栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

天神のデパートは地下街延伸でどう変わったか。

2005-02-28 06:35:20 | 視点
苦節1年半、復活を賭けた大丸

 前回触れたように地下鉄七隈線の開業、天神地下街の延伸で地下街は連日人出で賑わっている。
さて、その恩恵を受けたデパートは岩田屋、大丸、三越のどこだろうか。

 地下街が延びたのは南へ250m、地下鉄七隈線の天神南駅が開業したのは大丸の南端。
となると地理的に最も優位なのが大丸なのは間違いない。
事実、七隈線の開通と同時に最も多くの人出で賑わったのは大丸だった。

 大丸はこの日をどんなにか待ちわびたに違いない。
地下街工事のために大丸北側地下出入り口と地下街との連絡通路が閉鎖されたのが1年半前。
以来、地下街から大丸への直接移動はできなくなり、一度地上に出て1階出入り口から入り直すしかなかった。
そのためどれだけお客さんに不便をかけてきたことか。
言い替えれば来店客数の減少にどれだけ大丸が苦しんできたことか。

 岩田屋の新館オープン、それに対抗した三越の改装にもじっと耐えてきた。
本来なら三越と同じ時期に、岩田屋の移転オープンに対抗して改装をしたかったに違いない。
それでも忍の一字で堪え忍び、やっと地下売り場の改装に着手したのが年が明けてから。
新地下街オープン・地下鉄七隈線開通にすべての照準を合わせてきたからだ。
よくぞ我慢したと言ってやりたい。
その甲斐あって新地下街・地下鉄開業の恩恵を最も受けたのは大丸だった。

人の流れは大丸へ

 地下鉄・天神南駅の乗降客が目の前の出入り口から大丸に入るのはもちろんだが、地下街の通行客も大丸に吸い込まれるように入っていくのはなぜか。
一つにはいままで閉ざされていた大丸への通路が開通したことの目新しさと、大丸地下売り場のリニューアル効果がある。
 だが、それだけで大丸への流れが出来たわけではない。
人の流れは水の流れと同じで、流れやすい方に流れる。

 では、大丸への流れやすさを形作っているのは何か。
それは地下鉄天神南駅の位置と大丸の北側通路の位置、それに地下街通路幅の差である。
 実は地下街の通路幅は東側と西側では差があり、東側通路の方が広くなっている。
そのため両通路に人が一杯の場合は東側の通行客の方が多くなる。
つまり大河の流れが東側通路に出来、イムズ、大丸へと人が流れていきやすくなる。

ベクトルを持続させられるかどうかが課題

 では、この流れが今後も続くのかどうか。
通路幅はたしかに東側の方が広いが、それがそのまま大河となるのは飽くまで人が一杯の時で、人通りが50ー60%の時は逆になる。
 レストランや飲食店でよく見られる光景だが、客が入っていない店はますます客が入らず、客が多い店にはますます客が入るように、人は群れたがる動物である。
 この心理を逆に利用して、行列を作ればどんどん人を集めることができる。こうして流行る店を演出するところもあるし、三越などはこのやり方をうまく取り入れている。

 それはさておき、東西のベクトルを比較してみよう。
東側に位置するのは天神コア、イムズ、大丸、ベスト電器だ。
西側にはソラリアステージ、ソラリアプラザ、バスセンター、西鉄福岡駅、三越、岩田屋本・新館、ビックカメラ、大名地区が位置している。
 このようにざっと見ただけでもベクトルは圧倒的に西側が強い。
東側は奥行きの広がりがベスト電器しかない。
しかも、ベスト電器はビックカメラに客を奪われ、ベスト電器自体のベクトルも弱い。
 こう見てくると東側に位置する商業施設が不利なのはいまさら説明するまでもないだろう。

 つまり街という広がりで見た場合、残念ながら大丸は不利と言わざるをえない。
では、それらを跳ね返し、集客するだけのベクトルが大丸にあるかどうかだ。
 次回は三越等の動きも含めて見ていくことにする。

天神地下街延伸でどう変わる。

2005-02-26 15:52:23 | 視点
 2月2日、天神地下街が南へ230m延伸した部分がオープンし、翌3日には地下鉄七隈線も開業し、地下街は大賑わいだった。
 さて、新地下街の開通で何が変わり、何が変わらなかったのか。
まず新地下街と旧地下街を比較しておこう(便宜上、以前からの地下街を旧地下街、延伸した部分を新地下街と記す)。

 ハード面で大きく変わったのは2点。
1.通路を歩きやすくした。
 天神地下街は19世紀ヨーロッパの街並みをイメージしたとかで、照明を落とし落ち着いた雰囲気を演出(その実、暗く感じの悪い地下街になった)し、歩道はデコボコのレンガ敷きにした。そのためハイヒールでは歩きにくく、また靴も傷むと悪評紛々だった。
 落ち着いた雰囲気の演出とはいうが、犯罪が起こりそうな暗いイメージになり、実際、1、2年前から地下街での恐喝等の犯罪が増えている。
 こうした反省に立ったのだろう、全体的には旧地下街のイメージを踏襲しながらも、まず不評だったデコボコのレンガ敷きを廃止し、歩きやすくした。

2.圧迫感をなくした。
 旧地下街は暗い上に天井が低くため、重苦しい圧迫感があったが、新地下街ではこの2点を排し、全体的に明るくしている。
 イ)まず、照明は格段に明るくなっている。
これは通路の照明だけでなく店内の照明も明るくなっているため、かなり明るくなったという実感。
 照明を明るくすることで商品の見栄えはよくなるから、ファッション関係の商品は売り上げが上がるはずである(もちろん落ち着いた照明の方が売り上げが上がる商品もある)。
 いずれにしろ、明るい地下街の方が人は集まる。

 ロ)次に、天井を少し高くした。
 天井をドーム型にして少しでも高く感じさせるようにしている。
本当は実際の天井丈をもっと高くして欲しかったが、旧地下街との連続性の関係でそうもいかなかったのだろう。
 実際、旧地下街と新地下街の境目の辺りはかなりの傾斜が付いており、新地下街入り口辺りのショップは間口の両端で15~20cmの高低差がある。

 新地下街のウリは九州初上陸の25ブランドを含め53店が出店していることだが、これが天神全体の魅力を高め、地下街の売り上げ増になるかどうか。
 結論から言うと難しいだろう。
理由は新地下街の出店店舗の大半が20ー30代の若い女性向けだということ。
福岡の人は新しもの好きだから最初は物見遊山にどっと繰り出すが、熱しやすく冷めやすい行動パターンであり、長続きはしない。
 またターゲット層からして地下街全体の売り上げアップにはつながらないだろう。

 ただ、地下街の通行客数は間違いなく増える。
特に寒い日や暑い夏日、雨の日には間違いなく通行客が増える。
回遊性が高まったのも事実だ。
 しかし、地下鉄七隈線が当初見込みの11万人/1日を大きく割り、初日の乗客数は7万4,000人しかなかった。
初日でこの人数だから、今後この人数を上回ることはまず考えられない。
となると新地下鉄線オープンの経済効果もそれ程は見込めないということだ。
 次に、天神のデパートへの影響だが、それは次回に触れる。

中小企業の技術を紹介し続けて

2005-02-16 14:36:36 | 視点
1.きっかけは87年の円高・海外移転・産業空洞化

 なぜ私は今のような活動をしているのか、つまりリエゾン九州のような組織の立ち上げも含み、九州の技術系企業の取材を続けているのかといえば、きっかけは85年のプラザ合意後、急速に進み始めた円高である。
 87年の暮れには1ドル=121円という当時の最高値を記録し、企業は円高に怯え、先を競うように海外移転に走り出した。
その結果、危惧されたのが国内の産業空洞化である。

 当時の論調は、マスコミも含め生産拠点は海外に移し、国内には頭脳部分を残すという国際分業論が中心だった。
とにかく、海外移転しない奴はバカだという見方が広く占めており、有名な○○総研のセミナー辺りでも皆そういう論調で、やがて1ドル=100円を切る時代が来ると言っていた。確かにそうなったが、それは15年も後のことである。
 もう一方では、若者の理系離れが言われ、理系の学生が金融など非理系に就職する傾向が顕著になった。

 この2つの動きに、私はおかしいと感じた。
過去の歴史からも明らかなように、国内から製造拠点がなくなった国はその後例外なく疲弊していっているというのが1点。
 もう1点は、大手は海外移転できても、海外移転できない中小はどうすればいいのか。日本は、とりわけ九州は中小企業が支えているのであり、その中小企業が成り立っていかない施策はおかしい。
 では、どうすればいいのか。
つまり、どうすれば中小企業は生き残っていけるのか。
そのために私は何をなすべきか、を考えたのだ。

2.東北大・大見忠弘教授との出会い

 私の活動を決定付けたのは東北大・大見忠弘教授との出会いだった。といってもご本人は私のことなど記憶にもないだろうが。
 たまたま91年春、92年春と朝日新聞社の仕事で大見忠弘教授をインタビューする機会に恵まれた。
 その時、大見教授の半導体産業に対する広い視野というか、詳細はここでは省くが、私利私欲を離れた半導体伝道師のような熱意に触れたのである。
それと同時に、違う角度からの発想がいかに必要かということも。

 この時から私は取材活動の軸足を技術系企業の紹介に本格的に移していった。
その時点までの私の疑問と九州のテクノロジーの将来に対する懸念は「九州のテクノロジーに未来はあるか」と題して、当時、地元経済誌に書いた。
 詳細はリエゾン九州のHP「九州の技術」に収録しているので、そちらを一読頂きたい。

 見出しだけ紹介しておく。
 ・自力でなかった九州経済の浮揚
 ・なぜ高度化しない九州のテクノロジー
 ・地場と進出企業の技術交流が必要
 ・国内と海外から挟撃される九州
 ・夢を語れない技術にそっぽを向く若者
 ・地場のバックアップに大学人の奮起を望む

 この時の指摘は今でも通用すると思っている。

3.中小企業の技術を紹介する

 大見教授ではないが、伝道師が必要である。
私にその役ができるとは思わないが、中小企業活性化のために自分にもできることがあるはずだと考えた。

 人は持てる武器で闘わなければならない。
では、私の武器とは何か。
それは書くことである。
しかも、85年当時の第2次ベンチャーブームの頃からベンチャーの取材は続けているから、ベンチャー・中小企業の技術を書くことはできる。

 となると、あとは掲載媒体選びである。
専門誌ではなく一般経済誌をと考えた。
それは多くの中小企業が製品を売りたいのに、販路の問題を含め売る術を知らないか、困っていたからである。
つまり製造業の弱点はユーザーへのPR不足である。
魚を釣るには魚がいる所に釣り糸を垂らさねばならないのと同じだ。
専門誌で紹介しても同業者が見るだけで、販売にはつながりにくい。

 このような理由から、当時、九州で発行されていた経済誌に話をして「九州テクテク物語」と題した連載を開始した。
「テクテク」とはハイテク・ローテクの略であると同時に、てくてくと歩くように地道に頑張っている企業という意味を込めた。
94年から4年間、その雑誌が廃刊になる直前まで連載を続けた。
こだわった商品を作っている企業や、優れた技術を持ちながら、あまり知られていない企業を九州一円から探して載せた。
取材費は出ないのに宮崎、鹿児島にでも取材に行ったから、収支決算を考えたら完全に赤字である。
それでもそれが自分に与えられた使命と思い取材し、原稿を書いた。
これではボランティアと同じと思うが、今でも同じことをしている。
威張って言えることではないが、だから今でも金には縁がない。
霞を食って生きているようなものだ。

またやっちゃった。

2005-02-15 10:35:42 | 雑感
 性懲りもなく、またやってしまった。
もう止めようと思っていたのに、悪い癖はどうしても直らないようだ。
始まる前までは講演料に見合った内容で、それ以上のサービスはしない。
話は1時間、延長なし、と決めていた。
 ところが、話し始めると止まらない。
1時間半も話し、その後の質疑応答も含めると2時間も講演してしまった。

 どうも手抜きが出来ない性格なので困る。
全力投球だから、後で疲れてぐったりする。
でも、熱心な顔を見たり、話に頷く顔を見ると、ついついサービスして持っている知識を全部披露してしまう。

 昨日講演した内容は「街とディベロッパーと販売」について。
久留米の某商店街テナント会に呼ばれての講演である。
当日の午前中までは本当に適当に流すつもりだった。
多くの講演者達のように淡々と喋って、はい終わり、にしようと思っていた。
それなのに2週間前に現地視察までしてしまった。
まずこれが最初のミスだ。

 講演会場に向かう2時間前に、それでもと思い、自分用の簡単なレジュメを用意したのが2番目のミス。
これで自分が乗ってしまった。
結果は冒頭から全力投球。
直球をビュンビュン投げまくってしまった。
会場に持参した拙著「日本のゴルフ場が危ない!」も持参した数だけ買ってもらえたし、サインまでしてくれと頼まれたから、講演内容には満足してもらったようだ。
それでよしとしよう。

賢い士業の使い方

2005-02-13 08:16:20 | 雑感
 今月は「賢い士業の使い方」と題して山下経営法務事務所・山下統温所長(行政書士)に話してもらいます。
 規制緩和はいろんな箇所で行われていますが、この数年、士業の分野でも大きな変化が見られつつあります。
 例えばいままで弁護士の専売特許のように思われていた裁判に関するものでも行政書士、司法書士が担当できるようになりましたし、特許関係でも弁理士以外が担当できるように門戸が開放されつつあります。
 こうしたことは我々にどのように関係してくるかといえば、まず選択肢が広がるということです。
相談する相手を選べるようになったということは、上手に選べば経費の大幅な節約になるということで、企業経営にとっては無関心ではいられない問題だと思います。
特に今後、行政書士の役割が大きくなってくると思われます。
いままで弁護士に頼んでいたのを行政書士に頼めば経費が1桁下がったという話もあります。
 山下氏は難しい話も分かりやすく話し、楽しく聞かせてくれる人ですので、今回は非常に役に立つと同時に楽しい講演になると思います。
 是非ご参加下さい。

             --記--

●日 時:2月19日(土) 13:30 ~ 17:00
    ★(例会は基本的に第3土曜日に開催します)
●場 所:福商会館(大名1-12-57)の2F
      天神西通り、岩田屋本館(旧Zサイド前)の前に大福うどん、
      ケンターッキーフライドチキンがあり、その角を赤坂方向に
      入ると角から2、3軒目左手のビル(1FにPumaの赤いショップ)

●内 容:
1.「賢い士業の使い方」
  講師:山下経営法務事務所  行政書士・山下統温 氏

   山下氏は福岡県行政書士会中央支部長、NPO法人安心ネット理事なども
  されています。

2.発表企業 「どこでもガーデン」
  発表者:ALU建築システム研究所・藤田初雄氏(一級建築士)
  発表目的:販路拡大

   アウトドアでガーデニングが出来ない身体障害者やご老人が車椅子で
  使用できるミニガーデンセット

●例会参加は誰でも自由です。
  参加費用:会員・非会員共に1,000円。
 
●例会後、懇親会を予定しています。
   予算3,000円程度。

●例会・懇親会とも参加申し込みは事前に!
   当日、会場準備の都合上、極力事前に参加申し込みをお願いします。


☆ ☆
[リエゾン九州設立趣旨]
 九州には素晴らしい技術を持った中小企業、頑張っているベンチャー企業がたくさん存在します。
ところが残念なことに、それらの多くはヒト・モノ・カネ・情報の面で不足しています。
 とりわけ技術系企業の場合、開発力はあるが商品力がない、販路面の開拓が弱い、つまりマーケットを意識した商品開発を行っていないために、せっかく優秀な技術、いい商品を持っている企業が埋もれたままになっています。
 たしかにベンチャー・中小企業はないないづくしですが、それら不足しているリソースを外部からサポートすることで、ベンチャー・中小企業を元気にし、九州の経済を活性化したい。
 そう考えたのがリエゾン九州設立の動機であり、各分野の異能の人々を集め、活動を続けています。
 因みに「リエゾン」とはフランス語で「懸け橋」「橋渡し」という意味です。
ベンチャー・中小企業とマーケットの間の橋渡しをしたい、という考えの基に付けました。

[リエゾン九州の目的]
 ベンチャー・中小企業のサポートを通して九州経済の活性化を目指す。

小指が腱鞘炎になった。

2005-02-02 20:11:39 | 雑感
 昨年12月初めからおかしいと思っていたが、いよいよダメになった。
左手小指の第2関節の辺りが腱鞘炎になり、キーボードが打てなくなった。
最初の頃は左の小指を立てて「これがダメになりました」と冗談めかしてやっていた。
口さがない連中からは「悪いことばかりしているからだ」とか「まだ右の小指は立つな」とか言われていたが、年が明けるといよいよ曲がったままで、伸びなくなった。

 キーボードをタッチが軟らかいものに換えたり、デスクトップではなくノートパソコンで仕事をしたりと、いろいろやってみたが、状況は悪化するばかり。
筋肉・関節痛用の塗り薬を日に数回塗っているが効き目はなし。
とうとう数日前から腫れて熱を持つようになった。

 意を決して整形外科に行くが、レントゲンを撮って「骨に異常はありません、薬でも出しておきましょうか」と言われてお終い。
他に何かすることはないのかと言いたいが、まあ大きな病院の若い医師なんてこんなものと諦め、それでも取り敢えず塗り薬だけはもらってきた。

 「使わないのが一番」だって。
そんなことは言われるまでもなく分かっている。
それができないから困っているのではないか。

 そこで原因と理由を考えてみた。
原稿書きのため1日中キーボードを叩いているからだが、腱鞘炎になっているのは左の小指だけだ。
右はどうもない。
小指を庇うから薬指まで少しおかしくなっている。
つまり左小指の働き過ぎである。
なぜ、そんなに左小指だけよく使うのか。

 そこで動きをよーく見てみると、問題はローマ字入力にあることが分かった。
もともとローマ字入力はカナ漢字入力に比べて圧倒的に打鍵数が多い。
日本語入力を考えたキーの配置になってないから無理がある。
その点カナ漢字変換の方はよく使う文字を人差し指の位置に集めるなど考えた配置になっている。
 最初に文字の位置関係さえ覚えてしまえば、打鍵数は圧倒的に少ないから指への負担も少なくなる。
特に小指への負担は比べ物にならないくらい減る。

そんなわけで、いまカナ漢字変換のキー配列を覚えようとしているが、結局覚えるのは仕事が終わってからになりそう。
それまでは左手は人差し指と中指の2本打ちになっている。