秋は1年で一番楽しい季節である。少なくとも私にとっては。野や山に花が咲き乱れるし、やがて山が紅葉し、真っ赤に染まっていく。こうした変化は都会にいてはなかなか分からない。やはり田舎にいる方が身近に感じられる。
私の実家がある田舎は陽が昇るのが遅い。朝靄に覆われ、陽が差し込んでくるのは9時過ぎだ。それで今日は天気と分かればカメラを車に積んで出かける。鳥取市、米子市、兵庫県庄原市、姫路市辺りまでは大体1~1.5時間で行ける。
撮影が趣味といっても本格的な趣味人ではないから、動くのは天気がいい日の日中。いい写真を撮ろうと思えば朝早くとか夕方の斜光の方がいい。日中はピーカンといって光が真上から来るから写真に変化がないと言われる。
でも、夜明け前から出掛けたり、雨でも出掛ける根性はない。所詮は日和見撮影。だから現地に着くのは大体12時近くなる。途中で腹ごしらえをすればいいが、取り敢えず撮影をし、その後で昼食をと考えるから昼食が2時。どうかすると3時近くになる。それでも店が近くにあればいいが、なにしろ出掛ける先が田舎だから店がなかったり、あっても昼食時間が終わってクローズということもよくある。
モグラを防ぐ効果もある彼岸花
これからはコスモス、そして紅葉がきれいな季節になるが、この間までは彼岸花だった。例年なら彼岸花の追っかけよろしく、あちこちにカメラを持って出かけたところだが、今年は生憎の雨続き。カメラの出番はなし。
ところで、いまでこそ花として愛でられている彼岸花だが、昔はというか、いまでも地方に行けば忌み嫌う人が結構いる。花の赤色が「毒々しい」とか、不吉な花、死人花などと言われ、コスモスなどと同じ花扱いをされないのは彼岸花にしてみれば言われなき不名誉、迷惑な話だろう。
なぜ、こんなにきれいな赤色をした花が嫌われるのか。それにはいくつかの理由があるが、咲く場所にも関係ありそうだ。
彼岸花は日当たりのいい乾いた土地より、日陰の湿地を好む。林の中や川の土手、田の畦などによく生えているのはそのためだが、ほかにも墓地(といっても見晴らしも日当たりもいい、現代の霊園ではない)等によく咲く。このことが彼岸花のイメージを悪くしているのだろう。墓地-彼岸花の赤色-死人の血の色を連想させるというわけだ。
もう一つは毒がある鱗茎(球根)。子供の頃、彼岸花を折って持って帰ったりすると叱られたのはそういう理由だ。逆に鱗茎の毒を利用して植えて行ったのが田の畦で、モグラやミミズなどの地中動物からの防御に彼岸花の鱗茎を利用したわけだ。それがいま景観になり、目を楽しませてくれている。
秋の青空や黄金色の稲穂をバックに咲く彼岸花は「絵になる景色」で、都会の喧騒から逃れ、癒やしを求めたい現代人はそこに価値を見出してやって来る。
かつては観光名所でもない自然環境が集客の材料になるなどとは思われなかったが、世の中が便利さ、効率一辺倒になると逆に人の手が入らない自然に価値や癒やしを見出す人達が増えてきたわけだ。
棚田の風景や休耕田を利用して植えられたヒマワリやコスモスはいまではよく見かける光景になり、ヒマワリ祭り、コスモス祭りとして地域のイベントに組み込まれだしたが、彼岸花にはまだそこまでの役割が与えられていないように見える。ヒマワリやコスモス、あるいは桜並木に匹敵する程美しく、また集客もできるというのに、だ。
彼岸花の群生地は少ない
それにはいくつかの理由も考えられるが、多くの人が群生した彼岸花を見ていないことも関係がありそうだ。実は彼岸花の群生地は全国で10数か所程しか存在しない。こういえば驚かれるかもしれない。いや、うちの近所にはいっぱい咲いている、と言う人は多い。ある時そう言われて半信半疑で出かけてみると、たしかに群生といえば群生だが幅5mぐらいの所に密集して生えていても感動は少ない。
群生地は関東以北の方に多いが中国地方では広島県三次市吉舎(きさ)と岡山県真庭市川東公園が有名。ほかには鳥取県と島根県に1か所ずつ存在する。
広島県三次市の彼岸花群生地の写真
http://blog.livedoor.jp/kurino30/archives/2011-10-02.html
岡山県真庭市の彼岸花群生地
http://blog.livedoor.jp/kurino30/archives/52743353.html
鳥取県は米子市上淀廃寺跡に数年前から地域の人達が彼岸花を植えていったようだ。今年、帰省していた折に足を伸ばしてみたが、三次や真庭の群生地を見ていた目にはあまりにも疎らでちょっとがっかりした。
それでも後数年すれば数も増え、彼岸花の群生地として有名になるかもしれない。そうすれば周辺の遺跡巡りなどとセットで集客が期待できるだろう。すぐ側に第3セクター経営のレストラン、地域物産売り場、さらに温泉などがあるのもいい。
島根県吉賀(よしか)町の彼岸花群生地は中国自動車道六日市ICから10分程の距離。個人所有の栗園の中に群生していたものを、いまでは地域の人達が手入れし、守ってきている。吉賀町には、彼岸花の群生地から県道をさらに吉和町方向へ行ったところにはカタクリの花の群生地もあるので、3月下旬頃には可憐なカタクリの花を楽しむこともできそうだ。
名所づくりに彼岸花を植栽
福岡県宮若市は犬鳴川河川公園(市役所の目の前)に数年前から地域の人達が彼岸花を植えていき、いまでは土手の斜面一面を真っ赤に染め、地域の名所になっている。
九州ではこのほかにも長崎県大村市・鉢巻山、佐賀県小城市江里の棚田、福岡県うきは市・つづら棚田などが彼岸花の観光名所になっている。後者2か所は棚田の畦に彼岸花を植えたもので、密集して生えている群生地とは異なるが、稲刈りが終わった後の棚田の風景として、自然の魅力を余すところなく作り出しており、シーズン中には多くの人が彼岸花を観に訪れる名所になっている。
いずれも自然環境をうまく生かして、知名度アップに成功しているが、それが従来イメージの「観光」になっているかというと、物販等を含めた経済効果を上げているとは言い難い。もちろん、なんでもかんでも経済に結び付ければいいわけではないが、地域が持つ魅力を高めていく工夫は必要だろう。
例えば岡山県奈義町。以前にも触れたが磯崎新氏がプロデュース・建築した奈義町現代美術館があり、バックには那岐山が雄大な姿を見せているし、田畑は広がり、広い蕎麦畑もある。自然環境を楽しむには最適な場所だ。
ここに彼岸花の群生地があれば、奈義町だけで回遊性は高まる。稲田と彼岸花、蕎麦畑と那岐山に彼岸花の組み合わせ。さらに山野草をもっと増やしていけば1年中季節の花と景色を楽しめる地域になる。また最近ブームのトレッキング、あるいは那岐山登山などと組み合わせればかなりの集客が図れるはず。
このように地域が持っているポテンシャルは大きいのに、地域の人々がその宝物に気付いていなかったり、あるいは従来通りの箱物建設、利便性を求めるからうまくいかない。結果、中途半端なものばかりになる。彼岸花でもコスモス、ヒマワリでも中途半端な数では人は呼べない。
盆栽、箱庭発想ではなく、雄大な自然を生かすことだ。見渡す限りの○○。それもよそでもよく見かける○○ではなく、よそにはあまりない○○がそこで見られれば人は自ずと集まってくる。奈義町はそれができる土地を持ちながら、箱物を造っていくから全てが中途半端になる。いま人を呼べるのはコンクリートの箱物ではなく、自然そのものである。
*本稿は2016年10月5日に「まぐまぐ」から配信したもの)
*「まぐまぐ」内の「栗野的視点」→ http://archives.mag2.com/0000138716/20161005171140000.html
私の実家がある田舎は陽が昇るのが遅い。朝靄に覆われ、陽が差し込んでくるのは9時過ぎだ。それで今日は天気と分かればカメラを車に積んで出かける。鳥取市、米子市、兵庫県庄原市、姫路市辺りまでは大体1~1.5時間で行ける。
撮影が趣味といっても本格的な趣味人ではないから、動くのは天気がいい日の日中。いい写真を撮ろうと思えば朝早くとか夕方の斜光の方がいい。日中はピーカンといって光が真上から来るから写真に変化がないと言われる。
でも、夜明け前から出掛けたり、雨でも出掛ける根性はない。所詮は日和見撮影。だから現地に着くのは大体12時近くなる。途中で腹ごしらえをすればいいが、取り敢えず撮影をし、その後で昼食をと考えるから昼食が2時。どうかすると3時近くになる。それでも店が近くにあればいいが、なにしろ出掛ける先が田舎だから店がなかったり、あっても昼食時間が終わってクローズということもよくある。
モグラを防ぐ効果もある彼岸花
これからはコスモス、そして紅葉がきれいな季節になるが、この間までは彼岸花だった。例年なら彼岸花の追っかけよろしく、あちこちにカメラを持って出かけたところだが、今年は生憎の雨続き。カメラの出番はなし。
ところで、いまでこそ花として愛でられている彼岸花だが、昔はというか、いまでも地方に行けば忌み嫌う人が結構いる。花の赤色が「毒々しい」とか、不吉な花、死人花などと言われ、コスモスなどと同じ花扱いをされないのは彼岸花にしてみれば言われなき不名誉、迷惑な話だろう。
なぜ、こんなにきれいな赤色をした花が嫌われるのか。それにはいくつかの理由があるが、咲く場所にも関係ありそうだ。
彼岸花は日当たりのいい乾いた土地より、日陰の湿地を好む。林の中や川の土手、田の畦などによく生えているのはそのためだが、ほかにも墓地(といっても見晴らしも日当たりもいい、現代の霊園ではない)等によく咲く。このことが彼岸花のイメージを悪くしているのだろう。墓地-彼岸花の赤色-死人の血の色を連想させるというわけだ。
もう一つは毒がある鱗茎(球根)。子供の頃、彼岸花を折って持って帰ったりすると叱られたのはそういう理由だ。逆に鱗茎の毒を利用して植えて行ったのが田の畦で、モグラやミミズなどの地中動物からの防御に彼岸花の鱗茎を利用したわけだ。それがいま景観になり、目を楽しませてくれている。
秋の青空や黄金色の稲穂をバックに咲く彼岸花は「絵になる景色」で、都会の喧騒から逃れ、癒やしを求めたい現代人はそこに価値を見出してやって来る。
かつては観光名所でもない自然環境が集客の材料になるなどとは思われなかったが、世の中が便利さ、効率一辺倒になると逆に人の手が入らない自然に価値や癒やしを見出す人達が増えてきたわけだ。
棚田の風景や休耕田を利用して植えられたヒマワリやコスモスはいまではよく見かける光景になり、ヒマワリ祭り、コスモス祭りとして地域のイベントに組み込まれだしたが、彼岸花にはまだそこまでの役割が与えられていないように見える。ヒマワリやコスモス、あるいは桜並木に匹敵する程美しく、また集客もできるというのに、だ。
彼岸花の群生地は少ない
それにはいくつかの理由も考えられるが、多くの人が群生した彼岸花を見ていないことも関係がありそうだ。実は彼岸花の群生地は全国で10数か所程しか存在しない。こういえば驚かれるかもしれない。いや、うちの近所にはいっぱい咲いている、と言う人は多い。ある時そう言われて半信半疑で出かけてみると、たしかに群生といえば群生だが幅5mぐらいの所に密集して生えていても感動は少ない。
群生地は関東以北の方に多いが中国地方では広島県三次市吉舎(きさ)と岡山県真庭市川東公園が有名。ほかには鳥取県と島根県に1か所ずつ存在する。
広島県三次市の彼岸花群生地の写真
http://blog.livedoor.jp/kurino30/archives/2011-10-02.html
岡山県真庭市の彼岸花群生地
http://blog.livedoor.jp/kurino30/archives/52743353.html
鳥取県は米子市上淀廃寺跡に数年前から地域の人達が彼岸花を植えていったようだ。今年、帰省していた折に足を伸ばしてみたが、三次や真庭の群生地を見ていた目にはあまりにも疎らでちょっとがっかりした。
それでも後数年すれば数も増え、彼岸花の群生地として有名になるかもしれない。そうすれば周辺の遺跡巡りなどとセットで集客が期待できるだろう。すぐ側に第3セクター経営のレストラン、地域物産売り場、さらに温泉などがあるのもいい。
島根県吉賀(よしか)町の彼岸花群生地は中国自動車道六日市ICから10分程の距離。個人所有の栗園の中に群生していたものを、いまでは地域の人達が手入れし、守ってきている。吉賀町には、彼岸花の群生地から県道をさらに吉和町方向へ行ったところにはカタクリの花の群生地もあるので、3月下旬頃には可憐なカタクリの花を楽しむこともできそうだ。
名所づくりに彼岸花を植栽
福岡県宮若市は犬鳴川河川公園(市役所の目の前)に数年前から地域の人達が彼岸花を植えていき、いまでは土手の斜面一面を真っ赤に染め、地域の名所になっている。
九州ではこのほかにも長崎県大村市・鉢巻山、佐賀県小城市江里の棚田、福岡県うきは市・つづら棚田などが彼岸花の観光名所になっている。後者2か所は棚田の畦に彼岸花を植えたもので、密集して生えている群生地とは異なるが、稲刈りが終わった後の棚田の風景として、自然の魅力を余すところなく作り出しており、シーズン中には多くの人が彼岸花を観に訪れる名所になっている。
いずれも自然環境をうまく生かして、知名度アップに成功しているが、それが従来イメージの「観光」になっているかというと、物販等を含めた経済効果を上げているとは言い難い。もちろん、なんでもかんでも経済に結び付ければいいわけではないが、地域が持つ魅力を高めていく工夫は必要だろう。
例えば岡山県奈義町。以前にも触れたが磯崎新氏がプロデュース・建築した奈義町現代美術館があり、バックには那岐山が雄大な姿を見せているし、田畑は広がり、広い蕎麦畑もある。自然環境を楽しむには最適な場所だ。
ここに彼岸花の群生地があれば、奈義町だけで回遊性は高まる。稲田と彼岸花、蕎麦畑と那岐山に彼岸花の組み合わせ。さらに山野草をもっと増やしていけば1年中季節の花と景色を楽しめる地域になる。また最近ブームのトレッキング、あるいは那岐山登山などと組み合わせればかなりの集客が図れるはず。
このように地域が持っているポテンシャルは大きいのに、地域の人々がその宝物に気付いていなかったり、あるいは従来通りの箱物建設、利便性を求めるからうまくいかない。結果、中途半端なものばかりになる。彼岸花でもコスモス、ヒマワリでも中途半端な数では人は呼べない。
盆栽、箱庭発想ではなく、雄大な自然を生かすことだ。見渡す限りの○○。それもよそでもよく見かける○○ではなく、よそにはあまりない○○がそこで見られれば人は自ずと集まってくる。奈義町はそれができる土地を持ちながら、箱物を造っていくから全てが中途半端になる。いま人を呼べるのはコンクリートの箱物ではなく、自然そのものである。
*本稿は2016年10月5日に「まぐまぐ」から配信したもの)
*「まぐまぐ」内の「栗野的視点」→ http://archives.mag2.com/0000138716/20161005171140000.html