リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

 一時帰国は楽しいだろうけど永久帰国となると・・・

2020年12月02日 | 日々の風の吹くまま
12月1日(火曜日)。☀☀☀。冷え込んだようで、どころどころに霜で白くなった屋根が見える。今日から1年最後の月、12月。つまり、突然世界が真っ逆さまにひっくり返ったような、日常があってなきごときだったような「2020年」もあと1ヵ月だけになったってことか。何かさっさと終わってほしい気がする。最近のある調査ではパンデミックはもっと悪くなると思う人たちの割合が第1波のときより高かったそうだけど、悲観的な見方が蔓延するときが災厄が底を打ったときだったりするんじゃないかな。夜明け前が一番暗いというしね。

ドイツに住む友だちが日本に帰る決心をしたようで、すでに今月末での退職を決めて、今「断捨離」の真っ最中。小町横町でも長年海外で暮らしていた日本人からのそういう相談をときどき見かけるけど、彼女もドイツ暮らしが30年以上になって、離婚してかなり経つし、コロナのおかげで時短になって収入も減ってしまったので、3人の子供も末っ子が家を出て自立した今が日本に帰る潮時だと判断したんだろうな。海外在住日本人として休暇などで日本に行くのを「一時帰国」と言っているけど、そうやって海外で確立していた生活基盤をたたんで日本で暮らすために帰るのは「永久帰国」というらしい。若いうちは外国暮らしにけっこう腰を落ち着けていても、40代、50代に入ったあたりから望郷の念が沸いて来るんだろうな。つまりは、何年、何十年外国で暮らしていても精神的な根っこは日本の土に残ったままだったということかな。

ワタシは女は「お嫁に行く」時代の育ちなもので、日本を出たのは結婚のために実家を離れたのと同じで、カナダに(いるカレシのところへ)嫁に来たという感覚だったから、日本に「帰る」という発想はなかったし、帰りたいと思ったこともない。カレシの家族が快く迎え入れてくれて、いつの間にか「嫁に来た」というよりもパパとママの「養女になった」ような居心地の良さに恵まれた幸運もあると思う。ママは「義母」のイメージにはほど遠い人で、ワタシはそのママの勤勉で思慮深い背中に育てられたようなものだから、いうなればワタシのカナダでのお母さん」。パパにはかわいがってもらったし、カレシの2人の弟はワタシにとっても気の置けない弟たちだし、義妹たちはとっくに「義」を取り払ってしまった仲良し姉妹。だから日本で日本人として生活する自分を想像することができないんだけど、ワタシはごく稀なケースなのかもしれないな。

でも、いくらひんぱんに「一時帰国」して来たといっても所詮は「お客さん」なわけで、日本の日常から20年、30年と離れていた人が永久帰国したとしても、はたして「今」の日本での日常にすんなりと溶け込めるものなのかな。小町横町での相談には手厳しいコメントが並ぶところを見ると、日本の水は帰国しようとする人が思い描いているほど甘くないのかもしれない。来年の春には帰国したいというドイツの友だちには幸運を祈るばかり。