5月は私の中では「検診月間」。
毎年、春頃に不調を感じることが多く、4月、5月は検診に行っている。
例年、ある種の覚悟をしながら行っている検診だが、その度に異常なしでホッとしている。
しかし、3年前に弟がガンで亡くなってからは、自分の中で何かが少し変わった。
変わったと言えば、その頃から病院の対応が少し変わった。
紹介状なしで受診すると会計時に3000円余りを余分に請求されるようになった。
理由は非常に大まかに言えば診療所と病院の役割分担を進め、病院で受診する患者数を減らし、医師と患者の負担を減らすための措置ということらしい。
早い話が3000円余りも余分に払わなければならないのなら病院に行くのはやめて、近くの診療所で受診しようと考え、病院に来る人が減るに違いない(減らしたい)ということだ。
これで受診患者は減り、病院は本来の医療業務に戻れるはずだし、診察待ち時間も大幅に短縮されているだろうと思い、紹介状を持って朝8時半に行った。
予想通り待合室で待っている人の数はそれほど多くなく、血液検査を、尿検査など各種検査の流れはほぼ順調に進み、あとは医師の診察待ちだけになった。
これなら11時前には終わるだろうと思ってからが長かった。
途中で受付事務のスタッフが「ちょっと先生の診察が長引いていますので、もう少しお待たせすることになると思います」とわざわざ言いに来た。
その時はそれほど疑問を感じず、患者の診察に丁寧に対応しているのかぐらいに思い、持参した本を読んでいた。
ところが11時半を過ぎても12時を過ぎても一向に順番が回ってこない。
病院を受診したのはCT検査をしてもらうため。
診療所の医師からは「その日にCTはできないと思う」と言われていたが、うまく検査室が空いていればできるかもしれないと淡い期待を抱き、それに備えて朝食抜きで来ていたから、もう腹ぺこ。
やっと診察室に呼ばれた時は文句を言う気力も口をきく力もないほど疲れていた。
「お待たせして済みません。順番を後回しにされているんじゃないかとか、自分だけが待たされているんじゃないかと思われているかもしれませんが、決してそんなことはありませんから。皆さん順番通りに診ているんですが、どうしても病院に来られる人が多いものですから」
若い医師からいきなり謝られた。
「先生も上手だね。うまいこと言いますね。私は朝8時半から来ているから、もう5時間ですよ。病院の方針が変わったから患者数は減ったんじゃないですか」
「そうなんです。できるだけ診療所で診てもらい、診療所ではできない検査などを病院でしようということにしているんですが、それでも大きい病院の方が安心だからと来られる患者さんが相変わらず多いんです」
まあ、若い医師のこの一言で多少心が和らいだが、それにしてももう少しなんとかならないものかと思ってしまう。
各種検査は流れ作業のように進むのに、医師の診察段階でパタッと止まってしまうのは医師の動きの中にムダな部分があるのではないだろうか。
そこを見直さない限り改善はできないと思うが、難しいのだろうね。
医師は専門分野に他人から、それが同じ医師仲間でも診療科が違う人間から口出しされるのを嫌うから。その辺りの風通しがよくなれば変わるのだろうけど。
ついでに、手術の上手下手のランク付けをしてもらいたいが、これは無理な相談だろうね。
それならせめて患者による評判ランクでも公表するような体制にしてくれないかなあ。
それはさておき、長時間待たされている間に別の診療科(外科)を覗いてみた。
以前、外科で手術をしてもらったN医師の消息が気になっていたのだ。
それで時々、看護師に消息を尋ねていたが、診療科が違うとほとんど情報がないとみえ、N医師の名前すら知らないようだった。
ところが今回は受診した科と外科が同じフロアだったからか、看護師に尋ねると「いらっしゃいますよ。背が低い先生でしょ。ちょっと若く見えますもんね」と教えられた。
一度他の病院に移られていたが、5年ほど前に帰ってこられたということだった。
そこで診察の順番待ち時間を利用して隣の外科窓口を覗いてみた。
すると運よくその日の「再診」担当医師の所に名前があった。
「外来」担当と「再診」担当の違いも気になったが、取り敢えず窓口でN医師のことを尋ね、以前、手術をしてもらったことがあり、時間があればお会いしてひと言お礼を申したいと告げると、ちょうどいま診察中だから終わればお呼びします、と言ってくれた。
実のところスッと外科の窓口に行ったわけではない。
大した用事でもなく、会って昔のお礼を言いたいだけだから、この程度のことで仕事の邪魔をしてはいけないだろう。
病院内を歩いている時に見かけて声をかけるというシーンが最も望ましいのだがなどと考え、しばらく逡巡した末に思い切って窓口に向かったのだった。
「12年振りですね。以前、私が手術したらしいですが、カルテも残ってなかったです」
「その節はありがとうございました。ずっと先生のことが気になっていまして、お会いする機会があればお礼を申し上げたいと思っていたものですから」
「あの頃は私も若く外来を担当し、手術をしていましたが、いまはホスピスの方におります。私が以前担当した患者さんが来られた時だけこちらに来て診ています」
この言葉を聞いた時、あっ、そういうことなのか、そういう風になっているのかと思った。
「外来」担当と「再診」担当医師の違い。外来患者の診察は若い医師が担当し、再診はもう少し経験を積んだ医師が担当するのではないかと、N医師の言い方から感じたのが一つ。
もう一つはN医師の立場が上がったのではないか、となんとなく感じた。
そこで5時間近くも待たされて、やっと診察順が回ってき、若い医師と軽口を叩いた後にちょっと尋ねてみた。
「N先生の立場が変わりましたか」
「少し貫禄が出てきたでしょ。えっ、出世をしたかどうかということですか。いま部長ですからね」
ああ、そうなのか。あの頃若かった医師が外科部長になられているのだから、こちらも歳を取るはずだ、と妙なところに納得。
ところで私がN医師にお礼を言いたかった内容。
それはインフォームドコンセントがしっかり行われ、手術に対する見方が変わったからだった。
診察室で初めてN医師を見た時、一瞬引き返そうかと思ったのだ。それが顔に出たのだろう。
「若く見えるから不安に思われたのでしょ。もし不安でしたら他の医師に変わりましょうか」
彼はにこやかな笑顔のままそう言った。
正直なところ、もう少し年上の医師に手術をしてもらいたいと思ったが、取り敢えず「いや構いません」と腰掛け、診察室から出ていく機会を自ら失った。
N医師は症状、手術方法等について丁寧に説明してくれた。
手術はメスを使う外科手術と、小さな穴を開けるだけで済む腹腔鏡手術があり、どちらの方法でも選べること。
ただ、それぞれにメリット、デメリットがある点。
外科手術は1週間近い入院が必要になるし、腹腔鏡手術は全身麻酔をするから身体に負担がかかる。
また外科手術なら自分ができるが、腹腔鏡手術は自分はできず、当病院では部長が行っている等々。
それを聞いて、外科部長が担当するならそちらにお願いした方が安心かも、と思ったが、全身麻酔はリスクも伴うと知り、そういえば麻酔ミスも時々問題になっていることなどを思い出し、「N先生でお願いします」と返事をした。
この時の医師の説明と態度にお礼を言いたかったのだ。
長時間の待ち時間でとても疲れた1日だったが、N医師に会えたことで長年抱えていた宿題を終えたような気分になり、ちょっぴり心が軽くなった。