栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

介護の基本方針(読者から)

2015-06-22 12:06:19 | 視点
 実は小職(太田)の母も97歳になり、実家の福岡県福智町の介護ホームで15年強暮らしております。丁度、町役場で保健婦・看護師をやっていた長女が実家に暮らしており日々のケアを有り難くもやってもらっております。
先日、骨折したため救急車で運ばれその見舞いも含め今後の手配の打ち合わせに今週末九州へ帰る予定です。

今まで、母は20年程前に膝に人工関節を入れ、10年程前に胃がんの手術をし、姉のリハビリ指導のお陰で見事回復しました。今回はベットから落ちて人口関節部分の骨折です。姉とも話して手術に耐えるかのところよりもギブスで固定を考えた方が良かろうとの結論になりました。

我々は世代的に当然の事ながらその様な時代に入ったものと理解しております。その他にも色々な形での介護を見て来ましたが、それらから現在持っている基本方針は以下です。

1.介護に付いては遠くにいる人は日常一番近い所で見ている人の言う事を最優先で聞く。決して局面的な一過性の意見で命令的な言い方は勿論、最終指示を出すべきでは無い。日常は言葉では言い表せない位多くの事が正に日常茶飯事で起きている事は自分自信の周りに目をやれば直ぐに気が付くが、肉親と言う事からでしょうか、直ぐにこうしたら良いとの局面的意見が全面に出がち。
2.医療等セカンドオピニオンを得る体制に日頃から注意を払う。小職(太田)の場合はその意図は無かったのですが、卒業直ぐから高校や大学の色々な集まりに顔を出し続けていた事が結果的に非常時の意見徴収が出来て入る結果かとなっています。
3.遠くにいても何も無くても機会ある毎に顔を出して介護を見ている人のみならず関係者に「遠くにいても見ていますよ!」との印象を植え着ける。これは日常近くで見ている肉親には特に遠くにいても相談相手がいると言う心強さの基になると思います。

高齢化が進む中で一方では格差の拡大や少子化が社会、特に若者の世界に蔓延りつつあると思います。置かれている環境での自立化と同時に出来る範囲での相互扶助が今求められているのでは無いでしょうか。
しかし日本に戦後はあった平等に教育を受ける権利(機会)が失われて行く今日此の頃は未来の希望が見い出せないのが現実ですね。其れでも個人的には例え微力でも何とかしようと思っているところです。
しかしやってみると微力ですね。

From: JST 太田辰夫

スマホがタイムセールで8,000円

2015-06-12 16:36:28 | 視点
 SIMフリーが義務付けられたとはいえ大手キャリアのスマホは相変わらず

2年縛りなどがあり、SIMフリーとは言い難いのが現状。

SIMフリーにすれば月々の通信料が安くなると分かってはいても中々踏み切れ

ない人も多いはず。

セット販売ではなくスマホ単体で買って、とりあえず試してみたい、という人も

いるだろう。

しかし、そのためにスマホに何万円も払いたくないだろう。

そんな人にお勧めがエヌ・ティ・ティレゾナントが本日、タイムセールで提供しているスマホ。

いままではSIMとセット販売だったが、今回はスマホ単体販売というのも買いやすい。

スマホはコヴィアの「Fleaz F4」。

通常は11,852円(税抜)でSIMとのセットでなければ買えなかったが、今回は

スマホ端末のみ8,000円(税抜)。

これならちょっと試しにスマホをという人も買いやすいはず。

コヴィアのスマホは私自身も使っている。

私が使っているのは「Fleaz F5」。

Fleaz F4とF5の違いは液晶の大きさで、前者が4インチ、後者が5インチ。

Fleaz F5を使った感覚から言えば、5インチは少し大きい。胸ポケット等に入らない

女性でも持ちやすく、男性の場合は胸ポケットに入るサイズのスマホとして

「Fleaz F4」はピッタリだろう。

本日のみのタイムセールということだから、希望する人は急いだ方がいい。






母を連れて8時間の車旅

2015-06-12 10:26:54 | 視点
 先月末からホコリとゴミの中で生活している。誇りはとっくに捨て、いまやすっかり丸くなったはずだが、やっかいなのは部屋の各所に長年棲み着いているホコリ。書棚の奥の本や段ボール箱、カセットテープの上など、どんな所にも入り込み、そこにしっかり根を下ろしているから堪らない。
 一方、室内はというとあらゆるものが散乱し、足の踏み場もないとはまさにこのこと。かろうじてベッドの上とダイニングテーブルの上だけわずかなスペースがある。これで食べる所と寝る所は確保。そして空気清浄機を回しぱなしにして寝ている。ゴミ屋敷の一歩手前という感じだが、こんな環境でも普通に生活できるから慣れとは恐ろしいものだ。

 なぜ、こんな状態なのかといえば、シュウカツを始めたからだ。生前、弟からよく言われていた。「兄貴、荷物を片付けとけよ」と。「要るものと要らないものは分けとってもらわな俺達には分からんからな。俺達にはゴミでも兄貴には大事なモノがあるやろ」。
 さすがは我が弟。よく分かっている。せめて私が大事にしているものは処分せずに残してやろうという気持ちが嬉しかった。
 たしかに「終活」をしなければいけない年齢になっている。その自覚はあった。特に独り身。身軽にしておかないと、後始末をする人間に迷惑をかける。よし、分かった。終活をするぞと意気込んだものの、それからでもすでに数年経ってしまった。
 とにかく何をするにも遅い。体重は軽いくせに、尻だけは重い。今日できることは明日まで伸ばすな、などとは生まれてこの方考えたこともない。むしろ、明日でもいいことは今日するな、という考えというか、優柔不断、即断即決をせず、問題を先延ばしにするタイプだから何事につけ遅い。ノロマ、グズの部類と言ってもいいかもしれない。よくこれで執筆活動ができたものだと思うが、関係者には多分に迷惑をかけてきたに違いない。

 私に終活を勧めた弟がまさか先に逝くとは思いもしなかったが、それが現実になると新たな問題が起きてきた。母をどうするか、どうすればいいのか。
 すでに92歳を超えており、いつお迎えが来てもおかしくない年齢。それでも、ある人に言わせれば、いやいや100歳までは生きますよ。うちのお袋もそうだったから、と。いや、そんなに長生きしなくてもいいんだけどなどと、つい不謹慎なことを考えてしまう。
 一説によれば人は100歳まではなんら問題なく生きられるらしい。しかし、長生きするのがいいことなのかどうか。植物人間のようになって生きていても、とは誰しも思う。「長生きしたいとは思わん。でも、お迎えがこないから仕方ない」。母の口癖だ。実際、年齢を考えれば、まだ「丸ボケもせず」と本人が言うように、認知症とはいえ、まだ普通に会話ができるから年の割にはしっかりしている。とすると100歳までというのはあながち間違ってもいないような気がする。

 もし、100歳まででも生きるなら母の側にいてやらねばならない。私が田舎に移り住むにしろ、母を福岡に呼ぶにしろ。まだいまのうちなら1、2か月に一度、長距離運転をしても帰省が可能だが、こちらもそう若くはない。むしろ今後、体力は衰える一方だからいままでのようなわけにはいかなくなる。母もどんどん弱っていくだろうし、そうすると施設から急遽呼び出されることも増えるだろう。しかし、いまの状況では即座に対応が出来ない。そんなことを考えると、いずれ近い内に近くで住む決断を迫られる。その時に母と私のどちらが動くかだ。
 問題は母の年齢である。93歳まで数か月に迫った年齢で長距離移動が耐えられるかどうか。もう一つは生まれてこの方地元を離れたことがない人が見知らぬ土地に移った場合、認知症が急激に進みはしないかという点だ。
 では、私が田舎に移り住むか。5、6年前まで田舎で生活するなんて考えたこともなかったし、田舎の生活は自分に向いてないと思っていた。それがこの数年、案外田舎の生活は肌に合っているかもと思い出していた。中国自動車道ICまで10分余りで行ける実家はどこに移動するのも比較的楽で、私の趣味生活を満足させてもくれる。
 だから、もし母が故郷を離れるのは絶対嫌だというなら、帰省して田舎で自給自足めいた生活をしようと密かに決心もしていた。

 まあ、母と私どちらが移動するにしてもリスク、デメリットがあるが、とりあえずは二正面作戦で望むことにし、福岡でも老人施設を見学し、そのうちの何箇所かには申し込みもしておいた。ただ、待ち人数を聞くと、とても可能性がありそうには思えなかったが。
 その一方で折に触れ、「福岡へ来るか?」と尋ね、母の気持ちを何度も探った。一度ぐらいではその時の気持で返事をすることがあるから、何度もそれとなく尋ね、返事が一度も変らないというか、本人の方から何度か「福岡へ行ってお前と生活したい。同じ家で住むと、お前の仕事の邪魔になるから、福岡の施設に入れてくれればいい。近くに行けば何度も会いに来てくれるだろう」と言うのを聞き、これなら福岡へ連れてきても大丈夫かもしれないという気になっていた。
 母が掛かりつけの医師にもアドバイスを求めたが、環境を変えるリスクはあるが、肉親と距離が近くなるメリットもあり、一概になんとも言えないとのことだったので、福岡へ移住させる方に気持ちが傾いてきた。

 事態が急展開したのは4月下旬。ちょうど岡山で講演する機会があり、その前後1週間ほど帰省していた時に福岡のグループホームから空きが出たので入居できると連絡が入った。
 入居申し込みはしていたものの、その順番は当分来ないだろうと思っていただけに、まさに予期せぬ連絡。急なこと故、対応もなにも考えていなかったが、この機会を逃せばかなり先になるかもと考え、慎重居士の私にしては珍しく即断即決。田舎での入居施設を土曜日に退所し、翌日曜日に母を車に乗せ、福岡へ連れてきた。
 移動は車。92歳の母にとって8時間もの長旅は大変だったと思うが、文句ひとつ言わず乗ってくれていたのには感謝。それというのも今回のために休みを取って福岡から来てくれ、道中ずっと母の隣で話相手をしてくれた彼女のお陰であり、2人にただただ感謝。
 福岡のグループホームは自宅から車で7分程、歩いても30分の距離。近くに呼んだことで取り敢えずは安心。今後なにかと問題が起きるかもしれないが、その時はその時のこと。考えても仕方ないと腹をくくる。








ケータイ、スマホ、タブレット、最強の組み合わせは

2015-06-04 12:12:06 | 視点
 モバイル端末市場に変化が見えだした。
年々出荷台数が減少し、このままいけばかつて隆盛を誇ったワープロ専用機や電子手帳などの
二の舞いになるのかと危惧されたフィーチャーフォン(従来型携帯電電話機、以下ケータイ)
が、ここにきてごくわずかとはいえ巻き返しの動きが見えた。
2008年以降、初めて前年増に転じたのだ。一方、いままで順調に伸びてきたスマートフォン
(以下スマホ)の出荷台数は2年連続で減少している。

 個人的な感想を言えば、いままでが異常で、ケータイの出荷台数は今後ももう少し伸びるの
ではないかと思う。
というのも、スマホの伸びはドコモ、au、ソフトバンクの3大キャリアの商戦に乗せられて
伸びてきた分も多分にあると思われるからだ。
そこに日本人の横並び意識、流行に乗り遅れたくないと意識も働き、3大キャリアに踊らされ
猫も杓子もスマホを使うよう仕向けられている。
 ところが、いざ使ってみると年配者には操作が難しい、使わない機能がケータイ以上にある。
そしてなにより通話料金が高い。

 早い話がスマホの一番の問題点は通話料金が高いことである。
その次に使わない機能が多い。使わない機能のために金を払うこと程バカらしいことはない。
 3つ目が重い、大きい、バッテリーの持ちが悪い。

 また店頭に置いてあるのは高機能レンジばかりで、単機能レンジは安かろう悪かろうという
気がする。
かくして結局、高機能・高価格な電子レンジを買ってしまうという構図によく似ている。
どうも日本人はメーカー、販売店の言いなりになりやすいらしい。

 それはさておき、スマホ、ケータイ(フィーチャーホン)、タブレット、持つならどれが最
強の組み合わせだろうか。

1.通話主体で通話料を安く抑えるなら

2.通話料が少なければ900円台プランを

3.「楽天でんわ」でスマホもケータイも半額

4.ケータイとタブレットの最強セット

5.SIMフリースマホとケータイのセット

6.種類が増えてきたSIMフリースマホ

7.ケータイ、Windowsタブレットのセット

       (略)



 ☆全文は「まぐまぐ」内の下記「栗野的視点」ページから
  http://archive.mag2.com/0000138716/20150502132126000.html



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