栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

2020年に配信したメルマガ

2020-12-31 18:05:39 | 視点

 2020年に配信したメルマガ「栗野的視点」の一部です。

全文はHP(リエゾン九州)にアップしています。

 

栗野的視点(No.671):2025年、2030年の社会は?~流通小売り編

  http://www.liaison-q.com/kurino/2030nenretail1.html

栗野的視点(No.672):2025年、2030年の社会は?~世界は独裁化していく

  http://www.liaison-q.com/kurino/2030nenAbsolutely1.html

栗野的視点(No.673):2025年、2030年の社会は?~世界の製造業は半減する

  http://www.liaison-q.com/kurino/2030nenManufacturing1.html

栗野的視点(No.675):この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。

  http://www.liaison-q.com/kurino/Dictator1.html

栗野的視点(No.679):老々介護と施設選びの経験から見えたこと

  http://www.liaison-q.com/kurino/Nursinghome1.html

栗野的視点(No.679):「巣籠もり」作戦は本当に正しいのか、事態を打開できるのか。

  http://www.liaison-q.com/kurino/Sugomori1.html

栗野的視点(No.687):「コロナ」が変えた社会(1)~民主主義が崩壊し、戦時中に逆戻り

  http://www.liaison-q.com/kurino/PostCORONA1-1.html

栗野的視点(No.690):「コロナ」が変えた社会(2)~減少する売り上げ、増加する犯罪

  http://www.liaison-q.com/kurino/PostCORONA1-1.html

栗野的視点(No.691):「コロナ」が変えた社会(3)~世界は中国化していく

  http://www.liaison-q.com/kurino/Chinalization1.html

栗野的視点(No.695):「コロナ」閉店・倒産ラッシュが始まっている。

  http://www.liaison-q.com/kurino/Coronafailure1.html

栗野的視点(No.679):地球温暖化防止こそが焦眉の問題

  http://www.liaison-q.com/kurino/globalwarming1.html

 

 

 

 

 


年末のご挨拶(2020年)

2020-12-31 17:38:30 | 視点

 いよいよ年の瀬が押し迫って来ました。
今年1年お会いした方、親しく会食をした方、残念ながらお会いすることができなかった方など色々ですが、COVID-19には誰も罹った風はなく、皆さんの無事に喜んでいます。

 思えば今年は春からCOVID-19関連ニュースに踊らされた1年でした。徒に怯え過ぎるのはどうかと思いますが、かといって侮るのも危険です。少なくとも最低限の対策は取り、何事もなく1年を終えていただきたいと思っています。

 私は11月半ばから田舎の実家で過ごしており、正月はこちらで迎えることにしました。田舎での独り正月は免れそうですが。
 独り正月といえば今から云10年前、まだ学生時代のことを思い出します。我が家の雑煮は東京風の醤油味でスルメとホウレン草、蒲鉾、かつお節を載せた程度の大した具もない雑煮で、島原の具雑煮、博多のブリが載った雑煮とは大違いです。
 今秋、島原に旅行に行った際、具雑煮を食べたこともあり、この正月は家でも具雑煮にしてみようという話になったので、初めて我が家風の雑煮とは違う新たな正月雑煮になりそうです。おせち料理も初めて宅配で頼みましたしね。

 地方によって雑煮が違うということは学生時代に初めて知りました。四国、松山の雑煮はみそ味で、それまで雑煮は醤油味と思っていたので、みそ味の雑煮には驚くとともに、所変われば品変わる、というが本当だ。世の中広いなとある意味感心しました。
 1.5畳の部屋でアルミ碗に入れられた冷めた雑煮で、餅も溶けて形が分からず、具も何が入っているのかよく分からないような雑煮でしたが。
 小さな小部屋で小机を前に正座して食べる独り雑煮でしたが、侘しいという感じはなく、むしろ初めて食べる味と、こういう所でも正月は雑煮を食べさせるんだといことに感心したものです。

 昨日、高校の同級生が突然、訪ねて来てくれました。「車が止まっているから帰って来ているのだろうと思って」と。
 ありがたいものです。高校時代に親しく話した間柄でもなく、卒業後会ったのは今春が初めてですが、我が家には今回を入れて2度も来てくれました。いずれも突然。
 彼は今、市会議員をしています。来春の地方選にも出馬すると言ったので、70歳過ぎたら、もう出なくていいと言いましたが、推す人もあるのでしょう、出ると言っていたから、出る以上は頑張ってくれと伝えて別れましたが。

 この頃元気なシルバーが多い。人生100年と言い、頑張りましょう、常に新しいことにチャレンジしなければ、と言う人がいますが、100歳まで生きられませんよ。普通に考えれば90年です。70歳にもなれば後進に道を譲り、残りの人生は静かに、心穏やかに過ごした方がいいと私は思っていますし、そうしたいと思います。
 もう拡大・成長神話とは縁を切った方がいいのではないでしょうか。企業も経済も人も、身の丈でよくありませんか。
 今回のCOVID-19のパンデミックはそれを教えてくれたのではないでしょうか。

 私は30代は黙して語らず。深く静かに潜航し、ひたすら自分を磨くことに費やしました。40代になると少し発言をしてもいいかと思い、少しずつ発言をし出し、活動も広げました。それは同年代が経営の第1線に立ち始め、互いに話ができるようになったからです。
 50代は積極的に発言しました。それは60代で発言したのでは遅すぎる。今言わなければ、発言するなら今しかないと思ったからです。
 村上春樹はそういう意味では嫌いです。50代、60代で政治的発言をせず、70歳になってやっとするというのは卑怯。大江健三郎氏に言われたのも当然です。村上以前の作家は皆若い頃から発言していたのですから。

 とまあ年の瀬にあたり、1年、人生を振り返り、そんなことを考えたりしています。
 来年、互いに元気な姿でお会いしたいと思います。