栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

激増している警察官の発砲問題を考える

2018-11-30 11:37:12 | 視点
 最近、発砲事件が増えている--。
といっても暴力団同士の抗争事件や銃を使った殺傷事件のことではない。
犯罪を取り締まる警察官による発砲がこのところ急増しているのだ。
まるでアメリカ映画かなにかのようで、とても現実の出来事とは思えないほど簡単に銃を撃ちだしている。

 かつて日本の警察は銃の扱いには慎重だった。
いわんや発砲なんて、よほどのことでもなければありえなかった。
なぜ、いつ頃から日本の警察官は拳銃をいとも簡単に撃つようになったのか。

2018年に激増

 まず警察官による発砲事件を直近から順に列挙してみよう。

・2018年9月19日
 宮城県東仙台交番で「落とし物を拾った」と届けに来た学生に応対していた警察官が刺殺され、怒鳴り声を聞いた隣室にいた巡査部長(47歳)が男に3発発砲して射殺。

・2018年9月13日
 新潟県聖籠町で人質を取り立て籠もった男に警部補(40代)が警告後、拳銃1発を発砲し男の左膝付近を撃つ。

・2018年9月12日
 大阪市生野区で警察官が質問しようとしたところ振り切り、車をパトカーにぶつけるなどしたため男性巡査部長(27)が降りて、運転席に向け2発発砲。さらにもう1台の車も警察官に向かって後進してきたため、男性巡査長(27)が計5発発砲。男は右肩や左足を撃たれる。

・2018年5月28日
 熊本市東区の住宅街で刃物で切りつけてきた男に警察官(40歳)が5発発砲して射殺。

・2018年2月18日
 大阪市都島区・JR京橋駅近くの路上で職務質問を受けた男が刃物を取り出し抵抗したため警察官(38歳)が1発発砲。男の右足太股を撃った。時間は正午前。

・2017年1月20日
 神奈川県三浦市で男が父親に刃物で襲いかかる事件があり、警察官2人(30歳と21歳)が駆け付けたが、刃物を振りかざして向かってきたので2人が計8発発砲。弾は男の腹部に当たり意識不明の重体。

・2016年11月26日
 京都市北区で男児を切りつけた男に警察官が5発発砲。弾が男の両脚に当たる。

・2015年9月14日
 千葉県松戸市で近隣住民や飼い主に噛みついた犬を制止させようとしたが警察官に向かってきたので、警察官3人が計13発発砲して犬を射殺。

・2015年8月10日
 群馬県前橋市の交番に包丁を持って押し入り、振り回したので、勤務していた巡査部長(45歳)が男の下半身に向けて発砲。その後、取り押さえた。

 こう見てくると、いくつかの共通点に気づくだろう。
まず今年(2018年)に入って警察官の発砲が激増している点である。
2014年以前は年に1、2件。発砲が全くない年(それが当たり前だが)もある。

ハリウッド映画並みに発砲

 次に1事件あたりで発砲した銃弾の数が多い点。
例えば2015年9月は犬に向かって警察官3人が合計13発も発砲しているが、
いくら犬が凶暴で、人に噛み付き、さらに警察官に向かってきたにしても13発は撃ち過ぎだろう。
噛み付かれていた人(飼い主)も側にいたわけで、人に当たったらどうするのか。
恐らくそういうことも考えず、恐怖と集団心理で撃ちまくったのだろう。

 警察官が所持している回転式拳銃には実弾が5発装填されるようになっている。
つまり5発撃った場合は弾倉を空にしたことになり、ほぼ全員が弾がなくなるまで
「撃ちまくった」「撃ち尽くした」という言い方が正確だろう。

 2017年1月、神奈川県三浦市の発砲事件も警察官2人で8発撃っているから、
これもほぼ銃弾がなくなるまで撃ちまくったことになる。

 2018年5月、熊本の事件では1人で5発発砲。
まさに銃弾がなくなるまで撃ち続け、結果、相手を射殺している。

 2016年11月の京都市の事件でも全弾5発を撃ち尽くしている。

 もうこうなるとハリウッド映画の世界だ。
もし、弾が5発しか装填されないリボルバー(回転式拳銃)ではなく、
もう少し多くの弾が装填される自動式拳銃なら5発以上の銃弾を、
やはり撃ち尽くすまで相手に向けて撃ったに違いない。
これは恐ろしいことである。

30歳前後の若い警察官に多い

以 下 略


  全文は「まぐまぐ」から配信している「栗野的視点」

  私のHP内の「栗野的視点」でお読み下さい。



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この国は、まだ捨てたものではないかも・・・

2018-11-27 12:07:31 | 視点
 この国は、まだ捨てたものではないかもしれない--。
ごく最近、そう思いだした。実のところ、この国の未来や人類の未来に対して、私は悲観的だった。

 20世紀はまだ未来に対し多少なりとも明るい希望(それは幻想だったが)を持てた時代だったが、
21世紀に入ると世界は明らかに逆の方向に動きだした。
暴力が横行し、文明は破壊され、人の心は荒(すさ)み、国も政治家も皆内向きになり、
異なる社会や他者への理解と思い遣りはなくなってしまった。

 このような状況下で未来に楽観的になれと言う方がおかしいと思うが、
この頃、人の世もまんざら捨てたものではないかもしれないと思い直している。

 きっかけはいくつかあるが、1つは災害時のボランティア。
こう言えば「スーパーボランティア」と呼ばれている尾畠春夫さんを思い浮かべる人が多いかもしれない。
もちろん尾畠さんの活動には頭が下がるが、希望を見出したのは
ボランティアに多くの若者が参加していることだ。

 個とマスを一緒にすべきではないが、「ジコチュー」と呼ばれ、
自分中心と思われていた世代の若者達が多く駆け付けたのが阪神・淡路大震災のボランティア活動。
この国の大規模なボランティア活動はこの時が幕開けと言っていいだろう。

 それからしばらく年数が経つが、東北大震災、熊本地震、西日本豪雨などが
次々に列島を襲ったが、その度にボランティアの人達が被災地に駆け付けている。
 西日本豪雨の時は被災地域が広範囲に及んだためボランティアは集まりにくい
のではないかと心配したが、被災自治体によれば被災地全体で予想より多くの
ボランティアが参加したとのことだった。

 これは社会の未来に対する一筋の光明だろう。
この国はまだ捨てたものではなさそうだ。

 もう一つは「寄付の文化」である。
経済格差が顕著な社会には「寄付の文化」が存在するものだが、
この国にはそうした「文化」は存在してないように見えた。

あるのはむしろその逆で、金持ちは儲けることにのみ執着し、
富の分配には無関心で、金は自らが贅を尽くすためにあると考えているように見えた。

 しかし、ここに来て、といってもこの1、2年のことだが、
数億円をポンと寄付する人が相次いだのだ。

 以下に列挙してみる。

・2016年12月 京都市の男性が青森市に5億円を寄付。
・2017年 愛知県豊橋市の女性が「東日本大震災の被災地の子供のために使って欲しい」と
1億3000万円余りを寄付。
・2017年12月 青森市の男性が青森市に20億円を寄付。
・2018年6月 福岡市の男性(80歳)が九州大学に5億円余りを寄付。
・2018年6月 福岡市の同じ男性が総合せき損センター(福岡県)に1億円を寄付。

 私が知り得た情報だけでこれだけ存在する。
1億円未満の寄付まで入れれば、もっと多くなりそうだ。

 これらの事実から、日本の金持ち層も「寄付の文化」を身に付けてきた、
と考えるのは早計だろう。
というのも、ここに挙げた人達は持てる財産の一部を寄付したわけではなく、
コツコツ働いて貯めた中から全財産か、もしくは自分達が生活できるだけの金額を残し、
残りの全てを寄付しているのである。

 この辺りはボランティアに残りの人生を捧げている尾畠さんと共通する部分、
「社会への恩返し」という思いがあるように感じる。

 「寄付の文化」という意味では主体はもう少し若い現役世代か、それに近い層に
期待したいが、残念ながらこの国の現役経営者達はあまりそのことに熱心でないように感じる。
彼らが熱心なのは富の分配ではなく、富の集中の方らしい。

 持たざる者が身銭切ってでも寄付するのは助けられたり、人の情を受けた経験があるからで、
それが「お互い様」「恩返し」という言葉になって表れる。
対して、持てる者は自分の力でのし上がってきているという思いが強いから
「助け合い」という感覚はそもそもない。
あるのは「自己責任」という言葉だろう。

 それにしても疑問に感じるのは「チャリティー」と題して毎年、ショーを行うTV番組だ。
「チャリティー」を謳いながら出演者に多額の出演料を支払っているTV局。
それを何の疑問もなく受け取っている出演者。

どこがチャリティーなのか全く分からない。
彼らはチャリティーの意味を知っているのだろうか。
自分達だけギャラをしっかりもらい、視聴者から寄付を集めることが
チャリティーとでも思っているのだろうか。

 こういう番組を見ると、この国に「寄付の文化」は存在しないし、
根付かないだろうと悲観的にならざるをえない。

 それでも、大災害の度に現地に駆け付けボランティア活動をする若者が
後を絶たなかったり、寄付をする人が現れると、
この国はまだ捨てたものではないかもしれないと思ったりもする。

 この国はどこへ行くのか。
私達はこの国の未来に希望の光を照らすことができるのだろうか--。


治療の副作用だけでなく、生検リスクもある前立腺ガン(3)

2018-11-15 21:20:04 | 視点
治療法の選択を迫られる

 さて私の場合。生検の結果ガン細胞が見つかったと告げられ、その場で次の検査を指示された。
ガンのステージの確定である。それには骨シンチグラフィーという検査が必要になる。

 要はガンが前立腺の範囲内にとどまっている(局所限定ガン)か、それとも転移しているか、
転移する可能性があるかを調べるのだ。
それにより治療法が変わってくる。

 治療法は大きく分けて3つ。
手術でガンを切除する方法と放射線でガン細胞を死滅させる方法、そしてホルモン療法だ。
どの方法を取るかはガンができている場所やステージにもよるが、
ホルモン療法は手術も放射線治療も望めない場合に採る方法のようだ。

 「中リスクでした」。骨シンチ検査の結果を説明しながら、医師はそう告げた。
「初期リスクだろうと思っていましたが、中リスクですか?」
「はい、中リスクです。ただ、骨への転移はないし、局所限定ガンですから手術、
あるいは放射線での治療になります。どうされますか」

「以前にもお話しましたが手術の場合は術後、勃起障害や尿モレが起きることがあります。
以前は広範囲に切り取っていましたが、最近は技術も進化してできるだけガンの周囲だけを
切り取り、神経を傷つけないようになっていますが、それでも広範囲に切り取らなければ
ならないことがありますし、その場合は副作用がでるというリスクはあります」

 手術に限らず放射線治療でも同じような副作用はあると言い、
「どちらが嫌ですか。セックスができなくなるのと、尿モレと」
と30代後半と思しき医師は尋ねた後、バカな質問だったと気付いたようで
「どちらも嫌ですよね」と自答した。

「先生、選択肢は2つだけではないでしょう。もう一つありますね」と問いかけると
「あっ、重粒子線治療を言われていましたね。放射線治療の1つですが、それもあります」

「いや、そうじゃなく。何もしないという選択もあるでしょ」
「? 経過観察ですか。それは初期リスクのガンの場合はありますが、中リスクは」
ありえない、と言いたかったのかもしれないが、それ以上は言わず、
とりあえずまた3か月後にPSA検査をすることになった。3か月の経過観察だ。

副作用とQOLのバランス問題

 私がしばらく経過観察(監視療法)を選んだのには理由がある。
1つはガンのステージが中リスクとはいえ、初期リスクに近い中リスクだろうと感じたからだ。

 2つ目は治療の副作用である。
副作用に対する受け止め方は医師と患者では違うし、患者の間でも個々人で違うし、
また年齢によっても異なるだろう。

 だから以下は私個人の受け止め方であることを最初にお断りしておくが、
副作用は生活の質との関係で捉えるべきだと考えている。

 C病院の若手医師は私との会話の中で「セックスができなくなるのと、尿モレと
どちらが嫌ですか」と尋ねたが、「勃起障害」という言葉ではなく「セックス」と
サラリと口にした点は好意的に受け止めた。

 これは人にとって重要な問題であるからこそ、遠回しな言い方ではなく
直接的な表現で言ってもらった方が理解しやすい。
ただ、サラリと言うことが重要だが。

 「できなくなる」というのと「する、しない」というのは全く違う。
前者は物理的に不可能になるということである。
対して後者は物理的な可能性はあるということで、
それを行動に移すかどうかは主体が決められるということだ。

 自分で選べるかどうか、選べる選択肢が「ある」のと「ない」のでは精神的に全く違う。
例え結果として勃起しなくてもだ。

 次は尿モレ、排尿困難、便秘等の副作用である。
この点を治療開始前に医師がどの程度詳しく伝えてくれるだろうか。
恐らく患者側から、それこそ「こういう場合があるのでは」「こんな話を聞いていますが」
などと根掘り葉掘り尋ねない限り、通り一遍の説明で終わるのではないか。

 実は10年近く前、前立腺の粒子線治療をした友人がいる。
前立腺の粒子線治療はこの4月から健康保険適用になったが、
それまでは先進医療で費用の250~300万円は自己負担である。

 私は先進医療特約を付けていたから、治療する場合は友人が入院治療した
兵庫県の粒子線治療センターでと決めていたし、C病院の医師にもそう伝えていた。

 粒子線治療のメリットはピンポイントでガン細胞を狙い撃ちできることだ。
放射線による副作用もないに等しいだろうと、大した根拠もなく考えていた。
実際、粒子線治療をした友人は術後、普通の生活をしていたし、問題は全く見当たらなかった。

 ところが、数年前、排尿困難になり救急車で病院に運び込まれるということが数回起きた。
尿は常に出ても困るが、出なくても困る。
特に排尿困難はのた打ち回るほど痛いらしい。

 だが、友人から排尿困難で入院し導尿してもらったという話を聞いても、
そのことと粒子線治療が結び付かなかった。
しかし、これは紛れもなく放射線治療の副作用で「粒子線治療で尿管が傷付いている。
そうなる人もいる」と医師から聞かされたとのことだ。

 以来、友人は、いつ、どんな状況で排尿困難な状態に陥るか分からない
という不安から海外旅行はもちろん中期旅行でさえ行けなくなった。

 尿モレの方はどうなのか。
どの程度漏れるのか、大人用の薄型オムツ程度で済む話なのか、それでは済まないのか。

 それは個人差があるから一概には言えない、
と言われれば(恐らくそう言うのだろうが)ますます困る。

 それでなくても歳を重ねるに従い下半身は緩くなるのに、その速度を検査や治療で速めれば、
後期高齢者の年齢に突入した頃には「また漏らした!」と虐待を受ける可能性だってある(冗談)。

 そうならないためにも、はっきり効果が分からない検査や治療は
クオリティ・オブ・ライフ(QOL、生活の質)とのバランスで考えていく必要がある。

寿命への影響はほとんどなし

 ガンに限る話ではないが、治療することでその後の生活の質が守られ、
寿命を全うできるなら、誰もが治療を選ぶだろう。

その点で前立腺ガンは微妙である。
特に後期高齢者と言われている75歳以上の場合、寿命への影響がはっきり認められない。

前立腺ガンにかかっていたからといって早死したと認められるデータがないのだ。
むしろ亡くなった後に前立腺ガンにかかっていたと判明した例が結構あるということだ。

 となると治療しても治療しなくても寿命への影響はないどころか、
治療せず、あるいは前立腺ガンと知らずに過ごした方が普段通りの生活を送れたと言える。

 恐らく私の場合、健康診断でPSA検査をしていなければ前立腺ガンと気づくことはなかったはず。
自覚症状があれば話はまた別だが、一切、自覚症状も何もなかったから。

 こういうこともあり、現段階で私が出した結論はQOLを維持するために
リスクがある検査、治療はしないというだ。

 因みに直近の8月24日の検査でPSA数値は若干ながら下がっていた。
医師は「誤差の範囲内」と言ったが、検査前から今回は数値の上昇はないだろうと考えていた。

 というのは、監視療法とは言ったが何もしてないわけではなく、
今まで以上に食生活には気を付けている(気を付けてもらっている)し、
免疫力を高めるためのサプリメント(フコイダン系やキノコ系)を摂取しているからだ。
その分、毎月の出費が増えているから生活の質が維持できているかとなると若干怪しいが。

 それでも医師の言葉に従って、これ以上のリスクを負うよりはいいと現段階では考えている。

 困るのは医師が次々と予約を入れ検査をさせたがることだ。
次回も11月に検査をと言い、採血とCT検査をと言ったので
「これ以上放射能の被爆はしたくないから」とCT検査は拒否した。
すると「腎臓の結石は急に大きくなることがある」から
「レントゲンの方が放射線はわずかだから」とレントゲン検査を入れられてしまった。

 日本の医療機関、特に大病院は検査をやたらしたがる。
海外の医療機関と比べれば異常に多いと言われている。
その一方で、国は医療費を削ることに熱心で、ちょっとポイントがズレているのではないか
と思ってしまう。


生検リスクもある前立腺ガン(2)~PSA検査は曲者

2018-11-14 10:54:51 | 視点
生検の方法は2種類

 近所の肛門科の医師からは「恐らく痔からの出血だと思うから軟膏を挿入していれば
1週間もせずに止まる」と言われたが10日も続いた。
しかも止まったと思った1か月後に再度血便が数日続いた。
以来、排便直後に便の様子を確認するようにしているが、血便は生検の結果だろうと考えている。
そう考える理由は生検手術の方法にある。

 前立腺ガンを確定する生検手術の方法は2種類ある。
1つは肛門(直腸)から器具を入れ前立腺に針を刺す方法で、
もう一つは陰嚢の裏(肛門と陰嚢の間)から針を刺す方法だ。

 前者は麻酔なしでもできるが、C病院の場合、下半身麻酔をかけて行う。
術後まれに(と言われている)出血や発熱することがあるのがリスクだ。

 まあ前立腺に針を10箇所以上刺して細胞を採取するわけだから、
いかに内臓は痛みを感じないと言っても細胞が異常を感知するのは当然で、
出血や発熱があるのは当然だろう。
幸い私の場合は発熱はなかったが、肛門から器具を挿入する際に直腸のある部分(痔)が
傷付いたのではないかと思っている。

 生検による副作用は他にもある。
というか、こちらの方が重要だが、直腸から針を刺すので便による細菌感染の恐れがあることだ。
また生検後に頻尿、排尿困難、便秘等の症状が出ることもあると言われている。

 すでに見てきたように、前立腺ガンを特定するための精密検査でも副作用があるにもかかわらず、
あまりこの点は強調されずサラッと説明される傾向にあるので注意した方がいい。

PSA検査は曲者

 前立腺ガンの早期発見にPSA検査が有効なのは言を俟たない。
実際、私自身がPSA数値の異常(というほど高くはなかったが)から前立腺ガンを疑われ、
生検を通してガンと確定されたわけだが、このPSA検査というのが曲者である。

 近年、ガン細胞の発見技術は飛躍的に向上しており微量の血液や尿でガンを発見できる
(いずれもまだ実用化されてない)までになってきている。
これはガンの早期発見への道を大きく開き、歓迎すべきことではある。
ただ手放しで喜べない側面もあるが、あまりそのことは言われない。

 PSA検査もそうだが簡単な採血で分かることから前立腺ガン発見数が飛躍的に増えてきた。
このことは前立腺ガンの早期発見に繋がり、ガンでの死亡率低下に大きく貢献していると
理解されそうだが、必ずしもそうではない。


 重要なのは前立腺ガンによる死者数の減少で、ガンの発見数ではない。
どういうことかといえば、PSAの異常値=前立腺ガンではないということだ。
前立腺肥大などほかの原因でも数値は上がるし、
PSA検査による初期ガンの的中率は20%~30%と言われている。

 例えば私の場合、生検の結果、「ガンが見つかりました」と医師から告げられたが、
その際「ガンの確率は30%でした」と医師が言ったのだ。
それを聞いて、「えっ、わずか30%の確率だったか」と思ったのは事実だ。

 医師の方は30%の確率だったが早期に発見できてよかった、という意味合いで
言ったのかもしれないが、私の方はそんな低い確率しかなかったのなら
生検はもっと先でもよかったと感じた。

 そう感じた理由は前立腺ガンの特性にある。
前立腺ガンは他のガンと違い進行速度が緩やかと言われている。

そのため2、3か月先延ばしにしても、その間にガン細胞が急成長したり転移するということは少ない。

 もう1点は7.7というPSAの数値は異常に高いとまではいえない微妙な数値である。
これが2桁の数値なら即生検、治療という段階に突き進むが、
この段階では私自身は半信半疑というか、恐らくガンではないだろうが、
とりあえず精密検査をした方がいいと言うなら受けておくかというような気持ちだった。
生検のリスクに対する正確な認識が欠けていたのだ。

 「PSA検査は曲者」といった理由の1つがこれである。

もう1つはガン細胞に対する反応がよすぎることだ。

 反応がよすぎて悪いことはないはず。
早期ガンの発見に繋がることはいいことではないかと思われるかもしれないが、
ガンの中にはごく初期段階で悪性ではないものも結構あり
そういう初期ガンは放っといてもというと多少語弊があるかもしれないが、
慌てて治療しなくてもいいし、それほど怖がらなくてもいい。

 それは前立腺ガンは進行速度が遅いということも関係しているが、
治療による副作用があるからで、
治療するリスク、しないリスクの両方を考えて、どうするかを判断する必要があるだろう。




治療の副作用だけでなく、生検リスクもある前立腺ガン(1)

2018-11-13 10:46:03 | 視点
 「ああ、そうですか」。今春3月、医師から前立腺に「ガン細胞が見つかりました」と
告げられて私はそう応えた。別にショックで落ち込むこともなかった。
やっぱり今回も外れかと思っただけだ。
昔からクジ運は悪い。ほとんど当たったことがない。
お年玉付き年賀状だって最下位の切手しか当たったことがないのだから、
今回も外れたかと思った程度だった。

定期健康診断で発見

 発見のきっかけは福岡市が実施している定期健康診断。
前立腺ガンの発見にはPSAという腫瘍マーカーが用いられるが、これは血液検査で分かるから
手軽ということもあり、毎年定期的に検査していた。

 PSAの数値4以下は問題なしで、ずっと基準値以下だった。
それが数年前、ボーダラインの4に上がってきたので多少気になりはしたが、それでも基準範囲内。
多少の上がり下がりはその時の状態等にもよるから、次回は下がっているだろう程度に
思っていたし、医師から特に注意されることもなかった。

 ところが1年後、昨年3月の検査でPSAの数値が5.5になった。
泌尿器科の医師もこの数値を見て即ガンを疑ったわけではなく、
「一応念のため大きな病院で検査してみますか」という感じで紹介状を書いてくれた。
 この程度の数値ならそこまでしなくてもと思ったが、とりあえず医師の勧めに従うことにした。

 2か月後、C病院でエコー検査、CT検査、採血をした結果、
PSAの数値は5.0と若干ながらダウン。
心配するほどの数値ではなさそうだと思ったが、病院医師は「この程度は誤差の範囲内」と言い、
3か月後に再検査を勧められた。

 すると今度はわずかに上がって5.3。
上がったとはいえ半年前の5.5に比べれば下がっているわけだから
後は来年の検査でいいだろうと考えたが医師の見解は違った。

 医師はエビデンス(確証)が欲しい。どちらかはっきりさせたいのだ。
かくしてまた数か月後に再検査を言われる。
そして今年2月の血液検査でPSAが7.7を記録した。

 やっとエビデンスが得られたと思ったのだろう。
「数値が順調に上がってきているので一度精密検査をした方がいいでしょう」

「たしかに”順調”に上がっていますね」
「いや順調という言い方は間違ってました」

「そうですね。確実に上がってはいますね。絶対数値より変動数値で見るべきだと
私は考えていますから右肩上がりの数値は気にはなります」

「そうなんです。この数値だけを見れば、これですぐガンの疑いが濃いとまでは
言えませんが、数値が上がってきていますから、精密検査をしておいた方がいいでしょう」

「精密検査というのは生検のことですね」
「そうなんです。前立腺に針を刺し、細胞を採って検査するのですが、
針を12箇所刺すから痛いんですよね。いや麻酔をしますから痛みは感じないんですが、
嫌がる人は多いですね。入院も3日ほど必要になります」

 こんなやり取りの結果、生検入院を了解した。

精密検査の副作用もある

 インフォームド・コンセントが言われだして30年近くなる。
以来、何をするにも書面で同意(同意書にサイン)を求められる。
だが、「きちんと説明して同意を得た」かとなると多少疑問が残る。
一応説明はされるが、それは説明した、書面に署名してもらったという
「作業」になってはいないかと思ってしまう。

 実のところリスクや副作用のあるなしについて医師が事前にきちんと説明することは少ない。
全く説明しないと言っているのではないが、患者に正確に理解させているかどうか
という意味では甚だ疑問である。

 例えば生検で私が受けたリスク説明は「生検手術後、血尿が出ることがありますが、
長くても1週間程で止まります」
「まれに頻尿になったり、逆にオシッコが出にくくなる人もいますが、
その時はいつでも言ってください」という程度だった。

 では、実際にはどうだったのか。
尿道に挿したカテーテルを抜き、自分でトイレに行けるようになると
尿は紙コップに出して看護師に毎回チェックしてもらう。

 最初は真っ赤な尿が出て少し驚いたが、排尿回数に比例するように徐々に赤色は薄くなっていき、
「だいぶ薄くなりましたね。もう紙コップにしなくていいですよ」
と言われ、後はいつも通りのやり方で排尿。

 ところが、退院日の朝になって再び便器が真っ赤になるほどの血尿があり慌てたが、
看護師も医師も「血尿は薄くなっていますから大丈夫です」で終わった。

 不安は残ったが、退院後、自宅での排尿で驚く程の血尿は認められず、
徐々に薄くなっていったので一安心。

 ただ前立腺に針を12箇所も刺しているわけだから内部で出血しているのは間違いなく、
それは精巣にも溜まっている。
精巣に溜まっている血をそのままにしていても問題ないのかどうかは分からないし、
医師もそんなことまで説明してくれないが、射精時に真っ赤になるのはあまり気持ちのいいものではない。
せめてその辺りの説明は欲しいものだと思うが。

 ところが、2か月もたったある朝、下血していることに気付いた。
それもかなりの出血だったため、ホームドクターに電話すると、
すぐ近くの肛門科に電話して、「先生に話しておいたから、これから行きなさい」と言われた。

 実はその前に生検手術をした病院に電話し状況を伝えると予約をすぐ入れてくれたが、
それは2日後の予約にされ、その旨ホームドクターに話すと
「緊急外来で行くべきよ。分かった。それなら近くの○○先生に電話しておくから
すぐ行きなさい」と言われたのだ。

 ホームドクターはもう80歳を少し過ぎた内科の女医だが、
いつも適切なアドバイスを貰えるのと、これは自分の専門科外と判断すると、
その場で他の診療所に電話してアポイントを入れてくれるから、
信頼して他診療所での診断結果も全て報告し、私の診断歴はそこで皆分かるようにしている。

 診断の結果、下血の原因は痔による出血だと言われた。
痔の軟膏をもらい、しばらく朝晩使用するようにと言われたが、
腑に落ちないのは痔による出血である。
痔持ちではあるが、それは脱肛程度で、出血の経験はない。
だから、なぜ? という疑問が湧いた。

 考えられるのは生検による影響しかなかった。
だが2か月も経ってというのが腑に落ちなかったが、下血に気付いたのが今というだけで、
実はそれ以前(生検後)から出血していたのではないだろうか。

 第一、いままで排便直後に便の様子を確認したことはなく、
排便すれば便座に腰掛けたまますぐ流していた。
それが今回運よくたまたま気付いただけで、実は以前から(生検後から)
下血していたのではないかと疑ったが確証はない。
ただ、今回の生検手術を受けるまでは下血の経験がなかったとだけは言える。


紅く染まった「環境芸術の森」

2018-11-08 16:23:14 | 視点


 佐賀県唐津市厳木(きゅうらぎ)町にある「環境芸術の森」の紅葉がちょうど見頃になっている。

今年は台風の影響や気温の高い日が続いた(特にここ数日は夏日だった)こともあり

紅葉は各地まちまちのようだが、北部九州はきれいに色づいた。

ただし例年より1週間ばかり紅葉しているようだが。



「環境芸術の森」という名をはじめて目にした時は「なに、それって」と感じたが

手がけたのは造園建設の社長で、現在は環境芸術家を名乗っている鶴田氏。

荒廃した山野を買い、造園づくりの手法を森というより広大な庭で生かすべく

「昔の森づくり」を始めたという。



 駐車場は第3まであったから、シーズン中は多くの見物客が訪れるのだろう。

「環境の森」ではなく「環境<芸術>の森」としたのはご本人のこだわりがあるのだろうが

「芸術」とまでを感じられなかったのは、こちらがまだまだ未熟なせいなのかもしれない。



 紅葉シーズンは案外短いので今週末ぐらいがピークかもしれない。

週末は秋晴れのようだから弁当持参で出かけてみるのもいいかも。










福岡県久山町上久原地区は到る所にかかしがいる。

2018-11-02 22:45:12 | 視点


 11月4日は町内に居るかかしを見ながら5km歩くかかしウォークが開催される。

それに合わせて10月下旬過ぎから上久原地区のあちこちにかかしが現れている。

一足先に見て回ろうと自転車に子供を乗せて急ぐ若いお母さん。

小さな子供達も連れ立って一生懸命に自転車を漕いでいた。



 おばあさん達はそんなことには無関心なのか畑仕事に忙しそうな風



 「皆さんはかかしを見に行かないんですか」

「かかしウォークは11月4日だけど、かかし達は11月一杯まで居るから慌てて行かなくてもいいのさ」



 全部見て回ると5km歩くことになるから、これは結構運動になる。

久山町は日頃から町民の健康づくりに熱心な地域だけに

かかし祭りも他所とはちょっと違う趣向を凝らしている。



 それにしてもここのかかしは面白い。

道端だけでなく民家の軒先や庭にさりげなくかかしがいる。



 ここに掲載した写真はその一部だけ。

後は実際に現地で見つけて欲しいけど、ここに掲載した以外のかかしは

「栗野的風景」の10月19日、20日掲載をご覧ください。