いつの頃からか友人・知人の消息が気になりだした。
しばらく音沙汰がないと気になって、つい電話をしてしまう。
別になにか用件があるわけではない。
声を聞けばただ安心するだけだ。
まるで恋人の消息を知るみたいなものだが、なんとなく元気な声を聞かないと気に
なって年が越せない。
だから師走も押し迫ると、つい電話を入れることが多い。
最近は電子メールという便利なもののお陰で、あまり手紙を書いたり電話をする
ことが少なくなったが、それでもメールが三度も届かずに返ってくると、やはり気
になって電話をしてしまう。
年に一、二度互いに電話をし合っている友人がいるが、11月の後半か12月の初め
に電話を入れた時、何度コールしても相手が出ない。留守電にも切り替わらないの
で、数日してまた電話したが、やはり繋がらない。
不安が頭をかすめた。
携帯電話には着信履歴が残る。
だから私が電話をしたことは分かるはずだ。それなのにかかってこないと思うと、
余計に心配になる。
しかし、奥さんも私のことを知っているので、なにかあれば連絡ぐらいは来るだろ
う。そう思い、気になりながらも年を越してしまった。
年が明け、しばらくして本人から電話があった。
「いやー、ごめん、ごめん。電話をもらってたんだろう。悪かった」
元気そうだったのでホッとした。
それでもこちらが電話をした時は体調が悪く、とても電話を返す気にもなれなかっ
たそうだ。
「一月中に一回飲もうか」
そう言って互いに電話を切ったが、彼の病気からしてほとんどアルコールが飲め
ないのは分かっていた。
それでも「軽く飲もうか」という言葉が出るのは少しは元気になった証拠。
ただ、日にちの具体的な約束はしなかった。
「会いたいね」「会おうよ」
それだけで充分だった。エネルギーが満ちてくれば連絡があるだろう。
5、6年前、学生時代の後輩が「仲間の無事を確かめ合うために同窓会に出る」
と言ったのを、「後ろを向き、過去を懐かしむだけの同窓会には興味はない」と笑
い飛ばしたものだが、最近は少し彼の気持ちが分かりだした。
それだけ健康を気にする年齢になったということかもしれないし、伴侶に先立たれ
て初めて、遅ればせながらも人の情が分かってきたということかもしれない。
「まだまだ丸くはなりたくない」
このコピーが好きだし、つい最近までの私の生き方だった。
そして、こう考えていた。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人
の世は住みにくい」
実際、この1、2年、日本人との付き合いに息詰まるような窮屈さを感じてもい
た。右を見ても左を見てもジコチューだらけだ。
言葉巧みに寄ってくる者も、愛を振りかざして迫ってくる者も、所詮はおのれ可愛
さだけ。
ベタッと来るのも、ちょっと自分の気に食わないとプイと離れていくのも困る。
程よい距離感というのが昔の日本人にはあったが、いまはない。
すべてが0か1の世界。思考までもが短絡化している。
さて、「住みにくさが高じると安いところへ引き越したくなる」が、「人の世を
作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらする唯の
人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれ
ば人でなしの国へ行く許(ばか)りだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくか
ろう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容
(くつろげ)て、束の間の命を束の間でも住みよくせねばならぬ」
そう気づいたのは漱石39歳の時。その年をはるかに過ぎた私だが、「束の間でも
住みよく」するために、今年は古きを温(たず)ね新しきを知り、少しばかり丸く
生きてみようか・・・。
しばらく音沙汰がないと気になって、つい電話をしてしまう。
別になにか用件があるわけではない。
声を聞けばただ安心するだけだ。
まるで恋人の消息を知るみたいなものだが、なんとなく元気な声を聞かないと気に
なって年が越せない。
だから師走も押し迫ると、つい電話を入れることが多い。
最近は電子メールという便利なもののお陰で、あまり手紙を書いたり電話をする
ことが少なくなったが、それでもメールが三度も届かずに返ってくると、やはり気
になって電話をしてしまう。
年に一、二度互いに電話をし合っている友人がいるが、11月の後半か12月の初め
に電話を入れた時、何度コールしても相手が出ない。留守電にも切り替わらないの
で、数日してまた電話したが、やはり繋がらない。
不安が頭をかすめた。
携帯電話には着信履歴が残る。
だから私が電話をしたことは分かるはずだ。それなのにかかってこないと思うと、
余計に心配になる。
しかし、奥さんも私のことを知っているので、なにかあれば連絡ぐらいは来るだろ
う。そう思い、気になりながらも年を越してしまった。
年が明け、しばらくして本人から電話があった。
「いやー、ごめん、ごめん。電話をもらってたんだろう。悪かった」
元気そうだったのでホッとした。
それでもこちらが電話をした時は体調が悪く、とても電話を返す気にもなれなかっ
たそうだ。
「一月中に一回飲もうか」
そう言って互いに電話を切ったが、彼の病気からしてほとんどアルコールが飲め
ないのは分かっていた。
それでも「軽く飲もうか」という言葉が出るのは少しは元気になった証拠。
ただ、日にちの具体的な約束はしなかった。
「会いたいね」「会おうよ」
それだけで充分だった。エネルギーが満ちてくれば連絡があるだろう。
5、6年前、学生時代の後輩が「仲間の無事を確かめ合うために同窓会に出る」
と言ったのを、「後ろを向き、過去を懐かしむだけの同窓会には興味はない」と笑
い飛ばしたものだが、最近は少し彼の気持ちが分かりだした。
それだけ健康を気にする年齢になったということかもしれないし、伴侶に先立たれ
て初めて、遅ればせながらも人の情が分かってきたということかもしれない。
「まだまだ丸くはなりたくない」
このコピーが好きだし、つい最近までの私の生き方だった。
そして、こう考えていた。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人
の世は住みにくい」
実際、この1、2年、日本人との付き合いに息詰まるような窮屈さを感じてもい
た。右を見ても左を見てもジコチューだらけだ。
言葉巧みに寄ってくる者も、愛を振りかざして迫ってくる者も、所詮はおのれ可愛
さだけ。
ベタッと来るのも、ちょっと自分の気に食わないとプイと離れていくのも困る。
程よい距離感というのが昔の日本人にはあったが、いまはない。
すべてが0か1の世界。思考までもが短絡化している。
さて、「住みにくさが高じると安いところへ引き越したくなる」が、「人の世を
作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらする唯の
人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれ
ば人でなしの国へ行く許(ばか)りだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくか
ろう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容
(くつろげ)て、束の間の命を束の間でも住みよくせねばならぬ」
そう気づいたのは漱石39歳の時。その年をはるかに過ぎた私だが、「束の間でも
住みよく」するために、今年は古きを温(たず)ね新しきを知り、少しばかり丸く
生きてみようか・・・。