが、こうして眺めてみると、確かにいい形をしている。IBMのタイプライターがあれば、当然、オリベッティの製品もある。生まれて初めてタイプライターというものを買ったのは、大学1年の時だった。オリベッティの「レッテラ32」というモデルで、これも美しい形をしていた。

冷戦時代の出来事で忘れてはいけないのが、宇宙開発だろう。人類にとっての様々な意味でのフロンティア開発という遠大な展望もあっただろうが、より現実的には軍事技術のひとつとして、米ソ間で「開発競争」とも呼ばれるほどに次々に新たな技術開発が行われた。宇宙開発に関連したデザインも、機能性はさておきイメージ先行型だが、ファンションや建築の分野での展示があった。尤も、宇宙に関連した機能的デザインは不可能だろう。宇宙で生活している人などいないのだから、どのような機能が求められるのかなどわかるはずがない。

興味深いのは、展示のひとつとして「007」シリーズの映像が流れていたことである。確かに、もともとあのシリーズには東西対立を背景にしたイデオロギーがあった。西側世界のご意見番を自任する英国の諜報部員の活躍を描いているのだから、その敵が何を意味しているかというのは言わずもがなであろう。

東西冷戦で思い出すのは、まだ壁があった頃のベルリンを訪れたことである。東西の間には壁と地雷原があり、いくつかの検問所が設けられて、厳しい検査を経て往来ができるようになっていた。その検問所のひとつに’Checkpoint Charilie’と呼ばれるものがあり、その近くに「壁の博物館(Mauermuseum)」というものがあった。そこでは東側から西側へ逃亡を図った人たちの記録を観ることができた。トンネルを掘る、自動車の車体をコンクリートで補強して検問所を強硬突破する、高圧電線の鉄塔に張ってある保守用のケーブルに滑車をひっかけて渡る、など命がけの逃亡劇の記録がそこにあった。私が訪れたのは1989年6月だったが、その時点で逃亡に失敗して落命した最後の事例として紹介されていたのが、同年3月のことだったと記憶している。周知の通り、同年11月にベルリンの壁は崩壊した。逃亡してきた人々は、実際に西側での生活を始めてみて、そこに何を見ただろう。今、この瞬間、そうした人たちが幸せに暮らしていることを願わずにはいられない。

大英博物館にて

2008年12月11日 | Weblog
大英博物館は木曜と金曜が夜間開館日である。他の博物館や美術館と同様に、夜間開館といっても入場できる展示室は限られている。しかし売店は必ず開いている。ここを閉めたら開館する意味はない。どこの国の博物館・美術館も収益確保は最大の経営課題である。

誰が「大英博物館」という訳語を考えたのか知らないが、上手い訳語をあてたものだと感心する。パリのルーブル美術館が王室の蒐集品を基に設立されたのに対し、大英博物館はSir Hans Sloane (1660-1753)という医師であり博物学者であった人の個人的な蒐集品から始まっている。「個人的な蒐集品」とはいえ、約71,000点に及ぶ品物に加えて蔵書と植物標本が国に遺贈されたのである。時の国王ジョージ2世は、この遺産には興味がなかったらしい。しかし、議会からの熱心な働きかけに動かされて遺贈を受領することにしたという。この時、議会は宝くじの収益金を使って、この遺贈品を収蔵・展示する博物館を設立することを決めたのだそうだ。以降、主に個人からの寄贈品が数多く寄せられ、今日の姿になったという。但し、19世紀に、自然史分野のものをまとめて自然史博物館(The Natural History Museum 但し1992年にthe Museum and Galleries Act of 1992が施行される以前はThe British Museum (Natural History))として分館、20世紀に図書部門をロンドン市内の他の国立図書館と統合して大英図書館(The British Library)としている。個人の収蔵品をまとめてみたら、これほどの豊かな博物館や図書館になったというのだから、英国の繁栄というのは想像を絶するほどのものだったのである。原語はThe British Museumだが「大」を加えることで、その強い個性と存在感が的確に表現できているように思う。

さて、今日も博物館内の書店で1時間ほど立ち読みに耽る。今日のお題は陶芸。欧州には日本でも有名な陶器ブランドが多い。英国のウエッジウッドやロイヤルドルトン、デンマークのロイヤル・コペンハーゲン、フランスのセーブルやリモージュ、ドイツのマイセン、イタリアのリチャード・ジノリ、ハンガリーのヘレンドなど枚挙に暇がない。確かにどのブランドも洗練された品格の高さがあり、眺めてよし、使ってよし、という感じがする。残念ながら使う機会に恵まれないので「感じ」としか書きようがないのが少し寂しいところではある。しかし、負け惜しみではないが、こうしたブランド品にはあまり興味はない。

何故興味が湧かないのか、買えないという経済的事情を別にして、自分でもよくわからない。ただ、ひとつの器として作陶技術や表現そのものが完璧なまでに完結されていて、そこに私個人が入り込む余地が無いように感じられるのである。陶器は周知の通り、土をこね、形をつくり、素焼きをし、施釉をし、本焼きをするという工程を経て完成する。この焼成というのが陶芸の「芸」としての特異性なのである。素焼きでは800度前後、本焼きでは1,200度前後の熱に作品を晒す。窯のなかにある作品をいじることはできない。絵画にしても彫刻にしても、作者の手の及ばないところを経ないと作品が完成しないということはない。陶芸だけが、運を天に任せる工程を経て完成されるのである。つまり、本来的に完璧ではあり得ないということだ。1,200度の熱のなかで何が起こっているかなど、誰にもわからないのである。そいう自分の手におえない部分があるからこそ、作陶に人知を超えたものを感じ、作品に神性ともいえる味わいが出るのである。ところが、西洋の陶器は、そうしたことを見て見ぬ振りをするかのように、あくまで完成度の高さに価値を置く。私はそこに納得がいかないのである。

私が陶器に興味を持つようになって、まだ2年ほどしか経っていない。せっかく欧州の片隅で暮らしているのだから、この機会に少し勉強でもしておこうと思い、こうして書物を物色している。今日は、ユーラシア大陸のなかの陶器の地理的・歴史的流れのようなものを概観した本と、英国のウースターについてまとめた本を購入した。

民度

2008年12月10日 | Weblog
既に今住んでいる家の退居の通知を不動産業者と家主にしてある。現在、次の入居者を募集しており、内見の連絡が不動産業者から入ることがある。今日は内見客が来るはずだったが、現れなかった。これまでに3回内見の連絡を受けたが、実際に内見客がやって来たのは1回だけである。不動産業者によれば、内見を申し込むだけで現れない客というのは珍しいことではないそうだ。

内見客があるときに、家の中に洗濯物が干してあったり、食事の臭いが籠っていたりしていては、まとまる話もまとまらなくなってしまうのではないかと心配し、内見に合わせて家事の段取りもつけている。内見客が来ようが来まいが私には利害得失は無いのだが、洗濯のスケジュールが狂ってしまうと着替えがなくなってしまうことにもなりかねない。これまで3回とも内見は午後7時頃ということになっていたので、内見客のある日は、夕食の準備は内見後にして、腹をすかせて待っている。そういうことに対する想像力というものが働かないものなのだろうか?

ロンドンでの生活で不愉快なのは、職場のトイレが汚いことと、地下鉄などの公共施設の利用マナーが悪いことである。これまでにいろいろな職場を経験したが、現在の勤務先ほどトイレが汚いところは見たことがない。公共交通機関の施設内もひどい。ロンドンではフリーペーパーの種類が多く、その流通量が豊富な所為もあるのだろうが、地下鉄のなかはそうした新聞類が散らかっている。折り返しの駅で車内清掃が行われるが、回収しきれないほどの量である。車内だけではない。駅のエスカレーターの脇の斜面を新聞が滑り降りて行くのはよくある風景だ。飲み残しが入ったままのペットボトルやコーヒー類の蓋付き紙コップも散乱している。

ロンドンではその昔、まだ下水が整備される以前、住宅で発生する汚水は室内でバケツに溜め、それが一杯になると窓から捨てていたそうだ。うっかり住宅街を歩いていると、頭上から汚物が落ちて来るということもあったらしい。そもそも、家の中も靴のままという生活スタイルが受け容れ難い。清潔とか不潔という感覚が私の理解の範囲を超えているということなのだろう。

引越に際して、今住んでいる家の原状回復をしなければならないので、自分で購入したベッドと整理タンスの引き取り手をネット上の掲示板を利用して募集した。まずは日本語の掲示板に出して、引き取り手が現れなかったら、英語の掲示板に出すつもりでいた。幸い、ベッドもタンスも日本語の掲示板で引き取り手が見つかり、先週末に譲り渡しを済ませた。言葉の問題もあるのだが、相手が日本人だと常識をある程度共有できるので比較的安心して取引ができる。実際、ベッドを引き取りに来た人も、タンスを引き取りに来た人も、事前の打ち合わせ通りの時間にやってきて、何の問題もなく荷物を車に積んで持って行った。

「民度」という言葉をネットで検索すると、日本人の民度の低さを嘆いたブログが多数ヒットする。自己に対する懐疑というものを知らない人たちより、自己の欠点探しに右往左往している人たちのほうが、まだ未来があるような気がする。

2008年12月09日 | Weblog
クリスマスカードの返事が届き始めた。昨日1通、今日1通である。偶然だが、どちらもユニセフのカードだ。

今日届いたカードの主とは知り合ってから24年8ヶ月になる。しかし、この間に顔を合わせたのは、通算しても1週間にもならない。それでも、時候の挨拶状と、思い出したように年に数回のメールの往復が続いている。実は相手のことをそれほど知らないのだが、なぜかとても親しい間柄であるように、少なくとも私は感じている。

1984年3月。生まれて初めて飛行機に乗って、しかも日本以外の国へ旅行してきたのである。その時、往復のフライトが同じで、旅行中も何度か一緒になったのが、このカードの主だ。当時、格安航空券と言えば、目的地までやたらと経由地が多いものだった。この時は目的地がシドニー。そこに辿り着くのに丸2日を要した。成田を離陸して、福岡、台北、香港、ペナン、クアラルンプール、そしてシドニーである。しかし、この間、その人と私の間に会話は無い。

シドニーからひとりでグレイハウンドという長距離バスを乗り継いで、キャンベラ、一旦シドニーへ戻り、ブリスベーン、アリススプリングス、エアーズロック、一旦アリススプリングスへ戻り、アデレード、メルボルンと回った。ブリスベーンからアリススプリングスまではバスをマウント・アイサとスリー・ウエィズで乗り継ぐ。順調に行けば車中泊2回で3日間で到着できる。たまたま、マウント・アイサへ行く途中で大雨に遭い、道路が不通になってしまった。よりによって砂漠の真ん中で大雨だ。こんなこともあるのである。乗っていたバスはロング・リーチという町でブリスベーンへ引き返すという。先へ行くなら、翌日の同じ時間にこの町を発車する同じ路線のバスに乗れと言われた。「同じ時間」とは午前1時だ。それでこの町で1日過ごすことになった。砂漠のオアシスのようなところにある町で、カンタス航空発祥の地でもある。町の外れの公園にはその記念碑のようなものがあり、ガラスケースにカンタス航空創業当時の航空機のエンジンが飾ってあった。それ以外は何も無い。町をくまなく歩いてみたが、10分もかからなかった。そんなところで24時間過ごした。そして迎えた翌日午前1時。前日バスが停車したところには誰もいない。本当にバスは来るのだろうかと不安に思っていると、どこからともなく3人の男性が現れた。バスの客らしい。やがて、バスのヘッドライトが近づいてきた。フロントガラスの至る所に衝突した大きな蛾がへばりついている。このバスで、マウント・アイサへ行き、そこで乗り換えたバスで、今日のカードの主と再会したのである。

私は記憶に無いのだが、後にその人から言われたのは、最初の会話で強い印象を受けたというのだ。なぜなら、限りなく初対面なのに、開口一番、私が振った話題がジャガイモの話だったというのである。初対面の話題でジャガイモを持ち出す奴など会ったことがないという。

アリススプリングスで別れ、再び出会うのが帰国の飛行機が出るメルボルンだった。メルボルンからはクアラルンプール、香港、台北を経由して成田へ戻った。ここで別れて、次に会ったのが1990年の夏だ。それ以来、会っていない。

この人も、このブログの読者だそうだ。曰く「読んでいて、熊本君は時間の使い方に無駄がない、と言うより時間を無駄に過ごしていないんだな、と気がつきました。」人によってものの見方というのはずいぶん違うものだと思わずにはいられない。無駄というなら、私の時間など全て無駄である。存在自体が無駄だと言われても反論できないほどである。しかし、言われてみれば、確かに退屈というものを感じたことがない。おそらく、ぼぉっとしていることに罪悪感を覚えない性格の所為ではないかと思っている。それにしても24年とは、長い付き合いになったものである。

Mさん、帰国したら遊びに行きます。前回のように、すすきので寿司でも食べましょうよ。あと、Mさん、頂いたカードに貼ってあった切手、使っちゃっても大丈夫だったんですか? 1964年の東京オリンピックの記念切手と1978年の国際文通週間の切手ですよ。

色即是空

2008年12月08日 | Weblog
現代美術の作品を眺めていると、芸術家の仕事というのはつくづく大変なものだと思う。常に新しいものを考え出さなければならないのに、本当に新しいものは評価されないから、結局、余計な理屈や説明をつけなければならなくなってしまう。余計なものを加えることで、本来の創造からは離れてしまい、大衆や権威に迎合した俗悪な醜態を晒すことになる。

自分の表現したいことがあって、それが世間から受けられるか否かということには感心がないということだと、生活が成り立たない。表現活動とは別に生活のための活動が必要になる。多くの場合、生活のほうが主になり、表現は従になり、やがて顧みられることもなくなる。尤も、その生活のほうで名を揚げる人もいるから、人生はわからないものである。

存命中は評価されず、死後にその作品が脚光を浴びるという人もいる。それは、その人がそれだけ創造的であったということだろう。人は自分の経験を超えて物事を発想することはできないものである。経験や知識の組み合わせの妙によって、新しい考え方や表現を創造するのだが、習慣から逃れることのできない圧倒的大多数の人にはその価値が理解できないから、どのような分野であれ、後の世において天才と称される人は孤独な人生を送るものだ。

さて、昨日は久しぶりにTATE Modernを訪れた。無料で入場できる常設のコーナーを歩いてみて、究極の表現は無ということではないかと思った。例えば、ジャコメッティの作品を時系列で眺めれば、初期の作品はどこかブランクーシのような、シンプルな中に質感のあるものだ。それが、あの棒のような人物表現になる。本人は「見たままの姿」を造形しようとしていたのだそうだ。おそらく、彼がもっと長生きをして創作活動と続けていたら、棒のような像はますます細くなり、晩年の作品は土台だけ、というようなものに行きついたのではないかと思う。もし、人間に「本質」というものがあるとするなら、それは幻影のようなものではないだろうか。人は他者との関係のなかにおいてのみ「私」たりうるのである。

ルネ・マグリットの「Man with a newspaper」も無の表現だろう。この作家の場合はタイトルも作品の主要な一部である。同じ部屋の風景を4つ並べたもので、そのひとつだけに新聞を手にした男性が描かれている。不在の3つと男性のいる1つとを対比させることで、不在の日常性を表現しているように見えた。

ルーチョ・フォンタナの「Spatial Concept ‘Waitinig’」はカンバスを引き裂いただけの作品だ。これも、世間で芸術とか表現と呼ばれているものを極端に具象化したものだろう。切り裂かれたカンバスは、要するにそれを切り裂いた誰かの存在を表現しているのだろう。その誰かとは「私」なのである。「私」はそこに描かれているわけでもなく、描いているわけでもない。

死体や四肢、内蔵を連想させるようなものを取り上げた作品は多い。これも結局は、崩壊を描くことで、崩壊前の姿の存在とその消滅という「実在」を表現しようとしているのだろう。あるいは崩壊させるという行為をおこなった「私」を描いているのかもしれない。

娘へのメール 先週のまとめ

2008年12月08日 | Weblog

元気ですか?期末試験は思ったような結果になるといいですね。

シェイクスピアというと、日本では何か高尚な文学作品だと誤解している人が多いのですが、基本的に大衆文学です。そこに描かれているのは人情や人生の機微であり、多くの人が気楽に楽しむことのできる物語です。しかも、これらの話は芝居のもとになる話ばかりです。現在でも英国人の識字率はヨーロッパの中で最低なのですが、そんな人たちでも楽しむことのできる娯楽として、シェイクスピアをはじめとする多くの演劇が発展してきました。日本の歌舞伎の歴史に似ているような気がします。

カレンダーはそろそろ届くはずなので、今週中に届かなかったら連絡してください。発送元に調べてもらいます。

イギリスならではの実用的なものというのは難しいですね。こちらに来て1年と少しになりますが、ここで実用的なものなど見たことがありません。適当に見繕っておきます。

ナショナルジオグラフィックは、昔、定期購読していたことがあります。雑誌のほうは捨ててしまいましたが、その写真をまとめた写真集を一冊持っています。あの雑誌のどのようなところが気に入っているのですか?

先週は、読了した本はありませんが、そろそろ日本へ持って帰るつもりで写真集や画集を物色しています。米国の”LIFE”という雑誌の写真集とマーチン・パーという写真家の写真集をこの週末に購入しました。土曜と日曜の2日がかりでいろいろな写真集と比較しながら、選び抜いたものなので、買った後の満足感がかなり高いものです。何度も頁を繰っては眺めています。他に日本の浮世絵を紹介した本や、日本の浮世絵が西洋の画家に与えた影響について書かれた本なども購入しました。美術や建築の世界でも、日本の存在感は強く、様々な画家や建築家が高い評価を得ています。商業デザインでも、例えば無印良品の製品や店舗などは、こちらでも人気があり、比較的高学歴の人たちの支持を集めているようです。

引き続き、帰国へ向けて、面白そうなものを探してみるつもりです。

では、カレンダーの連絡よろしくお願いします。これから寒さが厳しくなりますがから、風邪など引かぬよう気をつけてください。


定番

2008年12月07日 | Weblog
帰国が近いので、持って帰る画集や写真集を物色している。自分が日本人である所為もあるのだろうが、芸術の世界では日本の存在感は図抜けていると思う。ロンドンの書店の美術書売り場の定番商品には、日本のマンガ、浮世絵、建築、写真がある。マンガ系はもともと注目度の高い分野だが、一般作品と成人向け作品が同列に論じられているものもあり、多少の違和感がないわけでもない。しかし、手塚治虫や村上隆の超大判画集が積み上げられているのを目の当たりにすると、これは日本のお家芸なのだなと実感する。

マンガよりもさらに多いのが、浮世絵やジャポニズム関連の書籍である。ゴッホ、モネ、マネには日本の浮世絵に影響を受けたと思われる作品があるのは、よく知られていることだ。この分野でも春画が必ず取り上げられている。既に4冊購入しているのだが、どの本にも必ず登場するのは歌麿の「歌まくら」十二枚組物のなかの一枚「茶屋の二階座敷の男女」である。確かに、この作品は春画の域を超えていると思う。見せずに見せる、とでも表現したらよいのだろうか。睦み合う男女を描いた作品だが、あからさまなところがなく、それでいてエロチックなのである。大英博物館のコレクションの一枚なのだが、残念ながらこれまでに実物にお目にかかったことがない。以前にも書いたかもしれないが、大英博物館の日本のコーナーは比較的頻繁に展示の入れ替えがある。今はまさに浮世絵の特集が組まれているのだが、歌麿ではなくて富嶽三十六景だ。

今日はTATE Modernの売店で梅佳代の「じいちゃんさま」をみつけた。しかも平積みである。この人の写真は被写体との距離感に心地よいものを感じる。被写体は自分の祖父なのだそうだが、写真家との間に良好な関係があるのだろう。写真家と被写体との間の信頼関係がなければ、おそらく撮影することが不可能な表情の写真ばかりが登場する。一見すると、どこの家にもあるようなスナップ写真に見えるのである。しかし、構図は写真をきちんと勉強した人らしい完成度の高さを感じる。なんでもない写真のようでいて、プロとしての基本に忠実で、被写体との間の愛情の往来が表現されている、と思う。だから見ていて心地よくなるのだろう。身内や子供だけでなく、市井の人々を被写体にして、このような写真が撮れるようになったら、この写真家は少し怖いかもしれない。

無理難題

2008年12月06日 | Weblog
子供からのメールに帰国の土産は「イギリスらしい実用的なもの」がいいと書いてあった。イギリスらしい非実用的なものならいくらでもあるのだが、実用的なものというとどのようなものがあるのだろうか?

真っ先に思い浮かぶのは傘である。とにかく雨が多い。それも一日中降り続けるのではなく、降っては止み、時に晴れ間がのぞき、そして俄にかき曇ってまた降る、という降り方なので、携帯に便利な折りたたみの傘がよい。

東京で暮らしていた頃は、コンビニで売っている大きい傘を使っていた。出かけた先で、降られると買っていたので、たくさん持っていた。そして、たくさんなくした。手に二つ以上荷物を持って、そこに傘が加わると、かなり高い確率で傘をどこかに置いてきてしまう。

ロンドンへ来る時は、折りたたみの傘を3本持参した。1本は渋谷にあった東急文化会館のなかに入っていた傘店で購入したものだ。勤務先が渋谷にあった時に購入したものなので、もう8年ほど使っている。コンビニで売られている傘はたいがい中国製だが、これは日本製である。その所為かどうだかしらないが、丈夫で、多少強い風が吹いても骨が曲がったりしない。もう1本はどこかのコンビニで購入したものだ。東京にいた頃の使用頻度はこれが最も高く、骨に異常はないが、傘布が何度か骨から外れ、その都度自分で縫い付けて使っている。何故か、ロンドンに来てからは一度も出番がない。最後の1本は伊勢丹で頂いたものだ。ニューヨーカーというショップでスーツを買ったとき、上着に入れる名前が間違えていた。それで店の人がお詫びということで、傘と名刺入れをくれたのである。これは小さくて実用的ではないと思っていたのだが、小さいが故に携帯に便利で、ロンドンに来てからは重宝している。わずかに1年3ヶ月の滞在期間ということもあるが、3本ともに日本に持って帰ることができそうだ。

というわけで、折りたたみの傘、というのが子供への土産の候補のひとつである。National Galleryの売店で売っているWhistlejacketの絵柄などどうかと思う。傘以外に思い浮かんだイギリスらしい実用的なものとしては、工具セットがある。普段の暮らしのなかでもなにかと障害が多いので工具類は必需品だ。「多い」といっても雨の頻度に比べたら遥かに少ない。それでも、トイレの水洗タンクの中の金具が腐食して破断してしまった時とか、電気製品のネジが緩んだ時などは、やはり重宝だ。ただ、工具類の良いものは日本企業の製品なので、あまりイギリスらしくはない。もうひとつ、机の上で使うちょっとした文具を思いついた。今日は市内某所で、そのちょっと変わったペーパーホルダーを買ってきた。実用性には疑問符がつくのだが、少なくともイギリス的な趣味の悪さが気に入っている。