内向きの姿勢を正せ
それにしても最近目に付くのは基本の「き」の字ができてないというか、疎かにしたが故に発生するミス。
ちょっとひと言添えさえすれば防げるのに、それを怠たったが故にミスになり、それがクレームにつながる。
あるいは問題を自分達のセクションだけで隠し全社的な問題として対処しなかったが故に後に大問題になり取り返しがつかなくなる。
要はミスやトラブルに対する捉え方、それを後ろ向きの非生産的な問題と捉えるのか、早い段階で対処した方が逆にコストダウンにつながる生産的な問題と捉えるのかの違いだが、全社的な問題にはしたくない、できれば自分あるいは自分達のセクションだけの問題として密かに処理したいと考えるから隠す。
隠して事なかれとするから発覚した時は大問題になる。
結局そこにあるのは内向きの姿勢。
いま、この瞬間さえ逃れればいいと考える刹那的な姿勢が、この世を覆っている。
三菱自動車の燃費不正問題も2005年に新人社員が不正行為をやめるよう提言していたにもかかわらず、当時の上司、幹部達が処理せず頬かむりを決めたから、いま屋台骨を揺るがすほどの大問題になった。
もし、あの段階で不正をやめ、全社的な見直しをしていれば日産自動車の傘下に入らずに済んだかもしれない。
ミスや事故の大半は基本を怠ることから発生する。
先頃、長崎バスで乗務前の呼気検査で基準値を超えるアルコール分が検出されたが、この運転手、あろうことか家族を呼び、その家族に再検査の際、身代わりで検査を受けさせパスしてバスを運転していたという。
乗客を乗せた飲酒運転バスが走っていたわけで、聞くだけでも恐ろしいが、問題は同社の体質である。
二度目の呼気検査の際、立ち会いの検査官が身代わりを知りながら、そのことを黙認していたのだ。
さらに同社は前7月にも別の運転手が呼気検査の際、後輩を身代わりにして検査を受けさせ、酒気帯びのまま乗務していた問題が発覚したばかり。
ここまでくると身代わり検査は日常的に行われていたとしか言いようがない。
しかも、この種の問題は全国の公共交通機関で起きているから恐ろしい。
「見つかる奴は運が悪い」「見つからなければそれでいい」という考えが横行している。
ここまでくればルールも倫理もなきに等しい。
代わりの運転手がいない、人員に余裕がないから多少問題がある人間でも乗務させざるを得ないでは、乗客はたまらない。
大型バスは経験不足で乗務できないと言ったにもかかわらず運転させられ、死傷者を出したスキーバスもあった。
いずれも基本をきちんと守りさえすれば防げた事故だ。
コストダウンしなければ受注競争に生き残れないと言うなら、それを逆手にとって情報発信してみてはどうだろうか。
事故率ゼロとか、運転手の乗務履歴、メンテナンス履歴の公開で安全性をアピールするとか。
コスト以外の競争をすることで、コスト競争による負のスパイラルから抜け出す方法を探ることも重要ではないか。
コスト削減で人も企業も余裕がなくなる
「お・も・て・な・し」は外国向けのPRだとしても、一体いつ頃から日本のサービスは消えたのか。
なんでもコスト優先になり、メカニカルサービス部門の人員削減、メンテナンス部門は地方都市から軒並み撤退している。
例えば福岡市を見るだけでもパナソニック、シャープ、キャノンなどはかつて置いていたメンテナンス・サービス部門を廃止している。
カメラメーカーでは最後までニコンがショールーム兼サービスを駅前に置いていたが、それも廃止。
当然、シワ寄せはユーザーに来るわけで、カメラ本体の内部クリーニングのようなことでさえ本社のメンテナンス部門まで送らなければならず、本来なら1時間もあれば余裕で終わるメンテナンスが数日間を要するようになった。
さらに深刻なのが人員削減の影響で、どの部門も余裕がなくなり自分の仕事、目先の仕事しかできなくなっていることだ。
目が外に向かない上に、社内教育、サービス教育は削られるか、形だけのものになっている。
事故が起きると必ず「教育を徹底」と言うが、そこにコストをかけるよう体制を見直さないと、単なる教育だけで直るものではない。
その点、小売業の方はまだ教育効果が出やすい。
実は先の明太子販売店の前に車を止めた時、雨が降っていた。
小降りならそのまま店内に駆け込むのだが、さすがに傘なしでは濡れてしまう。
店内から手持ち無沙汰にこちらが車を止めるのを見ている販売員がいた。
「ああ、これが帝国ホテルなら傘を持ってすぐ来るのだろうが、ここではそこまでのサービスはしないだろうな。すれば感動するのだけど」
そんな会話を2人でしながら傘を取り出し車から降りて店に入った。
店の前に車を止めれば自店に来る客だと思わないのだろうか。
結局、店内の誰もが客とは店という境界に一歩足を踏み入れた人という概念を持っているからだろう。
イオンも似たり寄ったりというか、客に対する警戒心は同店の方が強いかもしれない。
上記の件について店長宛に優しくお手紙を出しておいたところ、店長から私の指摘通りで「すべては弊社のミス」で「これを機会に、従業員一同お客様に接するマナーを再教育いたして参ります」という手紙が届いた。
まあ昨今、客からの苦情に一々対応して顧客サービス担当課長が出向いていると、相手がとんでもないクレーマーで何を要求されるか分からない、だからこれで良し、一件落着としようという気持ちはよく分かるし、それが正しい対応かもしれない。
ただ、私が逆の立場なら、せめて割引券の1枚でも同封しただろうと思う。
割引券というのは店で買ってもらわなければ使えないのだから、店にとっては損失にならず、客は喜ぶ両得の手ではないか。
苦情や注意をしてくれる客を店のフアンと考えるのか、厄介なクレーマーと見るかで対応にこれほどの違いが出るか、昨今小売業は客を「顧客」ではなく「固客」と呼び、客の囲い込みに熱心だが、結局それらは文字の上だけのことのようだ。
ほんの少し視点を外に向けさえするだけでいいのに、内側にしか向いていないから見えるものも見えなくなる。
それにしても最近目に付くのは基本の「き」の字ができてないというか、疎かにしたが故に発生するミス。
ちょっとひと言添えさえすれば防げるのに、それを怠たったが故にミスになり、それがクレームにつながる。
あるいは問題を自分達のセクションだけで隠し全社的な問題として対処しなかったが故に後に大問題になり取り返しがつかなくなる。
要はミスやトラブルに対する捉え方、それを後ろ向きの非生産的な問題と捉えるのか、早い段階で対処した方が逆にコストダウンにつながる生産的な問題と捉えるのかの違いだが、全社的な問題にはしたくない、できれば自分あるいは自分達のセクションだけの問題として密かに処理したいと考えるから隠す。
隠して事なかれとするから発覚した時は大問題になる。
結局そこにあるのは内向きの姿勢。
いま、この瞬間さえ逃れればいいと考える刹那的な姿勢が、この世を覆っている。
三菱自動車の燃費不正問題も2005年に新人社員が不正行為をやめるよう提言していたにもかかわらず、当時の上司、幹部達が処理せず頬かむりを決めたから、いま屋台骨を揺るがすほどの大問題になった。
もし、あの段階で不正をやめ、全社的な見直しをしていれば日産自動車の傘下に入らずに済んだかもしれない。
ミスや事故の大半は基本を怠ることから発生する。
先頃、長崎バスで乗務前の呼気検査で基準値を超えるアルコール分が検出されたが、この運転手、あろうことか家族を呼び、その家族に再検査の際、身代わりで検査を受けさせパスしてバスを運転していたという。
乗客を乗せた飲酒運転バスが走っていたわけで、聞くだけでも恐ろしいが、問題は同社の体質である。
二度目の呼気検査の際、立ち会いの検査官が身代わりを知りながら、そのことを黙認していたのだ。
さらに同社は前7月にも別の運転手が呼気検査の際、後輩を身代わりにして検査を受けさせ、酒気帯びのまま乗務していた問題が発覚したばかり。
ここまでくると身代わり検査は日常的に行われていたとしか言いようがない。
しかも、この種の問題は全国の公共交通機関で起きているから恐ろしい。
「見つかる奴は運が悪い」「見つからなければそれでいい」という考えが横行している。
ここまでくればルールも倫理もなきに等しい。
代わりの運転手がいない、人員に余裕がないから多少問題がある人間でも乗務させざるを得ないでは、乗客はたまらない。
大型バスは経験不足で乗務できないと言ったにもかかわらず運転させられ、死傷者を出したスキーバスもあった。
いずれも基本をきちんと守りさえすれば防げた事故だ。
コストダウンしなければ受注競争に生き残れないと言うなら、それを逆手にとって情報発信してみてはどうだろうか。
事故率ゼロとか、運転手の乗務履歴、メンテナンス履歴の公開で安全性をアピールするとか。
コスト以外の競争をすることで、コスト競争による負のスパイラルから抜け出す方法を探ることも重要ではないか。
コスト削減で人も企業も余裕がなくなる
「お・も・て・な・し」は外国向けのPRだとしても、一体いつ頃から日本のサービスは消えたのか。
なんでもコスト優先になり、メカニカルサービス部門の人員削減、メンテナンス部門は地方都市から軒並み撤退している。
例えば福岡市を見るだけでもパナソニック、シャープ、キャノンなどはかつて置いていたメンテナンス・サービス部門を廃止している。
カメラメーカーでは最後までニコンがショールーム兼サービスを駅前に置いていたが、それも廃止。
当然、シワ寄せはユーザーに来るわけで、カメラ本体の内部クリーニングのようなことでさえ本社のメンテナンス部門まで送らなければならず、本来なら1時間もあれば余裕で終わるメンテナンスが数日間を要するようになった。
さらに深刻なのが人員削減の影響で、どの部門も余裕がなくなり自分の仕事、目先の仕事しかできなくなっていることだ。
目が外に向かない上に、社内教育、サービス教育は削られるか、形だけのものになっている。
事故が起きると必ず「教育を徹底」と言うが、そこにコストをかけるよう体制を見直さないと、単なる教育だけで直るものではない。
その点、小売業の方はまだ教育効果が出やすい。
実は先の明太子販売店の前に車を止めた時、雨が降っていた。
小降りならそのまま店内に駆け込むのだが、さすがに傘なしでは濡れてしまう。
店内から手持ち無沙汰にこちらが車を止めるのを見ている販売員がいた。
「ああ、これが帝国ホテルなら傘を持ってすぐ来るのだろうが、ここではそこまでのサービスはしないだろうな。すれば感動するのだけど」
そんな会話を2人でしながら傘を取り出し車から降りて店に入った。
店の前に車を止めれば自店に来る客だと思わないのだろうか。
結局、店内の誰もが客とは店という境界に一歩足を踏み入れた人という概念を持っているからだろう。
イオンも似たり寄ったりというか、客に対する警戒心は同店の方が強いかもしれない。
上記の件について店長宛に優しくお手紙を出しておいたところ、店長から私の指摘通りで「すべては弊社のミス」で「これを機会に、従業員一同お客様に接するマナーを再教育いたして参ります」という手紙が届いた。
まあ昨今、客からの苦情に一々対応して顧客サービス担当課長が出向いていると、相手がとんでもないクレーマーで何を要求されるか分からない、だからこれで良し、一件落着としようという気持ちはよく分かるし、それが正しい対応かもしれない。
ただ、私が逆の立場なら、せめて割引券の1枚でも同封しただろうと思う。
割引券というのは店で買ってもらわなければ使えないのだから、店にとっては損失にならず、客は喜ぶ両得の手ではないか。
苦情や注意をしてくれる客を店のフアンと考えるのか、厄介なクレーマーと見るかで対応にこれほどの違いが出るか、昨今小売業は客を「顧客」ではなく「固客」と呼び、客の囲い込みに熱心だが、結局それらは文字の上だけのことのようだ。
ほんの少し視点を外に向けさえするだけでいいのに、内側にしか向いていないから見えるものも見えなくなる。