栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

多発するあおり運転とカーフェイスの関係

2020-04-06 14:00:00 | 視点

 車が怒っている! どの車も目をつり上げている。なかには顔をフェイスマスクで覆い、まるで鎧武者さながらに他を威嚇している車まである。かつては円らな瞳をしたカワイイ車が多かったのに、いまでは軽自動車でさえ目をつり上げた睨み顔に変わっている。
 なぜ怒っているのか。何に怒っているのか--。

コワモテ顔の車が激増

 車のヘッドライトが他を威嚇するつり目になってきたことに少し前から違和感を感じていた。最近は若者も高齢者も皆、なぜかイラついている。だが車までイラつき、怒ることはないだろう。
 目をつり上げているだけならまだましで、ミニバンに至っては「オラオラ顔」をし、そこどけそこどけと他を威嚇しながら走っている。これでは事故も増えるはずだ。その顔からは譲り合いの気持ちなど微塵も感じられないのだから。当然、そんな車に乗っている人も同じ気持ちになり、ちょっとしたことで「俺の進路を邪魔した」と怒り、あおってくる。

 

オラオラ顔が売れる

 「オラオラ顔」をした車が後ろから迫ってくると気持ちが悪いが、「オラオラ顔」をしたミニバンの方がよく売れているらしい。

 デザインだけで車が売れるはずはないだろうが、売れ行きにデザインが大きく関係しているのは他の商品同様に事実だ。
 商品は市場に初めて登場した頃は機能で売れ、しばらく機能競争が続くが、成熟段階に入るとデザインが優先される。

付加より「省く」技術で

 

 システムは複雑になればなるほど事故を防ぐどころか逆に大惨事を招く。「Simple is best」。

それをある部分で証明する動きが今年、アメリカ海軍で起きている。1年前、駆逐艦に装備されたタッチスクリーン式のインターフェースを廃止し、従来の機械式コントロールに

 

  全文はHPに収録

   http://www.liaison-q.com/kurino/Carface1.html

 

 


新型コロナウイルス狂想曲

2020-04-06 11:45:15 | 視点

栗野的視点(No.676)                   2020年3月2日
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新型コロナウイルス狂想曲
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 この時期、出来るだけ外出を控えるようにしている。と言うと新型コロナウイルス対策のためかと思われそうだが、それも否定はしないが、温度差アレルギー症状のためである。
 主に春と秋の気温が変化する時にクシャミ、鼻水が止まらなくなるのだが、今年のように1週間か数日おきに気温が大きく上下すると、その度にクシャミ、鼻水で苦しまなければならない。といっても大抵1日か2日、身体がその気温に慣れるとピタッと収まる。その点が花粉症などと違うところで、ある季節を通じてというように長引くことはないが、何度でもその症状が出るということにもなる。

 そこに持ってきて今は新型コロナウイルスに国民が過敏になっている時だ。人混みでクシャミをしたり鼻をかんだりしようものならウイルス感染者と見られかねない。
 そういうこともあり外出を控えてきたが、

           (中 略)

 とにかくこの国は一斉に、が好きだ。ある日突然、ツルの一声で全国一律に休校になった。たった1日で決めたのだから、検討する時間も何もありはしない。その上、責任を問われたくない無責任体質が蔓延しているから、皆「要請」に従って休校と決めた。これで何かあっても自分達の責任は問われない、とある部分、胸をなで下ろしたかもしれない。

     (略)

 

 全文はHPに収録

   http://www.liaison-q.com/kurino/Newcoronavirus.html

 

 

   


この世はフェイクで溢れている~口コミ編

2020-02-05 10:34:02 | 視点

 ネット販売に押され実店舗の売り上げが減少し、閉店するところが増えている。

有名なファストファッションの店舗も大手有名ブランドもその例外ではなく、実店舗はいずこも苦戦しているようだ。

 インターネット接続が簡単になり、どこにいても地域差関係なく、同じ商品が安く買えるとなれば、客がインターネット上のショップに流れるのはやむを得ない。

ネットの利便性は時間に関係なく、商品が安く買えるだけでなく、膨大な類似商品の中から選べるという選択の自由があることも大きいだろう。

 ところで、本当に「選択の自由」があるのだろうか。

言葉を変えれば、自分の自由意思で商品を選び買っているのだろうか。


 何をバカな。自分で選んで買っているに違いないではないか、と言われそうだが、そのことを少し考えてみよう。

 まず実店舗の話から。

先日、日産自動車の販売店に行ってきた。目的は日産の電気自動車、リーフを見るためだ。

試乗までしたかったが、思い立ったのが夕方だったから展示車があるかどうかだけ確認し、閉店30分前に行ったので試乗は次回に回し、取り敢えず実車を見、説明を聞いて帰宅した。


 なぜ夕方になって急に出かけたのかと言えば、実はネット広告のせいである。

ネットでニュースを見ていると画面に待ってましたと言わんばかりの広告がよく表示される。それらのほとんどはネット上で一度、商品を検索したり、商品画像をクリックすると、その分野か関連ある商品が次回からPC画面に勝手に表示されてくる。

 例えばスマートウォッチを買うと次回から何度も別のスマートウォッチの広告画面が表示される。

すでに買った商品を、その後何度も繰り返し表示されるのはうるさくて堪らないが、検討中の商品や類似商品が表示されるとついクリックしてしまうことがある。


 この場合がそうだった。このところ車情報をよく見ていたため日産リーフの広告画面が表示されたわけだが、それが分かっていながらついクリックした。まさに思う壺。

その直後にディーラーに電話し、あたふたとリーフを見に出かけたのだから、完全に釣られた。

 1泊2日の試乗もあるから、ぜひ試乗予約を、と勧められたが、旅行日を決めてからと、心は動いたが取り敢えず予約はせずに帰宅。

そして帰宅後、ネットでリーフの評判をチェックした。多かったのは給電に要する時間の問題。

 営業担当者の話では200km超辺りで給電するのが時間的にもバッテリーの持ちの問題からもちょうどいいとのことだった。

 その計算で行くと、給電所要時間20分/1回として中国自動車道を550km走って帰省するの3回給電しなければならない。

20分×3回=60分。給電のための1時間ロスはちょっと考える。1時間あれば高速道路から降りて撮影に充てることができる。

さらに自宅で給電する場合は別途200V用の電気工事、約5万円余りが必要になる。そ

うなるとリーフはまだ高い買い物になるから取り敢えず検討対象から外した。

そう考える材料を与えてくれたのもネット上の口コミ評価だった。

 このようにネット上の口コミ評価は商品の購買決定権を持っていると言ってもいいかもしれない。

そして恐らく多くの人が私と似たような行動をとっているに違いない。

 となると、ここに思惑が働く。

ネット上でいい評価を得たい→いい評価を書き込んで欲しい→いい評価を書き込んでくれた人にはなんらかのインセンティブを与えてもいい、という図式が出来上がる。


 需要があれば供給が生まれるのは今も昔も変わらない。

実際にその商品を使っ(た)ている人の評価を聞きたい、使用者の評価程確かなものはないと思うからである。

だが、ここに落とし穴がある。

 「アマゾン」や「楽天市場」で買い物をする時に「口コミ評価」を見る人は多いと思うが、評価が低い(星の数が少ない)商品より、評価が高い(星数が多い)商品の方を買おうと考えるのは誰しも同じだ。


 結果、評価が高い商品の方が売れている。

 問題はその評価が信じられるかどうかだ。

そのことに思いを致したのは最近で、それまでもネット通販で商品を買っていたが、口コミ評価は旅先の宿を決める時以外はほとんど見たことがなかった。

 それが腰痛悪化で2か月近く外出できなかったため、重いもの、嵩張るものはもちろんだが、ちょっとした小物までネット通販で買うなどネットショッピングを利用する機会が増えた。

 それまでほとんど気にも留めなかった口コミ評価を丹念に見るようになったのもこの頃からだが、その内あることに気付いた。

多くの口コミ評価が商品を実際に使用した上で書き込まれたものではなさそうだ、と。


 「届いたばかりでまだ使っていませんが、よさそうです」「安く買えてよかった」「まだ飲んでないが、おいしそうです」「使いやすそうです」「スムーズな配送でした」等々。

 こうした書き込みは主に1万円未満の商品、どうかすれば数1000円の商品に多く見られたので、それほど気にも留めなかった。

どうせポイント稼ぎの書き込みだろうぐらいに思ったから。

 ところが、どうもそうではないらしい。そこにビジネスが介在していたのだ。

もちろん、すべてがそうではないだろうが、商品レビューを書き込むことで、その商品がもらえたり、常連になると勝手に商品が送られてきて、5つ星等の高評価を書き込んでくれという指示があるらしい。

 指示してくるのは出展業者である。口コミ投稿者は商品が無料で手に入るわけだから、低評価は書き込まない。


 かくしてネットの口コミ評価は高評価だらけになる。たまに中・低 評価があるが、それらは実際に使用してみた実感想だ。

 そういう内実を知らない消費者が高評価を信じて購入すると、後で、あの評価は何だったのかと、ガッカリすることにもなる。

これが詐欺行為とまでは言わないが、「フェイク評価」なのは確かだ。

 なぜ、こうした「フェイク口コミ」の書き込みが行われているのか。

理由は高評価レビュー・口コミが多い程、上位に表示されるからだ。

ネット検索で見られるのは大体上位10番目ぐらいまでというのは定説で、できれば上位3番目ぐらいまでにランクされるかどうかで売り上げが大きく変わる。


 そのためには高評価を多く書き込んで欲しい→評価・レビューを買う、という図式が出来上がっている。

 最近の研究では、消費者の購買行動を左右しているのは評価の程度より、レビュー・口コミ投稿の多さの方だという結果も示されている。

 たしかに口コミ投稿数の少ない商品は買うのをためらってしまう。

それは客が入ってない店より客が多い店の方に吸い寄せられて入るのと同じだ。多くの人がその店を利用している安心感がそうさせるわけだ。

 その辺りの心理をうまく利用し、「フェイク」で客を釣るサクラ商法なのは間違いない。

顔が見えないネット社会だからこそ、消費者には賢さが要求される。

 


ボルボの初売りに行ってきた。

2020-01-06 13:04:17 | 視点

 4日、ボルボ・カー福岡の初売りに行ってきた。

年末に案内状が届いていたからで、特に買う目的で行ったわけではなく、

イオンなどに行くついでに寄ったという感じだ。

11月段階では半ば買い替えを考えて色々ディーラー巡りをしており、

中でも一番の候補はボルボV40だった。

その頃、ボルボの福岡正規ディーラーたる帝欧オートが自社登録車や未使用車を複数台

自社の中古車市場に出していたので、それを購入対象目当てにしていた。

ただ価格が280万円台~290万円台だったため踏み切れずにいた。

250万円台なら即買いなのだがと、その時考えていたから初売り価格は買い許容範囲内で色は白。

でも、買う気なし。

  買う気がなくなったのは現在乗っているBMW3シリーズをもうしばらく、

少なくとも次の車検近くまで乗ることを決めたから。

もともと現車が気に入っている。

初年度登録から14年目だが、燃費も高速走行で14.5km/Lとそう悪くない。

なにより高速走行時、コーナリングの安定性、疲れにくさが気に入っている。

これほどいい車はないと思っているが、さすがに経年劣化であちこちの部品を取り換えてきた。

特にこの1年は部品交換を伴う修理費が50万円強と嵩張ったため、そろそろ替え時かもと

考えたことがきっかけになり時期候補車選定に動き出したのだが、12月に馴染みの

自動車工場で目視点検をしてもらった。

目視点検とは言っても車を持ち上げて足回りも念入りに診ていく点検で、分解点検ほど完全ではないが

これで異常個所、交換が必要になりそうな部品(その多くは継ぎ目等のゴム部品だが)は大体発見できる。

その結果、1年以内にどこかが問題になることはなさそうだ、ということになった。

そうなると慌てて買い替える必要はなくなる。

最短でも1年後に買い替えを考えればいいということになった。

ただ、狙いは今回のようなコストパフォーマンスがいい車。

それが市場に出てくるタイミングと買い替え時期が合うかどうかだ。

そこで初売り会場に行ったついでに色々尋ねていると新古車か、それに近い自社の試乗車は

1年程度で中古車市場に出だすということが分かった。

V40の生産中止は決まっているが、まだ後継車は決まっていないそうだから

V40の2020年登録車が新古車として出る可能性は大きい。

 気になったのはこのようにカバーを被せられた車が何台も並べられていたこと。

近寄ってよく見ると「新門司港」と書かれた文字が。

尋ねるとスェーデンから船便で愛知県豊橋に陸揚げされ、そこから再度、船便で新門司港に送られ、

新門司港から陸送で福岡のディーラー各店に運ばれるが、港に一時置かれる間に

塩害等を受けないように幌を被せて保護しているとのこと。

こういうことはボルボが最初に取り組んだらしいが、今はアウディも行っているとのことだ。

 ボルボのよさは安全性を重視した車づくりを心掛けている点。

エアーバックは9箇所も装備されているとのこと。

人身事故時に被害者を決定的ダメージから守るためフロントガラスの前にエアーバックが

開くようになっているという念の入れよう。

この仕様は国産車ではスバルが取り入れている。

 ボルボV40の唯一の問題点は後部ドアウィンドウの三角窓が小さいことだ。

三角窓をもう少し大きくするか、せめて位置をもう少し下にするだけでも

随分後方が見やすくなるのだが、現状では斜め左後方確認がしにくい。

サイドミラーで左後方は確認できるではないかという指摘もあるだろうが

左折時に歩行者、自転車を巻き込む事故が多いのは事実で、その対策は必要だ。

そのために左斜め後方の確認をしやすくする仕様にすべきだ。

 実はマツダ3ハッチバックも買い替え候補と考えていたが、ボルボV40同様に

左斜め後方が見にくいため候補から外した。

マツダ3は価格も高すぎる。

同程度の価格ならボルボかBMW1シリーズを買う。

 その点、スバルのインプレッサは左斜め後方を見やすくしており、その点では大いに感心した。

インプレッサの弱点は燃費が悪すぎる点。

それさえ改善されればもっと売れていい車だし、買いたいと思う候補なのだが。

 

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今すぐできる「踏み間違え」3つの防止策

2019-12-31 23:17:56 | 視点

 連日のように報道される高齢者によるアクセルとブレーキの踏み間違え事故でついに政府が対策に動き出した。

その内容は次の3つに分かれる。
1.急加速抑制装置の導入
2.自動ブレーキの搭載義務付け
3.高齢者向けに安全運転サポート車限定免許制度の創設

 自動車メーカー各社もこの動きに同調(歓迎)する意向を見せている。というかすでに先取りして動いている。

ただ、自動車メーカーの踏み間違え対策の方向性に多少の疑問を感じもするが、防止策に取り組む姿勢は評価したい。

 本メルマガでも過去、数度に渡り「踏み間違え」問題について書いてきたので、以下を参照していただきたい。


 「No.570:高齢者の運転事故は本当に激増しているのか」((2017/1/31))


 「No.581:ブレーキとアクセルの踏み間違いについて考える」(2017/6/8)


 「No.593:再び、ブレーキとアクセルの踏み間違いについて考える」(2017/9/20)

80歳以上と軽自動車の事故が急増

 最近は「高齢者の運転=危険、事故」という論調がメディアで目立つ。

きちんとした分析なしの、ざっくりと一括りにした取り上げ方が多いように感じるが、前提条件をきちんと分けて論じるべきだろう。

でないと、結果が違ってくる。

 例えば
1.高齢者が引き起こす交通事故は多いのか、増えているのか。

2.高齢者とは65歳以上なのか、70歳以上、あるいは80歳以上か、それとも85歳以上なのか、高齢者の定義を明確にする必要がある。

3.「高齢者の交通事故」という場合、交通事故一般なのか「踏み間違え」によると見られる交通事故のことなのか。

 こういうことを明確にせず「高齢者」という言葉で一括りにすれば課題も対策も的を射ないものになるだろう。

早い話が「高齢者向けに安全運転サポート車限定免許制度の創設」という場合の「高齢者」とは何歳からのことなのか。

               (中 略)

防止策は足し算ではなく引き算で

解決策1:ペダルの位置を右寄せに

解決策2:ブレーキは左脚で

解決策3:マニュアル車を増やす

               (以下略)

 

 全文はHP内の「栗野的視点」で

 栗野的視点(No.653):今すぐできる「踏み間違え」3つの防止策

 

 


「2000万円」問題の裏に隠されていた本当の恐ろしさ

2019-12-31 21:47:37 | 視点

 この頃いろんなところで「人生100年」という言葉や文字を見聞きする。メディアだけではない。

「100歳まで生きましょう」と事あるごとに言う友人もいる。

その度に「そんなに生きなくていい」「100歳までも生きられない」と言葉を返すと、

「頑張りましょうよ。どんどん寿命が延びて200歳までは普通に生きられるそうですから、

100歳まで現役で仕事をするような時代になるんですから」と言われる。

人生100年もカネ次第

 いやはや大変な時代になったものだ。200歳は別にしても平均寿命100歳になり、90歳まで働かなければならないのか。

いやいや、そんなに走り続けたくない。走り続けてどうする。

ゆっくりスローライフで生きたい、と思うが政府もメディアも「100歳まで生きろ」と煽り立てる。

 年寄りがいつまでもしゃしゃり出る社会はおかしいと思うが、最近の年寄りは皆元気だ。

元気なのはいいが、議員から各種団体、同窓会長に至るまで役職を手放さないのはなにか役得でもあるのかと勘繰りたくなる。

 70歳過ぎても働ける社会は幸せかもしれないが、70歳過ぎても働かなければならない社会は不幸だろう。

本来なら年金で、そんなに欲さえ言わなければ何とか生活していける社会でなければならない。

 ところが年金だけではとても生活できない。年金以外に2000万円(3000万円という話もあったが)は最低でも必要と言う。

政府の方針と違うものは認めない

 「2000万円」という金額は別にして、審議会で議論しまとめた報告書を「政府の方針と違うから受け取らない」と

平然と言い放った麻生大臣をはじめとした政権の態度には恐ろしさを覚える。


  全文はHP内の「栗野的視点」で

  栗野的視点(No.650):「2000万円」問題の裏に隠されていた本当の恐ろしさ




テクノロジー優先の医療が漂流患者を増やす。

2019-10-06 12:45:11 | 視点

 「変わってないようですね」
診察室に入ると、こちらの姿を見た医師からそう言われた。
「いや、あれから動けなくなったんですよ。特に大腿骨から膝にかけての痛みがひどくて」
 今回、私は車いすに乗り診察室に入っているから前回と明らかに違う姿だと一目見れば分かるはずである。
それを「変わってない」」と言う医師の言葉に「お前はどこを見ているんだ」と、内心驚くとともに、少々ムッとして言い返した。
 前回の診察から今回のMRI検査までの2週間近く、こちらは歩くことも仰向けに寝ることもできずにウンウンとうなっていたというのに、
これは外れ籤を引いたかと、のっけからちょっと後悔した。

 医師は検査したばかりのMRI画像をPCに表示して「こちらが前で、これが後ろ側です」と淡々と説明する。
そこに映し出された背骨の画像を見ながら、こちらも「見た感じそんなにひどい状態ではなさそうですね」と言ってみた。
すると「ほら、ここの神経はかなり細くなっています。普通はこれくらいの大きさですから」と医師が反論する。

「じゃあ、どうすればいいですか」
「方法は3つです。1つは薬です。次が神経ブロック注射。3つ目が手術ですが」
 相変わらず淡々と、患者のことなどまるで念頭にないようにPC画面を見たまま言うから、こちらは逆に声を大きくしてみた。
「薬というのは痛み止めですか」
「そうです」
「ということは神経ブロックですか」
「神経ブロック注射は痛いですよ」
「そんなに痛いんですか」
 もうまるで耳が少し遠いお年寄りを相手にしている気分で大きな声を出し続けた。
「神経に注射するわけだから、注射そのものが痛いですよ。・・・どうしますか」

 どうしますか? 痛いよ、痛いよ、と言われて、はい、それをお願いしますと言う奴がいるのか、
と思ったが、その時ふいにある光景が蘇った。デジャブである。

 同じような光景、似た場面を福岡大学病院で経験した。妻は福岡大学病院で膵臓ガンと言われ、
当初入院していたが、その後通院に切り替えられた。
よくなったわけでも、症状が軽かったわけでもない。
ガンが発見されたときはステージ4で、医師からは「末期です」と伝えられた。
ただ、妻にはガンだとは伝えなかったが。


 担当医は外科医だった。当然、外科手術を想定していたのだろう。
ところが、ガンができた箇所が膵頭部で、手術できず、投薬と放射線治療しなかった。
放射線治療も1クール行うと、後は投薬しか残されてなく、退院して通院に切り替えられたのだ。


 そうなると外科医としては大してすることがなくなる。
これは自分の患者ではない、と思うのかもしれない。
態度が露骨に変わり、質問にもまともに答えない。
他の治療法をバカにするし、放射線医師に対しては見下し、あれは医者の部類には入らない、
というような言葉を患者の前で平気で口にする。

 そしてある時、妻が私に訴えた。
「M城先生と話しているとマイナスのことばかり言うからストレスが溜まり、病気が悪くなっていく気がする。
もう診察を受けに行きたくない」と。


 受診拒否である。
体が動かなくなるのだ。
それで転院を決意し、他の医師を探した経験がある。
 その時の光景が思い出された。
あの時は外科医で今回は整形外科医という若干の違いはあるものの、どちらも外科のジャンルだ。

 車イスを押されて診察室を出ると「整形外科で上手な先生は誰?」と看護師に尋ねてみた。
「場所はどこですか。腰とか膝とかによって担当の先生が変わりますから」
 整形外科なら腰も膝も指も皆診るだろうと思ったのは間違いで、大きな病院では専門分野が細分化されているようだ。
「そうなんだ。腰は?」
「腰なら先程のA薗先生とかB先生ですかね」
「A薗さんは上手なの?」
「はい、副院長ですし、わざわざA薗先生を尋ねて見えられる患者さんもいますから」
「そんな風には思えなかったけど、上手なのか・・・」
「話し方がちょっと突っけんどんなところがありますけどね」

 A医師の診察に不信感を抱いたのは患者の身体を大して触らず、ひたすらPC画面のデータを見、
キーボードで入力しているだけだったり、言葉が少なく患者への説明がほとんどないということもあるが、
投薬と決まった後に医師が放った一言で決定的になった。
「ではN整形外科のO先生にMRIの結果を送っておきますから、後は向こうで聞いてください。
うちは手術をするところですから投薬だけの患者さんを診ることはしませんから」

 こう平然と言い放ったのだ。
「ブロック注射は他でもできるんですか」
「小さな整形外科ではできませんよ」
「では、そのときはここに来ないといけないんですね」
 相変わらずPCの画面しか見ていない医師に声大きく確認して診察室を出た。


 福岡大学病院のM城医師と九州中央病院のA薗医師に共通しているのは「手術の腕はいい」という評判である。
彼らのプライドを支えているのは技術力の高さのようだが、それは患者を治療することとイコールにはならない。
それどころか手術をしない患者は彼らにとっては患者以下の存在になり、「もう来なくていい」存在なのだ。
彼らは優秀な技術者かもしれないが医師ではない。


 かくして痛み以上、手術未満の患者は的確な診断をしてくれ、痛みを和らげてくれる所を求めて
あちこち漂流せざるを得なくなる。

 実のところ私は最初の整形外科でリハビリにも通ったが、痛みが逆に増してき、
MRI診断をして脊柱管狭窄を確認したが、それは今回、急にそうなったわけではなく長年のデスクワークで
以前から狭くなっていたところに加齢が加わり少しずつ軟骨が擦り減った結果ということが確認できただけだ。

 今回はなぜ、急に、しかも歩行できないほどの痛みに襲われているのか、その原因は分からずじまい。
ただ激しい痛みだけは引かないのでセカンドオピニオンを探し求めて受診したが、整形外科医の見立ては変わらず。

 膝のジンジンする痛みや脚の軽い痺れを訴えても、正座はできるし、足指の曲げ反らしもできれば
脚の神経異常は認められず、結局、痛み止めの薬服用で整形外科医3人は共通。

 そうなると頼みは整骨院か鍼灸師となる。
自宅から距離がある整骨院は通うのも大変だからと、最も近い整骨院を探して行くことにした。
幸い自宅から100m足らずの所によさそうな整骨院を見つけ通っているが、300mの距離はおろか10mも
自力では歩けないのでパートナーに車で送迎してもらわなければならない。

 それで快方に向かえばいいが相変わらずの症状。
3週間も自宅軟禁状態が続けば筋肉は見る見る落ちていくし、脚の付け根の大腿骨と膝の痛みに耐えかね、
保険診療はきかないが、プロ野球選手も通っている整骨院があると聞き、
それこそ藁にも縋る気持ちというか、もうこの際どこでもいい、痛みを取って歩けるようにしてくれるなら
という気持ちになり、初回8000円をとやかく言う段ではないとばかりに通い始めた。
1、2回で結果が出ないのが身体にも懐にも辛いところだ。

 本来なら今頃は岡山県の田舎に帰省して、彼岸花の群生地に赴き写真を撮っているところだが、
今年は福岡でも彼岸花を見ることもできないのが悲しい。



突然襲われた歩行困難

2019-09-30 10:54:40 | 視点

 8月下旬、「暑気払い」と称して友人達と博多駅近くの居酒屋で飲み会を開いた。
メンバーは6人で、久し振りの参加者が1名。もう1名は10年振りの再会で、私自身会うのが2回目という参加者。
 こうした懇親会を数か月に1度の割で開催しているが、毎回1人は久し振りに会いたいなと思う相手に連絡入れ、誘っている。
 2時間はあっという間に過ぎ、このまま別れるのも、と感じていると「コーヒーでも飲みませんか」と提案されたので、酔い覚ましも兼ねコーヒーショップに移動することに。

 異変に襲われたのはその時だった。
右足がスッと前に出ない。少し引きずるような感じになった。
自分の脚なのに自分のものではないような妙な感じなのだ。
麻酔が切れかかった時の感覚と言えば分かってもらえるだろうか。


 なんとか脚を前に運ぶが今度は踏ん張れない。そのまま崩れ落ちそうになる。
それでもなんとかゆっくり歩きながらコーヒーショップまで行き、そこで小1時間皆と談笑し
バス停へ向かったが、バスを待っている間も脚に力が入らずついにしゃがみ込んでしまった。
これではとてもバスで帰るのは無理と判断し、タクシーを捕まえて帰宅。

 翌日、近くの整形外科に行き大きな病院でMRI検査をしてもらうよう紹介状を書いてもらうことにした。
その少し前から腰と大腿骨に異常を感じていて、その整形外科で診断してもらっていたが、
整形外科医の言うことは大体いつも同じ。
「レントゲンを撮らせてください」「骨に異常はないですね。しばらく様子を観ましょう。
そのうち落ち着くでしょう」「レントゲンでは神経までは見れませんから、痛みが続くようなら
MRIで検査する必要があります」

 腰痛は持病みたいなもので長年患っているから、こちらもある程度対処法も覚え、
ちょっと調子が悪いと感じるとリハビリ体操などをして、それ以上はひどくならないようにしてきた。
 ところが今回は様子が違った。
脚の付け根がこんなに痛んだのも初めてだし、立っていられなくなったのも初めてだ。
といって何かがきっかけというわけではない。いつもと変わらない生活をしていて、
ある日突然、椅子から立ち上がったら脚に違和感を感じたのだ。
それがまさか歩行困難になるとは、その時思いもしなかった。

 「MRIの検査をして欲しい」
そう言うと整形外科医はちょっと驚いたような表情を見せ、「リハビリには来られてますよね」と聞いてきた。
 最近は規模の大小を問わず、ちょっと才覚のある医師は診療所に併設してリハビリ所や
デイサービスなどを運営し、そちらで儲ける経営者になっている。
その整形外科もデイサービスとリハビリ所を併設し、整形外科に来た患者を自動的に
リハビリ所に通わせていたというか、患者の方も整形外科では骨折でもしていなければシップを
してくれるぐらいなものだから後はリハビリ所に通った方がいいと思う。
 私もご多分に漏れずその口で、リハビリ所に通っていたが一向に改善しないどころか、
リハビルから帰った後の方が痛みを増し、帰り道で何度か休まなければならない程だった。

 掛かり付けの整形外科にはMRIの検査装置がなく他で受けることになるが、
前立腺等で行っている九州中央病院の整形外科へ紹介状を書いてもらうことにした。
そこなら診療科に関係なく電子カルテが共有されているからだ。


 早速月曜日に行き診察してもらいMRI検査の予約を入れてもらったが、翌週金曜日の午後しか取れず、
10日待つことになったのは仕方ないが、その間に痛みがドンドン増し、
先週土曜日から室内で3歩と歩けない状態に。
辛いのは仰向けにも俯せにもなれないこと。
 いままで歯科でも内科でも痛み止めの薬をもらっても飲んだことがなかったが、
今回は堪らず以前歯科でもらっていた痛み止めの薬を探し出して初めて服用した。

 寝ても立っても痛いという経験は初めてで、何をしても気が紛れず、長続きもしないが、
横になっているより腰かけている方が少し楽、といっても長居は無理で短時間だが、
その合間に気を紛らせることもあり、このメルマガを書いているが、なんとも情けない。
 というわけで、皆さんもお気を付けください。


5000円台のスマートウォッチが十分使える(タイトル変更&新たに判明した点を追加)

2019-09-15 21:49:17 | 視点

 

 

 毎朝のウォーキングに必ず持参するのが歩数計。

ところが時々持って出るのを忘れたりするし、日課のウォーキング以外で結構の距離を歩く羽目になったりすることがある。

そんな時、「歩数計を持ってきとけばよかった」と思うことがしばしばある。

スマホで計測できるではないかと言われそうだが、スマホアプリは起ち上げなければ計測してくれない。

そこでスマートウォッチを買うことにした。

量販店で売っているものは概して金額が高いものが多いし、インターネットで調べても金額は様々。

値段はいろいろだが機能は大体同じようなので、まず試しに失敗しても諦めがつく金額のものを買うことにした。

そこで選んだのがバンド型のこれ。

 正確な金額は忘れたが5000-6000円だったと記憶している。

計測できる項目は血圧、歩数、カロリー、道程、心拍数、睡眠モニター、ストップウォッチ、目覚まし時計、スマホ捜索

女性の生理周期のほか電話の着信、Gmail、SNSの着信も振動で知らせてくれる。

まあ数1000円のものだからすべてに正確を求められるものではないし、主に利用しているのは歩数計のみだが役に立っている。

 液晶画面下の位置をタッチすると表示が次々に変わるが表示時間は5秒間。

ランニング中はもちろんのこと歩きながら確認できるのは時計時間と万歩計ぐらい。

ただスマホにアプリを入れていればBluetooth接続で後から確認できる。

充電はベルトを外してUSB接続するタイプ。専用のコード類を必要としない点がいい。

 とても気に入って使っていたが、ただ一つ難点が。

液晶画面の調整ができない上に少々暗めなので室内や夜間は問題ないのだが

日中の明るい所ではほとんど液晶画面が見えない。

そこで新たに買い替えることにし、次に選んだのが丸形時計タイプのこれ。

 フェイスは前のタイプ同様にデジタル表示だけでなくアナログ時計表示もできる。

買う前はアナログ時計表示が気に入っていたが、実際に表示させてみるとデジタル表示の方が見やすかったので

フェイスはデジタルにしている。

液晶画面の調整は可能だが、自動調整のままで随分明るく、心配した日中、明るい場所での見え方も全く問題なかった。

液晶表示面積がベルト型より広いので全体的に見やすいのも気に入った点。

 価格は5000円台で購入した。

機能は最初に買ったベルト型と変わらず。

スマートウォッチのメーカーは違うのに、スマホアプリは同じ「Hバンド」だった。

 

 違うのは充電の仕方。

前のバンドタイプがUSBに差し込むタイプだったのに対し、こちらは専用のコードで接続しなければならないから

出張や旅行等で出かける時は専用コードを持参しなければならないのが手間だ。

充電には前のタイプより時間を要し2時間。ただ、電池の持ちはこちらの方がよく1週間近くはいけるのではないだろうか。

 充電コードの接続は磁石でくっつける方式なので、コードを持ち歩く時、磁気カードその他、磁気に弱いものと接触したり

近くに置いたり、同梱しないように注意する必要がある。

ベルトはゴムベルトのほかに合皮ベルトが付属品であり、付け替えられるのもいい。

 前のスマートウォッチを買ってから数か月で買いますことになったが、ともに気に入り使っている。

軽いのはベルト型の方で、丸形時計タイプは大きくちょっと重いから1日付けっぱなしとはいかない。

<残念な点>

 買った当初は液晶画面も明るく見やすいのでよかった、と感じたが、その後使っている内に期待外れもいくつか出てきた。

まずSNS、電話、メールの通知はバイブレーションではないこと。

画面が短く光って知らせるタイプだから歩いている時などは気付かず、ほとんど役に立たない。

またGmailには対応していない

つまりGmail着信があっても全く気づけない。

Gmailに対応していないのは角形の「itDEAL」も同じだった。

 

<総評>

 使えるのは歩数計、時刻、脈拍数、睡眠時計測ぐらいで、歩数計以外の機能に期待して買うと後悔することになる。

液晶画面表示の明るさを除けば、最初のit DEALの角形ベルトタイプから買い増す必要は全くなかった。

 

<その後、使っていて分かった点を追加>

 一時は時計機能のほかは歩数計と睡眠時の計測血圧、心拍数ぐらいしか使えず、電話や、SNS、メールの

着信通知などは機能しない、反応せず、ほとんど使えないと思っていたが、その後色々試して分かったので

次に挙げておく。

1.「H Band」というアプリは常時立ち上げておく必要がある。

 上記2つのスマートウォッチに対応しているスマホアプリは「H Band」でこれはgoogle playストアなどから

ダウンロードできる。

 このH Bandというアプリは常に起ち上げた状態(アプリを開いたまま)にしておかないとSNS、gmailの受信通知が来ない。

最初の頃、H Bandアプリでデバイスと接続した後、アプリを閉じていたので受信通知が一切来なかったことが分かった。

その場合SIMの容量が使われるのかどうかは確認していない。

バッテリーは減ることになる。

2.gmailがスマホに届けばスマートウォッチにバイブレーションで知らせてくれ、gmailのタイトルが表示される。

 タイトル全文は一度に読めないが、itDEALは画面をタッチすれば、semiroはリューズボタンを押せば次の文が出てくる。

3.電話がかかってきた時も通知してくれればいいが、今のところ電話着信通知は経験してない。

 しばらく電話が鳴り続けていれば着信通知が来るのかも分からないが、それほど長い間電話に出ないことがないので、いまだ分からない。

 <総評>

 gmailの着信通知が来るようになったので、随分使い勝手がよくなった。

 5000-6000円台でこれだけの機能が使えるのだから、何万円も出して買わなくも十分だと思う。

 

 


どこか薄気味悪さを感じる「令和」フィーバー

2019-08-25 17:40:59 | 視点

 ゴールデンウィークの10連休、事前予想は大混雑、あるいは混雑は分散などと分かれていたが、

結果は分散で例年より混雑は少なかったというのが個人的な印象だった。

 実際、私が出かけたヤマサ蒲鉾工場(姫路市。芝桜の時期のみ一般公開)、藤公園

(岡山県和気町。岡山県下では藤の花の名所といえば最初に挙がる)、姫路市のテーマパーク・太陽公園はGWだから特に混んだという感じはなかった。

 極めつけは6日の高速道路(中国道)。いつもの週末より上下線ともに車は少なかった。

途中、サービスエリアで混雑程度を尋ねたが「ピークは3日、4日ですね」とのこと。

「今日(6日)はちょっと少ないのでは」と水を向けると「正直ちょっと期待外れですね」と苦笑い。それほど車が少なかった。

 九州では3日4日の「博多どんたく」の人出が全国ニュースでもよく取り上げられるが、今年はどうだったのだろうか。岡山県にいると、その辺の情報が伝わってこないので、どの程度の賑わいだったのか分からない。というより、帰省中、特に4月5月はTVをほとんど見ていない。観たいと思える番組がないのが主因だが、もう一つは元号変更に便乗した「令和」フィーバーともいう現象に辟易し、TVのスイッチを入れなかったこともある。
 どのチャンネルに替えても「平成最後の」「令和最初の」で始まるし、4月末日はまるで大晦日のカウントダウンにも似た騒ぎ。それを延々と放映し続けるTVにはある種の気味悪ささえ感じたものだ。

 それにしても、この国は「横並び」「皆さんご一緒」が好きなようだ。

一時期、「脱横並び」が唱えられたが、気が付けば相変わらずというか、同質化はさらに進んだように感じる。

企業活動ですら「横並び」は顕著でコンビニエンスストア(コンビニ)は地域に関係なく一律24時間営業

(「お上」から「力」が加わり、やっとこの頃見直す素振りを見せてはいるが)だし、通信料金は大手3キャリアはほぼ同じ料金体系。

それを打破すべく登場した格安SIM取り扱い業界も料金、サービスともほぼ横並びになってきている。


 さらに品質検査不正まで自動車、鉄鋼、油圧機器、住宅業界と横並びで行われているに及んでは、

この国は一体どうなっているんだと思わない方がおかしい。

 TVのワイドショーが横並びで各局同じ情報しか流さないのは今に始まったことではないが、その傾向はますます強まっている。

テレビ朝日などは自らがTV局という意識すらなくしているようで、「今ネットで最も見られている情報をランキング形式で」届ける

と昼の番組内で紹介している。

 これはリツイートと同じで、後追いどころか同じ情報の拡散でしかない。

なんともいやはや、というか、TVの取材力はますます落ちていき、TV離れがますます進むのは当然だろう。

 見ていて尻がムズムズする感覚を覚えるのが、最近増えている「ニッポンっていいな」という日本礼賛番組だ。

伝統産業や零細企業の技術にスポットを当てて紹介するのは大賛成だが、やり過ぎると礼賛の裏に何かあるのかと勘ぐってしまう。

 皆で盛り上がろう、という感覚が強くなったのはスマートフォンの普及と無関係ではないだろう。

どこでも、いつでも、掌の小さな機械を操作すれば、すぐ何らかの発信ができる。

最初の発信者にならなくても賛意を示すことはもっと簡単だ。

前の人の情報をそのまま転送しさえすればいいのだから。あるいは「good(いいね)」をクリックしさえすればすむ。

 ちょっと前なら、そうした行動は付和雷同と言われたが、今やこの言葉はほとんど死語同然である。

代わりに登場したのが「お祭り騒ぎ」「炎上」「拡散希望」だ。

 「皆で渡れば怖くない」あるいは「皆で騒ぎましょう」と皆が同じ方向を向き、同じ顔で、同じ言葉を発する。

そこには個人の考えがない。人だかりを見て、覗き込み、よく分からぬが騒ぐ群集心理のネット版である。

 騒いでスカッとしたい! こうした傾向は以前からあった。

飲み会で「イッキ、イッキ」と囃し立て、一気飲みを煽るのもそれだ。

不適切行為を動画に次から次へとアップする行為が後を絶たないのもそうだろう。

直近では渋谷のスクランブル交差点にベッドを運び寝ていた様子を動画で配信した7人が逮捕された。
 いずれも深い考えがあってやったことではない。

ただ、騒ぎたかった、注目されたかっただけだろうが、それだけにこのような風潮が蔓延することが怖い。

そうした行為に走らせる背景があるからだ。

 動画配信サイトのユーチューブで動画を配信する人間を「ユーチューバー」と呼ぶそうだ。

そしてそれを職業と考え、「将来、ユーチューバーになりたい」と夢(?)を語る子供がいるそうだ。

ユーチューブでの配信はもう趣味ではなく職業になっているのだ。

何人が自分の動画を見てくれたかが収入になるらしい。

 つまるところカネなのだ。

カネになるから、奇抜なことをし、耳目を集めようとする。

ここに「フェイクニュース」と呼ばれる「ニセ情報」が流れる背景がある。

 もう一つは鬱積した不満だろう。

社会で「好景気」と言われながら、一向に改善しない自分の生活。

「勝ち組」「負け組」と分けられてからずっと続いている格差社会。

どこかおかしい、なにかおかしい、と感じていたのもむかしのことで、

今ではそれさえも感じることなく受け入れてしまい、怒りの矛先を向ける先さえ分からなくなっている。

それを見つけることさえ面倒臭くなるほど余裕がなくなれば、刹那の「快楽」で鬱憤を晴らすしかなくなる。


 たった一人の反乱はエネルギーがいるが、皆で騒げば、皆が騒ぐのに便乗するのは楽だ。

 そして皆が同じ方向に向き、小さなことでフィーバーし、盛り上がり、一体感を刹那的に感じる。

 そんな思考停止状態が長く続いた先に待っているものは・・・。

私にとっては決して居心地がいい社会ではない気がする--。