安くて、いいホテルを探す
旅にも色々な楽しみ方があるが、安くていいホテルを見つけて泊まるのは密かな楽しみの一つでもある。
ただ、日本人は「高くて、いい所」や「安い所」には泊まるが、「安くて、いい所」を見つけるのはあまり得意ではないと、よく言われる。「高くて、いい」のは当たり前だが、「いい」ものを「安く」買う交渉ができない、と。そこで今回はできるだけ「安くて、いい」ホテルを見つけることにした。
某格安旅行会社で航空券を買ったので、ついでにホテルも紹介してもらうことにした。もちろんエコノミークラスだが、3ツ星とか4ツ星などにこだわりはしない。出した条件は「安くて、いい所」をいくつか紹介して欲しいというだけだ。
そして紹介されたホテルを含めインターネットで調べて決めるのだが、その場合に大切なのが我慢できるものと譲れないものを分けることである。
これは人によって違ってくるだろう。人によっては食事が絶対譲れないかもしれないし、利便性を主張するかもしれない。また、同じ人でも旅の目的によっても異なってくるだろう。
その時の私は10日間の旅だったので、できるだけホテル代は安くあげたかった。しかし、2、3泊なら部屋の広さは関係ないが、10日間ともなると、いくら寝るだけとはいえあまり狭い部屋はかえってストレスが堪る。
となると、そこそこの広さの部屋で、どこに移動するにも交通の便がよくて(タクシーによる移動ではなく、公共交通機関で移動するのに便利がいい場所)、宿泊料金の安い所となる。
一般的にこの条件で探せば高くなるが、最新設備の新しいホテルに泊まりたいわけではないので、建物が多少古くても我慢することにした。
また食事は最初から現地のレストランで食べたいと考えていたので、朝食も夕食付きも必要ない。これでかなり安くなる。
中国のホテルは基本的にツイン
インターネット接続を重視し決める
こうして選んだのが人民広場前の揚子飯店である。決め手は各部屋にインターネット接続用のLANが引いてあったことだ。
築年数は分からないが、周辺にどんどん建っている20ー30階建ての高層ホテルに比べれば8階建てで古いのは古い。ただ「大理石がふんだんに使われた内装」「室内は落ち着きある調度品でまとめられ」と紹介されていた。ものは言い様である。ただ写真を見てもそう悪くはなかったし、なにより地下鉄1、2号線が交差するし、上海1の繁華街・南京路のすぐ側と、地の利がよかった。
実は上海駅近くのホテルとどちらにするか迷った(上海駅近くのホテルの方が料金は少し安かった)が、結局、地下鉄で移動するのに便利な揚子飯店を選んだ。
料金は日本円にして1泊7,300円。中国のホテルはシングル、ツインの区別がなく、部屋は基本的にツインで、1部屋いくらだから、1人で泊まっても2人で泊まっても料金は同じ。2人で泊まって割り勘にでもすれば安上がりである。
フロントで日本語は通じなかったが、部屋は想像していた以上にゆったりして気に入った。ホテルが古い分だけ調度品も重厚な趣があったし、浴室の備品にもそこそこのものが置かれていた。
中国が成長しているのはホテルの備品を見ていればよく分かる。30年近く昔はいいホテルに泊まったが歯ブラシや櫛、石鹸などの備品は国の貧しさを象徴したようなものが置かれ、とても使う気にはならなかった。それが6、7年前には随分よくなり(特に石鹸が)、今回は日本のホテルと大差ないものが置かれていた。
一つ日本と違っていたのはトイレットペーパーだ。台湾でもそのことに気付いたが、中国のトイレットペーパーは日本のものに比べて幅が狭いのだ。理由は分からない。だが、トイレットペーパーケースの幅に比べて中身の方が狭かったから、当初からいまの幅ではなかったようだ。
交渉して部屋を替えてもらう
北京や上海などの大都会ではあまり変なホテルはないし、サービスが悪いということはないが、地方のホテルではトラブルも多いようだ。
そのことは中国語の会話集を見ているとよく分かる。
ホテル編には次のような会話が載っていた。
・お湯が出ない。トイレの水が出ない。
・電球が切れている。TVがつかない。エアコンが壊れている。
・部屋を取り替えて欲しい。もう少しいい部屋はないか。
これを読んだ時、地方の話だと思ったが、2日目に部屋を替えて欲しいと通訳に言うと、早速交渉してくれた。
といっても強硬に頼んだのではない。窓を開けるとエアコンの大きな室外機があり、見晴らしが悪いのと、安全面で問題がありそうだった(外部から侵入しやすい)ので、そのことを伝えると部屋をチェンジするように交渉してあげると言われたのだ。
交渉して数分もしないうちに話はつき、すぐもう一つ上層階への移動がいとも簡単に決まった。
日本人はどうも交渉が苦手だ。この時も私は部屋を移るほどのことではないと思っていた。日本国内でもこの程度のことはよくあるし、そんなことで一々部屋を替えてくれとは言わないからだ。
しかし、中国では積極的に交渉した方がいいようだ。交渉すればあまりに不当な要望でない限り、要望には応じてくれるようだ。
移った部屋は前の部屋よりさらに広かった。ただ、前の部屋の方は建て増し部分だったため調度品は少し新しかった。でも、移動した部屋でもインターネットは使えたので、部屋が広くなった分だけ快適になった。
バスが使えない
もちろん、トラブルもあった。
雨が降った日の夜はお湯が金気で真っ黄色に濁り、とても風呂に入れなかったし、目の前の建築現場では突貫工事でビルを建設しているものだから、夜中にあまりにも音がうるさくて眠れないこともあった。
実は夜中にそのことを訴え、1晩だけまたまた他の部屋へ替えてもらった。
だが、怒りも嫌がりもせず、即座に対応してもらったので非常に感謝しているし、滞在中不愉快な気持ちになることもなく快適なホテルライフ(?)を送ることができた。
旅にも色々な楽しみ方があるが、安くていいホテルを見つけて泊まるのは密かな楽しみの一つでもある。
ただ、日本人は「高くて、いい所」や「安い所」には泊まるが、「安くて、いい所」を見つけるのはあまり得意ではないと、よく言われる。「高くて、いい」のは当たり前だが、「いい」ものを「安く」買う交渉ができない、と。そこで今回はできるだけ「安くて、いい」ホテルを見つけることにした。
某格安旅行会社で航空券を買ったので、ついでにホテルも紹介してもらうことにした。もちろんエコノミークラスだが、3ツ星とか4ツ星などにこだわりはしない。出した条件は「安くて、いい所」をいくつか紹介して欲しいというだけだ。
そして紹介されたホテルを含めインターネットで調べて決めるのだが、その場合に大切なのが我慢できるものと譲れないものを分けることである。
これは人によって違ってくるだろう。人によっては食事が絶対譲れないかもしれないし、利便性を主張するかもしれない。また、同じ人でも旅の目的によっても異なってくるだろう。
その時の私は10日間の旅だったので、できるだけホテル代は安くあげたかった。しかし、2、3泊なら部屋の広さは関係ないが、10日間ともなると、いくら寝るだけとはいえあまり狭い部屋はかえってストレスが堪る。
となると、そこそこの広さの部屋で、どこに移動するにも交通の便がよくて(タクシーによる移動ではなく、公共交通機関で移動するのに便利がいい場所)、宿泊料金の安い所となる。
一般的にこの条件で探せば高くなるが、最新設備の新しいホテルに泊まりたいわけではないので、建物が多少古くても我慢することにした。
また食事は最初から現地のレストランで食べたいと考えていたので、朝食も夕食付きも必要ない。これでかなり安くなる。
中国のホテルは基本的にツイン
インターネット接続を重視し決める
こうして選んだのが人民広場前の揚子飯店である。決め手は各部屋にインターネット接続用のLANが引いてあったことだ。
築年数は分からないが、周辺にどんどん建っている20ー30階建ての高層ホテルに比べれば8階建てで古いのは古い。ただ「大理石がふんだんに使われた内装」「室内は落ち着きある調度品でまとめられ」と紹介されていた。ものは言い様である。ただ写真を見てもそう悪くはなかったし、なにより地下鉄1、2号線が交差するし、上海1の繁華街・南京路のすぐ側と、地の利がよかった。
実は上海駅近くのホテルとどちらにするか迷った(上海駅近くのホテルの方が料金は少し安かった)が、結局、地下鉄で移動するのに便利な揚子飯店を選んだ。
料金は日本円にして1泊7,300円。中国のホテルはシングル、ツインの区別がなく、部屋は基本的にツインで、1部屋いくらだから、1人で泊まっても2人で泊まっても料金は同じ。2人で泊まって割り勘にでもすれば安上がりである。
フロントで日本語は通じなかったが、部屋は想像していた以上にゆったりして気に入った。ホテルが古い分だけ調度品も重厚な趣があったし、浴室の備品にもそこそこのものが置かれていた。
中国が成長しているのはホテルの備品を見ていればよく分かる。30年近く昔はいいホテルに泊まったが歯ブラシや櫛、石鹸などの備品は国の貧しさを象徴したようなものが置かれ、とても使う気にはならなかった。それが6、7年前には随分よくなり(特に石鹸が)、今回は日本のホテルと大差ないものが置かれていた。
一つ日本と違っていたのはトイレットペーパーだ。台湾でもそのことに気付いたが、中国のトイレットペーパーは日本のものに比べて幅が狭いのだ。理由は分からない。だが、トイレットペーパーケースの幅に比べて中身の方が狭かったから、当初からいまの幅ではなかったようだ。
交渉して部屋を替えてもらう
北京や上海などの大都会ではあまり変なホテルはないし、サービスが悪いということはないが、地方のホテルではトラブルも多いようだ。
そのことは中国語の会話集を見ているとよく分かる。
ホテル編には次のような会話が載っていた。
・お湯が出ない。トイレの水が出ない。
・電球が切れている。TVがつかない。エアコンが壊れている。
・部屋を取り替えて欲しい。もう少しいい部屋はないか。
これを読んだ時、地方の話だと思ったが、2日目に部屋を替えて欲しいと通訳に言うと、早速交渉してくれた。
といっても強硬に頼んだのではない。窓を開けるとエアコンの大きな室外機があり、見晴らしが悪いのと、安全面で問題がありそうだった(外部から侵入しやすい)ので、そのことを伝えると部屋をチェンジするように交渉してあげると言われたのだ。
交渉して数分もしないうちに話はつき、すぐもう一つ上層階への移動がいとも簡単に決まった。
日本人はどうも交渉が苦手だ。この時も私は部屋を移るほどのことではないと思っていた。日本国内でもこの程度のことはよくあるし、そんなことで一々部屋を替えてくれとは言わないからだ。
しかし、中国では積極的に交渉した方がいいようだ。交渉すればあまりに不当な要望でない限り、要望には応じてくれるようだ。
移った部屋は前の部屋よりさらに広かった。ただ、前の部屋の方は建て増し部分だったため調度品は少し新しかった。でも、移動した部屋でもインターネットは使えたので、部屋が広くなった分だけ快適になった。
バスが使えない
もちろん、トラブルもあった。
雨が降った日の夜はお湯が金気で真っ黄色に濁り、とても風呂に入れなかったし、目の前の建築現場では突貫工事でビルを建設しているものだから、夜中にあまりにも音がうるさくて眠れないこともあった。
実は夜中にそのことを訴え、1晩だけまたまた他の部屋へ替えてもらった。
だが、怒りも嫌がりもせず、即座に対応してもらったので非常に感謝しているし、滞在中不愉快な気持ちになることもなく快適なホテルライフ(?)を送ることができた。
最近、季節を感じることが少なくなってきた。苺やトマトが年中店頭に並んでいるだけではない。生活のあらゆるシーンで季節感がなくなりつつあるのだ。
先日、熊本から来た知人が「福岡はいい」と喜んでいた。何がいいのかというと「8月に夏物セールをしているから助かる」と言う。
知人によれば「熊本は7月末で夏物セールが終わり、8月になるともう秋物が売られていて夏物がない」のだそうだ。
まだ8月になったばかりの時だったから、とても奇妙な感じがした。
特にここ数年、気温が1月後ろにずれているようで、7月は暑いというよりまだ肌寒かったりする。
8月から本格的な夏でどうかすると9月になっても残暑が続く。
それなのに、本格的な夏が来る前に夏物一掃セールが行われ、本格的な夏が始まった時には秋物しかないというのだから、いくら季節を先取りするのがファッションといっても少し行き過ぎではないかと思う。
季節感がなくなったのは食べものや着るものばかりではない。
先日、かもめーるでハガキが届いた。
そこには「残暑お見舞い申し上げます」と書かれてあった。
見間違いかと思いもう一度見直してみたが、やはり「暑中」ではなく「残暑」だった。
たしかに8月に秋物を売る時代である。
季節感も先に進んでいるのかもしれないが、8月になったばかりで残暑はないだろう。
そういえば昨夏は7月末に残暑見舞いハガキを受け取った。
これには飛び上がるほど驚いた。
たしかに太陰暦の立秋を境に残暑見舞いだ。
あくまで太陰暦だから太陽暦の8月ではない。
ここ数年の気候は1カ月後ろにずれているような感じがするし、特に九州の気候を考えれば残暑見舞いはせめてお盆前後からにして欲しいものだ。
因みに残暑見舞いを戴いた人は九州の人だった。
それにしても最近、増えているのが時代の逆行とも思える現象。
TVの話題づくりに乗せられている側面もあるのだろうが、風水や占星術が流行るのも同じだろう。
ある意味、成熟社会の宿命ともいえるかもしれないが、新しい価値感が生み出せなくなると古い価値観に頼るようになり、社会が保守化してくる。
先日、熊本から来た知人が「福岡はいい」と喜んでいた。何がいいのかというと「8月に夏物セールをしているから助かる」と言う。
知人によれば「熊本は7月末で夏物セールが終わり、8月になるともう秋物が売られていて夏物がない」のだそうだ。
まだ8月になったばかりの時だったから、とても奇妙な感じがした。
特にここ数年、気温が1月後ろにずれているようで、7月は暑いというよりまだ肌寒かったりする。
8月から本格的な夏でどうかすると9月になっても残暑が続く。
それなのに、本格的な夏が来る前に夏物一掃セールが行われ、本格的な夏が始まった時には秋物しかないというのだから、いくら季節を先取りするのがファッションといっても少し行き過ぎではないかと思う。
季節感がなくなったのは食べものや着るものばかりではない。
先日、かもめーるでハガキが届いた。
そこには「残暑お見舞い申し上げます」と書かれてあった。
見間違いかと思いもう一度見直してみたが、やはり「暑中」ではなく「残暑」だった。
たしかに8月に秋物を売る時代である。
季節感も先に進んでいるのかもしれないが、8月になったばかりで残暑はないだろう。
そういえば昨夏は7月末に残暑見舞いハガキを受け取った。
これには飛び上がるほど驚いた。
たしかに太陰暦の立秋を境に残暑見舞いだ。
あくまで太陰暦だから太陽暦の8月ではない。
ここ数年の気候は1カ月後ろにずれているような感じがするし、特に九州の気候を考えれば残暑見舞いはせめてお盆前後からにして欲しいものだ。
因みに残暑見舞いを戴いた人は九州の人だった。
それにしても最近、増えているのが時代の逆行とも思える現象。
TVの話題づくりに乗せられている側面もあるのだろうが、風水や占星術が流行るのも同じだろう。
ある意味、成熟社会の宿命ともいえるかもしれないが、新しい価値感が生み出せなくなると古い価値観に頼るようになり、社会が保守化してくる。
この数年、毎年、今夏の暑さは異常だと思いながら過ごしていますが、特に今年は
暑いようです。
暑いといえば7月の上海も暑かったですね。上着などとても着ていられませんが、実
際、誰も上着を着ている人はいませんでした。「商談に半ズボンで来る人もいますが、
さすがにそこまで私らはできませんが」と、某進出企業の社長も苦笑していました。
ところで今春以降、私はシンセン、上海と、日中間を行き来しています。
表向き、気軽なブラブラ旅行と言っていますが、実は私自身の活動を第3段階に移す
ための行動で、リエゾン九州を設立した時と同じ気持ちで「動かされ」ています。
20年以上前、第2次ベンチャーブームとそれに続く円高・海外移転・国内の産業空
洞化がいわれた時期に、このままでは我が国の中小企業が危ないという危機感に襲わ
れ、中小企業活性化のために自分ができることをしようと決意しました。
そのための第1ステップの活動が九州の中小企業の技術を取材して紹介する
ことでした。
この時期は本当に精力的に九州中を動き回りました。取材費・交通費も出ない中を
自費でよく動いたものだと思います。
そのうちコーディネートの必要性と、中小企業が開発した商品の販路開拓・マーケ
ティング面でのサポートの必要性を感じ、リエゾン九州を設立しました。
これが私の活動の第2ステップです。
そしていま、中国を筆頭としたアジア諸国の技術力がアップしてくる中で、九州の
中小企業はどう対応すればいいのか。
その答えを見いだすためには九州の中だけで動いていてはダメだと感じています。
中国に進出して成功している企業はどのようなやり方をしているのか。優秀な中国企
業と提携するための方法は。販路を中国に求めるためには・・・。
経営判断の基礎になるのはいかに質のいい情報を多く集めるかです。一面的な情報
では判断を見誤ります。
井の中の蛙ではこれからの時代生きていけません。
いかに質のいい情報を集め、判断し、手を打っていくのか。
そのために、私はもう一度力を奮い起こし、日中間を飛び回ろう、と思っています。
私はいま自分の活動を第3ステップに移そうとしています。
今回の上海報告はそのためのほんの入り口です。
「雨にも負けず、風にも負けず・・・・東に病気の子供あれば行って看病してやり、
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負ひ、南に・・、北に・・・そんなものに
私はなりたい」
宮沢賢治のこの言葉が好きです。
そして、彼がそう言わざるを得なかった気持ちも痛いほど分かります。
--記--
●日 時: 8月20日(土) 13:30 ~ 17:00
●場 所:福商会館(大名1-12-57)の2F
天神西通り、岩田屋本館(旧Zサイド前)の前に大福うどん、
ケンターッキーフライドチキンがあり、その角を赤坂方向に
入ると角から2、3軒目左手のビル(1FにPumaの赤いショップ)
●内 容:
1.勉強会
「垣間見る上海経済の裏と表」
講師:ジャーナリスト・栗野 良
成長著しい中国経済の中にあってもトップを走っている上海。
いまの上海は高度経済成長期とバブル景気とベンチャーブームが同時に
訪れているのと同じです。
ベンチャー企業にとってはそこかしこにチャンスがあります。
年収14億を超える超リッチ層がいるかと思えば、建設現場の屋外で寝泊
まりしている地方からの出稼ぎ労働者もいれば、物乞いも増えています。
不動産価格を筆頭に上がり続けている消費者物価の中で下がっている
ものもあります。
何が高くて、何が安いのか。伸びている分野は何か。
電力不足は解消するのかしないのか。交通は、インターネット事情は・・・。
垣間見た上海経済の裏と表を「栗野的視点」で紹介します。
暑いようです。
暑いといえば7月の上海も暑かったですね。上着などとても着ていられませんが、実
際、誰も上着を着ている人はいませんでした。「商談に半ズボンで来る人もいますが、
さすがにそこまで私らはできませんが」と、某進出企業の社長も苦笑していました。
ところで今春以降、私はシンセン、上海と、日中間を行き来しています。
表向き、気軽なブラブラ旅行と言っていますが、実は私自身の活動を第3段階に移す
ための行動で、リエゾン九州を設立した時と同じ気持ちで「動かされ」ています。
20年以上前、第2次ベンチャーブームとそれに続く円高・海外移転・国内の産業空
洞化がいわれた時期に、このままでは我が国の中小企業が危ないという危機感に襲わ
れ、中小企業活性化のために自分ができることをしようと決意しました。
そのための第1ステップの活動が九州の中小企業の技術を取材して紹介する
ことでした。
この時期は本当に精力的に九州中を動き回りました。取材費・交通費も出ない中を
自費でよく動いたものだと思います。
そのうちコーディネートの必要性と、中小企業が開発した商品の販路開拓・マーケ
ティング面でのサポートの必要性を感じ、リエゾン九州を設立しました。
これが私の活動の第2ステップです。
そしていま、中国を筆頭としたアジア諸国の技術力がアップしてくる中で、九州の
中小企業はどう対応すればいいのか。
その答えを見いだすためには九州の中だけで動いていてはダメだと感じています。
中国に進出して成功している企業はどのようなやり方をしているのか。優秀な中国企
業と提携するための方法は。販路を中国に求めるためには・・・。
経営判断の基礎になるのはいかに質のいい情報を多く集めるかです。一面的な情報
では判断を見誤ります。
井の中の蛙ではこれからの時代生きていけません。
いかに質のいい情報を集め、判断し、手を打っていくのか。
そのために、私はもう一度力を奮い起こし、日中間を飛び回ろう、と思っています。
私はいま自分の活動を第3ステップに移そうとしています。
今回の上海報告はそのためのほんの入り口です。
「雨にも負けず、風にも負けず・・・・東に病気の子供あれば行って看病してやり、
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負ひ、南に・・、北に・・・そんなものに
私はなりたい」
宮沢賢治のこの言葉が好きです。
そして、彼がそう言わざるを得なかった気持ちも痛いほど分かります。
--記--
●日 時: 8月20日(土) 13:30 ~ 17:00
●場 所:福商会館(大名1-12-57)の2F
天神西通り、岩田屋本館(旧Zサイド前)の前に大福うどん、
ケンターッキーフライドチキンがあり、その角を赤坂方向に
入ると角から2、3軒目左手のビル(1FにPumaの赤いショップ)
●内 容:
1.勉強会
「垣間見る上海経済の裏と表」
講師:ジャーナリスト・栗野 良
成長著しい中国経済の中にあってもトップを走っている上海。
いまの上海は高度経済成長期とバブル景気とベンチャーブームが同時に
訪れているのと同じです。
ベンチャー企業にとってはそこかしこにチャンスがあります。
年収14億を超える超リッチ層がいるかと思えば、建設現場の屋外で寝泊
まりしている地方からの出稼ぎ労働者もいれば、物乞いも増えています。
不動産価格を筆頭に上がり続けている消費者物価の中で下がっている
ものもあります。
何が高くて、何が安いのか。伸びている分野は何か。
電力不足は解消するのかしないのか。交通は、インターネット事情は・・・。
垣間見た上海経済の裏と表を「栗野的視点」で紹介します。
パソコンやデジカメ、それに妻の遺骨まで入れたリュックを、あろうことか上海のリニアモーターカーの中に忘れる大失態を演じた私は、もう閉まっているから明朝まで待たないとダメだと言われたが明日まで待つ気になれず、とにかくリニアカーの終点駅に行ってみることにした。
もう一度地下鉄に乗り龍陽路駅まで戻り、リニアカーの乗り場に上ろうとすると、中国人が何か声を掛けてきた。同行の中国語が話せる友人によると、エスカレーターはもう止まっていると言っているとのことだった。
では、上に上る階段はどこにあるのか? 色々やり取りをした結果、リニア駅はもう閉まっているとのことだった。そんなバカなと思ったが、どうも本当らしい。リニアカーの中に荷物を忘れ、それを探している、と言うと、向こうに行くと守衛室があると親切に教えてくれた。
教えられた方に行くが守衛室らしきところは見つからない。こういう時は冷静さを欠いているから仮に日本語で教えられても分からなかっただろう。いわんや中国語である。通訳代わりの同行者も状況は同じだった。
建物の端まで行った時、警察官らしき制服の人を見つけたので、その人にリニアカーの中に忘れ物をしたので探していると伝えて、やっと守衛室に連れて行ってもらうことができた。
「どこから乗ったのか」
「空港から、浦東空港からだ」
「何時頃だ」
「4時半ぐらい」
「荷物はどんな形をしているか」
「背中に背負うリュックサック。デイバック」
と、背中に背負う格好をする。
その内、奥から日本語を話せる中国人が一人出てきて、日本語で応対してくれだした。これで随分助かったが、彼はJTBの社員だった。
その間にも守衛と思しき人達はどこかにしきりに電話してくれた。
「残念ながら落とし物は90%以上出てこないと思って下さい。ただ、まだ列車が車庫に入っていないので、最終的な答えはもう少し後の時間になります」
丁寧な日本語で、JTB社員の沈さんは私達を落胆させないように気を配りながら、かといって期待もしないようにと現実を教えながら、
「明日、私は休みですが、明日は富島さんという日本人の社員がいますから、伝えておきますので、明日連絡して下さい」
と言って、会社の電話番号と自分と富島さんの携帯の電話番号まで教えてくれた。
「実は昨日は言わなかったのですが、リュックの中には妻の遺骨が入っているのです」
翌朝、教えられたJTBの電話番号にかけ、出てきた富島さんにそう打ち明けた。
その瞬間、電話口の向こうで相手の女性が緊張したのが分かった。
「それはお困りでしょう。もう一度交渉してみますから、もう少し時間を下さい」
その後、彼女とは3度電話でやり取りをしたが、最後の2度は主にリュックの色とか中身の確認だった。
リュックが保管されていることが分かったのだ。まさに奇跡としか言いようがなかった。
私達はJTBを利用した客でもないのに、親身になって交渉してくれたJTBの中国人社員、沈さんと、日本人社員の富島さんのお陰だった。本当にありがたかった。
後で考えると、この奇跡はいくつかの条件が重なった結果起こったように思われる。
1つはリニアカーの50元という高い運賃。
これだけの金を払って乗れるのは外国人か裕福な中国人であり、もし、これが一般列車だったらまず出てこなかったに違いない。
2つ目は乗った時間帯が4時半頃だったこと。リニアの運転時間が5時半までなので、網棚にリュックが置かれたままの時間が短かかったことも幸いしたに違いない。
3つ目はJTBの親切な社員に巡り会えたこと。
そして私達が翌朝まで待たずに素早く行動し、現場まで行き諦めずに訴えたこと。最後に、なによりも妻が守ってくれたからだと思う。
初日から散々なトラブルに見舞われながら、私の上海旅行は幕を開けたのである。さて、この後何が起こることやら。
もう一度地下鉄に乗り龍陽路駅まで戻り、リニアカーの乗り場に上ろうとすると、中国人が何か声を掛けてきた。同行の中国語が話せる友人によると、エスカレーターはもう止まっていると言っているとのことだった。
では、上に上る階段はどこにあるのか? 色々やり取りをした結果、リニア駅はもう閉まっているとのことだった。そんなバカなと思ったが、どうも本当らしい。リニアカーの中に荷物を忘れ、それを探している、と言うと、向こうに行くと守衛室があると親切に教えてくれた。
教えられた方に行くが守衛室らしきところは見つからない。こういう時は冷静さを欠いているから仮に日本語で教えられても分からなかっただろう。いわんや中国語である。通訳代わりの同行者も状況は同じだった。
建物の端まで行った時、警察官らしき制服の人を見つけたので、その人にリニアカーの中に忘れ物をしたので探していると伝えて、やっと守衛室に連れて行ってもらうことができた。
「どこから乗ったのか」
「空港から、浦東空港からだ」
「何時頃だ」
「4時半ぐらい」
「荷物はどんな形をしているか」
「背中に背負うリュックサック。デイバック」
と、背中に背負う格好をする。
その内、奥から日本語を話せる中国人が一人出てきて、日本語で応対してくれだした。これで随分助かったが、彼はJTBの社員だった。
その間にも守衛と思しき人達はどこかにしきりに電話してくれた。
「残念ながら落とし物は90%以上出てこないと思って下さい。ただ、まだ列車が車庫に入っていないので、最終的な答えはもう少し後の時間になります」
丁寧な日本語で、JTB社員の沈さんは私達を落胆させないように気を配りながら、かといって期待もしないようにと現実を教えながら、
「明日、私は休みですが、明日は富島さんという日本人の社員がいますから、伝えておきますので、明日連絡して下さい」
と言って、会社の電話番号と自分と富島さんの携帯の電話番号まで教えてくれた。
「実は昨日は言わなかったのですが、リュックの中には妻の遺骨が入っているのです」
翌朝、教えられたJTBの電話番号にかけ、出てきた富島さんにそう打ち明けた。
その瞬間、電話口の向こうで相手の女性が緊張したのが分かった。
「それはお困りでしょう。もう一度交渉してみますから、もう少し時間を下さい」
その後、彼女とは3度電話でやり取りをしたが、最後の2度は主にリュックの色とか中身の確認だった。
リュックが保管されていることが分かったのだ。まさに奇跡としか言いようがなかった。
私達はJTBを利用した客でもないのに、親身になって交渉してくれたJTBの中国人社員、沈さんと、日本人社員の富島さんのお陰だった。本当にありがたかった。
後で考えると、この奇跡はいくつかの条件が重なった結果起こったように思われる。
1つはリニアカーの50元という高い運賃。
これだけの金を払って乗れるのは外国人か裕福な中国人であり、もし、これが一般列車だったらまず出てこなかったに違いない。
2つ目は乗った時間帯が4時半頃だったこと。リニアの運転時間が5時半までなので、網棚にリュックが置かれたままの時間が短かかったことも幸いしたに違いない。
3つ目はJTBの親切な社員に巡り会えたこと。
そして私達が翌朝まで待たずに素早く行動し、現場まで行き諦めずに訴えたこと。最後に、なによりも妻が守ってくれたからだと思う。
初日から散々なトラブルに見舞われながら、私の上海旅行は幕を開けたのである。さて、この後何が起こることやら。