栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

テクノロジー優先の医療が漂流患者を増やす。

2019-10-06 12:45:11 | 視点

 「変わってないようですね」
診察室に入ると、こちらの姿を見た医師からそう言われた。
「いや、あれから動けなくなったんですよ。特に大腿骨から膝にかけての痛みがひどくて」
 今回、私は車いすに乗り診察室に入っているから前回と明らかに違う姿だと一目見れば分かるはずである。
それを「変わってない」」と言う医師の言葉に「お前はどこを見ているんだ」と、内心驚くとともに、少々ムッとして言い返した。
 前回の診察から今回のMRI検査までの2週間近く、こちらは歩くことも仰向けに寝ることもできずにウンウンとうなっていたというのに、
これは外れ籤を引いたかと、のっけからちょっと後悔した。

 医師は検査したばかりのMRI画像をPCに表示して「こちらが前で、これが後ろ側です」と淡々と説明する。
そこに映し出された背骨の画像を見ながら、こちらも「見た感じそんなにひどい状態ではなさそうですね」と言ってみた。
すると「ほら、ここの神経はかなり細くなっています。普通はこれくらいの大きさですから」と医師が反論する。

「じゃあ、どうすればいいですか」
「方法は3つです。1つは薬です。次が神経ブロック注射。3つ目が手術ですが」
 相変わらず淡々と、患者のことなどまるで念頭にないようにPC画面を見たまま言うから、こちらは逆に声を大きくしてみた。
「薬というのは痛み止めですか」
「そうです」
「ということは神経ブロックですか」
「神経ブロック注射は痛いですよ」
「そんなに痛いんですか」
 もうまるで耳が少し遠いお年寄りを相手にしている気分で大きな声を出し続けた。
「神経に注射するわけだから、注射そのものが痛いですよ。・・・どうしますか」

 どうしますか? 痛いよ、痛いよ、と言われて、はい、それをお願いしますと言う奴がいるのか、
と思ったが、その時ふいにある光景が蘇った。デジャブである。

 同じような光景、似た場面を福岡大学病院で経験した。妻は福岡大学病院で膵臓ガンと言われ、
当初入院していたが、その後通院に切り替えられた。
よくなったわけでも、症状が軽かったわけでもない。
ガンが発見されたときはステージ4で、医師からは「末期です」と伝えられた。
ただ、妻にはガンだとは伝えなかったが。


 担当医は外科医だった。当然、外科手術を想定していたのだろう。
ところが、ガンができた箇所が膵頭部で、手術できず、投薬と放射線治療しなかった。
放射線治療も1クール行うと、後は投薬しか残されてなく、退院して通院に切り替えられたのだ。


 そうなると外科医としては大してすることがなくなる。
これは自分の患者ではない、と思うのかもしれない。
態度が露骨に変わり、質問にもまともに答えない。
他の治療法をバカにするし、放射線医師に対しては見下し、あれは医者の部類には入らない、
というような言葉を患者の前で平気で口にする。

 そしてある時、妻が私に訴えた。
「M城先生と話しているとマイナスのことばかり言うからストレスが溜まり、病気が悪くなっていく気がする。
もう診察を受けに行きたくない」と。


 受診拒否である。
体が動かなくなるのだ。
それで転院を決意し、他の医師を探した経験がある。
 その時の光景が思い出された。
あの時は外科医で今回は整形外科医という若干の違いはあるものの、どちらも外科のジャンルだ。

 車イスを押されて診察室を出ると「整形外科で上手な先生は誰?」と看護師に尋ねてみた。
「場所はどこですか。腰とか膝とかによって担当の先生が変わりますから」
 整形外科なら腰も膝も指も皆診るだろうと思ったのは間違いで、大きな病院では専門分野が細分化されているようだ。
「そうなんだ。腰は?」
「腰なら先程のA薗先生とかB先生ですかね」
「A薗さんは上手なの?」
「はい、副院長ですし、わざわざA薗先生を尋ねて見えられる患者さんもいますから」
「そんな風には思えなかったけど、上手なのか・・・」
「話し方がちょっと突っけんどんなところがありますけどね」

 A医師の診察に不信感を抱いたのは患者の身体を大して触らず、ひたすらPC画面のデータを見、
キーボードで入力しているだけだったり、言葉が少なく患者への説明がほとんどないということもあるが、
投薬と決まった後に医師が放った一言で決定的になった。
「ではN整形外科のO先生にMRIの結果を送っておきますから、後は向こうで聞いてください。
うちは手術をするところですから投薬だけの患者さんを診ることはしませんから」

 こう平然と言い放ったのだ。
「ブロック注射は他でもできるんですか」
「小さな整形外科ではできませんよ」
「では、そのときはここに来ないといけないんですね」
 相変わらずPCの画面しか見ていない医師に声大きく確認して診察室を出た。


 福岡大学病院のM城医師と九州中央病院のA薗医師に共通しているのは「手術の腕はいい」という評判である。
彼らのプライドを支えているのは技術力の高さのようだが、それは患者を治療することとイコールにはならない。
それどころか手術をしない患者は彼らにとっては患者以下の存在になり、「もう来なくていい」存在なのだ。
彼らは優秀な技術者かもしれないが医師ではない。


 かくして痛み以上、手術未満の患者は的確な診断をしてくれ、痛みを和らげてくれる所を求めて
あちこち漂流せざるを得なくなる。

 実のところ私は最初の整形外科でリハビリにも通ったが、痛みが逆に増してき、
MRI診断をして脊柱管狭窄を確認したが、それは今回、急にそうなったわけではなく長年のデスクワークで
以前から狭くなっていたところに加齢が加わり少しずつ軟骨が擦り減った結果ということが確認できただけだ。

 今回はなぜ、急に、しかも歩行できないほどの痛みに襲われているのか、その原因は分からずじまい。
ただ激しい痛みだけは引かないのでセカンドオピニオンを探し求めて受診したが、整形外科医の見立ては変わらず。

 膝のジンジンする痛みや脚の軽い痺れを訴えても、正座はできるし、足指の曲げ反らしもできれば
脚の神経異常は認められず、結局、痛み止めの薬服用で整形外科医3人は共通。

 そうなると頼みは整骨院か鍼灸師となる。
自宅から距離がある整骨院は通うのも大変だからと、最も近い整骨院を探して行くことにした。
幸い自宅から100m足らずの所によさそうな整骨院を見つけ通っているが、300mの距離はおろか10mも
自力では歩けないのでパートナーに車で送迎してもらわなければならない。

 それで快方に向かえばいいが相変わらずの症状。
3週間も自宅軟禁状態が続けば筋肉は見る見る落ちていくし、脚の付け根の大腿骨と膝の痛みに耐えかね、
保険診療はきかないが、プロ野球選手も通っている整骨院があると聞き、
それこそ藁にも縋る気持ちというか、もうこの際どこでもいい、痛みを取って歩けるようにしてくれるなら
という気持ちになり、初回8000円をとやかく言う段ではないとばかりに通い始めた。
1、2回で結果が出ないのが身体にも懐にも辛いところだ。

 本来なら今頃は岡山県の田舎に帰省して、彼岸花の群生地に赴き写真を撮っているところだが、
今年は福岡でも彼岸花を見ることもできないのが悲しい。