リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

昔はもっと寒かったのか

2019年02月11日 | 日々の風の吹くまま
2月10日(日曜日)。晴れのち曇りのち雪。気温はマイナス3度。1日中氷点下のままの天気はまだ1週間くらい続くらしい。でも、風が収まったので、今日は川へ向かっての坂道ウォーク。頬っぺたが冷たぁ~い。カレシは鼻水ぐすぐす、ワタシは涙ぽろぽろ。上り坂になる頃にはちょっぴり身体が温まって、子供の頃のスケートの話。

ワタシが生まれ育った釧路では、小学校にグラウンドを半分に仕切って消防車が放水して凍らせたスケートリンクがあった。(春まで解けなかったような・・・。)ワタシが低学年の頃はまだ誰もが貧乏な時代だったので、スケート靴を持っている子はあまりいなかったから、体育館の出口には大きなドラム缶に長靴にバンドで付けるだけのスケートが大小のサイズ取り混ぜて大量においてあって、自分の足に合うのを探し出しては昼休みや放課後の日暮れまで滑ったもんだった。スケートを入れてあった「ドラム缶」はぶ厚い紙製で、アメリカから送られて来たララの救援物資の給食用スキムミルクが入っていた容器。星条旗と握手している手の絵が描かれていたのを覚えているなあ。まあ、あれから半世紀以上経って、戦後はもはや遠い「古代」の話か・・・。

カレシは小さいときにパパにたまたま寒波で凍ったスタンリー公園のロストラグーンに連れて行かれて、いきなり氷の上に放り出されて否応なく滑れるようになったという話。ずいぶん荒っぽい特訓だけど、氷の上に座り込んで泣いていたらお尻が濡れて冷たくなって来たので、立ち上がって2、3歩ごとにこけつまろびつ奮闘しているうちに1日で何とか要領を覚えたんだそうな。十代の頃はガキンコ仲間とリンクに行っては他のティーンたちと互いに転ばし合ったりの悪さをしたそうで、中でもいつもみんなのターゲットになってついに勝てなかったのが当時すでにバンクーバーカナックスのマイナーチームでプレーしていたオーランド・カーテンバックだったとか。カレシ自身も成人してからレクリエーションでホッケーをしていたことがある。「ホッケーでは足首を鍛えるのに靴ひもなしで滑るんだぞ」とカレシ。

午後、雪が降り始めて、風に吹かれて冷え切ったルーフデッキをぐるぐると回っているうちに、あちこちで吹きだまり状態。ドアの外の雪に長い物差しを突っ立ててみたら、あらまあ9センチも。せっかく咲いたクロッカスも雪の下で、このまま雪のバレンタインかあ。やれやれ・・・。