【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

冬の日の幻想

2011-01-21 16:16:18 | 四季のスケッチ




   昨日は 「大寒」 を迎え、
  寒い毎日ではありますが、
  冬日和が続きます。

   でも寒さは、
  まだまだこれからが本番。

   昨夜は満月だったのですね。
  しんとした空気の中、
  東の空に神々しいまでの
  美しさで輝いていました。

   いつも思うのですが、
  この冬の季節の月、ちょっと
  近寄り難い感じはするけれど、
  格別なものがありますね。

   そう言えば・・
  「月明り」 「星明り」 、
  そして 「雪明り」 「花明り」。

   日本にはこんな
  美しい言葉があったのですね。

   ただ、この辺りは防犯のために夜でも昼間のように明るい? 
  街灯のために、月明りの恩恵は、あまり感じません。
  と言っても明るい街灯は重宝しているのです。矛盾した心理ですが・・。

   




   “サイラは立ち上がり、肩掛けに頭からすっぽりくるまり、
  暗い、金色の夜景の中に出て行った。
   雲は去り、月が輝いていた。
  空気は鐘の音のように冴えて冷たかった。・・・(略)・・・”

                                  【「アンをめぐる人々」10.】









   




   さて、そんな寒い朝でも毎日庭に出るのが私の日課。
  今は、かぐわしい水仙の芳香が私を迎えてくれます。

   かと思えば、つい最近まで咲いていた金平糖のような可愛らしい小さな花、
  「姫蔓蕎麦(ヒメツルソバ)」 は、いつの間にか姿も形もありません。

   そして昨年の冬はその前の年の12月から咲いていた
  これも可愛いピンクの花 「ヒマラヤ雪の下」 が、今年はまだ。

   寒いから当然と言えば当然なのですが、一方、「ローズゼラニウム」。
  去年は地上部分の葉っぱは、ほとんど萎れ、枝を残すだけでしたのに、
  寒い今年は緑の葉っぱを未だに満々と蓄えています。

   では、これから・・?
  でも、それでは春には間に合いませんでしょうに・・。

   小さな庭に繰り返される、それぞれの変遷と歴史。
  春に向かって着々と準備を始めているのですものね。
  芽吹いた木々にも今、そのはじけるような勢いを感じます。

   そうそう、上から2枚目の紅い蕾の薔薇。
  もう何か月もこのままで変化のない薔薇です。
  でも、ちょっとした変化。葉っぱがアンティークローズ色に。

   その間、リラ版 「白い貴婦人」 の方は、
  ゆっくりながら2度目の開花を迎えています。
  この薔薇は一体、何を思うのでしょう・・。  

日本の薔薇物語

2011-01-20 18:28:58 | リラのお気楽ユメ日記






    昨日より若干低い気温で
  明けた、「大寒」 の今朝。

   空は、昨日とほぼ一緒、
  晴れ渡った空になりました。

   ただ昨日は凍っていなかった
  如露の水が今朝は凍っていました。
  戸外は氷点下だったのでしょう。

   それにしても昨年は1度も
  凍った事がありませんでしたから
  今年の冬が、いかに寒いかと
  いう事ですね。

   さて、あの雪の日。
  寒さに震え・・?
  1本だけ咲いていた薔薇。

   その薔薇を切り取って
  今日で3日目。

   厳寒の冬ですから心配しましたが、
  こんな風に開花してくれました。

   同じ薔薇ですのに今回の薔薇は、葉っぱもいつもの緑色から葡萄酒色に。
  花びらも、ほんのりピンクに染まり、これもいつもとは違った風情に。
  尤も薔薇の事ですから、どの角度・・どんな風に咲いても絵になりますけれど。

   ところで日本の薔薇文化。
  明治以降、西洋薔薇が園芸種として普及しましたから、
  どちらかと言えば、薔薇は西洋のイメージが強いですね。

   しかしながら万葉集では 「茨」うまら という名で詠まれ、
  平安時代には 「薔薇」さうび の名で 「枕草子」 「源氏物語」 「古今和歌集」 に登場。

   日本原産の 「ノイバラ」 を最古としうまら、いばら、そうび、ばら・・。
  呼び名こそ変遷しましたが、中国大陸や海を越えて渡って来た新種も受け入れ、
  ゆっくり日本独自の薔薇文化を育んで来たようです。

   又、江戸時代には園芸ブームが起こり、薔薇は著名な絵師たちによって
  器や植物図にも描かれます。歌川広重の 「薔薇に犬」 は有名ですね。

一条の光

2011-01-19 15:36:36 | 心の宝石箱




   こんな優しい空で明けた今朝。
  起き抜けの居間の気温は10度。

   昨日と比べれば、
  たった0.5度の違いですのに、
  何と暖かく感じるのでしょう。

   それは朝からふんだんに
  日光を出してくれている
  太陽のお陰ですね。

   さて、リビングに置いていた
  ソファベッドを友人に譲ったのはつい先日。

   断舎離を即実行という訳ではないのですが、
  粗大ごみに・・と思っていましたら、「欲しい!」 との事でしたので。

   大きなソファがなくなりましたので、当座は広く感じたものですが、
  ほどなく二人掛けの小さなソファを入れましたから、それほどでも。
  ただ、目線は低くなり、解放感を感じるようになりました。おまけに明るさも。











   ところで三浦綾子の 『裁きの家』 を
  再度、読み始めたのは、
  つい昨日の事。

   昨日も申しましたが、
  何十年振りに取り出したそれは、
  初めても同然。

   それなのに昨夜、
  一気に読んでしまった私。

   昨日も記しましたが、
  冒頭部分の描写とタイトルから
  あらすじなんて、およそ覚えて
  いない私は “嫁と姑の争い?”
  それとも “家庭内暴力?”

   ~なんて。
  それこそ想像を巡らせたものです。

   しかしながら久し振りに触れた
  三浦綾子の文体。

   1本、ビシッと通った精神性と言いますか・・魂に触れた気がして。
  それは、ともすれば最近忘れていた感性。思わず背筋を伸ばしている私がいました。

   同時にセピア色に変色したページからは当時の思い出も・・。
  あらすじは忘れていますのに面白いですね。

   そうそう、タイトルからも想像される事件。
  最後の最後に、それもどんでん返しの形で起きるのですが・・。
  清彦の若い苦悩が痛々しいです。







・・・ (略) ・・・ 右手に見える小高い丘から
薄い白布をのべたように、雪が吹いて来る。
と、その白布は一瞬にして乱れ、
四方八方に吹き散るように消えて行った。
罪、汚れ、罰、泥沼、濁流、次々と
あぶくのように胸の中に言葉が浮かぶ。(中略)

吹雪など、いかに荒れ狂っても、
大したものではないと清彦は思った。
いかに荒れ狂っていても、
この辺りでは、3日と荒れ狂うことはない。
それに比べると、家の中を吹きすさぶ風は、
人の心を枯らして行く。
そしてそれは、いつ果てるともなく
続くように思われた。・・・ (略) ・・・
                三浦綾子作 「裁きの家」 より

おとぎ話の続き

2011-01-18 16:18:26 | 趣味の器(壺)~その他




   起床時は南の空にキラリと輝く
  明けの明星と雲一つない空。

   その後は、
  刻々と変わる刹那の空に。

   いつの間にどこからか、  
  一筋の雲が現れたかと思うと、
  今度はそれが何重にも。

   力強い日の出の後は、
  連なって厚い雲に。

   その隙間から太陽の光。
  所謂、「天使の階段」 ですね。

   その 「刹那との逢瀬」 も
  午前 10時頃には終わり。
  その後は又、晴れ渡りました。

   昨日と違って今朝は、
  白い世界ではありませんでしたが、
  全く同じ気温の 9.5度。

   やはり如露の水は凍っています。
  ただ一昨日の氷は、カチカチに凍っていましたが今朝は揺れる氷。
  ほんの少し寒さは緩んだようです。

   




   ・・・ 略 ・・・嵐の時でさえ、
  グリーンゲーブルズにはそれ独特の楽しさがあった。
  ストーブの前に座り、林檎やキャンディーをほおばりながら、
  ちらちら天井に映る炉の火を見守っているのは良い気持ちだった。
  むせぶような風の音を外に聞きながら摂る夕食の何と陽気なことか。”
    
                                【「アンの幸福」 第2年目 6.】









   



   さて、こちらは 『アンの世界』 のように嵐もなく、穏やかなものです。
  尤もここ数日、かなり冷えますが・・。

   でも今は、厳寒の 1月。
  暖房で温められた部屋と外気温の差が激しいのでしょう。

   水蒸気で外が見えません。
  家には良くない結露ですが、お陰様でちょっとしたアン気分。

   丁度、お腹も空いて来ましたし・・お茶の時間と致しましょう。
  そうそう器はいつかの 【会津塗り】 です。湯呑は、「備前焼」。

   こうなりますと ・・ 「おとぎ話」 の続きでも読んでみたくなりますね。
  おとぎ話ではありませんが、取り出したのは三浦綾子の小説、『残像』。

   ページの色は、すっかり変わっています。本当に何年振りの再会? でしょう。
  もう、ほとんど初めてと同じですが、根底には淡い思い出も。
  そして又、新たな発見も。






受話器を置いた優子は、
白い顔を窓に向けて、呆然と突っ立っていた。
涼しい目元が、暗く翳っている。
水色のレースのカーテンを透かして、
真夏の日を弾き返す大通り公園の芝生が見える。
この大通り公園は
・・・(中略)
 「ねえ、いいこと。優子さん、今度は
優子さんがおかあさんを預かってくださるのよ。
元々、あなたとおかあさんは仲がいいんですもの。
あなただって嬉しいでしょ。
お願いしたわよ。いいこと」・・・(略)
                     三浦綾子作「残像」より


   



   こちらは、その小説の冒頭部分。
  あの自由奔放の嫂の滝江が敷地に小川のある家が夢だったなんて。
  アン と同じではありませんか・・。こんな事も新発見。興味は尽きません。

高貴なる明治

2011-01-17 17:23:17 | 心の宝石箱


   随分冷えると思いましたら、
  昨、深夜はPC上の気温は
  0度を指し示していました。

   今朝の気温は9.5度。
  10度を下回っていますから
  寒いのはさむいのですが、
  今日は雪が積もっています。

   昨日は凍っていましたから。
  慣れというものは有り難いもので
  意外に寒さを感じません。

   それより何より雪化粧された地面。
  最初に足を踏み出すのさえ躊躇し・・。

   これが 『アンの世界』 でしたら、
  次のようになるのでしょうね。

   “(略)雪についている
  兎の足跡を追って行ったり、
  広いカチカチの原を自分の影と競走したり、
  煌めく丘をそりですべり降りたり、
  薔薇色に染まった冷たい冬の夕日を浴びながら
  池で新しいスケートを試してみたりした。(略)”

                                 【「炉辺荘のアン」第19章】

     さて、やっとの事で司馬遼太郎作、『殉死』 を読み終わりました。
    僅か200ページにも及ばない薄い本ですのに
    随分、時間がかかったものです。
  
   このような歴史小説ですから勿論、音読。丁寧に読みたいですから。
  尤も、家事や仕事の合間の読書ですから仕方のない事かも知れませんね。

   この本は、日露戦争で苦闘しながらも輝ける英雄として称えられ、
  数多くの栄誉を一身に受けながら明治帝の崩御に殉じて、
  妻と共に自らの命を断った乃木希典(のぎ・まれすけ)。
  
   彼の真実の姿を掘り下げて描いています。  
  以前にも触れましたが、私にとって乃木希典登場の本は3作目。
  
   その内訳は渡辺純一作 『静寂の声(上下巻)』、
  司馬遼太郎作 『坂の上の雲(6巻)』、そして今回の、同 『殉死』 と続きます。

   この乃木将軍の事は、『坂の上の雲』 でも何度か触れましたが、
  一言で言って生きる時代を間違えたのでは・・と思えてなりません。
  
   漢詩をこよなく愛し、繊細な神経の持ち主の彼は、およそ軍人には不向きな人。
  今でいう、鬱病などの精神疾患を患っていたのかも知れません。
  
   おまけに彼の周りには 「悲劇の闘将」 と言うべく、ことごとく不運がつきまといます。
  この事に関しましては 『坂の上の雲』 でも記しましたが、次の言葉が忘れられません。
  
    悲運の名将 というのは論理的にあり得ない表現であり、
  名将は必ず幸運であらねばならなかった。」


     その事は彼自身にも自覚があったようで、
    彼は良く座談の中で電車の座席の話をしたそうです。

                                      司馬遼太郎作「殉死」より

美の結晶

2011-01-16 15:17:51 | リラのお気楽ユメ日記






     今朝は外がやけに明るいと
      思いましたら・・。
       一面、白の世界。

      ただ年初と違うのは、
     それが凍っているという事。
   雪が凍ってアイスバーン状態に。

     ただ今朝は、ある程度
   覚悟していたからでしょうか・・
    それ程の寒さは感じません。

    如露の水など、カチカチに
    凍っていると言いますのに。

   いつもの居間の温度計も今季
   1番の寒さ、8度を指しています。

     そして恐る恐る例の薔薇を
      見に行ったものです。

   いつもの姿にホッ。
  その上、この寒さだと言いますのに、
  より綻んでいます。

   でも、ちょっとかじかんだ? 感じ。
  それはそうですね。この薔薇にしても今年の冬は想像以上の寒さですものね。

   しかしながら今回ばかりはこのリラ版 「白い貴婦人」、いつもとはやはり様相が違います。
  まだ蕾の状態という事もありますが、より色が濃くて。

   外側の花びらは、まだピンクです。
  これまででしたら綻べば、本来のバニラ色に戻っていましたのに。
  薔薇も少々、勝手が違うのかも知れませんね。



   さて、薔薇と言えば皇室とも関係が深いですね。
  皇太子妃殿下時代から東宮御所で薔薇をお育てになっていらした美智子皇后陛下。
  
   「プリンセス・ミチコ」 や 「エンブレス・ミチコ」、
  「プリンセス・サヤカ」 などの薔薇がある事は、周知の通りですね。
  皇后陛下は今も毎年、「国際バラとガーデニングショウ」 に出展なさっているそうです。    

モノクロの中の煌めき

2011-01-15 16:50:16 | 四季のスケッチ



【ジョウビタキ】

   思わず寒い~! と肩をすくめて起き出した朝は意外にも12度。
  空は、どんよりとした曇り空です。

   10度を切る事がなかったのは、この空一面を覆った厚い雲のせいでしょう。
  又、同時に日射しがない分、殊の外、寒く感じたのかも知れません。
  見るからに寒々しい灰色の空。雪でも舞いそうな・・そんな空になっています。

   1月 はこれまでのところ、寒い灰色の日が続き、
  時折嵐が港をかけまわり、幽霊小路に雪を吹き寄せます。
  けれど、昨夜は銀色の雪解けを見て、今日は太陽が輝きました。 
  
   あたしの楓の木立は想像も出来ない輝かしさです。
  ごくありふれたものでさえ美しく見えました。
  針金の垣根は一つ一つ水晶のレースのようでした。
         
                                   【「アンの幸福」 第2年目7.】

   今日の景色は珍しく、『アンの世界』 とは逆の様相になっています。
  冬の太陽の有り難味を痛い程、感じます。

   そんな典型的なモノクロの景色に包まれた今日、
  ふと見遣った視線の先に1羽の小鳥が飛来。先日、逃したものとは又違います。
  
   ソ~ッと窓を開けたのに、気配を察して逃げたのが写真の場所。
  ちょこんと裏庭の枯れ枝に。「ヤマガラ」 でしょうか・・。
  
   背景は、もう一つですが、初めて小鳥を写真に撮ったので良しとしましょう。
  でも、こんな小鳥が飛来したのは初めてです。それにしても・・。
  
   暖房をずっと付けっ放しにしていますのに一向に上がらない気温。
  こちらも明日の朝は氷点下とか。外は、まるで冷蔵庫のよう。

   「水晶のレース」 は無理にしても、ひょっとしましたら・・?
  それに近いものは見る事が出来るかも知れません。


 


     上から2枚目の鳥の写真は、「山雀・ヤマガラ」ではなく、
    「ジョウビタキ」 だと Kohei さんに教えて頂きました。
    ここにお詫びと訂正をさせて頂きます。
    
                教えて頂いたKohei さんには厚く御礼申し上げます。
               なお記事中の文は、訂正せずに敢えてそのままにしています。

投影する焔と心の揺らめき

2011-01-14 16:25:16 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編


   今朝は雲一つない空を迎えました。
  起床時、反射的に目を遣る居間の温度計は丁度10度。

   そう言えば、この昔ながらの1メートルはあろうかという、
  大きな温度計、下に書いてあるどこかの会社の文字が嫌でたまらなかったものです。

   でも今では古色蒼然としたこの温度計に、
  その文字は気にならないと言うより、なくてはならないものになって来ました。
  人間の意識って変われば変わるものですね。

       さて、久し振りになりました。
      今年初めての 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』 の
      開店と致しましょう。

       とは言ってもテーブル周りは先日と一緒。
      カップは・・いけない、いけない、土物とは行かないまでも
      つい和風の物を取り出してしまいます。

   本を探すのもそうですが、このカップを取り出すのも至難の業?
  「断捨離」 ではありませんが、そろそろ真剣に整理を考えねばなりません。

   それはさて置き、
  新年ですので、せめてもの
  純白の心を表し、白っぽい物に。

   カップは、
  英国の 「ロイヤル・グラフトン」。
  
   尤も普段は、ほとんど
  手にした事はありません。

   ボーン・チャイナなら、
  薔薇柄か、せいぜい花柄。

   それに土物を含む和の物ばかり。
  ブログのお陰で、こうして日の目を見る事が出来ています。
  そうそうこの窯、1972年に72年の歴史の幕を閉じたそうですね。


【「ベニシアの大原ハーブ日記」 より】

   ところで、こちらの写真は昨日も触れた 「ミモザの樹」。
  こんなに大きくなるのですね。
  
   地植えか、それとも無難に鉢植えか・・未だに迷っています。
  蝋燭の焔の揺らめきが私の心の揺らめきを投影しているようです。              

夢色春支度

2011-01-13 17:39:17 | リラのお気楽ユメ日記




   力強い日の出はいつもの通りでしたが、
  今日の太陽は、少々日光を出し惜しみしているようです。
  起床時の気温も3日連続9度。厳しい寒さが続きます。

   ここ数日、俄かに冬枯れ・・モノトーンの景色になってしまった庭。
  そんな中、寒さにも負けず例の蕾の薔薇(リラ版「白い貴婦人」)が、
  ほんの少しだけ綻んだようです。

   春や夏でしたら造作なく咲く事が出来ますのに・・。
  “頑張って・・” 心の中でエールを送る私にもついつい余計な力が入ります。

   そして 「アブチロン」 の花も発見。
  原産地は南米の暑い国ですのに、こうして冬も咲いてくれるのですね。

   さて、今日一番の幸せ。
  私の憧れの花木、「ミモザ」 の
  苗が今日、生協より届きました。

   ミモザ・・こうして言葉に
  するだけで何と優しい響き
  なのでしょう。

   私の三大憧れと言えば・・。
  「リラ」、「さんざし」、
  そしてこの 「ミモザ」 です。

   尤も黄色の花はもう一つですが、
  このミモザだけは別。

   ミモザと言えば、ピカソや
  マチス、ボナールが
  アトリエを構えた南フランス。

   コート・ダジュールの抜けるような
  青と、ミモザの目の覚めるような
  黄色が重なります。

   美しい色、美しい光・・。
  でも所詮、南フランスに居を構えるなんて叶いません。

   ならば・・。庭にミモザの樹を植えて黄金色の光の下で読書・・~なんて夢は膨らみます。
  ただ今日届いた栞には、“5、6メートルになります” と書いてあるではありませんか。

   そう言えば写真で見た、京都大原にお住まいの 【ベニシア家】 では
  二階の屋根の上まで伸びていましたっけ・・。そこまで伸びては困りますし・・悩む処です。  

唇からこぼれる真珠の言葉

2011-01-12 18:50:18 | 心の宝石箱


   起床時の気温は昨日とほぼ同じ。
  今朝は雲、一つない
  快晴の空となりました。

   肌に当たる風は少々冷たくても
  ピンと引き締まった空気と
  澄み切った空は、何か元気を
  貰えるような、そんな空。

   ふとここまで記して・・
  何と平凡でありきたりの
  くだらない文章なのか・・。
  ちょっぴり自己嫌悪。

   『赤毛のアン』 のモンゴメリーは
  言うに及ばず、昨日の小説の
  冒頭部分にあるような描写は、
  いくら捻っても私の頭では
  浮かんで来ません。

                                       三浦綾子作 「残像」より

   さて、昨日は季節外れ、
  リラの花咲く6月の描写でしたね。

   性懲りもなく今日も彼女の
  小説の冒頭の言葉から。
  今日は冬の描写です。

   昨日のコメントで、
  Kohei さんからも 『氷点』 のそれを
  ご紹介頂きましたが、
  改めて感動しています。
  (写真は今読んでいる『殉死』)

   以前はこういう事には無頓着でしたし、視点が変われば又、新たな感動がありますね。
  『赤毛のアン』 もそうですが、“再読の勧め” と言った処でしょうか。
  
   それに登場人物の会話の美しい事!
   『殉死』 を読み終えましたら、絶対に再読を・・と思っています。

   折しも昨日の朝刊には、“教科書で 「天皇陛下」 を 「天皇」 と呼び捨て”との記事。
  そう言えば最近テレビなどでも 「皇太子さま」、
  「雅子さま」、「愛子さま」 の言葉が飛び交っています。

   “さん”よりはましかも知れませんが、微かな違和感。
  正確には「皇太子殿下」、「雅子妃殿下」、「愛子内親王」でしょう。
  
   親しみを込めるために付けない・・という風潮があるそうですが、
  敬称で呼んだからと言って親しみがなくなるというものでもないでしょうに。

   日本には敬語という素晴らしい言葉がありますのに。
  いつの頃からでしょう、敬語が軽視されるようになったのは・・。
  
   しかも子供達の将来を担(にな)う教科書でも・・
  と思うと、暗澹(あんたん)たる思いにさせられます。

   ところで昨年も政治家の軽い言葉、発言が世間を賑わせましたね。
  以前にも記しましたが、政治家やテレビコメンテーターが連発する
  日本という国の “この国” 発言。どうして “わが国” と言えないのでしょう。

   “国” を “子” に置き換えてみれば一目瞭然ですね。
  “この子” と言うと、突き放した第三者的な冷たい言い方。
  
   一方、“わが子” という言葉には温かな愛情を感じます。
  日本を愛さない政治家が政治を司るなんて、
  亡国の一途を辿るのは、当然かも知れません。