ソーちゃんが
王将戦を4連勝し、
見事、タイトル奪取をして
「五冠」を達成した。
ここまで来ると、
もはや、驚くことよりも、
当然だよなぁ・・・
というよりほかない。
この調子だと、
四月からの来季中に
棋王・王座・名人の
残り三つをも奪取して、
棋界初の「八冠」達成も
現実味を帯びてきた。
それでも、
来月の順位戦の
最終戦で勝たないと
A級への確実な自力昇級が
まだあやしい。
しかも、その最終戦の相手が
あの「29連勝」を止めた
佐々木 勇気である。
彼は、7連勝のあと
3連敗中という
目下、スランプにあるが、
因縁めいた対局になりそうな
予感もしないでもない。
タイトル99期保持者の
レジェンド羽生「永世七冠」が、
今季A級から陥落した。
おそらく、
ソーちゃんは来季から
A級入りするだろうから、
まさに、新旧交代の感がある。
棋界では、
羽生ちゃんの
あと一つタイトルを獲って
前人未到の「100期」を
期待する声も多いが、
なにせ、
「藤井一強」時代の到来で、
その実現は望み薄である。
ソーちゃんの部屋には、
大山康晴の全棋譜集があり、
小学生の頃から
それを頭に叩き込んでいる。
その後の
羽生ちゃんの棋譜も
勉強してるから、
その棋力には
二人の大名人の力も
取り込んでいるのである。
時折、解説者をして
「この若さで、どうして、
こんな老獪な指し回しが
できるんでしょうか・・・」
「まるで、背中のチャックを開けたら
中から大山先生が出てきそうですね」
とも、しばしば評される。
まだ、AI将棋がなかった頃、
天才・羽生の打つ手が
並み居る棋士たちには理解できず、
「羽生マジック」という
専売特許が命名された。
してみれば、
今のソーちゃんには
「藤井トラップ」
と命名したいような
奇手・妙手があり、
時にそれはAIすら予想できない
「AI越え」という
畏怖の念で呼ばれることもある。
確率はウソをつかない・・・
というのは真実らしく、
ソーちゃんのデヴュー来の
通算成績8割3分と
タイトル戦の勝率が
ほぼ同じというのは
まさしく驚異的である。
しかも、
これまで棋界の
№1と2だった
トヨピーと渡辺三冠を相手に
竜王戦4-0、王将戦4-0と
8連勝中である。
子どもの頃、
バドミントンの遊びで
相手を零敗させると、
「スコンク」だった、
と言ったものである。
最近は、とんと耳にしない
言い方だが、
語源は「skunk⸨スカンク⸩」
が正しいようだ。
トヨピー、渡辺三冠にしてみれば、
まさに「スコンクを喰らった」
ので、心理的な衝撃は多かろう。
トヨピーは今季、
二つのタイトルを奪われ
「無冠」となった。
『岡崎将棋まつり』の
舞台挨拶では、
対ソータ戦がまだ
6勝0敗のスコンク状態だったので
「長くやるつもりはなかったが、
彼がいるから、十年後の彼と
闘ってみたいから続けていこう
と思ってます」
と言っていた。
ところが、
10年後どころか
翌年にタイトルを全て奪取された。
おそらくは、
いちばん驚いて
畏怖を感じているのは
彼かもれしない。
現在、まだ二つタイトルを
保持している渡辺名人は、
生涯勝率が6割5分なので、
タイトル戦に限れば
8割6分のソーちゃんには
勝ちようがない事になる。
それを、自身も認めており、
ソーちゃんの天敵といわれる
(唯一勝ち越している)
フカピーをしても、
もはや他の追随を許さない
独走態勢に入った、
と評していた。
石田九段も
再三、YouTubeサイトで
予言していたように、
「藤井一強時代」の幕開けである。
タイトル戦以外の
いわゆる冠大会でも、
朝日杯、銀河戦、アベマ戦
と優勝歴があり、
唯一、制覇してないのが
NHK杯とJT杯のみである。
ニュースでも
毎日、全国とフクシマの
感染者数をチェックしている。
フクシマでは、
500台から400台、
そして、昨日300台へと
ゆるやかな下降をみせてきた。
しかしながら、
市内でも、まだ50人以上も
毎日、感染者が出ているので、
油断はならない。
幸い、王将戦の観戦のおかげで、
祝日・土曜と外出せずに済んだ。
******************
『鉄人の思ひ出』3
私は、母校である福島大学の院に入るために、当時、大阪で勤務していた高校を退職せざるを得なかった。
家内は京都の中学校教員だったが、福島の採用試験を受けてくれて、こちらの中学校に転勤した。
京都在住だった私は、当時、京大教授であられた河合隼雄先生のセミナーに七年ほど通い、また、先生のお弟子さんであられた阪先生ご夫妻から四年の教育分析を受けてきた。
院のコンパでは、小野先生も河合先生とは面識がお有りになると仰って、
「あんなに有名になるとは思っていなかった」
と、驚いておられた。
また、先生ご自身も、かつて関西の矯正施設におられたことを伺い、なかなか見事な関西弁を話してみせて下さり懐かしくも嬉しくなったことがある。
関西で分析心理学を学んできた元教員の中年学生が小野研究室に入ってきたことを、先生は喜んで下さり、大教室での最初の講義でも、
「今度、私の研究室に、精神分析を学んでこられた院生が入ってこられて、その人は今ここにおられますが・・・。
私の処も、ずいぶん優雅になりました・・・」
と、突然、話題に出されて、面映ゆく思ったものである。
それから、元教員という経歴を買われて、二度ばかり、学部生への講義の代講を仰せつかり、母校の教育学部の後輩たちに、元現場の教員として、体験談やらを話させて頂いた。
小野先生の講義では、毎回、メモ用紙のようなカードにその日の感想を書いて提出する習わしになっており、図らずも、自分の講義の採点を学生たちからされたようでドキドキものだった。
幸いにも、教員のタマゴたちには、十数年現場を踏んできた先輩のハナシは役に立ったようで、概ね好意的な感想を頂き、それを我が事のように嬉しそうに読まれていた先生のお顔が、仏様のように見えたものである(笑)。
この時の感想に
「私は関西出身ですが、先生の関西弁が懐かしくて、涙が出そうになりました」
というのがあった。
また、後日、この時に教室に居た学生さんが初任者研修会のレポートで、
「私は、あの時、先生の講義を拝聴し感動したものです」
というのがあった。
これというのも、院生でありながら、きっと現場の体験談が学生たちの役に立つだろう、という先生の御慧眼の賜物である。
王将戦を4連勝し、
見事、タイトル奪取をして
「五冠」を達成した。
ここまで来ると、
もはや、驚くことよりも、
当然だよなぁ・・・
というよりほかない。
この調子だと、
四月からの来季中に
棋王・王座・名人の
残り三つをも奪取して、
棋界初の「八冠」達成も
現実味を帯びてきた。
それでも、
来月の順位戦の
最終戦で勝たないと
A級への確実な自力昇級が
まだあやしい。
しかも、その最終戦の相手が
あの「29連勝」を止めた
佐々木 勇気である。
彼は、7連勝のあと
3連敗中という
目下、スランプにあるが、
因縁めいた対局になりそうな
予感もしないでもない。
タイトル99期保持者の
レジェンド羽生「永世七冠」が、
今季A級から陥落した。
おそらく、
ソーちゃんは来季から
A級入りするだろうから、
まさに、新旧交代の感がある。
棋界では、
羽生ちゃんの
あと一つタイトルを獲って
前人未到の「100期」を
期待する声も多いが、
なにせ、
「藤井一強」時代の到来で、
その実現は望み薄である。
ソーちゃんの部屋には、
大山康晴の全棋譜集があり、
小学生の頃から
それを頭に叩き込んでいる。
その後の
羽生ちゃんの棋譜も
勉強してるから、
その棋力には
二人の大名人の力も
取り込んでいるのである。
時折、解説者をして
「この若さで、どうして、
こんな老獪な指し回しが
できるんでしょうか・・・」
「まるで、背中のチャックを開けたら
中から大山先生が出てきそうですね」
とも、しばしば評される。
まだ、AI将棋がなかった頃、
天才・羽生の打つ手が
並み居る棋士たちには理解できず、
「羽生マジック」という
専売特許が命名された。
してみれば、
今のソーちゃんには
「藤井トラップ」
と命名したいような
奇手・妙手があり、
時にそれはAIすら予想できない
「AI越え」という
畏怖の念で呼ばれることもある。
確率はウソをつかない・・・
というのは真実らしく、
ソーちゃんのデヴュー来の
通算成績8割3分と
タイトル戦の勝率が
ほぼ同じというのは
まさしく驚異的である。
しかも、
これまで棋界の
№1と2だった
トヨピーと渡辺三冠を相手に
竜王戦4-0、王将戦4-0と
8連勝中である。
子どもの頃、
バドミントンの遊びで
相手を零敗させると、
「スコンク」だった、
と言ったものである。
最近は、とんと耳にしない
言い方だが、
語源は「skunk⸨スカンク⸩」
が正しいようだ。
トヨピー、渡辺三冠にしてみれば、
まさに「スコンクを喰らった」
ので、心理的な衝撃は多かろう。
トヨピーは今季、
二つのタイトルを奪われ
「無冠」となった。
『岡崎将棋まつり』の
舞台挨拶では、
対ソータ戦がまだ
6勝0敗のスコンク状態だったので
「長くやるつもりはなかったが、
彼がいるから、十年後の彼と
闘ってみたいから続けていこう
と思ってます」
と言っていた。
ところが、
10年後どころか
翌年にタイトルを全て奪取された。
おそらくは、
いちばん驚いて
畏怖を感じているのは
彼かもれしない。
現在、まだ二つタイトルを
保持している渡辺名人は、
生涯勝率が6割5分なので、
タイトル戦に限れば
8割6分のソーちゃんには
勝ちようがない事になる。
それを、自身も認めており、
ソーちゃんの天敵といわれる
(唯一勝ち越している)
フカピーをしても、
もはや他の追随を許さない
独走態勢に入った、
と評していた。
石田九段も
再三、YouTubeサイトで
予言していたように、
「藤井一強時代」の幕開けである。
タイトル戦以外の
いわゆる冠大会でも、
朝日杯、銀河戦、アベマ戦
と優勝歴があり、
唯一、制覇してないのが
NHK杯とJT杯のみである。
ニュースでも
毎日、全国とフクシマの
感染者数をチェックしている。
フクシマでは、
500台から400台、
そして、昨日300台へと
ゆるやかな下降をみせてきた。
しかしながら、
市内でも、まだ50人以上も
毎日、感染者が出ているので、
油断はならない。
幸い、王将戦の観戦のおかげで、
祝日・土曜と外出せずに済んだ。
******************
『鉄人の思ひ出』3
私は、母校である福島大学の院に入るために、当時、大阪で勤務していた高校を退職せざるを得なかった。
家内は京都の中学校教員だったが、福島の採用試験を受けてくれて、こちらの中学校に転勤した。
京都在住だった私は、当時、京大教授であられた河合隼雄先生のセミナーに七年ほど通い、また、先生のお弟子さんであられた阪先生ご夫妻から四年の教育分析を受けてきた。
院のコンパでは、小野先生も河合先生とは面識がお有りになると仰って、
「あんなに有名になるとは思っていなかった」
と、驚いておられた。
また、先生ご自身も、かつて関西の矯正施設におられたことを伺い、なかなか見事な関西弁を話してみせて下さり懐かしくも嬉しくなったことがある。
関西で分析心理学を学んできた元教員の中年学生が小野研究室に入ってきたことを、先生は喜んで下さり、大教室での最初の講義でも、
「今度、私の研究室に、精神分析を学んでこられた院生が入ってこられて、その人は今ここにおられますが・・・。
私の処も、ずいぶん優雅になりました・・・」
と、突然、話題に出されて、面映ゆく思ったものである。
それから、元教員という経歴を買われて、二度ばかり、学部生への講義の代講を仰せつかり、母校の教育学部の後輩たちに、元現場の教員として、体験談やらを話させて頂いた。
小野先生の講義では、毎回、メモ用紙のようなカードにその日の感想を書いて提出する習わしになっており、図らずも、自分の講義の採点を学生たちからされたようでドキドキものだった。
幸いにも、教員のタマゴたちには、十数年現場を踏んできた先輩のハナシは役に立ったようで、概ね好意的な感想を頂き、それを我が事のように嬉しそうに読まれていた先生のお顔が、仏様のように見えたものである(笑)。
この時の感想に
「私は関西出身ですが、先生の関西弁が懐かしくて、涙が出そうになりました」
というのがあった。
また、後日、この時に教室に居た学生さんが初任者研修会のレポートで、
「私は、あの時、先生の講義を拝聴し感動したものです」
というのがあった。
これというのも、院生でありながら、きっと現場の体験談が学生たちの役に立つだろう、という先生の御慧眼の賜物である。
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