栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

挨拶で会社の価値まで分かる?

2004-08-29 23:26:13 | 雑感
 休日は普段の運動不足解消のため、近くの里山を歩くのを日課にしている。
朝8時半前後に自宅を出発し、20分程歩いて里山まで行き、山の中の遊歩道を歩いて帰ってくる往復1時間半から2時間のコースだ。
 汗びっしょりになって帰宅後は入浴、そして昼食を済ませると大抵1時を大きく回ってしまう。
たまに運動するものだから疲れて、その日は夕方までなにもせずに過ごすことが多い。
特に昼食時にビールでも飲もうものなら、酔いも手伝って半分寝たまま過ごしている。
せっかくのウォーキングも森林浴も、これでは何の役にも立たないような気もするが、それでも運動不足解消と、精神を洗うため、できるだけ休日には歩くようにしている。
山の中でウグイスやメジロの声を聞くと、本当に精神が洗われる気になるし、俗世間の垢が落ちるような気がする。

 山を歩いていると色んな人に出会う。
同じように歩いている人、走っている人、犬を散歩している人等々。
それぞれに時間帯が決まっているというか、分かれているようで、犬を散歩させる人達は人が少なくなった10時前後に集中しているようだ。
共通しているのは、ごくまれに体を鍛えるために走っている中高生を除けば、あとは健康が気になる年齢の人達ばかりで、怪しげな人はいない。

 怪しげな、というのはその場に似つかわしくない人という意味で、例えば山の中をスーツ姿の人が歩いていれば、これは明らかに怪しげだ。
何か他の目的で山中に入っているとしか思えない。
そういう意味では皆山歩きの服装をしている。例えば私の場合は帽子をかぶり、サングラスは掛けているが、服装はジーンズにTシャツ。靴はウォーキングシュズである。
これでこの人はウォーキングに来ていると一応認知される。
それでも帽子にサングラス姿が多少怪しいと言えなくもない。
 そこでそうした誤解を招かないように、出会った人には皆声を掛けるようにしている。
擦れ違いざまに「おはようございます」と声を掛けるのだ。
大事なのは「声を掛ける」ことで、「掛けられる」ことではない。
つまり、こちらから先に声を掛けることで、相手に私は怪しいものではありませんよ、というシグナルを送っているのだ。

 挨拶はコミュニケーションの第一歩だ。
きちんと挨拶ができる会社は社内のコミュニケーションがきちんとできているような気がする。
最近、ある製造業の会社を訪問した時のこと。
擦れ違う人達が皆挨拶をするばかりか、パートの女性までが手を休めて挨拶をしてくれるのだ。事務所の人達は立ち上がって迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と。

 かと思えば、ほとんど挨拶をしない会社もある。
製造業の場合は大抵制服を着ているから、制服を着てない人間はまず社外の人間と見て間違いない。
社外の人間=商談にきている相手か、取引先の人間である確率が高い。
それなのに擦れ違って挨拶をしないのは、ユーザーのことを考えてないからか、ユーザーをユーザーと思ってないかのどちらかだろう。
そんな会社に限って自分たちが上座に座わり、こちらを下座に座らせて平然としている。
平然としているというのは多少語弊がある。
そういうことに気付いていないのだ。
これでよく営業が勤まっているなと感心してしまう。
まあ、いまごろ席程度のことで破談になることはないだろうが、その程度の会社かと扱われるのは間違いないだろう。

 それはさておき、挨拶はセキュリティにもなる。
用もない人間が社内に入るのを防ぐ役割もするからだ。
挨拶をするということは、あなたのことをきちんと見ている、というシグナルを送るのと同じことで、送られた方に無言のセキュリティを掛けていることになる。
このような基本的なことがきちんと行われるかどうかが、その会社の価値を決めていく。
たかが挨拶、されど挨拶だろう。

ラブホに見る昨今の男女関係

2004-08-26 20:24:17 | 雑感
 私のオフィスはつい1年前までは福岡市中央区今泉に置いていた。
といっても市内中心部の地理や情報に詳しくない人には地名を聞いても何のことか分
からないだろうが、今泉といえば一昔前はホテル街の代名詞である。
 最近でこそ開発が進み、どんどん新しいマンションが建ち、若者向けのショップや
飲食店が次々にオープンしているが、天神とは通り一つ隔てただけなのに、夜間一人
で歩くのは多少はばかるような雰囲気があった。
 そう、この辺りにあるホテルはいわゆるラブホテル(いまではファッションホテル
と名を変えているが)なのだ。
そのラブホテル街のど真ん中に私の事務所はあったから、事務所への行き帰りに否応
なくラブホテルに出入りする二人連れを目にしてきた。

 今泉に最初の変化が起きたのはビックカメラが西鉄電車の高架下に長さ200mの細
長い店舗をオープンしてからだった。
ビックカメラの照明で夜10時過ぎまで明るくなったこともあり、それまでの薄暗いイ
メージがなくなり、やたら明るくなったのだ。少なくともビックカメラの照明が届く
範囲は。
こんなに明るくてはさすがに入る人も減るだろうと思っていたら、案の定、ビックカ
メラに最も近いラブホテルは取り壊して時間貸しの駐車場になった。
だが、それも1軒だけで、残りは相変わらず営業を続けているから、やはり人間の欲
望には尽きるところがないということだろう。

 様変わりしたのはそこに出入りする人達だった。
一昔前なら人目をはばかり、周囲に人がいないのを確認してサッと入っていたもので
ある。
ところが、最近では実に堂々としている。
堂々としているのは男性ではなく女性なのだ。
昔は男が先に入り、その後ろから女性がうつむき加減に付いて入っていたものだ。
それが今では逆で、女性が先に入り、後ろから男性がうつむき加減に入っていくのだ
から、ケツを蹴飛ばしてやりたくなる。

 それにしても最近の20~30代は女性上位というか、男がひ弱になったというか、な
んとも嘆かわしい。
これでは女性が同世代の男性に飽きたらず、うんと年上か、年下を相手にせざるを得
ない気持ちがよく分かる。

 これが週末ともなればもっと面白い。
昼間から夕方にかけてホテル街を通行する車は、一人乗りを除きほぼ例外なく入るホ
テルを物色しているのだ。
ところが、ここでも男女の逆転現象が見られる。
従来の常識(?)からすれば、運転する男の目が妖しく光り、助手席の女性は恥ずか
しくて顔を伏せていたものだ。
それが今では助手席、運転席に関係なく、女性の目が周囲を彷徨い、入るべきホテル
を探しているのだ。
当然、前を見ていないから、こんな車に出くわすと危なくて仕方ない。
中には入るホテルを指さす女性もいる。
男は黙って従うだけだ。
 最も驚いたのはうら若き女性が20歳前の男の手を引っ張ってホテルに入るのを目に
した時だ。
男はまるで観念したように女性に手を引っ張られ、後ろからまるでいやいやをするよ
うに引きずられて入ったのを見た時は、世も末と思ってしまった。
 もちろん、昔ながら(?)に会社の上司と部下と分かる二人連れもいるが、日曜日
の朝に20歳前とおぼしき女性二人連れがコンビニで食べ物を買ってホテルに入ってい
く姿を見た時は理解に苦しんだ。
ラブホの利用方法も変わったのか、それともレズビアンだったのか・・・。

 朝ラブホから出勤するカップルもいれば、夕方、ラブホから出てくる若いカップル
もいたり、まるで人生の縮図というか時代の移り変わりを見る思いがするが、微笑ま
しい光景を目にしたこともある。
60代後半とおぼしき男女がラブホから出てきた時だ。
見間違いではない。日曜日の朝だったと思う。ラブホのノレンをくぐり出てきたのが
お婆さんとお爺さんだったのだ。
実際、女性の方は少し腰が曲がっていたように見えた。
これには一瞬びっくりしたが、微笑ましい光景と私の目には映った。
恐らく家では子供夫婦の目があり、Sexも自由にできないのだろう。
だから、週末たまたま見かけたラブホに入り、久し振りに愛の交換をしたに違いない。
果たして結合できたかどうかまでは分からないが、恐らくその二人にとって結合でき
るかどうかはどうでもいいことで、裸で抱き合い、互いをむさぼり合うスキンシップ
にこそ意味があったのかもしれない。
とはいえ、昨今では老人ホームでさえ性が問題にされる時代だが、性のエネルギーが
生に通じているのは間違いないようだ。
さて、自分にはいつまで生のエネルギーがあるのだろうと、つい考え込んでしまった。