熊本熊的日常

日常生活についての雑記

数字が歩く

2010年01月16日 | Weblog
AERAの記事を読んだ知人から「幸せ点数100点ってすごい」というメールを頂いた。記事を読んでいないか、読んでも理解できていないかのいずれかだろう。100点満点として何点かと問われたので100点にして、幸せというのは100点か0点かどちらかでしかない、そういう点数を意識すること自体が不幸なことだということを語ったつもりであるが、結局は点数しか見ないのである。つくづく何事かを伝えるというのは難しいと感じた。

人は自分が見たいと思う現実しか見ない、という。現実の世界、と認識されているものがあるのは確かで、そこに物理的な街や田園や海や山があり、そこで社会というものがあり、人の生活が営まれている。しかし、その物理的なるものが誰にとっても全く同じように存在するのかというと、そうではないように思う。他人になったことがないのでわからないのだが、自分が見ている風景と同じものが他人にも見えているのだろうか、と常々疑問に思っている。人は自分の脳のなかでその人なりの世界を構築し、その住人として生きている。同じ構造の感覚器を持ち同じ構造の脳を持っているので、おそらく物の大小や長短、温度の高低などの感覚はある程度は共有しているのだろう。物理的なものはそれでよいとして、形の無いものをどのように認識するのだろうか。喜怒哀楽のツボは人により、状況により違うものであり、思考の方法も同じではない。世にベストセラーだのヒット映画だの高視聴率番組といったものがあるのだから、形の無いものの認識もやはりある程度は共有しているのだろうが、その共有の度合いは形の有るものとは比較にならないほど低いように思う。

そもそも自分の認識を表現するはずの言葉に対する感覚が人によって微妙に異なる。そこで達意の文章を作るときには、表現を簡単にして、数字という明示的尺度を散りばめる。現にAERAの記事はそのように作られている。要所に数量表現があり、読者はそれだけ記事内容を具体的に認識できる。にもかかわらず、数字という具体的表現だけが読む者の脳を強く刺激するのだろう。数字と自分の文章理解によって思い思いに自分だけの解釈をするのである。

記事の解釈と、それに基づく私的な意思疎通なら、
「幸せ100点ってすごいね」
「本当に記事読んだの?」
といったやりとりで済むが、社会生活の規則にかかわるところで勝手な解釈が行われると秩序の崩壊につながる。

最近、高速道路を逆走することによる事故を耳にするようになった。逆走した本人も事故死してしまうケースが多いが、先日何かで読んだ記事には逆走した人のコメントが載っていた。
「いつもより対向車が多いと思った」
本人は逆走している意識が無いのである。

もっとも、そのような個人差が文化の豊かさであることも確かだろう。社会を維持する上で必要最小限のことだけ守られていれば、あとは公序良俗に反しない限りにおいて、自由に自己を表現し、他人の自己表現に対しても寛容に見守る、というのが居心地のよい社会なのではないかとも思う。現実は自己を発散させる意識が濃厚な割りに他者の自己を受けとめる意識は希薄なものだ。数字のようなわかりやすいものだけを追い、その背景を考えるという姿勢を失うと、世の中は逆走人間ばかりになってしまう。これでは暮らすことができない。

肖像を眺める

2010年01月15日 | Weblog
ブリヂストン美術館で開催中の「安井曾太郎の肖像画」を観てきた。肖像画とか肖像写真というのは、見る側と見られる側との間の緊張関係の表現だと思う。自画像であっても、見る自分と見られる自分とは同じではないだろう。

画家に肖像画を描いてもらうには、一般的には金銭の支払いを伴う注文をするのだろう。この点で画家と描かれる人物とは、受注者と発注者の関係だ。おそらく、この関係のままだと、出来上がった肖像画はただの肖像画でしかないのだろう。人の手によって描かれているとはいえ、ほぼ純然たる無機物と言ってよい。画家とモデルとの間に何かしら通じ合うものが出来上がったとき、その肖像画には技巧や構図といった技術的なことを超えた何かが描き込まれるように思う。

「目は口ほどにものを言う」とか「目は心の鏡」というような言葉もあるが、表情とか佇まいというのは対峙する相手によって変わるものである。肖像画が面白いのは、そこにモデルと画家との関係とか、画家の目から見たモデルの印象が描かれるのであって、モデルその人が描かれるわけではないということだ。

今日観た「安井曾太郎の肖像画」で、作品に付されている説明を読んでみると、肖像画の発注は安井のそれまでの仕事を見て彼に依頼することにしたのであって発注以前には何の関係もなかった人が、肖像画を描いてもらうことをきっかけに安井と親しく交際するようになった、というようなこともあったようだ。画を描くとなると、それ相応の時間もかかり、しかも、同じ空間を共有しているわけだから、程度の差こそあれ、画家とモデルとの心理的な距離といったものも自ずと近くなるのかもしれない。尤も、相手によっては物理的に近くにあることによって、それだけ嫌悪感が増すということもあるのだろうから、一概に物理的距離と心理的距離が相関するわけではないとは思う。それでも、画家は仕事として肖像画の制作を請け負えば、相手が好きの嫌いのとは言っていられないはずだ。ただ、作品の出来映えに、そうした描き手の心情は反映されるものである。

これが肖像写真となると、写真家とモデルの関係はある瞬間の場面に凝縮されることになるから、初めて会った相手を撮るのと旧知の相手を撮るのとでは、まったく違ったものになるはずだ。手許に「ポートレイト 内なる静寂」という写真集がある。撮影しているのはアンリ・カルティエ=ブレッソン。被写体は彼の友人知人もあれば、街角の風景のような人もいる。相手がポーズをとっているような、いないような、微妙な雰囲気の写真が多い。この微妙さというのは、被写体がカメラを見ていない所為であるように思う。カメラマンがカメラを構えて自分の前に立っていれば、そのカメラやカメラマンの存在を意識するのが当然だろう。身体の姿勢とか佇まいとしては、そうした意識が感じられるのだが、何故か目線はカメラから外れている。ふとした一瞬を捉えたということなのだろう。人の集中力というのはそう長くは続かないという。カメラを前に身構えた緊張が、カメラマンを前にしていても、弛緩する一瞬があり、その一瞬を捉えたということなのだろう。とすれば、被写体は弛緩してその人の地とも呼べるような雰囲気を瞬間的に見せていて、それを見逃すまいと緊張の極にあるカメラマンがシャッターを切ったということだ。カメラをはさんで緊張と弛緩とが一体化した瞬間が一葉の写真に表現されている。

肖像画や肖像写真にはモデルしかいない。しかし、見えているものだけでなく、その対象を見つめていたであろう目の持ち主のことや、画家、写真家とモデルとの関係といった画の背後にあるはずのものにまで思いを巡らすと、肖像というのは想像する楽しみの恰好のネタである。

額を作った

2010年01月14日 | Weblog
木工教室で写真のようなものを収める額縁を作った。窓の大きさが30センチ四方の正方形で、その大きさに対して違和感の無い細さの角材を使い、同じ大きさのものを3つ作った。素材はヒバ、エゾマツ、ホオノキの3種類。ヒバは教室にあるものを頂いたが、マツとホオは東急ハンズで購入。ガラスは伊東屋で低反射ガラスを購入。マット類はビックカメラ、裏板のMDFはドイトで買った。同じくらいの大きさの額の市販品と比べると、値段は倍以上にもなっている。自分で作るのは安上がり、という印象が世間にあるような気がするのだが、安くあげるには、安くあげようという強い意志がなければならないということを改めて知った。

素材については、ホオノキが高い。ガラスは普通の板ガラスと低反射加工の施されたガラスとの間で大きな価格差がある。マットとMDF板は特にこれといったことはない。額のコストは額縁の素材とガラスの種類で大きく左右されるということを今回学習した。勿論、最終的な価値はその額に収まる写真類によるのだが。

ランク外

2010年01月13日 | Weblog
日曜日にアクセス数が上位10,000位以内に入ったこのブログも、翌日からは何事も無かったかのようにランクから外れた。月曜は85PVで訪問IP数は53、火曜は118PVで71IPである。それでも今週は既に週半ばにしてこれまでに無かったことがいくつか起こった。

火曜日、出勤すると自分が留学していた大学の学生からメールが2本届いていた。就職活動のOB訪問の申し込みだ。昨年1月に帰国したとき、大学の個人データの変更をしておかなかったので、記録上はいまだにロンドンに住んでいることになっている。それで、2月にロンドンへ行く用事があるので、その時に会って欲しいということらしい。今、日本の学生がどのように就職活動をしているのか知らないのだが、少なくとも自分が就職活動をしていた頃は、大学のOBに直接面会を申し込むということは無かったと記憶している。想像するに、私にメールをよこした2人は自分の志望する領域にある企業に勤めている人宛に多くのメールを送っているのだろう。自分の住所をロンドンにしていたのは1年ほどなので、イギリスの大学生の就職活動というのは毎年こうなのか、今年は特に現状が厳しくて藁をも掴む気持ちで肩書きがいかにも組織の中枢から遠い私のようなところへもメールを出しているのか、わからない。人によってはこうした飛び込み営業風の接触を迷惑と感じるかもしれないが、これくらいの意気込みは就職活動に限らず、生きていく上であったほうがいいのだろう。

火曜日は陶芸の年明け最初の教室でもあった。勿論、これは予期しなかったことではなく決まっていたことなのだが、今年最初ということには間違いない。小さな器が3つばかり素焼きから上がっていて、これにヤスリかけをして施釉をした。土灰を選び酸化で焼くことにする。一連の作業が終わった後、1時間強ほど余裕があったので、轆轤を回してもよかったのだが、次につくるもののイメージがまだ無かったのと、買い物の用事があったので、そのままあがってしまった。

今日はかつての同僚からメールが届いた。AERAの記事に出ていたでしょ、というものだ。あの記事に出たことは、このブログに書いた以外には誰にも話していなかった。あれだけでよく私であることがわかったものだと感心する。彼とは近く昼食を共にすることになった。それから、今日は2ヶ月近く旅に出ていた友人が帰国した。ちょっとしたことでも、人と人とのつながりに関することは、その後に大きな展開にならないとも限らない。

「竜馬がゆく」に高杉晋作の辞世の句が紹介されていた。
面白きこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり
上の句を高杉が詠み、下の句を考えあぐねていたのを、看病していた野村望東尼が詠んだのだという。昨日から今日にかけての些細な出来事を思い返していたら、ふとこの句のことを思い出した。

「カティンの森」(原題:KATYN)

2010年01月12日 | Weblog
何度も書いていることだが、人は生まれることを選べない。生まれた時代と社会と家庭といったことによって人生は全く違ったものになる。第二次大戦下のポーランドは枢軸国側のドイツと連合国側のソ連からそれぞれに侵攻され、戦後はソ連の衛星国となり、ソ連崩壊後は民主化に向かい、現在はEUおよびNATO加盟国でもある。ポーランド人、と言っても、どの時代のどのような家庭に生まれたのかによって、おそらく相容れない価値観を醸成しながら成長するのだろう。ひとつの国家という枠で果たしてまとまることができるのかと素朴に疑問を覚えるほどに、20世紀というわずか100年ほどの期間に社会が激動している。激動したのは日本も同じだが、激動の時期がポーランドよりも50年ほど前にずれている。また、地政学上の差異も大きい。とはいえ、この作品を観ていて、もし自分がこの時代のポーランドに生まれていたら、と考えないではいられなかった。

歴史に翻弄されるとはこういうことを言うのだろう。軍の将校のような旧体制での上層階級の家庭は敗戦とともに没落し、戦後の新体制に節操無く転向した者が新たな特権階級として君臨する。そして、この作品では描かれていないが、そうした新体制も約40年後には崩壊してさらに新たな政治体制に移行し、そこで改めて社会の再編が起こるのである。生きていく上で、社会体制の変革にあわせて自分の価値観を捻じ曲げるというのは必要なことである。それを潔しとしないのなら、新体制に対してあくまで抵抗するか、新体制に見切りをつけて故国を捨てるしかない。そうした選択が個人のなかで完結するのなら話はまだ簡単だが、家族の間で意見が異なり、結果として親兄弟の間で殺しあわなければならないということだってある。そこまでして守り抜かねばならない矜持とは何だろう。

この作品は第二次大戦下で実際に行われたソ連によるポーランド兵捕虜の虐殺事件を描いたものだ。捕虜の虐殺は国際法違反であるというのは言うまでもない。しかし、戦争に果たしてルールがありうるだろうか。戦争はゲームではない。相手を殺さなければ自分が殺されるのである。それだけしかない。現に捕虜や反体制派、占領地域住民の虐殺は、おそらくどの国でもあったのではないだろうか。ドイツによるユダヤ人の虐殺はあまりに有名だが、日本も南京大虐殺や731部隊による捕虜を使った人体実験が知られれているし、米軍の原爆投下や焼夷弾による絨緞爆撃といった銃後の市民を標的にした無差別爆撃も虐殺行為だ。それが「虐殺」とされるか否かは加害者が戦勝国か敗戦国かによって決まるのである。カティン事件の場合も連合国側の公式見解こそ無かったが、ソ連が敗戦国ドイツによるものと主張したことを黙殺することによって事実を敢えて明白にしなかった。その真実が明らかになったのは1990年に時のソ連共産党書記長ゴルバチョフが虐殺の事実を公式に認めたからだが、それでも、例えばこの作品は現在のロシアにおいては一般に公開されていない。

白黒をつける、という言い方があるが、初めから白だったり黒だったりするものなど無いのである。当事者間の力関係で同じ事象が白くも黒くも灰色にもなるのである。公平だの平等だのといった概念が錦の旗のように振り回されるのは、世の中が本来的に公平ではないことの裏返しだ。戦争とか虐殺とか、大規模な事件だから衝撃的に映るが、我々の日常には命にかかわるほどのことではないにせよ、精神面の現象として思いの外多くの小さな「カティン事件」があるのではないか。

ランク入り

2010年01月11日 | Weblog
昨日、このブログは開設1,359日目にして初めて、アクセスランキングで1万位以内に入った。gooブログではアクセスランキングが1万位以内に入ると順位が編集画面に表示されるのである。それによると昨日一日のPVが698、訪問IP数177で1,349,030ブログ中7,539位だった。1訪問IPあたり3.9PVなので、一日に何度も読んでいただいた方も少なくないようだ。この場を借りてお礼を申し上げる。

昨日はたまたま検索に掛かりやすい言葉がいくつか入っていたからアクセスが多かったのだろう。普段は頻繁に更新している時でも、一日の訪問IP数は30前後でPVはその倍程度でしかない。勝手な想像だが、このうち10IPほどが自分の知己で、残りはたまたま訪れた方ではないかと思っている。公開しているが、基本的には自分の知り合いに向けて書いている私的なものである。だから、広告も貼らないし、コメントやトラックバックも承認制にしてある。おかげで、たまに数ヶ月ぶりとか数年ぶりとかで友人や知り合いと会うときには話題の取っ掛かりになるので重宝している。

自分でブログを書いていながら、他人のブログを読むことは滅多に無い。だから、自分の知り合い以外の人が、どのような動機とどのような経路でこのブログに辿り着くのか見当がつかない。ただ、自分の見ず知らずの人がこのブログを読むことは意識をしているので言葉には気を遣っているつもりである。

たまたま「芸術新潮」の1月号が「わたしが選ぶ日本遺産」という特集で各界の68人の方々がそれぞれ勝手に「日本遺産」という言葉からイメージするものを推している。そのなかで、当然に日本語というものが出てくる。雑誌側の意図としては「誰もが認めるような最大公約数的な「世界遺産の日本版」とは一線を画すもの」を集めたかったそうだが、それでも日本語は挙がるだろう。書家の石川九楊、作編曲家の小西康陽、落語家の立川志らく、歌舞伎の中村吉右衛門、フランス文学者の鹿島茂、作家の片岡義男、そのほか多くの人が日本語あるいはその周辺のものを挙げている。特に共感したのは小西と中村が語る言葉の「消化」ということだ。日本語にはひらがな、カタカナ、漢字という三種類の文字がある。これらを適切に組み合わせることによって、思考をしたり意思疎通を図ったりするので、例えば同じ対象物であってもそれをどの文字を使って表記するかによって意味が変わってくる。特に気をつけたいのは外来語の扱いである。外来語や外国語を生のままとりあえず表記するのはカタカナだ。これがカタカナ文字のまま日本語のなかに溶け込むことも多いが、そのままではなんのことかわからないことも少なくない。日本語の世界のなかに消化して、カタカナではなく漢字やひらがなになってこそ、言葉としての命を得るのではないだろうか。

このブログに限らず、私はなるべくカタカナ文字を使わないように心がけている。それは、上記のような考えで、そういう生もの言葉は自分のなかで理解されていないことのように感じられて気持ちが悪いからだ。他人の言葉の受け売りや、わかっていないことをうやむやなまま表現するのは醜い。なかには新聞の見出しを並べただけのような薄っぺらな話を上から目線でぬけぬけと語る人もいる。やたらとカタカナ文字が会話に交じる人も少なくない。本人は時事用語や外来語を口にすることで一端の教養人を気取っているつもりなのかもしれないが、馬鹿丸出しとはこのことだ。どんなに突飛であったり、世間の一般的論調から外れていようとも、自分の頭で悩み考えたことはとりあえず相手には届くと思っている。それに相手が同意するか否かは二の次でよい。届かなければ会話にならないのだから。悩み考える過程で、カタカナ文字や馴染みのない言葉は、必然的に自分のなかで咀嚼されている言葉に置き換えられる。それが一見したところ稚拙であっても、異質の言葉を丸のまま投げかけるよりは、少なくとも自分で思考した跡があるだけでも語る価値があるというものだ。私は自分の言葉にこだわり続けたい。そうすれば、いつの日か、似たような相手が現れて楽しく付き合うことができるのではないかと期待している。

こいつぁ春から…

2010年01月10日 | Weblog
従兄弟の子供が就職活動で上京したので、昼食を共にすることになった。日曜だというのに説明会なのだそうだ。東京駅で待ち合わせ、新丸の自由ヶ丘グリルで食事をした後、浅草の街を歩いてみたいというので、浅草を散策し、新宿で夕方に友達と待ち合わせがあるというので新宿まで送って別れた。

浅草も新宿もかなりの賑わいで、不景気だとばかり思っていた世の中の潮流に変化が出てきたのかと思ってしまった。そういえば、今週はアマゾンのマーケットプレイスに出品中の本が4冊も売れた。昨年1月以来、常時10数冊を売りに晒しているのだが、1週間に4冊も売れたのは今週が初めてだ。尤も、4冊ともそれぞれのカテゴリーの最安値品で、全部併せた売上は2,400円である。新宿では伊勢丹を覗いてみたのだが、本館の1階と2階の間の男性トイレのなかで客どうしの喧嘩があったらしく、入り口を男性店員が塞ぎ、奥からは怒声が飛び交っていた。人々の気持ちに余裕はないらしい。やはりまだ不景気なのだろうか。

そういえば、明日は成人式。今年も各地で馬鹿騒ぎが見られるのだろうか。血税を使って開催した祝賀式典が毎年恒例の狂騒の場にしかならないとしたら、地方自治体の財政というのはよほど余裕があるということなのだろう。国債の発行残高は先進国のなかでダントツの高水準だというのに。面白い国である。

「キャピタリズム マネーは踊る」(原題:CAPITALISM: A LOVE STORY)

2010年01月09日 | Weblog
マイケル・ムーアの作品を観るのはこれが初めてだ。ドキュメンタリーなのだがコラージュのような作りになっていて、上手いと思う。演出としては突撃インタビューのようなことをしているが、幸か不幸か彼がかなり有名になってしまっていることが取材相手を身構えさせることになっていたり、取材そのものを不可能にしている面が出始めているようだ。同じ手法での作品制作はそろそろ限界のような気もする。

何事にもismという枠を与えてステレオタイプ化することは、理解を容易にするという効果もあるが、現実の特定部分だけを切り出してそれがあたかもすべてであるかのように見せてしまったり、単純な二項対立の図式に落とし込んで事態を浅薄にしてしまうという短所もある。この作品に限らず、アメリカの映像作品には多分にそうしたモデル化が背景思想としてあるように感じられる。

「キャピタリズム」というとなにやら主義主張とか原理的なことのように聞こえるが、要するにカネは権力のバロメーターであり、既得権者はその既得権を守るべく権力を行使するので、そこにカネがますます集まり、カネが集まれば権力がさらに強化され、という持つ者と持たざる者との格差拡大の構造を表現しているのだと思う。個人の能力に個性があるのだから、誰もが同じように裕福になったり貧乏になったりするのが不自然で、人によって差があるのが当然だ。

何も特別なことをしなくても、10,000円を年利1%の預金に入れれば1年後に10,100円になり、100,000,000円なら101,000,000円になる。同じ条件でも元が違えば、片方は100円の収益でもう片方は100万円の収益になる。これを不公平とは誰も言うまい。100円をこつこつ積み上げて大きな金額にするのは容易なことではないが、100万円を積み上げれば容易により大きな単位の金額に膨れ上がる。その元が不正に手に入れたものだというなら話は別だが、自分の才覚と努力で得た元ならば、持てる者が益々富み、持たざる者が貧困に放置されることに何の不思議もないだろう。これを否定するということは、個人の個性や努力を否定することにもなる。

人はどのような環境下に生まれるかを選択できないし、生まれることそのものをも選択できない。同じ才覚や努力があっても、持てる家庭に生まれるのとそうでないのとでは、その先の人生が全く違ったものになる。果たしてこれは是正すべきことなのか?

人に我があり欲があり、それを具体的な尺度で明示しようとするのは当然のことだ。好むと好まざるとにかかわらず、我々は市場原理のなかに生きている。本来的に数値化できないことまでも数量化するのが市場原理というものだ。幸福であるとかないとか、人を信じるとか信じないとか、身体を売るとか売らないとか、どのようなこともデジタル表示によって一目瞭然とするのが市場の世界なのである。数字で表現されると、その数字が独り歩きをして数値変換の過程は問われることがあまりないのも不思議なことなのだが現実なのである。人はわかりやすさを求めるものだ。

そうしたあらゆるものを数値化したものが行き交うのが現実の世の中だ。市場経済が嫌いだろうが資本主義に違和感を覚えようが、そこで生きているのだから仕方がない。反対するなら対案を提示し、それを実現すべく行動すればよい。社会を変えるのは困難が大きいが、自分を変えるのは社会を変えるほどには困難ではないだろう。昨日のブログで言及したAERAの最新号は本作の監督、マイケル・ムーアが表紙を飾っていて、そのインタビューの要約が載っている。彼曰く「人が自分をどう思うか、気にしないようにしている。自分を信じるんだ」。信じる自分がある人は幸せだ。信じるべき自分が無い人が多いのではないか。自分がなければ、それを変えることすらできない。右往左往するしかない。

「幸せ」にすがらない

2010年01月08日 | Weblog
今日発売のAERAに標記の記事があるのだが、そこに取り上げられた5人のひとりとして登場させていただいた。細かいところでは事実誤認もあるが、概ね取材に答えた内容に沿うものだ。他の4人の方々に関する記述と併せ読むと、特集の意図するところが自ずと見えてくる。それが職業とはいえ、上手くまとめるものだと感心した。

取材は12月24日に1時間ほどかけて行われた。場所は丸の内ホテルのル・コネスール。話題は「幸せ考」とでも呼べるようなものだが、現在の考えに至る自分史のような話になった。話をしながら自分を再発見するようなところもあり、改めて会話というのは豊かな行為だと感じた。

写真撮影は取材とは別に12月28日に自宅で行われた。1時間近くかけて数え切れないほどのシャッターが切られた。どの写真を使うのか素朴に疑問を抱いていたが、雑誌に掲載されていた写真を見て妙に納得した。

この記事には幸せについてのアンケートの結果分析も載っているが、面白いと思ったのは食についてのことだ。幸せと答えた人ほど食へのこだわりが強い傾向があるというのである。これは当然だと思う。取材にも答えたが、幸せというのははっきりとした形があるわけではなく、自分の今いる場所でそれを感じることができるかどうかというものだと思っている。要するに感性の問題ということだ。衣食住という生活の基本的な部分の在り様というのは、その人の感性が端的に現れるところだと思う。やろうと思えばできないことはないが、さすがに衣服や住居というのは既製のものに依存するのが現実的だろう。しかし、食というのはこれら3要素のなかで唯一自分で手をかける余地の大きなものである。料理というのは、材料を揃え、下ごしらえをして、調理をして、食べて、片付けるという一連の作業である。何を作るかというところから始まって、材料の揃え方、選ぶ基準、調理の段取り、調味の程度、食べ方、片付けの要領、などすべての過程にその人の価値観が濃厚に反映される。敢えて独断と偏見で断じてしまえば、料理をしない人、料理が下手な人というのは、思考において病的なまでの浅薄さがあると思っている。自分の食という命に最も近いところに関わることに無頓着でいられるというのは、生きるということを真剣に考えたことがないということだろうし、他人を喜ばせようという意思が薄弱、さらに言えば他人と意思疎通を図ろうとする意欲に乏しいということだろう。きちんとした料理をする人は、他人が料理をしたものに対し自然に敬意を払うことのできる人だと思っている。だから、その人の手料理を食べる機会に恵まれなくとも、一緒に食事をする機会さえあれば、その人の人となりのイメージを描くことができるものである。

アンケートの分析では、年収が1,000万円を超えている層、専業主婦(主夫)の幸福度が過半を超えていた。幸せはカネじゃない、とはいいながら、恒産なければ恒心なし、という現実があるということだろう。専業主婦(主夫)は所得獲得という過酷な現実から距離があるので、自然と心にゆとりがあるということではないだろうか。しかし、所得や婚姻関係というのは、それがあるから幸せということではなく、生きてきた結果であろう。初めから年収1,000万の人などそういるものでもないし、生まれたときから専業主婦(主夫)などということもない。この順番を履き違えて考えを巡らすことが何よりも不幸なことである。

拠って立つところ

2010年01月07日 | Weblog
サントリー美術館で開催中の「清方ノスタルジア」を観てきた。展示は12月中旬に入れ替えが行われており、前期の内容は知らないのだが、現在はトリを飾るのが「汐路のゆきかひ」。清方が80歳を過ぎて描いた自分の子供時代の風景だそうだ。記憶というのは不思議なもので、時間の経過とともに心地よい雰囲気のようなものが研ぎ澄まされ、不快なことはどうでもよくなるか深く沈殿していく。「汐路のゆきかひ」は、あたかもその絵が光を放っているかのようだ。子供たちが家路を往く姿なのだが、清方の記憶を超えて観る者の幼年時代の思い出までも揺さぶるような心地よい刺激を受ける。

清方の生涯には日清、日露、太平洋の3つの大きな戦争が含まれている。おそらく今とは比較にならないくらい大きな変化のなかを生きたはずだ。波乱を越え、社会も、たぶん人生も、ようやく落ち着いてきた頃が晩年に重なり、その心象が子供の頃の楽しかった瞬間の風景を呼び起こしたのではないだろうか。昭和31年7月発行の「経済白書」の副題が「もはや戦後ではない」。「汐路のゆきかひ」が発表されたのは昭和34年、清方82歳のことである。

ふと、ロンドンで観たジョン・カンスタブルの風景画のことを思い出した。画家が田園風景のなかで絵筆を走らせている様子が眼に浮かぶようだが、彼の風景画はスケッチをもとにロンドンのアトリエで描かれたものだ。しかも、若い頃には足繁くスケッチに赴いたそうだが、制作が活発化する頃には殆ど出かけなかったという。あの風が香ってくるような風景画は画家の記憶の発露なのである。

「古き良き時代」という言葉がある。誰もが「古き良き時代」を持っているとは思えないのだが、このような言い方が定着しているということは、誰もが「古き良き時代」を感じているということなのだろう。現在の境遇に満足していてもいなくても、精神を貫く骨格とか、精神を安定させる碇のようなものとして、記憶の中から選りすぐった光景というものを、少なくとも心が健康な人ならば、誰もが大切に抱えているものなのではないだろうか。

鏑木清方の作品をこれだけまとめて観たのは初めてだ。彼は先日このブログに書いた柴田是真と親しかったという。是真とは趣は異なるが、日本画に共通した佇まいには、西洋画を観るときには感じない共感のようなものを覚えるような気がする。例えば、学生時代にインドを1ヶ月ほど旅行したときに、帰路の航空便の経由地であったラングーン(現ヤンゴン)で空港職員や売店の売り子の顔に自分と同じものを共有しているかのような気持ちになり、ほっとしたような感じを覚えたことに通じるような共感である。生きるというのは浮遊することだと思う。自分のなかでは無意識に過去、現在、未来を一連のものとして認識し、現在の延長線上に当然に未来がやってくると思っている。しかし、次の瞬間に何が起こるか誰にもわからない。そういう不確実性を了解しているからこそ、その不安を緩和すべく、防衛本能のように精神の拠り所を求めているのであろう。それが文化として具現するのだと思っている。少なくとも今は、自分にとっての拠り所が自分が生まれ育ったこの国のなかにあると、日本の文物を目の当たりにして、認識を新たにするのである。

ご近所カフェ探訪

2010年01月06日 | Weblog
1週間おきにカイロに通っているが、その行き帰りに通りかかるカフェがある。雰囲気のよさそうなところで、一度訪れてみたいと思いつつ1年近くが過ぎてしまった。カイロの前には飲食を控えなければならないし、カイロの後は昼どきで自分の食事の支度をしないといけないので、この店に入る機会に恵まれなかったのである。今日はカイロの日ではないのだが、自炊を休む日なので、このカフェに行くことにした。

結論としては、良心的な店であることに間違いないのだが、いろいろな面に少しずつ気になるところがあり、近所ではあるけれど、あまり縁がないように思われた。

コーヒーは1杯に25グラムの豆を使うという。一般の喫茶店の3倍の量である。注文を受けてから豆を挽き、3つ穴のペーパードリップで落す。湯の投入方法を工夫すれば半分の量の豆で同じ程度の濃さと、同等以上の香りとコクのあるコーヒーを抽出できる。豆の量が多いのでそれなりの濃さなのだが、単に濃いというだけでそれが味に結びついていない。

ホットドックのような形のサンドイッチを一緒に注文した。パンはデンマークのものだそうで、モチモチとした食感がある。はさんであるソーセージもハーブを練りこんだ白いもので、上手に焼いてある。かぶりついて食べるようになってしまうが、味そのものはとてもおいしい。

以前、ドイツのアウグスブルクという町でホームステイをしたことがあり、そのときお世話になったホスト役の婦人の妹さんが、近くのボービンゲンという村に暮らしていた。この妹さんの家にも泊まりに行ったことがあるのだが、彼女の息子さん夫婦が村でビールの醸造とソーセージの製造をしていた。そこでいろいろな種類のソーセージをご馳走になったのだが、ソーセージにも旬があるということを知って驚いた。言われてみれば、どの季節に潰した牛を使うかによって、そのときに食べていた餌が違うし、季節によって代謝も多少の違いがあるのだろうから、その肉の加工品に旬があるのは尤もなことだ。ビール純粋法などという律儀な法律がある国で、工場からできたてのソーセージを直接いただいて調理するのだから、おいしくないはずはないのだが、どのソーセージもとびきりおいしかった。ふと、そのときのソーセージを思い出した。

2007年9月から2009年1月初めまでロンドンで暮らしていたときに、アウグスブルクを再訪することも当然に考えたのだが、ホスト役の婦人もその妹さんも、ホームステイをしていた当時に既に70歳代だったので、おそらくもうこの世にはおられないと思ったのと、珠玉のような思い出はそのままそっとしておいたほうが良いのではないかとも思い、結局行かずに日本に帰国してしまった。

余談が長くなったが、近所のカフェで気になったのは、室内犬を飼っていることだ。おそらく何かのはずみで出てきてしまったのだろうが、それにしても、食べ物を扱う場所に畜生が居るというのはいただけない。

永六輔「職人」岩波新書

2010年01月05日 | Weblog
昨年11月からずっと司馬遼太郎の作品を読み続けているので、少し気分転換のつもりで手にした本である。雑誌「話の特集」に連載されていた「無名人語録」、雑誌「ライトアップ」に掲載された対談とインタビュー、国立近代美術館の広報誌「現代の眼」に掲載されたインタビューをまとめて加筆したものだそうだ。対談やインタビューも面白いが、本書の題名にもなっている職人と呼ばれる人々の一言には思うところが多い。ここではそのなかから選びぬいたものを紹介させて頂く。

「職業に貴賎はないと思うけど、生き方には貴賎がありますねェ」

「何かに感動するってことは、知らないことを初めて知って感動するってもんじゃございませんねェ。どこかで自分も知ってたり考えていたことと、思わぬところで出くわすと、ドキンとするんでさァね」

「他人と比較してはいけません。その人が持っている能力と、その人がやったことを比較しなきゃいけません。そうすれば褒めることができます」

「田舎の人は木に詳しいから伐り倒す。都会の人は木を知らないけど守りたがる」

「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になります」

「職人気質という言葉はありますが、芸術家気質というのはありません。あるとすれば、芸術家気取りです」

「安いから買うという考え方は、買物じゃありません。必要なものは高くても買うというのが買物です」

以上である。似たような意味と思われるものが複数ある場合はそのなかからひとつだけ選んだ。職人語録以外では、以下を引用させて頂く。

「氷が解けて□になる」という問題がありました。□にどういう字を入れるか。正解はもちろん「水」。ところが、そこに「春」と書いた子がいたんですって。「氷が解けて春になる」とてもいいじゃないですか。でも、それは×なんです。(中略)人生って、答は一つじゃないんです。答が一つであることを要求する○×方式、それがこの国の教育の大部分だと思うと、ぞっとしませんか。(36ページ)

あと、引用はしないが、著者と河井寛次郎との買物に関するやり取りが面白かった。

唐突だが、正月というと、商店などでは福袋が販売される。なかには行列に並んでまで買う人があるのだという。最近は中身がわかるものもあるようだが、一般的には中は買ってからのお楽しみということになっている。その福袋の価格以上の商品が入っていることになっているので、お買い得感があるのと、中に何が入っているのかを想像する楽しみというようなものを味わうために買う人が多いのだろう。いわば遊びである。それを承知で言わせてもらえば、こんな馬鹿馬鹿しい買い物もないだろう。

本当に価格以上のものが入っているとして、販売した商店は、客がその福袋を返品したいと申し出た場合に、その中身の価格分の返金をするだろうか。1,000円で買った福袋に3,000円相当の商品が入っていた。しかし、客はそれが気に入らなかったので返品した。客が受け取るのは1,000円だろうか、3,000円だろうか。福袋ではない一般の商品ならどうだろう。5,000円のシャツを買ったが気に入らなかったので返品した。おそらく、5,000円は戻ってくるだろう。

福袋を買う人が全員そうだというわけではないが、払った以上のものが手に入るというだけで買い物をするという行為というのは、単に卑しいだけなのではないか。買い物という行為は、必要なものや欲しいものがあって、その価値を評価して、その対価を支払って対象物を手に入れる行為だと思う。もし、自分の評価と価格との間に差があれば、そこで値切るなり購入を断念するなりするのであって、端から値切るというのは野卑でしかない。ましてや、何がはいっているかわからない福袋を「得だから」というだけで買うというのは卑しさの極みだろう。

尤も、市場原理というのはそういう卑しさを前提にした仕組みである。良いものだと思うからそれを欲するというのではなく、需要は価格の関数として表現される。世の中が市場原理によって動くとなると、需要は価格に左右され、その需要に応えるべくコストの低い地域へと生産拠点が移動する。その結果、需要を満足させる品質や価格を実現できない企業や労働者は職を失うという形で市場から排除される。市場から排除されると所得を失うから、経済全体としてみれば、平均的な購買力には下方圧力がかかり、需要は一層価格の影響を受け易くなる、ということだろう。デフレも不況も、突き詰めれば経済主体の卑しさの帰結と言えないこともあるまい。

価格だとか、ブランドだとか、物事の上っ面だけしか眼に入らず、○×方式でしか物事を捉えることのできない奴が増えたから、景気がよくならない、と言ってしまえば単なる頑固爺なのだが、その通りなのだからしょうがない。職人と呼ばれる人たちが皆、誠実で筋の通った人だとは思わないが、誠実に自分の作るものの使い手のことを考えるという意味での職人気質的価値観が失われつつあることが、この国の国力の衰退そのものだと思うのである。自分のことではなく客のこと、つまり、他人や社会のことを第一に考える人たちが作り上げる社会は、多様な考え方への寛容さがあり、暮らしやすいのではないだろうか。自分のことしか考えない、考えるどころか本能のおもむくままにしか生きることのできない人たちが作り上げる社会は、単一の価値観にしばられて窮屈なのではないだろうか。

「海角七号」(原題:海角七號)

2010年01月04日 | Weblog
たぶん初めて観た台湾映画だと思う。ラブストーリーの体裁をとっているので、全体としては軽やかな印象がある。しかし、日本との関係、中国本土との関係、台湾の社会が抱えている問題といったものを示唆する暗喩がいたるところに埋め込まれているような感じがする興味深い作品だ。

たまたま昨年11月から司馬遼太郎の一連の歴史小説を読んでいる所為かもしれないのだが、19世紀から20世紀にかけてのアジアにおける日本の位置付けというものが気になっている。日本の評判というのは総じて芳しくないと思うのだが、そうしたなかにあって台湾の対日感情は比較的良好だという話をよく耳にする。日本による統治期間に関することは評価が分かれるところでもあり、十分な知識なしに軽々しく論じるべきでもないので、ここでは触れない。ただ、仮に日本による統治に先立つ清朝統治、逆に戦後になって中国本土から渡ってきた国民党による統治が首尾よく行われていれば、対日感情は現在とは違ったものになっていたであろうということは言えると思う。

作品の舞台は台湾の最南端の町、恒春。登場人物の台詞からは、台湾も台北に様々なものが集中し、地方都市は町興しに頭を悩ませなければならない現実が推測される。小さな島だが、もともとこの島で暮らしていたいくつかの部族があり、大陸から渡ってきた人々があり、しかも、それぞれが強い自己主張をしている、という図式も見て取れる。海辺の小さな町を舞台にしているのに、台詞の言語が北京語、台湾語、日本語、英語の4ヶ国語だ。日本語と英語は別にして、台湾語を使い続ける人々の心情というものを想像するに、やはり歴史のなかで翻弄されながらも自己を守りぬいた誇りのようなものがあるのではないだろうか。日本人として日本に暮らしていると意識することはないのだが、自己の領域というもののなかに民族という背景は濃厚に影響を与えているはずだ。それでいて、人々は台北を目指すという現実も一方にある。おそらく台北は北京語の世界なのではないか。このあたりに台湾という島が抱える複雑性があるように思う。

そうした小さな自己を超えた、太平洋戦争の頃の台湾人と日本人の悲恋、現代の台湾人と日本人との恋が描かれている。国境や民族を越えた恋愛というのは、やはり特別なことであるように思う。人と人とが心を通わすのに必要なのは言葉そのものではないということは実感としては了解できるのだが、考え方の骨組みのようなものが異質とも言えるほどに違っていたとしても、その相手を理解することができるだろうかと素朴に疑問を感じてしまうのである。尤も、この作品では台湾の地方都市にすらある小さな自己のせめぎあいを超えて人と人とがつながるという、関係の広がりとか個人の存在の普遍性のようなものを描こうとしているのだろう。

関係の広がりという点では、この町で開かれる日本人歌手のコンサートの前座として登場するバンドも重要な意味を作品に与えている。このバンドのメンバーはオーデションで選ばれた人々で構成されるのだが、選考基準というようなものはなく、審査員である町議会議長、町長、その取り巻き連の恣意というか殆ど気分で選ばれるのである。下は小学生から上は80歳まで、何の共通点もないメンバーを寄せ集めて、最初は演奏以前に存在そのものが危ぶまれるような状況だったのが、本番では見事な演奏を披露するところにまで達する。とはいえ、メンバーが心をひとつにして、というようなきれいごとではなしに、それぞれにバンドに参加することの思惑がある、というあたりに現実世界と同じような危うい統一感があるというのも面白い。必然性などなくとも、目的が単純明快に規定されれば、人の集団というものはその目的を達するべく躍動する、ということなのかもしれない。

地域特性

2010年01月03日 | Weblog
12月31日付「エンディングロール」に書いた通り、昨年は10回ほど落語会に足を運んだ。同じ噺家の落語会でも場所が違うと客も違う。当然かもしれないが、やはり地域の特徴というものが客にも表れるものなのである。

落語会の客は圧倒的に高齢者が多い。現在は「落語ブーム」と呼ばれ、30代、40代の落語家の露出度が高いように感じられ、寄席もかつてよりは客の入りが多い。それでも、都心以外の会場で行われる落語会の客は、高齢者が過半を占めているのである。長年生きてきた人は、それだけ多くのことを経験し、多くのことを学んできたのだろう、などと考えてはいけない。経験とか学習というのは、そういう意思がなければできないものなのである。自分の親を見ていても感じることだが、単に老化しただけの生き物という印象を受ける人が多い。つまり、その人なりの素がより直接的に表現されている存在が多いということなのである。概して傍若無人と形容できる。その素の人たちに、やはり地域性というものが見て取れるのである。どの地域の人がどう、ということは書かないが、やはりはっきりとそのような特徴がある。

今日は都内某所へ落語会を聴きにでかけたのだが、今日の場所は今までになく酷かった。館内の掲示でも放送でも客席での飲食は禁止と言っているのに、平気で無視するのは、おそらく気づいていないから仕方がないとして、自分のすぐ脇で、飲食物を持ち込んで会場の職員に注意されているところで、それが他人事であるかのように堂々と自分のカバンのなかから缶飲料を取り出してみるというのはどういうことなのだろう。噺家が出てくるまでは隣の人と盛んにおしゃべりをしていながら、噺家が登場するととたんに居眠りを始めるというのは、どこの会場にも必ずいる。が、ここはそういう人が目立つと思うのは気のせいだろうか。私の隣のご婦人は、靴を脱いで片足をもう片方のひざの上に乗せ、その足をずっとさすっているのである。椅子に座っているのが楽ではないのはわかるのだが、自分の家の居間でくつろいでいるのではないのだから、もう少し行儀というものを考えるべきではないのか。

こんなところで文句を書いてもはじまらないのだが、要するに、年を取ると醜くなるものだから、自分はそうならないように気をつけたいと思う。そういえば、社会人になったばかりのころは、ああいうオヤジにだけはならないようにしたいと思う人がいくらもいたものだが、いまや自分がそういうオヤジとたいして変わらないという現実がある。ということは、…

易きに流れた

2010年01月02日 | Weblog
昨日、手帳の切り替え作業をしていて、ふと去年の元旦に書いたことを読み返してみた。そのときに感じていた自分の課題のようなことが書かれていて、それがなにも進展していないことに今頃気づいた。易きに流れ、考えるべきことを考えていなかったり、やりかけたことがそのまま放置されていたり、少し動揺してしまった。

手帳は2006年からほぼ日手帳を使っている。それ以前はA5版の能率手帳だった。ほぼ日にしてからは、日記もつけている。それが2009年になってからは空欄が目立つようになっている。これも反省材料だ。ただでさえ齢を重ねると外見も醜さを増すし、体力の衰えとも相俟ってものぐさくなるものである。昨日も書いたように、生活を極力シンプルにするように心がけ、目に見えるものも見えないものも整理整頓を徹底して、気持ちのよい暮らしを送りたいものである。