リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

夫婦別財布でと言っても

2019年02月12日 | 日々の風の吹くまま
   

2月11日(月曜日)。晴れのち曇りのちまた雪。なぜか9時近くに起床。窓の外は今年初めての冬景色で、ルーフデッキの雪はダイニングの外で10センチ、寝室の外の吹きだまりは20センチ。朝のバルコニーの気温はマイナス6.7度。電車は各駅で通勤通学の人たちがホームから溢れる大混雑。たぶん道路は渋滞だらけだろうからと、車をやめて電車に切り替えた人たちが多かったんだろうな。10時過ぎ、ほぼ平らな10番アベニューへのルートを選んで、ペンギン歩きでウォーキング。普通の靴で出たカレシは足が濡れて、帰って来たら床のいたるところに5本の指がくっきりした足跡が・・・。

今日はクロスワードパズルをやりながら書き直す脚本の構想を練ったり、小町横丁をうろついてみたり。小町横丁は日本なのになぜか芝居の下地になりそうな人間模様が満載。自己中でマニュアル的な融通の利かない社会観念に囚われているところは、権利意識過剰の自己中で、思考に融通性がなくて、そのくせSNSなんかで付和雷同するところがある北米のミレニアル世代と似ているな。ワタシは20年も前から北米の若い世代が日本化していると言ってたんだけど、まさか現実になって来ているんじゃないだろうな。まあ、思考に「0」と「1」しかないデジタル化の時代に二次元の世界で群れて育った世代という点では共通していると思うけど。

でも、小町の辻札に張り出される人間関係についての悩みを読むと、社会文化の違いもあるとしても、ミレニアル世代とはひと色違っているという感じがする。恋愛にしろ結婚にしろ、相手との間に「私たち」という共通意識を育ててこそ将来性が広がるはずなのに、先入観に基づく相手への期待が強すぎるのか、私、私、私で「私たち」意識は希薄な感じがする。それが2つの財布が絡む共働きとなると、家事と家計の「平等」な負担に拘りすぎて、稼ぎと家事の負担量を細かく比べては「不公平感」を募らせたりするから何をかいわんや。

私の稼ぎは私のものと「別財布」にする夫婦が増えているらしいけど、夫婦円満の見込みはどれだけ「私たち」意識の基盤を固められるかしだい。昔、まだ目新しかった「夫婦別財布」を採用した同僚たちはみんな離婚しちゃったけどね。「夫の方が収入が多いのに出し合う生活費が同じ額なのは不平等だから月収の一定割合に変えたいけど何割くらいが妥当か」なんて、ビジネスや労使交渉じゃあるまいし・・・。