栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

温故知新の年に--。

2006-01-15 11:45:28 | 視点
 いつの頃からか友人・知人の消息が気になりだした。
しばらく音沙汰がないと気になって、つい電話をしてしまう。
別になにか用件があるわけではない。
声を聞けばただ安心するだけだ。
まるで恋人の消息を知るみたいなものだが、なんとなく元気な声を聞かないと気に
なって年が越せない。
だから師走も押し迫ると、つい電話を入れることが多い。

 最近は電子メールという便利なもののお陰で、あまり手紙を書いたり電話をする
ことが少なくなったが、それでもメールが三度も届かずに返ってくると、やはり気
になって電話をしてしまう。
 年に一、二度互いに電話をし合っている友人がいるが、11月の後半か12月の初め
に電話を入れた時、何度コールしても相手が出ない。留守電にも切り替わらないの
で、数日してまた電話したが、やはり繋がらない。
 不安が頭をかすめた。
携帯電話には着信履歴が残る。
だから私が電話をしたことは分かるはずだ。それなのにかかってこないと思うと、
余計に心配になる。
しかし、奥さんも私のことを知っているので、なにかあれば連絡ぐらいは来るだろ
う。そう思い、気になりながらも年を越してしまった。

 年が明け、しばらくして本人から電話があった。
「いやー、ごめん、ごめん。電話をもらってたんだろう。悪かった」
元気そうだったのでホッとした。
それでもこちらが電話をした時は体調が悪く、とても電話を返す気にもなれなかっ
たそうだ。
「一月中に一回飲もうか」
 そう言って互いに電話を切ったが、彼の病気からしてほとんどアルコールが飲め
ないのは分かっていた。
それでも「軽く飲もうか」という言葉が出るのは少しは元気になった証拠。
ただ、日にちの具体的な約束はしなかった。
「会いたいね」「会おうよ」
それだけで充分だった。エネルギーが満ちてくれば連絡があるだろう。

 5、6年前、学生時代の後輩が「仲間の無事を確かめ合うために同窓会に出る」
と言ったのを、「後ろを向き、過去を懐かしむだけの同窓会には興味はない」と笑
い飛ばしたものだが、最近は少し彼の気持ちが分かりだした。
それだけ健康を気にする年齢になったということかもしれないし、伴侶に先立たれ
て初めて、遅ればせながらも人の情が分かってきたということかもしれない。

 「まだまだ丸くはなりたくない」
このコピーが好きだし、つい最近までの私の生き方だった。
そして、こう考えていた。
 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人
の世は住みにくい」

 実際、この1、2年、日本人との付き合いに息詰まるような窮屈さを感じてもい
た。右を見ても左を見てもジコチューだらけだ。
言葉巧みに寄ってくる者も、愛を振りかざして迫ってくる者も、所詮はおのれ可愛
さだけ。
ベタッと来るのも、ちょっと自分の気に食わないとプイと離れていくのも困る。
程よい距離感というのが昔の日本人にはあったが、いまはない。
すべてが0か1の世界。思考までもが短絡化している。

 さて、「住みにくさが高じると安いところへ引き越したくなる」が、「人の世を
作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらする唯の
人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれ
ば人でなしの国へ行く許(ばか)りだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくか
ろう。  越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容
(くつろげ)て、束の間の命を束の間でも住みよくせねばならぬ」

 そう気づいたのは漱石39歳の時。その年をはるかに過ぎた私だが、「束の間でも
住みよく」するために、今年は古きを温(たず)ね新しきを知り、少しばかり丸く
生きてみようか・・・。

変わる地方の風景

2006-01-03 09:22:06 | 視点
 久し振りの帰省である。
昨年は帰省しなかったから2年ぶりになる。
 私の故郷は岡山県と鳥取県、兵庫県の県境、中国山脈の麓の過疎の町、と皆に説明
しているから、恐らく人里離れた田舎の一軒家、とまでは思ってなくても、コンビニ
も銀行もなく、日常の買い物にも困る山深い地方を想像している人もいるようだ。
たしかに過疎は過疎の町である。
居るのは私が子供の頃から見知っている近所のおばさんやおじさんばかりで、若い人
は誰一人いない。
 だが、町には小・中・高校があり、銀行、郵便局、さらにはコンビニまであるから、
皆が抱いているイメージを多少は裏切りそうだ。
しかし、これこそが現在の地方の風景なのだ。

◆地方ですべてが手に入る

 ところで、過疎だとばかり思っていた町が平成の大合併で市になった。
市といってもCityではない。市街地らしきものはどこにも存在しない。代わりにある
のは郊外道路の両脇に点在する大型スーパーにホームセンター、家電量販店、紳士服
専門店、ファミレス、そしてカーディーラー、さらには小ぎれいな総合病院まである。
しかも、すぐ側を高速道路が走り、おまけにインターチェンジまであるのだから下手
な街よりよほど便利がいい。

 今回の帰省では特に、この便利さを享受した。
一つには年末から体調の異変を感じ、最悪の場合、正月休み中に緊急入院の危惧もあ
り、帰省を取りやめるかどうかと考えたが、それでも帰省したのは故郷に設備のいい
総合病院ができていたからで、万一の場合、そこに入院すればいいだろうと考えたこ
とが大きかった。
 二つ目は大晦日、元旦と買い物に出かけた時である。
大晦日は石油ストーブを買い換えにイオンまで出かけたし、元旦は前夜、突然壊れた
ノートパソコンを買い換えるためにデオデオの初売りに出かけたのだった。

 人口120万人の福岡にいる時と全く変わらない便利さが、人口数万人の地方で手に
入るのは不思議としか言い様がないが、現実はむしろ逆で、都会の福岡より田舎の方
が周辺道路は混まないし、駐車場は無料だし、大型店も多く、かえって便利なのだ。
 唯一、心配した通信回線も8MのスピードまでとはいえADSL高速通信回線が使
えることも分かったので、普通に生活する分にはなんら地方で困らないどころか、地
方の方が便利でさえある。
 それなのに地方が過疎になっていくのはなぜだろう。
理由はただ一つ、充分な職場がないことだろう。

◆開発のしやすさが地方にショッピングセンターを呼ぶ

 ところが、一見非常に便利に見える地方のこの環境も、見方を少し変えれば不便極
まりないのだ。しかし、そのことを見る前に、なぜ地方の郊外地に大型ショッピング
センターが次々に建設されるのかを考えてみたい。

 理由1:旧市街地では広大な売り場面積を確保する場所がない。
 小売業の売り場面積は拡大の一途をたどり、一昔前に大型店と呼ばれていた店舗は
いまや中型店にしか過ぎず、消費者にとって魅力ある商品(数量的にも、商品数的に
も)を展示するにはスペースが狭すぎる。魅力ある店作りをし、消費者を引き付けて
いくためには(そのことが自らが生き残っていくことにもなる)売り場面積をある程
度広げていかざるを得ない。
 旧市街地でそれが可能ならいいが、それだけのスペースを確保するのが非常に難し
いし、また投資コストから見ても地価の高い旧市街地より田んぼの中に作った方がは
るかに安くつく。
 ダイエー等の一時代を画したスーパーが次々に破綻していった一面もここにある。
これらのスーパーは当時駅前や繁華街の一画を占めていたため、売り場面積を拡大し
たくても拡大できない、あるいは拡大できても費用対効果が合わないため、当時の大
型店は衰退していったのである。

 理由2:多層階より低層階の大型店
 売り場面積の拡大という場合、多層階にする方法もあるが、同じ売り場面積なら低
層階の足元にも及ばない。
 まず、広いワンフロアの方がレイアウトがしやすいという点がある。これは店舗側
から見た利点である。
 消費者側からすれば心理的に上下移動より水平移動の方が動きやすいようだ。これ
は小売り店舗に限ることではないが、施設屋上の駐車スペースより施設併設駐車スペ
ースの方が先に一杯になることからも明らかである。

 理由3:車社会に対応できなくなった。
 市街地の店舗は充分な駐車スペースが確保できないか、確保できても店舗との間に
距離があったり、有料なことがほとんどである。対して郊外は広大な駐車スペースが
確保できる。しかも、駐車料は無料。となると、消費者も郊外店舗の方に流れる。

◆貧困な行政が地方を崩壊させる

 理由4:国と地方行政の貧困が原因。
 大型ショッピングセンターを田んぼの中に建設すると言ったが、実際、農地を転用
して作るパターンが多い。では、なぜ農地の転用なのか。それは農業が金にならない
からだ。農業をする方がもっと面白く、しかも金になるなら誰も農地を手放さないは
ず。ところが、そうでないから農地を手放すのだ。これは減反政策などを続けた国の
農業に対する無策から来ている。余談だが、先進資本主義国の中で日本ほど食糧の自
給率が低い国はない。
 一方、地方行政には長期的な視野がないから、手っ取り早い税収アップとわずかば
かりの雇用の確保を狙って積極的に誘致さえ行っている。その結果が地元商店街の衰
退を加速させ、地方を荒廃させることになっても。

 理由5:我が儘な消費者。
 日本の消費者の我が儘が日本の流通小売りを歪め、小売業が農業を歪めている。元
はと言えば中身より見てくれ、体裁を好む消費者の度が過ぎた清潔好きと我が儘に端
を発しているのだ。その一方で、食の安全を叫び、有機無農薬栽培、地産地消をブラ
ンド化している。ロハスなどは完全にブランドになってしまっている。
 結局、消費者のこうした態度は新しいブランドを求めているだけであり、地産地消
を望んでいるわけでも、有機無農薬栽培の商品を買おうと思っているわけでもないの
だ。もしそうなら、それらを実践している農家がもっと楽になっているはずだが、現
実はその逆である。

◆弱者をどんどん切り捨てる地方

 話しが横道にずれ過ぎたので本題に戻そう。
一見、便利になったかに見える地方の環境が、実は不便極まりないのか。
 私は車でわずか20分以内の距離を移動するだけで、欲しいものをほとんど手にする
ことができる生活を、なぜ不便と言うのか。
 カラオケがない、パチンコ屋がないからではない。そんなものはすべてロードサイ
ドに揃っているし、いまや日本全国どこの地方でも目にすることができる光景だ。極
論すれば、いまや地方で手にすることができないものはないといっていい。グッチも
プラダも東京・三越でなくても、佐賀県でも(というと怒られそうだが)、地方で買
えるのである。デパートで買うより1ー2割も安く。
 さすがに歌舞伎町ほどのSEX産業こそまだないが、その他の欲望を満たすものは、
いまや地方にすべて存在するのである。

 たった一つの条件さえ満たせば、誰でもこうした便利さを享受できる。だが、この
「たった一つの条件」こそが実は非常に重要なのだが、行政を始めとしてそのことを
忘れ、あるいは故意に無視した結果が平成の大合併で出現した「市」という名の地方
であり、郊外店である。だから、一向に地方の生活がよくならないのは当たり前だと
いえる。

 たった一つの条件とは「車」である。
現在の生活は「車」を前提にして成り立っている。ところが、この前提を取り去れば
不便なこと極まりない。
 例えば町村合併で山の上の方に行ってしまった役場や、豊富な商品が並んでいるス
ーパーも車がなければ、そこに行くことさえできない社会。こんな社会が果たして便
利といえるだろうか。

 しかし、現実には高齢化がどんどん進み、車に乗れない人達が増えている。それな
のに地方は車を前提にこれから先も進もうとしているのである。
 仮にもはや車を前提にしないと、この社会そのものが成り立たないとするなら、公
共交通機関を充実すべきだろう。具体的に言えばショッピングセンターや行政機関を
センターにした公共交通機関を作り、しかも本数を多くすべきだ。日に数本しかない
乗り合いバスなどなんの解決にもならないし、利用者が増えるはずもない。
 そういうことをしないでショッピングセンターだけ誘致する行政は明らかにおかし
い。

◆物まねを止めるところから本当の町おこしが

 さらに奇妙なのは、行政そのものが郊外に移転したり、総合病院、図書館などの行
政機関までもが郊外に移転しながら、旧市街地の活性化を唱えていることだ。

 町おこしを唱えるグループや商店街も同じだ。テーマパークで成功したと聞けば日
本全国どこもかしこも同じようにテーマパークを作りたがるどころか、街そのものを
テーマパークにしようなどと考える政令指定都市さえあるのだから、個性がないとい
うか思考ゼロだ。
 どこそこが「昭和の町」づくりで話題になったから我が町も、と二番煎じ三番煎じ
をする。その結果、あちこちに「昭和の町」が出現し、その内話題にさえ上らなくな
る。土蔵作りの町並みと同じで中途半端にやるものだから個性も何もないコピーのよ
うな地域ばかりが増えていく。
 こうして地方から、その地方固有の風景がどんどん消え去り、日本全国どこでも見
られる同じような風景ばかりになっている。

哲学なき時代から崩壊の時代へ。

2006-01-02 11:38:19 | 視点
哲学なき時代から崩壊の時代へ。

 2005年は「安全・安心・信頼」が犠牲にされ、崩れた時代です。
効率化の名の下に、企業は人件費を削減し、メンテナンスを疎かにし、人命を軽ん
じ、消費者を欺いてきました。
個人は自らの判断を放棄して機械に頼り、モラルハザードを起こし、利を追い求め、
ジコチューになり、誰も彼もが他人を思いやることさえ忘れたようです。

 ひと言でいえば、企業が経営哲学を失い、個人が思考を失った時代です。

だからこそ、企業とは何か、生きるとは何か、が問われているのではないでしょう
か。
崩壊の時代にならないように--。

  2006年元旦
                                  栗野 良