栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

地名のいわれ、古い地番の確認が防災に役立つ

2020-04-19 22:33:06 | 視点

ここ数年、台風に限らず豪雨による被害が各地で起きている。

岡山県真備町を中心に広範囲に及ぶ水害が発生したのは記憶に新しいところだ。

そこで今回は水と地名の関係について少し考えてみたい。

 私が生まれ育ったのは岡山県北東部の田舎というのは本メルマガでも何度か触れたと思うが、

地名を美作(みまさか)市江見(旧英田郡作東町江見)という。


 実はこの地名に以前から疑問を感じていた。

山間(やまあい)の地で見えるのは山ばかりというか、山に囲まれた小さな盆地で、海や大きな湖沼はない。

それなのに「江見」という地名が付けられているのが不思議だったのだ。

 何が不思議なのかと言えば、「さんずい」が付く文字は水に関係しているからである。

「江」は中国では揚子江など大きな川に対して使われる文字であり、日本でも入江など湖や海で水が陸地に入り込んでいる所を指している。


 それから考えれば「江見」という地名は水に関係する「江」と「見る」という文字から作られており、

「江(川や入江)」を「見る」とは「水の動きを監視する」地域だったことから付けられた地名ではないかと想像される。


 だが、私が知る限り近くに海はおろか大きな湖沼も存在しない。

小さな池はあるが、農業用水の溜め池だから、そんな小さな池の存在で「江」の字が付けられたとは考え難い。

 では、なぜ水に関係する「江」の字が地名に付けられているのか。そのことが私にはずっと謎だった。


 水に関係することで言えば、近くに川があるにはあるが川幅は60m前後。

子供の頃は夏になると、その川で泳いだというか潜って遊んでいたが、

もし、その川が「江」の由来だとすれば、その川を「見る」とはどういうことなのか。

 この程度の川(の水)を監視する必要があるとは思えなかったが、思わぬことから謎が解けた。


 今春、親戚の土地だった隣接地の売却が決まり、土地家屋調査士がやって来て、境界線の立ち合いをすることになった。

いままで家の境界がどうのというようなことには全く関心がなく、そういうことは弟に任せていた。

弟は建設関連の仕事をしていたということもあるが、それ以上に家系とか伝統、しきたりなどに

詳しかった(うるさかった)ので不動産のことは全て任せていた。

 その頃は歳の順に逝くと思っていたから田舎の不動産などに関心はなく、親の代からのものは

全て弟に丸投げで任せていたから地番なんて確認したこともなかった。

第一、土地に地番があるということすら知らなかったくらいだから。

 その弟が先に逝ったものだから、土地家屋調査士の測定に立ち合ったり書類を確認したり

ということが全て私に回ってきた。

そして、その書類ではじめて土地に地番があることを知り、自宅の地番が「江見字打波」になっていると知ったのだ。


 「打波」とは文字通り波打ちの所であり、実家周辺は波打ち際の土地だったと知らされた。

これで「江見」という地名が付いているいわれが分かった。

やはり水に関係していたわけだ。

 ついでにいえば江戸は「入江の門戸」を意味し、徳川家康が駿府から江戸に拠点を移した当時は

寂しい漁村だったようで、湿地や入江を埋め立てて江戸の町が作られた。

つまり江戸、現在の東京は元々湿地帯が多く、また「谷」と付く地名が多いことからも

水害と無縁ではないことが分かる。

 地名のいわれが分かると次々と色んなことが分かってくる。

「打波」というぐらいだから、昔はもっと川幅が広く、水量も多かったのかもしれない。

もしかすると高瀬舟の往来もあったのではないだろうか。

 そう考えていくと「船曳(ふなびき)」という名字の家があったことを思い出した。

私が子供の頃は内科医だったが、船曳という名字は先祖が船を曳く仕事に従事していたことを表している。

 いまのような動力がない時代である。船を川上に移動させるためには川岸から人力で、

あるいは牛馬を使っていたかも分からないが、曳くことを仕事にしていた人達がいたわけで、

その職業の人を船曳きと呼び、やがて船曳姓になったと思われる。

 というわけで実家近くの川は案外大きな川だったのではないかと想像される。

小さな川が波打つとはあまり言わないだろうから。

 ところで、私の実家は昭和30年代と2009年の2回、床上浸水の被害に遭っている。

いずれも支流からの逆流(最近ではバックウオーター現象などと言われているが、無理にカタカナ文字を使う必要はあるまい)によるものである。

 「江見」の町は吉野川と山家川の合流地点になっており、2009年の水害は山家川上流の雨量が多く、

その流れが吉野川にぶつかり、堰き止められた形になった水流が手前の堤防を越えて

町に流れ込むと同時に、吉野川への排水が出来なくなった用水路の水が下から逆流して

町一帯が浸水被害を受けた。

中学時代の同級生は翌朝まで電柱にしがみ付いて難を逃れたと言っていたが、

ここ数年、各地で起きている水害もほとんど同じ形である。

 大水害後に取られる方法は全国大体同じで、堤防の建設と堤防の嵩上げである。

もちろん、これは必要である。

しかし、これは人間と自然が繰り広げるイタチごっこのようなもので、万里の長城のようなものでも

造らない限り、どこかの堤防が崩れて、あるいは堤防を越えて水が襲ってくる。

 堤防の高さにしても1mでいいのか2m必要なのか、何mなら安全と言えるのか分からない。

それに経費の問題がある。

地方の小さな自治体では危険個所すべてに対応することは難しいのが現実だろう。

 だからといって生命を危険にさらせていいのかということになるが、すべてを満足させる解決策はないだろう。

 となると個人でできることは自治体のハザードマップを検討し、早めの避難を心がけるぐらいしかない。

ハザードマップも必ずしも被災箇所と一致しているとは限らないようだから、古い地名や地番を調べ、

サンズイが付く地名の所は水害が起きやすい地域と認識しておくことも必要だろう。

 特に新興住宅地は新しい地名が付けられ「〇〇丁目」に変更され、古い地名が分からなくなっているから注意が必要だろう。


2025年、2030年の社会は?~世界は独裁化していく

2020-04-13 12:30:48 | 視点

帝国をやめた米国と帝国化に進む中国

 激動の1年という言葉があるが、昨年はまさにそんな年だった。

第2次大戦後生まれの政治家が各国のトップに就いてくると、戦争に対する実感がなく、

戦争を映像で見ながら操作するゲームと同じような感覚なのか、まるで花火でも打ち上げるように

ミサイルを次々と発射する北の若者がいる。

 それでも「彼は友達」と言い、自分も負けじとドローンを飛ばし「敵」司令官を暗殺する

米大統領がいるかと思えば、ポーカーフェイスで、おとなしそうな顔をしながら、

北の若者と同じようにちょっとでも見解が違う人間はスパイ容疑で逮捕・長期拘留をする中国の指導者がいる。

 そうなると身体を鍛えることが大好きなKGB出身の彼も柔道着など着ている時ではないとばかりに

軍服に着替え、いつでもミサイルを飛ばせる準備にかかっている。

 なんともはや危険な時代になったものだと思うのはこちらだけで、「指導者」たる政治家や、

「賢明な」大人達は「今そこにある危機」から目を逸らし、「カネのことと経済発展がいつまで続くか

というおとぎ話」のことにしか関心がないようだ。

 この星が消滅の危機に直面しているというのに、ミヒャエル・エンデの「モモ」も、

ジョージ・オーウェルの「1984年」も読んだことがない彼らは、

相変わらず時間と資源を食い尽くしながら、地球の果てまで経済発展を求めて進もうとしている。

 大国の中で一人遅れてやって来た中国の指導者は今までの遅れを取り戻すべく

全速力に全速力で走れと自国民を焚き付け、不動産バブル崩壊もインフレ危機も何のその、

国土は広いと、沿岸部から内陸部へ、内陸部から山間部へと開発に駆り立てている。

 中国には「愚公(ぐこう)山を移す」という諺があるが、習近平にはそんな呑気で長期的な思考はないらしい。

「時は金なり」とばかりに時間で駆り立て、笛を吹き、踊らされた人々は新幹線を世界最速で

走らせたかと思えば、自動車、スマートフォンで世界を席巻し、

「一帯一路」の呪文でアジアばかりかアフリカにまで進出する始末。

 かつての帝国アメリカはトランプ大統領になって帝国の拡大をやめ、「自国第一」に徹している。

代わりに帝国化を進めているのが中国で、いまやかの国の拡大欲は留まるところをしらないようだ。
 いまでもこれだから2030年にはどうなっていることかと思うが、恐らく1980年代のアメリカと同じ状態、

自国製造業が衰退し、輸入超過で貿易赤字に陥り国力低下という状態になっていることだろう。

 そうなると国内情勢が不安定になり、国内の「反革命」分子の鎮圧に躍起にならざるを得ない。

それが見えているから今の内から「テレスクリーン」を全土に張り巡らせ、

少しでも不穏な動きをする人間は自国民、他国民を問わず「中華人民共和国反間諜法

(日本などでは反スパイ法と呼称されている)」を適用して逮捕、長期拘束を行っている。

 香港人が中国大陸に行ったまま行方不明になったり、香港から突然姿を消し、

数か月後に中国大陸にいることが分かった例は後を絶たないし、数年前から日本国内の大学人が

中国で開催される学術研究会に出席したところ突然、反スパイ法違反容疑で逮捕されたという例も結構ある。

政権による恣意的な解釈で逮捕

 気になるのは「反スパイ法」の内容だが、同法では「スパイ行為」を次のように定義付けている.

 1.国家の安全を害する活動

 2.スパイ組織への参加またはスパイ組織・その代理人の任務の引き受け

 3.国家機密の窃取、探索、買収または不法な提供

 4.国家業務に従事する人員の反旗の扇動、勧誘、買収

 5.攻撃目標の指示

 6.その他スパイ活動を行なうもの

 これらを行ったと見做されれば、即逮捕、拘留されるわけだが、

スパイ行為と定義されている上記の内容自体が実に曖昧である。

 例えば「国家の安全を害する活動」とは具体的にどのような活動を指しているのか、

何が「国家機密」に当たるのか等々が判然としない。

それでいきなり逮捕されたのではたまったものではないが、日本人を含め多くの外国人(欧米人も多い)が逮捕、

拘束されているのはほとんどが身に覚えのない「スパイ活動」によってである。

 もう少し具体的に見て行こう。

私事になるが、日中国交回復5年後の1978年に私が訪中した時のことである。

まだ個人旅行、自由旅行は認められていない時代で、旅行といっても行きたい所に自由に行ったり見たりすることはできない。

 各地の訪問先ではまず中日友好協会に行き挨拶し、お膳立てされた小学校や幼稚園を訪問し、

そこで生徒や園児のかわいい遊戯の歓迎を受けなければならない。

今、北朝鮮に旅行すれば、ほぼ同じような内容になるはずである。

 「中国旅行」というより「訪中」という言葉の響きの方がピッタリな感じがする。

旅行中は現地の通訳が同行するが、もちろん中国共産党員である。

私は旅行中、あることからその通訳に「反中国分子」と睨まれ、マッチを貸して欲しい

(当時、私は喫煙していたので)と頼んだら、マッチをテーブルの上に放り投げてよこされた。

礼儀を重んじる中国社会で、こんな失礼な態度をされることはまずない。

彼は私を「危険分子」と見たのだろう。

それまでは中国事情に詳しい私に親近感を抱き、言葉遣いも丁寧だったのが、この時から態度が一変したのである。

 きっかけは私のある質問が中国共産党の公式見解に疑義を挟むものだったからだ。

それは林彪事件に関するもので「林彪の”人民戦争の勝利万歳”(という著作)は

毛沢東思想に反するものではないと私は思うし、中国でも林彪の行動は別にして、

あの論文自体に対する批判はされてないが、あなたはどう思うか」と雑談の中で彼に尋ねてからだった。

 当時、林彪は反革命分子とされ、「批林批孔(林彪を批判し、孔子を批判する)」運動が行われたあとで、

「林彪は毛首席暗殺を試みた反革命分子」というのが党の公式見解だった。

私の質問はその公式見解に反するものと受け取られたわけだ。

 もう1つの「事件」は武漢で起きた。

私とカメラマン(当時30代)は昼食後の休憩時間を利用してホテルを抜け出し街に繰り出していた。

ところが武漢で突然、警官に警棒を振り回されて文句を言われ、群衆に取り囲まれてしまったのだ。

警官が怒鳴っている言葉は全く分からなかったが、私達の行動のなにかが問題に

されたようだということだけは分かった。

 当時、鄧小平が2度目の失脚から復活した後で、鄧小平の復活を支持するというような

横断幕が通りに張られていた。それを私が写真に撮った行為がどうも問題にされたようだ。

 たしかに出発前、写真撮影に対する注意があった。

まず空港は上空からも飛行場も空港内部も撮影禁止と言われた。

民間専用ではなく軍も利用しているから飛行場は「軍事機密」である。

写真を撮っていると軍事機密を盗もうとしていると見られ逮捕される危険性があるから

絶対にカメラを持ち出すな、と。もちろん軍事施設はすべて撮影禁止である。

 私がカメラを向けたのは軍事施設でも、それらしい場所でもなかったし、解放軍も居なかった。

ごく普通の街の風景で、壁新聞を写したわけでもないし、鄧小平の復活は

すでに世界中に知らされているニュースで、それを歓迎する横断幕を写すことが

「スパイ行為」になるとは思えない。

 だが、私達は警官に激しい剣幕で迫られたのである。

幸い逮捕されることにまでは至らなかったが、これが今だったら間違いなく「スパイ行為」と

断じられ逮捕、拘束されたことだろう。

 「反スパイ法」が怖いのはスパイ活動と断じ、その法律を適用するのは中国当局、

さらにいうなら中国共産党幹部であるという点である。

いくらでも恣意的に解釈、適用される恐れが強いのだ。

 実はこれ、中国や北朝鮮に限ったことではなく、世界のあらゆる国で反対意見を封じ込めるやり方が横行している。

それが巧妙かどうかだけで、巧妙であればあるほど人々はそれに気付かない。

映画は未来を映す鏡

    (略)

独裁者は味方の顔をして現れる

    (略)

「ソフトな独裁」の方が怖い

    (略)

残酷極まりない「鳥取の飢え殺し」

    (略)

歴史は改竄され、「真実」が作られる

    (略)

公文書の廃棄は独裁化の始まり

    (略)

 

  全文はHPに収録しているので、そちらでどうぞ

 栗野的視点(No.672):2025年、2030年の社会は?~世界は独裁化していく

 

 


辺境の反撃が社会を変える。

2020-04-09 15:51:10 | 視点

 「東京が中心で地方は従」「地方は黙って中央の言う通りに従っていればいい」--。

そんな空気が長い間この国を覆っていた。

それは各県知事の多くが中央官僚出身者で占められていることからも分かる。

知事は中央からの派遣と同じなのだ。

 地方を中央に従わせているもう一つの側面は「カネ」である。

様々な名目のカネが中央から地方へ流されている。

財政難の地方は、中央から流れてくるカネを当てにしなければならない。

言うならばカネの力で地方を従わせているわけだ。

辺境が動く時、時代が動く

 その関係にこのところ変化が起き始めた。

いくらカネを積まれても「ノー」と地方が言い始めたのだ。

原発事故後の東北がそうだし、沖縄は象徴的だった。

「所詮はカネ目でしょ」と考えていた中央の「常識」が外れた。

翁長氏が前知事を破り当選した当時はまだそれでもそのうち何とかなると考えていたかもしれない。

だが、その後の頑強な抵抗に遭い、中央政府は考えを少し改めざるを得ないかもと考え始めたようだが、現実には何も変わらなかった。

 しかし、翁長前知事急逝の後を受けた選挙で中央政府が推した候補が敗れ続けるに至って「カネ目」ではなく、地方の反乱だと思い知らされたに違いない。

 それでも中央に対する反乱がオキナワに留まっている限り、中央はまだ安心していられた。

それは1辺境で起きている「特異な」例でしかなかったからだ。

あるいは彼らの口を突いて出る言葉とは裏腹にオキナワを異境の地と、どこかで捉えているのかもしれない。

 だが、ここに来て、辺境からの反撃の狼煙はオキナワを越え、列島のあちこちで上がり始めている。

 「辺境」とは中央から遠く離れた地理的な地方を指しているのではない。

中央の政策が届かない、中央から見捨てられた場所、コト、人などマイノリティーな存在を意味している。

 時代の変革期に主役を演じたのはいつも辺境だった。

武家が公家社会に反乱を起こしたのは中央の公家社会から遠く離れた辺境の地、鎌倉だったし、

幕末の変革期に主役を演じたのは、これまた江戸中央政府から遠く離れた九州の最南端に位置する薩摩や、

江戸中央政府からは辺境と見られていた長州や四国・宇和島、土佐の下級武士、いわゆる辺境の者達だった。

さらに言えば、後に新撰組と言われた浪士隊や長州の奇兵隊に集まった者達も武士階級ではなく、

当時の社会構造から弾き飛ばされた、あるいはそれらとは関係ない所で蠢(うごめ)いていた辺境の者達である。

 絶対的な権力を握り歴史を作っているのは中央政府である。それは洋の東西を問わず同じである。

だが、生が死を内包し、成長が滅亡を内包しながら拡大していくように、平家やローマの滅亡を例にとるまでもなく、

絶頂期を境に両者の位置が逆転していくと歴史は教えている。

そして変革の狼煙は必ず辺境から上がっているのだ。

長崎新幹線は求めていない

 

リニア新幹線建設と水量減少問題

 

辺境からの反撃が政治を変える

 

世界各地で起きている辺境の反逆

 

 全文はHPに収録しているので下記から

  http://www.liaison-q.com/kurino/fromHenkyou1.html

 

 


多発するあおり運転とカーフェイスの関係

2020-04-06 14:00:00 | 視点

 車が怒っている! どの車も目をつり上げている。なかには顔をフェイスマスクで覆い、まるで鎧武者さながらに他を威嚇している車まである。かつては円らな瞳をしたカワイイ車が多かったのに、いまでは軽自動車でさえ目をつり上げた睨み顔に変わっている。
 なぜ怒っているのか。何に怒っているのか--。

コワモテ顔の車が激増

 車のヘッドライトが他を威嚇するつり目になってきたことに少し前から違和感を感じていた。最近は若者も高齢者も皆、なぜかイラついている。だが車までイラつき、怒ることはないだろう。
 目をつり上げているだけならまだましで、ミニバンに至っては「オラオラ顔」をし、そこどけそこどけと他を威嚇しながら走っている。これでは事故も増えるはずだ。その顔からは譲り合いの気持ちなど微塵も感じられないのだから。当然、そんな車に乗っている人も同じ気持ちになり、ちょっとしたことで「俺の進路を邪魔した」と怒り、あおってくる。

 

オラオラ顔が売れる

 「オラオラ顔」をした車が後ろから迫ってくると気持ちが悪いが、「オラオラ顔」をしたミニバンの方がよく売れているらしい。

 デザインだけで車が売れるはずはないだろうが、売れ行きにデザインが大きく関係しているのは他の商品同様に事実だ。
 商品は市場に初めて登場した頃は機能で売れ、しばらく機能競争が続くが、成熟段階に入るとデザインが優先される。

付加より「省く」技術で

 

 システムは複雑になればなるほど事故を防ぐどころか逆に大惨事を招く。「Simple is best」。

それをある部分で証明する動きが今年、アメリカ海軍で起きている。1年前、駆逐艦に装備されたタッチスクリーン式のインターフェースを廃止し、従来の機械式コントロールに

 

  全文はHPに収録

   http://www.liaison-q.com/kurino/Carface1.html

 

 


新型コロナウイルス狂想曲

2020-04-06 11:45:15 | 視点

栗野的視点(No.676)                   2020年3月2日
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新型コロナウイルス狂想曲
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 この時期、出来るだけ外出を控えるようにしている。と言うと新型コロナウイルス対策のためかと思われそうだが、それも否定はしないが、温度差アレルギー症状のためである。
 主に春と秋の気温が変化する時にクシャミ、鼻水が止まらなくなるのだが、今年のように1週間か数日おきに気温が大きく上下すると、その度にクシャミ、鼻水で苦しまなければならない。といっても大抵1日か2日、身体がその気温に慣れるとピタッと収まる。その点が花粉症などと違うところで、ある季節を通じてというように長引くことはないが、何度でもその症状が出るということにもなる。

 そこに持ってきて今は新型コロナウイルスに国民が過敏になっている時だ。人混みでクシャミをしたり鼻をかんだりしようものならウイルス感染者と見られかねない。
 そういうこともあり外出を控えてきたが、

           (中 略)

 とにかくこの国は一斉に、が好きだ。ある日突然、ツルの一声で全国一律に休校になった。たった1日で決めたのだから、検討する時間も何もありはしない。その上、責任を問われたくない無責任体質が蔓延しているから、皆「要請」に従って休校と決めた。これで何かあっても自分達の責任は問われない、とある部分、胸をなで下ろしたかもしれない。

     (略)

 

 全文はHPに収録

   http://www.liaison-q.com/kurino/Newcoronavirus.html