栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

行き過ぎたグローバル化と自由貿易が貧困を招く

2016-12-31 16:06:03 | 視点
 2017年はトランプ米大統領の登場で世界政治は大きく変わるだろう。
イタリア、オーストリアはすでにその洗礼を受け、イタリアのレンツィ首相が辞任表明し、
オーストリアはリベラル派が大統領選で勝利したとはいえ右翼ポピュリストの伸長を許した。
民主主義の旗手フランスでさえ極右政党・国民戦線が大きく伸長し、オランド大統領は来春の
次期大統領選への出馬を辞退。
現職大統領が2期目を目指さず辞退というのは異例だ。
直接的な要因は支持率の低迷だが、その背景にあるのは失業問題である。
EU各国も米国も喫緊の課題は国内の失業対策であり、それが政治を大きく変えようとしている。

広がる「トランプ現象」

 いわゆる「トランプ現象」が世界各国に広がる気配を見せているが、
それを「ポピュリズム=大衆迎合主義」という捉え方だけでいいのだろうか。
 ポピュリズムとはラテン語の「populus」に由来し、エリートに対する民衆、人民を指す。
故に民衆の意見を代弁することは政治としては正しい立場であろう。
にもかかわらず昨今、ポピュリズムが揶揄されるのは人気取り的に民衆の意見に「迎合」している
という意味合いで使われているからである。

 民衆の意見に迎合することは間違いなのか。
答えはノーだ。それは決して悪いことではない。
ただ、ややもすると理念、大極を見失い、目先に走り、対立軸を作り、激しい言葉で人々を煽り、
社会を分断させようとする。
 こうした手法は現状に不満を抱えている層に支持されやすく、彼らの不満を煽り、政治的に利用
しようとする輩が現れてくる。ヒ
トラーもその代表的な一人だが、いま欧米でこうした指導者達が台頭してきている。

 彼らに共通しているのはトランプ米国次期大統領に代表されるように対外的には強硬なタカ派だが、
政治は内向きで自国第一主義をとることである。
それは貿易面では自由貿易ではなく保護貿易を主張し、移民・難民の流入を拒否し自国労働者保護に動く。

 戦後、このように主張する政権や政党が支持を集めることがなかっただけに
トランプ米国大統領の出現に世界が驚きを持って迎えているが、
果たしてトランプ氏の主張はそれほど奇妙なことだろうか。

 以下、彼の言動の元になっているものをいくつかの角度から見ていこう。

自由貿易か保護貿易主義か



           (以下 略)




 ☆全文は「まぐまぐ」内の下記「栗野的視点」ページから
  http://archives.mag2.com/0000138716/20161214235206000.html


 「栗野的視点」はリエゾン九州のHPにも収録しています。








旅先で人情に触れる

2016-12-29 01:42:20 | 視点
 京都に行った時、JRの車内で「大名行列」の中吊り広告を見た。
岡山県矢掛(やかげ)町で開催されるらしい。
京都まで広告を出すのだからよほど盛大に違いない。
その頃帰省していたらぜひ見物に行きたいものだと考え、メモ帳を取り出し日時などを書き写していたら危うく次の駅まで乗り過ごしそうになった。

 この「大名行列」が気になって時期を1週間早め11月中旬に帰省し、翌13日、矢掛町まで車を走らせた。
岡山県を北東の端から南西の端近くまで斜めに南下することになる。所要時間は約2時間弱。



 大名行列の開始は12時半。
その30分前には現地に着きたかったが、町に到着したのは12時半前。
臨時駐車場があちこちに設けられ、係員の誘導に従って第1から2、3、4と臨時駐車場を次から次へと移動。
「下~に、下~に」という声が拡声器から聞こえてくる。
気は焦るが駐車場は一杯で、次の駐車場へ行ってくれとたらい回しにされる。
土地勘はないし、途中で「第5」の案内は消えるし、中心部から離れていくし。

 目に付いた会社の敷地内に車を入れ、そこに居た人に「済みませ~ん。
大名行列を見に来たんですが駐車場がなくてぐるぐる回っているんです。
済みませんが駐めさせてもらえないでしょうか」とお願いしたところ、
「ちょっと待ってくださいよ」と言って、会社の人に交渉してくれた。
「いいですよ。そこは店の前だから裏手の方に駐めてください」
 厚意に感謝し謝辞を述べ、車を駐めると、「この道をまっすぐ行くと大名行列がありますから」と、
最初に声をかけた男性が寄って来て親切に道順まで教えてくれた。
後で気付いたが駐車させてもらった場所はJAの敷地だった。

 それにしても矢掛町の人は皆、親切だった。
2時過ぎ、出店でばら寿司を買い、遅い昼食を採っている時もわざわざお茶を持ってきてくれたり、
菜っ葉漬けを「これも食べんさい」と戴き、恐縮した。

 そういえば後日、兵庫県宍粟(しそう)市の最上(さいじょう)山もみじ公園に行った時も、
帰りに地元の人が出店している出店の呼び込みに釣られ、夕食用にばら寿司を1つ買ったところ
「おいしかったら、ぜひ来年来られた時も買ってください」と言われ、
「いやー、福岡からだから来年もと言われても」と答えると、「
えっ、福岡からですか。それは遠い所からわざわざ来られて。もう1つおまけしときます」と2個戴いた。
出店は地元のNPOみたいだったが、最初に呼び込みをした女性が、えっ、いいんですか、
というような顔をして、おまけの1個を追加してくれた男性の方を見たから特別だったのだろう。
まあ、時間が4時だったということもあるだろうが、それまで300円で売っていたものが200円になり、
さらに1個おまけしてもらったわけだから、結局1個100円で買ったことになる。

 旅は道連れ世は情け、と言うが、若い頃と変わったのはこちらが厚かましく
色々話しかけるようになったからかもしれないが、旅先で親切にされるのはうれしいものだ。

 もちろん、いいことばかりではない。どこに行っても目に付くのはマナーの悪さだ。
こちらがカメラを構えている前にわざわざ来て写真を撮るマナー知らずは外国人より日本人の方が多い。

一体、この国はどうなっているんだ。
これでは若者や子供のマナーが悪くなるのは当たり前だと毒づきそうになり、そんな自分を認めて、
ああ歳を取ったということかと嘆き、お節介も厚かましさも控えめにと自戒しているこの頃・・・。



デル株式会社

老人力と厚かましさが増してきた。

2016-12-26 19:29:00 | 視点
 人は歳を取ると変わるものらしい。若い頃には想像もできなかった自分を発見し、ビックリすることがある。
それが時々顔を出す程度ならいいが、常時出っぱなしだと、本来の自分はどちらなのかと考えてしまう。
 まあ誰しも多面性を持っており、その時々に応じて違う面が出るのはよくあることだから、
あまり深く考えなくてもいいのかもしれないが、元来、大勢でワイワイ騒ぐよりは一人静かに過ごす方が好きで、
およそ自分から見ず知らずの相手に話しかけることなど想像もできなかった自分が、歳を取るに従って
段々厚かましくなってきたのには我ながら少し手を焼いている。

厚かましさが増してきた

 先日、京都駅から新大阪に向かう列車内でもそうだった。
座った席がたまたま4人掛けで、向かいには年配の女性が2人座っていた。
その2人の会話が聞くとはなしに耳に入ってくる。
こういう時、人間の耳はよくできていてほとんどの言葉は外国語かBGMのように通り過ぎていくだけだが、
知っている単語だけは耳に留まる。
この時は「からつ」という単語がそうだった。

 おやっ、「からつ」と聞こえたが、「唐津」のことだろうか。
それとも佐賀以外に「からつ」という場所があるのだろうか。
 そう考え出すと今度は多少耳をそばだてるようになる。
すると「九州」という単語が聞こえた。あっ、やっぱり佐賀県の唐津のことなんだ。

 それで済ましておけばいいのだが、ついつい「いま唐津と言われていましたが、佐賀県の唐津のことですか。
私らは福岡から来たんですけど」と話しかけてしまった。

 結局、新大阪に着くまで向かいの女性達とお喋りをしてしまったが、2人は姉妹で妹さんは名古屋、
姉さんはカナダ・トロント在住で里帰りしたついでに姉妹で京都見物に来たらしかった。
唐津はご主人の里で帰国した折に里帰りもしており、明日、唐津へ行くとのこと。

 「ああ、そうですか。私らは今日福岡へ帰りますから1日違いですね」などと世間話に興じてしまった。
 車内で話しかけられたことはあっても、自分から話しかけることなどなかっただけに、
変わり様に我ながらビックリし、歳を取ると人間厚かましくなるのかもと苦笑したりしている。

車で全国を旅している男



 11月中旬から下旬にかけて帰省していたが、その時触れ合ったのが日本全国を車で移動している男性。
 寺の前の駐車スペースに1台の車が駐まっていたので近づいて話しかけた。
車体の至る所にワッペンを貼り付けており、その中に「日本一周」と書かれたワッペンもあったから、
恐らく車中泊しながら日本全国を走っているに違いないと考えた。

 ワゴンタイプの軽自動車で神戸ナンバーだったから神戸から西に向かっている途中か、
これから神戸方面に帰るところだろう。
見ると後部席ドアが開いており、外に運動靴が脱がれていた。
サイズが小さかったので女性かとも思ったが、女性の一人旅はないだろうから夫婦で旅かなどと
想像しながら近づいて話しかけた。

「日本一周と書かれてあるけど全国を旅してるんですか」
「全国行ってないとこはないですよ」
 ちょうど昼時だったこともあり、中で「うどんすき」を食べていた。
中を少し覗くとコンロも備えられ、自炊も出来るようになっていた。

「夏は北海道へ行くんですわ。北へ北へと向かって走ってます」
「そう、冬は沖縄まで行くわけだ」
「フェリー代、いくらかかるか知ってますか? 沖縄までフェリーで行ったら大変ですよ」
「えっ、そんなにかかるの。そりゃ無理だ。じゃあ鹿児島までか」
「えっ、お宅、福岡? 私、この間福岡行ってきましたよ。友達おるから。宗像」

 どうやら一人旅らしい。
「年中、車中泊しながら回ってるわけだ」
「いや、家に帰りますよ。旅してんのは100日ぐらい」
「奥さんは一緒に行かないの?」
「女房はこの車乗んの嫌いですねん。スーパーに買い物行くのもこれ乗らへんから。
皆に話しかけられるゆうて。目立つから」

 そりゃあそうだろう。これだけペタペタワッペンを貼っていれば否が応でも目立つ。
おまけに女性が運転しているとなれば男は興味半分で寄ってくるだろう、などと思いながらウンウンと頷く。

「何年ぐらい旅してるの?」
「そこに書いてますやろ」と言われて、指さされたドアの内側を見ると、
「2007年」という文字とハートマークなどが書かれていた。

 一人旅を続けるタイプには2種類ある。と勝手に考えている。
一つは人嫌いで、もう一つは人との触れ合いを楽しむタイプだ。
彼は後者のタイプ。祭りの日に、それぞれの地に行くと言っていたし、そこで出会った人と、
また来年この日にここで会おうなと再会を約しているそうだ。

 歳は、全国を放浪する時間があるということだから60歳より若いことはないだろうと思っていたが、
「いくつに見えますか」と聞かれたので「私とそう変わらんだろう」と答えたが当たっていた。
「髭を伸ばしていると歳取って見られますけど、僕の方が年下ですよ」。
いずれにしろ団塊の世代だ。

「この車、軽ですよね。軽を車中泊できるように改造したわけ」
「これ、軽トラですねん。軽トラを改造して売っている所が都城(みやこのじょう)にあるんですよ。
そこまで列車で行って買ったんですわ」

 そう言えば車中泊でネット検索した時、宮崎・都城の会社の名前がヒットしていたのを思い出した。
 数か月に一度、片道500km余り走っているから、ひたすら走るだけでなく車中泊でもしながら、
途中途中で寄ってノンビリ走るのもいいかなと思っているんだけど、この車で大体いくらぐらい
かかるのかと尋ねると、オプションで色々付けなければ200万円弱ぐらいだと教えてくれた。

 「買うんだったら70までに1歩踏みださんかったら後は絶対にせんから。
70過ぎたら旅に出るのも億劫になるし、嫁さんも歳取ってくるから反対し出すし」と、
こちらの逡巡している気持ちを見透かしたようなアドバイスをされた。







京都旅行雑感 ~ 寺院宗教とは一体何だろう。

2016-12-20 22:29:45 | 視点
 寺院は三十三間堂、龍安寺、東寺を巡った。
圧巻だったのは三十三間堂の千手観音。中央に巨像の中尊。その左右に500体ずつの千手観音の立像。
当時は金色に光り輝き、見る者はあまりの眩しさに目を開けていられなかったに違いない。
これこそ極楽浄土と感激し、光の中から観音様が現れる光景に人々はありがたがり、手を合わせ拝んだに違いない。
ただ現在、1000体の立像は埃を被り往時の輝きを失った代わりに落ち着いた佇まいになっている。

 その荘厳さに思いを馳せる一方、埃を払い往時の姿に戻せばいいのにと考えもしたが、
現在となっては下手に触れてどこかが壊れたり傷つくと困るから怖くて塵払いなどできないのだろう。

 その時頭に浮かんだのがなぜかレンブラントの絵画「夜警」とダヴィンチの「最後の晩餐」。
あの暗い光景こそが夜警の雰囲気にピッタリと思わされていたが、実は埃でくすんでいただけで、
原画はもっと明るかったようだ。
「最後の晩餐」は往時の色が復活され(デジタルでのみだったか?)、いまでは水色の服を着た女性
(キリストの妻、マグダラのマリアと思われる)が色鮮やかに蘇っているが。
 我々はオリジナルを尊重すべきか、それとも見えるものをありがたがるべきなのだろうか。

 1000体の千手観音像が埃を払われ金色の輝きを取り戻したら、どれほど素晴らしいだろうかと思う反面、
別のことを考えもした。
 仏教に限らずキリスト教でも人々を救う教えとは裏腹に、自らを祭る建造物は金ピカに飾り立て、
豪華な彫刻を施した立派なものを造りたがる。
仏やキリストはそれを喜んでいるだろうか。
彼らの教えからすれば、それは本末転倒ではないのか。
立派な器を造りたがるのは、後の宗教者達が自らを立派に見せるためではないのか。
教えの伝達ではなく形や外観に凝り出すと逆に中身が疎かになり、形骸化していく。
現代の寺院宗教が民衆から離れて行ったのは教えの中身ではなく、目に見える形や物を重視しているからではないのか、と。

 もちろん、宗教建築が文化発展に大きく寄与した点は認める。
だが、そうであるが故に宗教の本質から離れ、器重視に流れた側面がありはしないか。
でなければ、今ほど宗教が必要な時代に宗教家の不祥事(軟らかい表現で)が相次ぐことをどう説明すればいいのか。

 威圧感すら覚える巨大建造物、金色に光り輝く仏像に芸術性を感じると同時に、坊主(キリスト教を含め)の
非宗教的権威主義を感じ、「ボロは着てても心は錦」は歌の世界の中だけで現実世界はやっぱり見てくれ(外観)だろうなと、なんとも言い様がない割り切れなさを感じる京都旅行だった。



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京都旅行雑感~北野天満宮で不思議を感じる。

2016-12-19 17:09:30 | 視点
 祝日と週末を利用して11月初旬に京都2泊3日の旅行をしてきた。
京都の紅葉を撮りに行きたかったが、時期がまだ少し早いので紅葉は目的から外した。
 では、どこを回るか。何分京都は広いし、観るところは多い。
いくら目的がないとはいえ、ある程度行き先を絞らなければムダな動きが多くなる。
だが、スケジュールに縛られて動くのは嫌いな性分、というか苦手である。
計画性がない上に時間感覚もないから元来、団体行動には向いていない。
ツアーで歩いていても目に留まるものがあれば、そちらに逸れてしまう。
だから同行者がいないとはぐれてしまう。
 数年前、弟と一緒に東北旅行に行った時も弟がいつも近くで私の行動を見てくれていた。
それでも写真に夢中になり、何度か集合場所まで走ったことがある。

 さて、キーワードから紅葉を外すと、どこを観てもいいことになるが、やはり京都らしさを撮りたい。
では、京都らしさとは何かとなると思い付くのは祇園と哲学の道。
西田幾多郎哲学とは関係なかったとはいえ、学生時代に哲学を専攻した身としては
先人に習って思索に耽りながら散策してみたいと思っていたが、その密かな楽しみは
自分一人だけのものにしたいので今回は諦めた。

 結局、スケジュールづくりはパートナー任せにしたが、そういえば太秦の映画村には一度も行ったことがないと思いだし、そこには行くことにした。
後はお決まりの寺巡りとなった。

北野天満宮で不思議に思う

 「よくそこに気付かれましたね」
北野天満宮で神職にあることを尋ねると、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの顔でそう言われた。
「気付かれるのは10万人に1人ぐらいです」と大袈裟に世辞を言われたが、誰でも普通に気付くはずで、
ただそんなことをわざわざ尋ねに来る変わり者は数少なかったのだろう。

 何のことかと言えば、同宮の参道である。
鳥居をくぐって真っ直ぐ進んでいくと天満宮の本殿ではなく横手に出るのだ。
あれ、なんで、と思いながら、左に折れて本殿に向かった。

 参拝後、今度は真っ直ぐ参道を歩いて出口に向かうと途中で参道が斜め左に折れているではないか。
やっぱりおかしい。
神様の通り道が曲がることはあり得ないはず。
第一どこでも参道を真っ直ぐ歩いて行けば必ず本殿の前に来る。
それなのになぜ北野天満宮だけ参道が曲がっているのだろう。
祭神は菅原道真公である。曲がったことが大嫌いなはず。
それなのになぜ、とまたもや疑問が湧く。



 疑問を感じると確かめずにおられない。
「おかしい。ちょっと聞いてくる」と言い、神職を探して感じた疑問をぶつけたところ先のように言われた。
「北野天満宮の七不思議の一つと言われています」
 実は、と言いながら説明されたところによると、元々この地は地主神社が祭られていた場所で、
いかなる謂われか分からぬが地主神社から譲り受け、道真公を祭る天満宮とした。
その際、地主神社の正面を避けて天満宮を建てたから参道が曲がっているとのこと。

 説明を聞き、もう一度参道をまっすぐ行ってみると、たしかにそこには地主神社があった。
小さな祠ではあったが。
 こういう例がまったくないわけではない。
ただ、その場合はもともとあった祭神がその場所(正面)を新しい神に譲り、自らは脇に追いやられているか、足跡だけ記され祠もないことの方が多い。

 祭神として祭られているが元を正せば神はすべからず人である。
つまり神の歴史(神話)は先住民と、その地に新たに来た民族の歴史であるから、
祭られるのは勝利者だが、戦わずして降伏、あるいは和睦した民族の話は国譲り伝説として語り継がれている。
 道真公の場合はさすがに相手を追いやることなく(自らが無実の罪で西国に追いやられた身だから)、場所譲りを受け、その代わりに自らは正面を避けて脇に寄ったということだろう。



デル株式会社

映画「クワイ河に虹をかけた男」を観て

2016-12-15 12:14:03 | 視点
 「クワイ河に虹をかけた男」--。
このタイトルを見て読者の皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
私は映画「戦場にかける橋」がすぐ脳裏に浮かび、ミッチ・ミラー楽団が演奏した映画のテーマ曲「クワイ河マーチ」の行進曲が耳奥に流れてきた。
 このタイトルを目にしたのはKBCシネマという福岡市内にある映画館の上映予告欄。
ここはコンプレックスシネマが当たり前になっている今のシネマ業界にあって、スクリーンが2つだけというこぢんまりとした映画館である。
そして多くの映画館が興行的に当たる映画をこぞって上映する中で、商業主義・興業主義とは一歩距離を置いた作品を上映し続けていることで知られている。

 最近、私はここで映画をちょくちょく観ているため、時々上映スケジュールを確認しているが、そこで目に留まったのが冒頭のタイトルだ。
 「戦場にかける橋」となんらかの関係があるのだろうとは容易に想像がついたが、2つのことが私の注意をさらに引き付けた。
 1つはサブタイトルというか、映画予告欄の次のような言葉である。

 たった一人の戦後処理。
  アジア太平洋戦争下、旧日本軍が敷設した泰緬鉄道--
  「死の鉄道」の贖罪と和解に生涯を捧げた元陸軍通訳・永瀬隆の20年の記録

 どうやらドキュメンタリー映画らしいと思ったのが最初の興味である。
そしてその時、ふいに「ゆきゆきて、神軍」(1987年公開)が脳裏に過ぎってきた。
今村昌平企画、原一男監督のドキュメンタリー映画で、主人公は奥崎謙三。

 彼のことを知っている人は数少ないと思うが、強烈な印象とともに私の脳裏には彼のことが記憶されている。
皇居での一般参賀の時、天皇(昭和天皇)に向かってゴムパチンコでパチンコ玉を打った男といっても、そのことすら人々の記憶には残ってないかもしれないが、この事件がきっかけでバルコニーに防弾ガラスが設けられるようになったのである。
 彼のことはこの映画より前に彼が著した著書「ヤマザキ、天皇を撃て!」を読み、知っていたが、その時初めて日本軍が人肉を食っていたことを知ったし、戦争が一人ひとりにいかに深い傷を負わせるのかを知らされた。

 激しい個性の持ち主、奥崎はそれに負けず劣らず激しい憎悪を当時の上官達に戦後、直接ぶつけていく様をカメラは冷酷に追い、記録していったのが上記のドキュメンタリーで、観客として観ていても、カメラを回すことより、殴りかかっているのを止めめなければ相手が死んでしまうぞと芯から恐れたものだ。

 ところで「クワイ河に虹をかけた男」に惹かれたもう一つは制作会社だった。
こんなドキュメンタリー映画を作る会社はどこだろうかと思いクレジットを探すと、制作・KSB瀬戸内海放送となっていた。
映画制作会社ではなく瀬戸内の地方TV局である。
地方TV局が映画目的のためだけに映画を制作するわけはない(資金面からも)から過去にTV放映したものを編集したに違いないとはある程度予想できた。

 それにしてもなぜKSB瀬戸内海放送が、という疑問が次に湧いた。
が、その疑問は映画を観てすぐに解けた。主人公の永瀬隆氏が岡山県倉敷市在住だったのだ。

 映像ドキュメンタリーは1年や2年で制作できるものではない。
文章なら過去の出来事でも遡って記すことができるが、ドキュメンタリー映像はそれができない。
登場人物と同じ時間を共有し、その時を記録していかなければならない。
この点がフィクションと違う所だ。

 早い話、根気がいる仕事である。
そして共有した時間の長さが作品の質を決めるところもある。
KSB瀬戸内海放送はこの作品づくりに20年かけていた。
よくぞ作ったと拍手を送りたい。

 さて、映画のあらすじだが、それはオフィシャルサイトhttp://www.ksb.co.jp/kuwaigawa_movie/index.php)に譲るので、そこを一読し、ぜひ映画館に足を運んで欲しい。

 ただ残念なことに、この種の映画は同地域の複数館で上映されていたり、上映期間が数週間から1か月に及ぶということはない。
例えば福岡県では福岡市のKBCシネマだけだし、上映期間も11月26日~12月2日までと短いし、時間も午前9時50分からと早い。

 永瀬氏のタイ巡礼は1964年~2009年までの間に135回。
そのほとんどに(1回目から)奥さんが同行し、135回目を終えた直後、奥さんが他界。
永瀬氏自身もその2年後に亡くなった。

 印象に残ったのはタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の国境近くで永瀬氏達を睨みつけていた英国人と思しき男性2人の視線。
その視線がここで行われたことの全てを物語っていた。
泰緬鉄道建設に従事させられ、この地で亡くなった英国人捕虜の関係者かもしれない。
「ああ、なんてこった」とでも言いたそうに、2人の内の1人は頭に片手を置いて後ろを向いたが、その姿に戦争はまだ終わっていない、彼らの中では決着が付いてないのだと思い知らされた。

 今後、岡山市、広島市、神戸市、仙台市、鹿児島市、深谷市での上映日程が決まっている。
詳しい日時はオフィシャルサイトで確認して欲しい。



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SIMフリースマホにしない手はない(1)~24時間誰とでもかけ放題のイオンSIM

2016-12-07 22:01:58 | 視点
 いまSIMロックフリー(以下SIMフリー)市場が熱い。新しいSIMフリースマートフォン(同スマホ)が次々に発売されているだけでなく、従来の格安スマホから1線を画したミドルレンジ(中機能)が次々に投入されているからだ。そしていずれもコストパフォーマンスがいい。SIM容量も多彩になり、端末、ソフトともに選択肢が大幅に増え、各自のライフスタイルに応じて選べるようになったのも人気の一つだ。
 昨年12月、キャリアの実質ゼロ円販売や高額なキャッシュバックを禁じる通達を総務省が出したことでSIMフリー市場に流れるユーザーも増えた。そこで今回はSIMフリー市場で人気の一端を担うイオンモバイルのサービスを紹介してみたい。

イオンは音声SIMも縛りなし

 イオンモバイルは名前から分かるように流通大手イオングループの一員である。同グループがSIMフリー市場に参入したのは2014年と比較的新しいが、SIMフリー市場で同社が果たした役割は大きく、イオンスマホ以前、イオンスマホ以後と言ってもいいほどだ。
 衝撃的だったのはSIMと端末のセット販売。それも1つ前の機種とは言え人気だったNexsus4とSIMをセットで月額2980円で販売した。この分かりやすいシステムに飛びついたのがスマホ初心者やシニア層だったが、それは同社の狙い通りでもあり、限定数の8000台はわずか1か月で完売してしまった。
 その後、イオンは格安スマホから「こだわりスマホ」へとステップアップする戦略を取り、機能をアップしたスマホを販売しだしたが、現在の取り扱いスマホはミドルレンジ(中機能)の最新機種が中心になっている。

 同社の魅力はスマホ本体よりSIMにある。MVNO(Mobile Virtual Network Operatorの略、仮想移動体サービス事業者)のSIMとキャリアのSIMが決定的に違うのは契約期間の縛りがあるかないかだ。キャリアの場合は大体2年契約で、途中で解約すると違約金を取られる。いわゆる2年縛りである。
 一方、MVNOは契約期間の縛りがないから、いつ解約しても違約金を取られる心配がない。ただし、それはデータ専用SIMの場合で、音声SIMは1年以内の解約なら解約料を課しているところが多いが。

 しかし、イオンモバイルは音声SIMでも契約期間の縛りなし、解約料なしである。これは画期的。よくぞ解約料なしに踏み切ったものだと感心する。
 キャリアにしろMVNOにしろ、音声SIMに解約料を課すのは顧客の囲い込み。短期で他社に移動されると儲からないからだ。できるだけ長く使い続けて欲しい、そのために様々なサービスを導入し安くしているというのが偽らざる本音だろう。
 一切の拘束を取っ払って大丈夫か。気に入った端末欲しさにイオンモバイルで契約し、数日使ってすぐ解約されると困りはしないか、と他人事ながら心配すると同時にイオンモバイルの太っ腹に感心せざるを得ない。
 ゼロにすれば、ちょっと試してみて、よくなければ他社にすぐ替わるだろうから同社は儲からないだろうと心配してしまうが、人は一度契約するとよほどのことがない限り短期でよそへ移らないものだ。また同社にしてもSIMの品質やサービスに自信があるからこそ解約料なしに踏み切ったのだろう。

 ただMNP(ナンバーポータビリティ)転出をする場合は転出手数料がかかるので注意が必要だ。手数料額は契約期間によって変わり、契約後180日以内は8000円(税別)、181日目からは3000円(同)になっている。

月1500円で、いつでも、誰にでもかけ放題

 電話をよくかける人にお勧めなのが月1500円で24時間、誰にでも電話かけ放題になるオプション。最近はかけ放題を謳っているMVNOもあるが、ほとんどが5分かけ放題(ほかにも1分、10分がある)だ。5分以内なら何度かけても無料だが、5分を過ぎると30秒20円の通話料がかかる。5分になる前に何らかの合図(公衆電話のようにピーと鳴る音のような)をしてくれればいいが、それはない。5分超過に気付かず話していると、せっかくの無料電話が逆に高くつくことにもなる。

 その点イオンモバイルのかけ放題は相手がドコモだろうとau、ソフトバンクケータイ・スマホであろうと関係なく、何時間でも話し放題(5時間話し続けると自動的に切れる)。同じようなプランのケータイのかけ放題料金2200円と比べてもイオンモバイルの1500円は圧倒的に安い。
 しかもイオンモバイルのかけ放題はデータSIMで使えるから、最低1980円で1Gのデータ通信とかけ放題電話が使えることになる。

 なぜ、こんなに安い料金で電話かけ放題ができるのかといえば、050で始まるインターネット電話だからだ。インターネット電話とはいえ固定電話番号はもらえるし電話をかけた相手へ050で始まる番号も通知される。
 インターネット電話の場合、通話品質が回線状態に左右されるため、できるだけ電波状態のいいところやWi-Fiを利用するようにした方がいい。

 このサービスのメリットは電話がかけ放題になることだけではなく、090や080で始まる番号と050で始まる番号の2つを持てる点にもある。番号が2つあれば仕事用とプライベート用で使い分けることができるし、受信は090で、発信は050を使い、通話料を安く抑えるといった使い方もできる。

実店舗が多く、店頭で買えるのが魅力

 SIMフリーが今後シェアを拡大するのは間違いないが、普及のネックの一つになっているのが実店舗の少なさ。一部のMVNOに実店舗での販売拡大の動きは見えるものの、まだほとんどがネット販売だけなので、実機を事前に手に取ってみることができない。当然、SIMの設定などは自分で行わなければならないし、音声SIMの場合、開通までに数日から1週間近くを要する。これがネックになりSIMフリーへの以降をためらっている人もいる。
 その辺りはMVNOも分かっており、ネット販売でも即日開通できるような方法を導入しているところが増えだしたが、それでもやはり実店舗にはかなわない。実店舗販売なら小1時間待っていれば使えるように設定して渡してくれるし、スマホの操作や分からないところもその場で教えてもらえる。いちいちネットで問い合わせをしなくてもいいのは大きなメリットだ。
 その点イオンモバイルは全国213店舗で販売・サポートをしているため安心して購入できる。メカに弱い人やスマホ初心者には特にメリットが大きいだろう。

 最後にイオモバイルでスマホを安く買う方法を。
イオンは毎月数回、イオンカードの支払いで5%割り引きを実施しているのだ。すでにイオンカードを持っている人は5%割り引きの日にスマホ売り場に行き、イオンスマホをカードで買えば5%割り引きで買えるから随分お得だ。イオンでよく買い物をする人は何かと割り引きもあるし持っていて損はないカードだろう。



AEON de WINE


責任逃れの言い分けに使われる個人情報保護法(2)

2016-12-03 12:41:32 | 視点
 田舎の子はよく挨拶するが、都会ではあまり見かけない。
疲れた顔をしてダラダラと歩いているか、スマホを見ながら歩いている子は多いが、
すれ違う時に「こんにちは」と声をかけてくる生徒にはほとんど会わない。

 それどころか一度、車のトランクが開いていることを知らせる警告ランプに気付き車を駐めたところ、
車の少し先にいた少女がこちらを伺うような目で見、道路の反対側に素早く走って渡った。
 その子は辻から出てきたので、安全を確認し、道路を急いで渡ったのだろうと思ったが、
その後、何度もこちらを振り返りながら走り去る姿を見て別のことが頭を過ぎった。
どうも怪しい人物と疑われたらしい。
そういえば最近、子どもを車に無理矢理乗せ誘拐する事件が後を絶たないから、
車には注意しなさいと親から教えられているのだろう。
 この少女の対応は正しいと褒めるべきなのだろうが、怪しい男と疑われたこちらはなんとも複雑な気持ちになった。

感謝の意も直接伝えられず

 それはさておき、学校の行き帰りに子どもが挨拶をしてくるのは実に気持ちがいい。
このまま真っ直ぐに育って欲しいと思う。
そして、そういう子どもを育てている校長に一言感謝の意を伝えたいと思った。

 そう感じたところで即行動すればいいのだが、根が不精者だからなかなか行動に移さない。
そうこうしているうちに1年あまりがたってしまったが、帰省している時、そのことを思い出し校長に会いに行った。

 好事門を出でず、悪事千里を行くという。
苦情を言いに来る人は多くても、感謝の言葉はなかなか耳に入らないだろうと思っていたから、
手紙や電話ではなく、やはり直接会って校長の教育がこのように実っているということを伝えたかった。

 学校でK校長に面会を申し込むと、春に別の学校に異動になり、本校にはもういないと言われ、ちょっとがっかり。
 応対に現れた年配の女性教師はそう返事しながらも怪訝な顔で「どちら様ですか」「どういうご用件でしょう」と
尋ねてきたから、その無愛想な対応に多少不快さを感じながらも、面会趣旨をきちんと説明。

 「ここの生徒達はよく挨拶をすると帰省の度に感心していたが、1年前のPTA新聞に校長の挨拶文が載っており、
生徒がよく挨拶をするのは校長の教育方針の賜物だと感じ、直接お会いしてそのことを伝えたくて」
「K校長先生はこの春転勤で他に異動されました」
「そうですか。どちらに異動されたのですか」
「それは個人情報ですのでお教えできません」
「えっ・・・」。絶句してしまった。
 そんなこと個人情報ではないだろう。教員の人事異動は毎春、新聞にも掲載されているし、用件も話しているのだから、
「校長も直接そういう風に言われると喜ぶと思いますよ」と言うならまだしも、相手はオウムのように
同じ言葉を繰り返すだけ。「個人情報ですから」と。

 こちらの質問に対し同じ言葉をただ繰り返すだけの人は近年増えている。
ただし、それは若い人によく見かける傾向で、今回のように年配の教師では珍しい。
いずれにしろ問題解決とは程遠い態度で、そこにあるのは責任逃れ。
もし、なにかあった時に上司や他から責められたくないという自己保身だ。
 いい話はなかなか耳に入ってこない。だからこそ、校長に会って直接伝えたかったが、
その女性教師と言い合っても仕方ないので、それは諦めた。

 それにしても個人情報保護法って一体何だろう。
いろんなところで、「ここで知り得た情報は○○以外には利用しません」などとよく明記されているが、
それを言葉通りに信じている人がどれぐらいいるだろうか。少なくとも私は全く信じていないが。

 銀行であれクレジットカード、アンケートであれ、なにかに記入すれば相変わらず数日後から1か月以内ぐらいに
どこかから何かしらの案内や電話が届くし、大量の会員情報が漏洩する事件は後を絶たない。
結局、個人情報云々は責任逃れの言い分けに使われる常套句でしかない。

 個人情報ももちろん大事だが、それ以上に情報開示の方を積極的に行って欲しいものだ。
そうすれば不正行為に対し追跡調査も出来るし、誰がどこで、いつ、個人情報を流したのかも究明できるというものだ。
ところが今、この国は逆の方向に動いている。その先に一体何が潜んでいるのか--。






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責任逃れの言い分けに使われる個人情報保護法(1)

2016-12-03 10:46:58 | 視点
 個人情報保護法が成立した時、これは「天下の悪法」--というのは多少大袈裟かもしれないが、
これで取材がやりにくくなり、情報が秘匿されていくだろうと思ったのは事実だ。
結果、今その通りになっている。
一方で情報公開が叫ばれながら、現実はそれに逆行する動きはますます強まっている。

 例えばいま話題の豊洲市場問題。本来、盛り土をするべきだったところに盛り土がされてなく、
おまけに地下空間から環境基準を上回るベンゼンやヒ素、さらには地下空間の大気から国の指針の
7倍に当たる水銀が検出された。
これらに対し、即座に健康に影響を与えるものではないと言われても、豊洲市場で扱っているもの
を食べたいと思う消費者は恐らく皆無だろうし、環境汚染の中で働くことに不安を感じない市場関係者もいないだろう。

個人情報を盾に情報開示を拒む

 とにかく次から次へといろんな疑惑が出てくる豊洲市場移転問題だが、問題の解明を遅らせて
いるものに都の情報秘匿があるのは誰の目にも明らかだろう。
役人の事なかれ主義、責任逃れ体質は何も今に始まったことではないし、都だけではないと言われ
るかもしれないが、仮にそうであってもそれでよしとして見逃すわけにはいかない。
やはり一つひとつ問題を潰していかなければいつまでたっても変わらない。

 さらに言うなら、そういう問題を見過ごしていくと逆に彼らの闇の中に取り込まれ、
ミイラ取りがミイラになってしまう。
そういう意味で小池都知事は今が正念場。ここで安易な妥協をし、落とし所など探るのではなく、
この際徹底的に膿を出し、透明な都政にすべきだ。
そのためにも情報公開をしっかり行ってもらいたい。

 ところが伏魔殿・都庁はそうやすやすと情報を公開しない。ひたすら隠すことで自らを守ろうとする。
豊洲市場の盛り土がされなかった問題の検証報告内容がそうだ。
10月6日に行われた都議会経済・港湾委員会の集中審議で、「ヒアリング内容が真実の究明には重要。
証言は公開できるのか」との自民党議員の質問(追求?)に対し、中央卸売市場の担当者は
「ヒアリングは行政監察手続きの一環で実施した。聴取を受けていることや聴取の発言は個人情報に当たる」
から公開できないと答弁している。

 ヒアリング内容を明らかにすると誰が何を言ったかという個人名が出てくるので、
それは個人情報だから明らかにできないというわけだ。
早い話、個人情報保護法を盾に事実の隠蔽を画策しているとしか言い様がない。

 こういう場合に個人情報保護を盾に情報を秘匿するのは間違いだし、個人情報保護法が適用されるとも思わないが、
この法が施行されて以後、あらゆる場面でこういうパターンに遭遇する。

 「個人情報ですので」。
これさえ唱えておけば、面倒なことに巻き込まれなくて済むし、あらゆる責任から逃れられると思い込み、
呪文のようにこれを唱える。特に公務員が。
その結果、おかしなことが起きる。不都合な事実だけでなく、好都合な事実まで伝わらなくなるのだ。

「あいさつは魔法の道具」と教えた校長

 以下は実際に私が経験したことである。
昨春、帰省した際、ポストにPTA新聞が投函されていたのを見つけた。
新聞と言ってもA4用紙の見開き程度の大きさの紙1枚で、そこに「平成26年度を振り返って」と題した1文が載っていた。
書いたのは地元校のK校長。以下、引用してみる。

 「元気に 笑顔で 一生懸命!」始業の式の日、160名の子ども達に一番に伝えた言葉です。
人生いろんなことがありますが、「元気に 笑顔で 一生懸命!」に生きたいと私も思っていますし、
子ども達にもこうあって欲しいと思っています。その時、がんばってほしいことを2つ話しました。
 1つは「気持ちの良いあいさつをしよう。」ということです。気持ちの良い挨拶をすれば、自然と笑顔になります。
笑顔が多くなればやる気が湧きます。やる気が湧けば色々なことが出来るようになります。
色々なことが出来るようになれば、自信がつきます。
自信がつけばもっと他のことにチャレンジしようという気持ちが湧いてきます。『あいさつは魔法の道具』です。(原文のまま。以下割愛)

 私の田舎の子どもはよく挨拶をする。道をすれ違った時に「こんにちは」と声をかけてくるのだ。
感心したのは車道を挟んで向こう側を歩いている子どもが挨拶をしてきた時。
道路の向こう側を歩いている人にまで声をかけるというのはなかなかできない。
中学生ぐらいになると、そういうことに気恥ずかしさを覚えたりもするから、なかなか声をかけられないものだ。



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