欧米の「広場」と日本の「通り」
この閉じた住宅と、オープンテラスを備えた住宅は西洋の「広場」と、
日本や一部のアジアに見られる「通り」の違いであり、内と外、
セキュリティーとコミュニティー(=コミュニケーション)に対する
考え方の違いを表しており面白い。
西洋の住宅は内と外の境界に塀や囲いを作り、両者をはっきり分けているのに対して、
日本の住宅は内と外の境界が曖昧である、あるいは曖昧なままにしているといえる。
では、曖昧な部分には何があるのか。「通り」である。
今と違いかつての町には「通り」が存在した。
ところが西洋の街づくりを真似、交通重視でつくられた現代の街(町)は
人々の暮らしから「通り」を奪い、代わりに広場という名の空間をつくってきた。
西洋における「広場」は人が集まりコミュニケーションをする場、
コミュニティーの重要な一要素だったが、形を真似ただけの広場は
コミュニケーションがすっぽりと抜け落ちた単なる「広い場」でしかなくなっている。
こうした広場(広い場)があちこちに作られていったが、
それは大小の公園があちこちに作られたのとよく似ている。
砂場と滑り台とブランコを備えていることが公園の条件だったのはそれほど前のことではない。
公園といえばどんなに小さな公園(空き地程度の)にでも名前が付いているのは驚く。
日本人の生真面目さというか役人の生真面目さというか。
役人は必ず仕事の足跡を残すのだ。
それがどんなに小さな仕事でも。
いわんや政治家と会えば必ずメモを残す。
それを「ない」と言い張るものだから、ついに官僚側のリークに合い、
メモ、メール、文書の存在を次々と認めざるを得なくなったが、
文書を出してきたのが国会閉会直前というなんとも姑息な手を使ってきた。
「通り」に共通する日本の住宅
まあ、それはさておき「通り」である。
日本の住宅は曖昧さがウリである。
西洋住宅のようにプライベート空間とそれ以外とが明確に分かれていない
(最近は西洋風にプライベート空間を設ける住宅が増えてはいるが)。
この部屋は居間、寝室などと一応の用途は決っているが、
寝室でも布団を上げればそこが居間に早変わりするし、部屋の仕切りにしてからが襖や障子だ。
襖や障子は開き戸ではなく引き戸だから、襖を開ければ二間続きの部屋に早変わりし、
人数が増えても即座に対応できる広間になる。
このように便利でフレキシブルに対応できる仕切り(境界の拵え方)は西洋の住宅にはない。
境界に対するこうした考え方は家の内と外でも見られる。
内と外の中間に存在しているのが「通り」である。
「通り」は人々が往来する道であるとともに、人が集(つど)い、
コミュニケーションを交わす「広場」的な役割も担っている。
西洋のように通り(ストリート)と広場を明確に分けるのではなく、
日本(と一部のアジア)の「通り」は通りであるとともに広場でもある。
「通り」は家の内と外の境界(中間帯)であるとともに共有部分でもある。
例えば通りを挟んで向かい合う家が存在すると、通りは両家を分ける境界であるとともに、
どちらにも属さず、またどちらが利用してもいい共有・公有スペースでもある。
西洋のコモンスペースがこれに近いが、完全なる公有ではなく
ムラに見られた入会地のような存在である。
コモンスペースは公有だが、入会地はそれとは少し違う、というか根本的な考え方が違う。
入会地はムラ(コミュニティーの構成人員)の住民の共有地であり、
コミュニティーの構成人員は自由に出入りして、そこに生えている木や草、
茸などを自由に収穫することが許されている。
入会地の財産はムラの住民の共有財産なのだ。
「通り」にはこのような側面もあり、通りを挟んだ家々は互いに「通り」を共有し、
夕食後はそこに縁台を出し、互いに涼んだり、時にはそこで将棋盤を指したりしながら
世間話に興じたりする。
そこは互いの内の延長でもあるわけだ。
こうした「通り」が区画整理で、古い町名と一緒にどんどん消えていった。
それと並行して隣近所のコミュニケーションも。
気が付いたら人は皆、家(内)、自分達だけの世界にとどまり、
外界との触れ合いをなくし、隣は何をするものぞ、我関せずと
自分の世界だけを守ろうと囲いを高く、厳重にし、これで防犯は万全と考えているが、
鍵をかけて締め出したのは泥棒だけだろうか。
高い塀で内側に閉じ込めたのがやさしい精神(こころ)、人を信じる精神(こころ)でなければいいが。