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僕と圭ちゃんは、予備校生の分際で、この夏休みに、無断外泊というよからぬ計画をこっそり立てていた。
決行日は、地獄のような夏季集中講座が終わる翌日の予定である。
自分たちへのご褒美なのだ。
ただし、両方の親を慎重にダマさないと、バレたときが一大事である。
***
さて、身も細るほど勉強した甲斐あって来るべき日がやっと来た。
案ずるよりナントヤラ・・・で、どっちも友達んちにお泊まり勉強しにいくというウソみたいな嘘で、親を見事にダマくらかしてきた。
チョロイもんである・・・。
でも、バイトもできぬ哀しき予備校生の僕たちは、二人合わせて2万チョボチョボという情けない所持金しかなかった。
これでは、ちょっと遠出をしたら、旅館やらホテルになぞ泊まれるものではなかった。
それで、ネットであれこれ調べていたら、H湖畔に、数年前に倒産して廃屋化しているリゾートホテルがあり、知る人ぞ知るボンビー・カップルのラヴホ化しているという。
電気こそつかないが、まだ、ベッド、寝具いっさいがそろっていて、しかも、外には露天の岩風呂が源泉掛け流し状態で、今もコンコンと湯があふれ出ているそうな。
だがしかし・・・だがしかし・・・
世の中、二つよいことさてないものよ、という。
この夢のような条件のタダホテルにも難点がひとつあった。
それは、出る・・・ という噂なのである。
掲示板には、半分以上はウソと思うが、霊を見た、だの怪奇現象が起きた、だのというまがまがしい記事がまことしやかにカキコされていた。
僕は、ちょっとヤバそう・・・と、思いながらも、宿泊代がタダで、温泉付き、しかも、本物のスリルとサスペンスを味わえるアドベンチャー・ランドじゃん・・・と、考えれば、この美味しいプランを棄却する理由がなかった。
だけど、圭ちゃんにはこのことだけは隠し通さねばなるまい。
あとで、実は幽霊屋敷だったということであれば笑い話にもなろうが、行く前では
「何、考えてンの!」
と一蹴されかねない。
何より、僕の好奇心と妄想を膨らませてくれたのは、湖を見下ろすロマンティックな露天の岩風呂での圭ちゃんの、もしかしたら見られるかもしれない○○姿である。
「人間の好奇心は、恐怖心に勝る」
という僕流格言がひとつ出来た。
***
僕たちは、昼過ぎに駅のプラットフォームで待ち合わせした。
なるべく、どんな知人にも目撃されないよう配慮して、電車に乗るのにも、あたかも他人の如く装ってサッと乗車した。
そして、なるべく人気のない車両に移っていちばん端のボックスシートに落ち着いた。
「めっちゃ、暑かったねぇ・・・」
「うん・・・。もう、背中、びっしょりよ・・・」
チラと見ると、圭ちゃんの白地のTシャツは、ペットリ背中に貼りついていてブラの白い紐がクッキリ浮いていた。
隣に腰を下ろしながら僕はドキドキと時めいた。
「着替えあるんでしょ・・・」
「うん。でも、こんなに暑きゃ、いちいち着替えてもキリがないもん。
夜まで、着干しにしちゃうわ・・・」
「そだね・・・」
「あ・・・。臭ったら、ごめんね・・・」
「ううん・・・。だいじょーぶだよ・・・。
圭ちゃんのは臭いじゃなく、香りだもん・・・。
ハハ・・・」
「なーに、それ?」
「あ、いや、ほら・・・。
トイレの臭い、っては言うけど、マツタケは香り、って言うでしょ。逆に、トイレの香り、っては言わないもんね・・・」
「ああ、そうね。たしかに・・・」
僕は内心、少しばかり得意げになった・・・。
「じゃ、私はマツタケってわけ?」
僕はニヤリとして言った。
「そう。上等のマツタケ・・・。
だから、今夜、僕に食べられちゃうの」
「ワーっ。どーしよー・・・」
と彼女は笑った。
ガラガラのコンパートメントで、人目がないのをいいことに、僕たちは互いに体を寄せあって、何度もキスを交わした。
(ごほーび、ごほーび!)
と僕はそのたびに自分に言って聞かせた。
それは、灰色の浪人生活の、まさに夢のような、ひと時であった。
「好きよ・・・。スキ・・・」
圭ちゃんは、僕の胸に顔を埋めるとつぶやくように言った・・・。
***
木造の駅舎に降り立つと、僕は緩みかけたシューズの紐をキュッと〆なおして、これから登る山道に備えた。
高原にあるH湖までは、歩いて十数キロの道のりがあった。
圭ちゃんは、中高とバスケで鍛えただけあって、軽々と山道を登ってゆく。
僕はと言えば、数キロも登らないうちに、フクラハギがパンパンになってきて途中、幾度か彼女に休憩を申し入れた。
さすがに、十数キロの軽登山は小一時間はかかった。
コバルトブルーに染まったH湖は、絵に描いたように美しかった。
けれど、湖畔にたたずむ汗に額を輝かした僕の圭ちゃんは、さらにそれを上回るほどにキレイかった。
なんか、とても幸せな気分いっぱいだった。
生きててよかった、と素直にそう思った。
湖畔からやや見上げたところに噂のホテルがあった。
2、3年前に閉館したというので、思ったよりもキレイな外観で、なんとなくホッとした。
廃屋侵入計画について、圭ちゃんは了承していた。やっぱり、お互い遊び心のある年頃だから。
ただし、例の件・・・、いや、霊の件・・・は、黙っていた。
さて、いくら廃墟とはいえ、建造物不法侵入になることは間違いない。万一、警備会社が見回りに来ないとも限らない。
でも、そんなリスクがあってこそのアドベンチャーである。怪奇現象だって、あるやもしれない。
もうすでに、親もダマしていることだし・・・。
あ、圭ちゃんとこもダマしてるな・・・。
あ~ッ! 僕はこうやって、どんどん罪を重ねていくのかーッ!
・・・と、アホな独り心中芝居をしながらでも、やっぱ、圭ちゃんの裸は見たい! …とスケベ心が本音を吐いた。
そうだ、ホリエモンだって、投機にハイリスク・ハイリターンはつきもんだ、って言ってたもんな。
でも、ホリエモン、一度、捕まってるし・・・。
と、ワケワカラン屁理屈を思い浮かべながらも、僕は、ただひたすら、圭ちゃんと今夜、結ばれることのみに、全神経を集中させていた。
多少のリスクがなんでぃッ!
と、僕はにわか江戸っ子ぶってみた。
***
隠れ入り口は『廃屋潜入!』という怪しげなサイトでしっかりチェックしてきた。
まるでRPGの主人公にでもなったような気分である。
情報どおり、湖側の植え込みに人ひとりがやっと通れるだけの隙間がちゃんとあった。
そこからすぐに露天の岩風呂に通じている、というのである。
しかし、その植え込みから湖側はすぐに松林の切り立った急斜面で、もし足を滑らせたら数十メートル下の湖まで転げ落ちそうでもあった。
アドベンチャー・ゲームの第一関門である。
まず、僕が先にトライすることにした。
こう見えても、中学以来テニス部のキャップだったのだ。文化系のウンチ(運動音痴)とは違う。
体育系の圭ちゃんも難なくクリア。
垣根を越えると、もうそこは、もうもうと湯気のあがる露天岩風呂だった。
そして、そこから館内にも驚くほどアッサリ侵入できて、いささか拍子抜けするくらいだった。
午後の4時をすぎていて、夏の日はまだ高かったが灯り一つない館内は、やはり昼なお仄暗く、不気味といえば言えないこともなかった。
僕たちは最も近い二階の客室から探索を始めたが、ほとんどの部屋は完全にオートロックされており、そのことはネット情報にもなくて、かなり面食らった。
ワンフロアに30室はあり、5階まで丹念にガチャガチャとドアノブをチェックするのは一苦労だった。
どこも駄目で、半分以上あきらめかけていたとき、5階の端のプライヴェート・ルームのドアがスッと開いた。
ビンゴーッ♪
さっそく侵入すると、ベッド、寝具類、いっさいがそろっていた。
従業員用部屋なのだろうが、内装は客室とそれほど違うようにも思えなかった。
ベッドが二つあって、その間の壁には豪華な風景画さえ掛けてあった。
「よかったね」
と僕が言うと、圭ちゃんはちょっと顔色を曇らせて
「なんだか、この絵、陰気くさいわね」
と言った。
そう言われれば、色調の沈んだ暗い色合いだが、落ち着いた画風といえば言えないこともないかもしれない。
どうもこの部屋の窓から見た湖と木立の風景のようでもある。
「ねっ、ここ見て…」
圭ちゃんがちょっと怯えた素振りで言った。
「エッ? なに…」
彼女が指さす画面の右下には、緑の木立の中に何やら灰色の矩形のものが描かれていた。
「これってお墓じゃない?」
圭ちゃんが嫌そうな口振りでいった。
そんな風に見えなくもない。
僕は、もしかして…と、窓辺に寄ると、それはまさしく絵そのものの風景であった。
そして、さっき乗り越えてきた露天風呂の垣根のずっと下の方に、絵と同じ灰色の墓石のようなものがハッキリと見えた。
この景色とこの絵が、来訪者のさまざまな憶測をよんで、掲示板に面白可笑しく尾ヒレがついてカキコされたのかもしれない。
そう思うことにした。
いつの間にか、圭ちゃんがそばに寄ってきて木立を見下ろしていた。
「やだぁ…。ほんとにアレあるのね」
と彼女は嫌悪感を露わにした。
僕はすかさず肩を抱き寄せると
「大丈夫だって…。何でもないさ…」
と平気を装って彼女の不安を取り除こうと努めた。
(やっぱり、ここって安かろう悪かろう…なんかしらん)
と内心チラリと思ったが、すぐに、ブルルッと頭を振ってそれを吹き飛ばした。
***
その夜。
僕と圭ちゃんは、とどこおりなく結ばれた・・・。
そして念願の露天風呂にも一緒に入れた。
それだけで、僕の不安は霧が晴れたようにスッカリなくなった。
生まれてこの方味わったことのない幸福感と甘美な気分に酔いしれていた。
***
夜も更けて、二人で抱き合い、ひとつベッドで眠りに落ちようとしていた時だった。
ダタンッ!
という何かが落ちたような音が廊下の遠くでした。
僕はちょっとドキリとしたが、腕の中の安らかな圭ちゃんの寝顔を見るとホッと安心した。
枕元には電池式の灯りがあり、薄暗いオレンジ色の光をあたりに放っていた。
何気なく頭上の絵に目をやった。
すると、気のせいか、右下の墓石の位置が微妙にズレているような気がした。
僕は気のせいだと思って、可愛い圭ちゃんの唇にそっとキスした。
でも、やはり気になってまた上目使いで見ると、明らかに夕方に見た位置からは少しズレているように見えた。
それで半身を起こして灯りを近づけてとっくりと見てみた。
墓石が斜めに傾いていた。
そればかりか、少しばかり土が盛り上がっているようにも見えた。
(ウソッ! …んな)
僕は圭ちゃんの寝顔と絵を交互に見ているうちに、今まで見逃していた白っぽい点を墓石の下あたりに見つけた。
それは遠目には白い点だったが、灯りを近づけて見ると、まさか…まさか…だが、人の手の平のようにも見えた。
そこで、また・・・
ダタンッ!
という鈍い物音が廊下に響いた。
(なんで? 二回も、誰もいない廊下で物音がするんだ…)
僕はとっさに毛布のなかに潜り込んだ。
***
(やっぱり、噂はホントだったんだ…)
僕は今頃になって、この無謀なアドベンチャーを後悔しはじめた。
しかし、今は愛しい圭ちゃんと一緒だ。
彼女だけは、圭ちゃんだけは、何としても護らなければならない。
男として…。いや、もう恋人として…。
臆病な僕は、決然と…否・・・恐る恐る、毛布から飛び出した。
相変わらず天使のように安らかに眠る美しい彼女の寝顔がそこにあった。
その穏やかさに僕は安堵し、勇気さえ与えられた。
それで、意を決して今一度、あの絵と対峙することにした。
灯りを近づけると全身に寒気が走った。
墓石を倒し、盛り上がった土の中から、長い白髪の老婆の半身が地面に顕れているではないか。
僕はその信じられない絵の変容ぶりに目をつぶることも、顔を背けることも出来ないでいた。
「ケ、ケ…圭ちゃん…」
僕は今にも泣き出しそうだった。
だが、枯れたきった声では「眠れる廃屋の美女」を目覚めさせることも出来なかった。
このまま眠らせておくという手もあった。
目覚めさせて、彼女を恐怖のドン底に突き落とすことは、残酷なことでもあった。
このパニック状況下で僕の足りない頭は、グルグルと迷走し、混乱の極みとなった。
勇気を振り絞って再度、絵に目をやった。
白髪の老婆はすっかり全身を顕わし、今まさに、歩かんとしていた。
その先には、僕たちの侵入してきた垣根の隙間があり、露天風呂があり、館内に入ることができるのだ。
あの怪音は、いわゆるラップ現象なのだろうか・・・。
勝手に聖域を侵した僕たちを、あの老婆は番人として咎めに来るのだろうか。
***
僕は恐怖の展開を予想して、採るべき策を思案していた。
そして、非合理的ながらも、ひとつの妙案が浮かんだ。
それは、3年前に亡くなった、定期入れに入っている兄の写真を入り口に向けて立てよう・・・
つまり兄を結界として亡霊の侵入を阻止しよう、という愚考である。
でも、他に何も考えが浮かばなかったので、この心細い策に頼るしかなかった。
僕は、さっそく、椅子をドア側まで運ぶと、定期入れの兄の写真を開いてドアに対峙させるように立てて置いた。
後は、運を天に・・・そして、亡き弟思いの兄貴に頼るしかなかった。
(兄ちゃん。頼むッ!
圭ちゃんと僕を護ってくれ・・・)
そう祈るような気持ちで僕は意気地なくまた毛布にもぐりこんだ。
そして、圭ちゃんの豊かな胸の谷間に顔を埋めると、怯える幼児のようにすがりついた。
もう、絵の老婆がどこまで来たのかを、見る勇気はとうに失せていた。
いや、見なくともワカル。
ここを目指して来ることが・・・
この恐怖の時間は長く・・・
しかし、愛する人の温もりは怯える幼児に無言の安全感・安心感・大丈夫感を与えてくれた。
もし、ここに僕一人だけだったら、きっと発狂していたに違いない。
どれぐらい経ったろうか。
僕は自分たちがあの垣根から侵入して、この部屋まで辿り着いた時間から老婆の歩みを推し量ってみた。
そして、今がちょうどその到着の頃合と思った。
その時だった。
「バン・バン・バン・・・」
と、ドアの向こうで、肉のない手の平が叩いているような音がした。
(ひぇ~ッ! 来たぁ~ッ!)
僕の恐怖は頂点に達した。
(兄ちゃ~んッ! 兄ちゃ~んッ!)
と、僕は幾度も幼い頃、近所のいじめっ子から、いつも護ってくれた頼もしい兄を霊界から呼んだ。
圭ちゃんの安らかな寝息がスヤスヤと耳元に聞こえる。
今度は、ひと際大きく
「ドゴン! ドゴン!」
と、まるで硬い人の頭を、ドアに打ちつけるような鈍い音に変わった。
(しぇ~ッ!)
もうダメだ・・・。
心臓がバックン、バックン破裂しそうだった。
次の瞬間。
ガッキーンッ!
・・・・・・・・・
キュイーンッ!
という耳を裂くかのような、ものすごい金属音がしたかと思うと、外の気配はとたんに断ち消えたような感じがした。
「兄ちゃん・・・」
僕の頬に熱いものが溢れ落ちた。
僕と圭ちゃんは護られた。
なぜか、そんな確信があった。
僕は恐怖疲れから、いつしか夢魔の世界に落ちていった。
***
高原の朝は鳥たちのさえずりと共に訪れた。
僕はまるで圭ちゃんの子どものように、聖母にすがる御子のように、彼女に抱かれたまま目を覚ました。
「おはよ・・・」
「うん・・・。おはよう・・・」
この世のはじまりは、交わした挨拶からだった。
ドアの傍らに運ばれた椅子と、床下に落ちた定期入れの存在が、夕べの出来事がウソじゃなかったことを物語っていた。
スラリと長く白い足を露わにして、圭ちゃんはベッドから降りると、定期入れを拾って見ていた。
「あら? お兄さんの写真って、白黒だった?
こないだ見せてくれたときは、カラーだったでしょう・・・」
「・・・・・・」
そのワケを彼女に語ることは、とても僕には出来なかった。
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