遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

豊かな倍音発声のために。

先だって 自力整体の友人と 手織り作家の友人と 三人でチャクラ発声をしてみました。

遊びでしてみたのですが なかなかおもしろかったので ちょっと書いておきます。

7つのチャクラに呼応する音があります。下から m  U  O  A  E   I   n

この音に対する ヘルツ があるのですが それはさておき 順番に 各チャクラを意識しながら 発声する。

ウ オ ア エ イはロングブレス(ながく伸ばす) n m は ハミングで 体の中に響かせる 骨が微細に振動して 身体が熱くなる

汗が出る ヒビキ 振動 共鳴  身体は楽器 

.................................................................

あとで発見したのですが この発生に うねりをくわえると たとえば ゥオ~~~~ もっと 振動します。

これって 日本的発声  浪曲みたいな..... 日本人は西洋人と違って サビが好きなのだそうです。いわゆるダミ声

倍音がからみあうような声....  倍音は光 なんです それを昔のひとはよく知っていたんでしょうね。

あと高声 子どもの声(だいぶまえから 女性と子どもの声が低くなった 体温も低くなった) 

犬は 高い声に反応するけれど 高い音域の声を聴いても元気がでる

自分の周波数とか 体調とかによってはきつくかんじるかもしれませんが......

脳の栄養は 音 振動 ひかり .... 音で癒すことができる 自分の耳より高い位置で声を聴く

..................................................................

風邪をひいていて 体調がわるく 下から 4番目まで よく出なかったのですが E I N は 伸びがいい。

ほかのふたりの声を聴いていると ひとによってよく響く チャクラが 違うんですね。

わたしの場合は 肉体的に機能がとても落ちているが 意志 表現 直感 霊性 などは損なわれていなかったみたい。

心身の調整  体調の管理にも いいかもしれない。

 昔 スピリチュアルなボイストレーナー 天音。さんに 5つの倍音が出ているといわれたのはこのこと?

あれから 10年 経ったので 当時よりは ゆたかなひびきが出ているといいなぁ

ちなみに 好きな 石 アメジスト ラピス アクアマリン ターコイズ です。 トルマリンもときおり

身につけます。

お借りした図

チャクラの名称 チャクラに対応する身体の組織・器官と働き等
サハスラーラ
百会(頭頂)
脳、霊性、直観、宇宙意識
 自己を超越、超能力・超感覚、宇宙・神との一体感。
パワーストーン(紫) アメジスト、フローライト(紫)、ルチルクォーツ
アジーナ
眉間の少し上
目、神経系、直感、感覚、知恵
 「第三の目」と言わる所。鋭敏な感覚、知性・精神の成熟。
パワーストーン(藍) ラピスラズリ、フローライト(藍)、アベンチュリン
ヴィシュダ
喉仏の下
咽、甲状腺、副甲状腺、気管支
 意思、知識、創造性、自己表現、判断力。
パワーストーン(青) ラピスラズリ、ターコイズ、アクアマリン、アメジスト
アナハタ
両乳首の間
心臓、肺、循環器
 喜怒哀楽の感情、信頼、慈愛、希望。
パワーストーン(緑) アベンチュリン、フローライト(緑)、ローズクォーツ
マニプラ
みぞおちとヘソの間
胃、肝臓、胆嚢、膵臓、脾臓、消化器
 理性、個性、自我、不安、自信。
パワーストーン(黄) タイガーアイ、ムーンストーン、パール(真珠)
スヴァディシュターナ
丹田(ヘソの下約10cm)
生殖器、膀胱
 感受性、情緒のバランス、物欲、性。
パワーストーン(オレンジ) オブシディアン、ムーンストーン、トルマリン
ムーラダーラ
会陰(生殖器と肛門の間)
腎臓、副腎、腸、骨格
 生命力、パワー、情熱。
パワーストーン(赤) カーネリアン、ヘマタイト、トルマリン、オニキス


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いのち → 息吹 → 音が乗っておとたま → ことばとなってことたま

おとには意味がある 四十八の神のみ働き

段 あいうえお 行 あかさたなひみいりい 

それぞれに意味がある。つまり ・・・・ ものがたりでなく ことばでなく の深い謂れ

これをユニットの 月曜の補講でいたします。

+ 三姉妹(チェホフ)   serihutokatari  hibikinoryouiki  kanagadenai



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なつかしい事務長さん、わたしはこの方から実に多くのことを学びました。

⇒ こちら

440ヘルツ

人間が「音」として聴ける周波数帯は、普通、20~2万ヘルツといわれています。この広範囲な音の中で、百~千ヘルツの範囲にある音は、生物に顕著な影響を及ぼすことが知られているそうです。例えば、植物に対し、「100~600ヘルツ」の音を放射すると、「発芽 → 成長 → 開花 → 結実 → 種子」という、一連の植物の成長過程が早まることが確認されているそうです。こうした事例を経験的に知っていたからかどうかわかりませんが、古くから、特に東洋では、「音と植物の関係」について語られる機会が多いといわれています。

その一例として、チベット仏教で使われてきた「ティンシャ」と呼ばれる楽器が引き合いに出されることが多いといいます。
 http://www.asian-hotty.com/12005.jpg
 http://image.blog.livedoor.jp/take5_55jp/imgs/c/4/c4453eb8.JPG

ところで、1952年、アメリカ・イリノイ大学のシューマン教授が奇妙な予測をしました。それは、大気が形成され生命が誕生したといわれる35億年前から、ほとんど変化を受けずに地球を取り巻いている電磁波帯があるはずだ、というものでした。このシューマン教授の理論的予測は、その後、アメリカの研究者たちによって、1972年、約2千時間をかけ、実測調査がおこなわれるところとなりました。

この調査の結果、数値的に「7.8ヘルツ」「14.1ヘルツ」「20.3ヘルツ」「26.4ヘルツ」「32.4ヘルツ」に特徴的な『5つの数値的山(シューマン共振)』が見つかり、太古から地球を持続的に取り巻いているというシューマン教授が理論的に予測した、周波数(振動)の存在が、確認されることになったといいます。この5種類の周波数の中で最も重要とされるのが「7.8ヘルツ」の山だといわれ、これは、地球をちょうど一周する波長を持っているため、「地球の基本周波数」と呼んでいる研究者もいるといいます。この「地球の基本周波数」が、人間の安静時の「脳波(α波)」と一致している点が、大変興味深いといわれています。

 また、脳波だけではなく、心臓から断続的に送り出される血流によって、人間の身体には定常的な脈動が生じていることも知られていますが、それも、安静時、約6.8~7.5ヘルツであることが確認されています。人間の身体は、混乱やイライラなどでみずから身体リズムを崩さない限り、地球のリズム(振動)に共鳴・共振し、動いているのだそうです。

ママンは、1981年から1年半にわたり、国立フランス科学研究センターの生物学者エレーヌ・グリマル(Helene Grimal)と共同研究で、『人間の細胞と音のかかわり』についてのデータを発表しています顕微鏡で「ガン細胞」を見ると、健康な細胞に比べ、ガン細胞の方は、若干、肥満ぎみだといいます。

そのガン細胞(子宮ガンの細胞を実験に利用)と、健康な細胞の双方に、音を放射していくと、256ヘルツあたりで細胞は伸び、しだいに音を高くしていく(周波数を上げる)と、細胞は丸くなって、色も赤からピンクになるなどの変化が生じ、音の振動数が『400~480ヘルツ』付近になると、ガン細胞の方は、この音との共鳴効果に耐えきれずに、崩壊していったそうです。21分ずつ、細胞に、30~40デシベルの音圧で、さまざまな音を聞かせていった際、上記の反応が顕微鏡下で観察されていったそうです。

音源として、銅鑼(どら)・ギター・木琴など、いろいろなものが使われたそうですが、最も効果的であったのは、『人間の声(アカペラ無伴奏)』であったそうです。ママン自身の「声」を利用したそうですが、ママンの声の振動の反復に、ガン細胞は耐えられず、3度目に歌うと、ガン細胞は不安定に揺れはじめ、統合性を失って混乱したガン細胞は、構造を維持できなくなって崩壊したそうです。
 一方、健康な細胞は、同じように音の刺激に共鳴しながら、まったく異常が見られなかったといいます。

ママンはこの点について、「人間の声には、他の楽器にはみられない、何か強力な波動が含まれている」との感想を、期せずして記すところとなりました。日本人の古い信仰体系の中に息づく「言霊(ことだま)」、そして密教などで唱えられる「マントラ(真言)」、さらに、洋の東西を問わずに民間習俗の中に息づく「呪文」などは、忘れられた『古代の音響学の残滓』だ、とみる人もいます。

 こうした『古代の音響学』の中心にあるのが、440ヘルツ付近の音だといいます。上記のティンシャで例示したとおり、「音を出す道具」は、古くから、各種宗教では、大変に重要なものとされてきましたが、そういった楽具には、440ヘルツ付近の音を出すものが、不思議と多いことで知られています。前回触れた「松森町獅子舞」の囃子にも、同様の440ヘルツ付近の音への接近性が認められるともいい、呪術的要素の強い舞や踊りの音楽には、このように、440ヘルツ付近の音が常に付随することが多いといいますが、いったいこれはどういうわけなのでしょうか。






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→ こちら

彼女らはファッションで売っています。歌は...そう たいしたことはない というとファンに叱られそうですが、彼女たちの歌を聴いて 心が澄んだ ひとのために生きようと思った.....というひとは少ないでしょう。

 ビートルズもかつて彼らのために働きました。

ジョン・レノンは断りました。

再録です。

→ こちら

「世界はすべて狂人に動かされている。その気狂いじみた目的のために。 ぼくらはその目的を成就するために支配されている。 イギリス政府 アメリカ政府 ロシア政府 中国政府が実際にやろうとすること その方法や目的を紙の上に書くことができるなら 僕はぜひそれが知りたい。 でもそれを表現しようとすると 僕は気狂いあつかいされて そっと消されてしまうだろう。」

ロンドンオリンピックではレノンのデスマスクが使われました。奇矯な演出でしたね。プロビデンスの目 子どもたちの死? 

ポールは彼らのために働き 貴族に列せられた....ご褒美です。

ビートルズ解散のわけ ジョン マイケルの死因 → こちら  動画 消されないといいね

ジョンは 撃ってみろ と歌って撃たれ マイケルは殺せと歌ってころされました

コメントから

私の預金は何に使われているのか?

誰を殺しているのか?

私の見ている番組は何を伝えているのか?

誰を殺しているのか?

私が払っている税金は何に誰の為に使われているのか?

誰を殺しているのか?

 



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気になるヴォイストレーナーさんがいたので 特別にエクササイズを見せていただくことになりました。 デモと踊りすぎたのとで ひざのぐあいがよくなくて遠回りの鈍行で 参宮橋は遠かった。3時間かかって着いたときにはもうだれもいません。夏休みのため 高校生でごったかえしておりました。 なつかしのカフェ FRIENDで昼食 研究セミナーの頃は喫煙コーナーがあったのに隔世の感があります。個人的にはかくも激しき煙草へのバッシングはWHOの陰謀だと思っております。人体に激しく有害なワクチンをあのようにひろめる WHOが世界の人民の健康をさほど考えるとは思えませんもの。

午後は朗読のクラスがあるというので挨拶にうかがったところ 受講者は青年一人で ついでに朗読させられました。青年の声はすばらしかったです。深みのある倍音成分たっぷりの声でした。地の文は淡々と...せりふは立てて 8.9人のせりふを明確に語り分けられるのです。すこし気になることがあり 共鳴区はどこまでつかっているのか 尋ねたところ 口腔内だけという答えでした。気持ちを切り替えるのではなく 口腔をひろげる 口をゆがめる など機械的に声をかえるのです。

けれども技術的にたいへん高度なので ほとんど違和感はありません。なかでも小泉八雲の 漁師が難破して仲間の幽霊に助けられるという紙芝居は圧巻でした。波の音 叫び声 呼吸がしっかりしているので間髪を入れずアタック音が出る 地の文はまったく揺るぎません。じつによくコントロールされています。.....ところが三作目であきてしまったのです。いくら上手くても みな同じテンション 緩急も間も考慮されず....これらは本来自然にでてくるものですね。......うまいのだけど精巧なつくりもの...のように感じました。.....しかし 声はすばらしかった、もったいないなぁ.... ヴォイストレーニングは受けてみたいと思いましたが 遠いのと高額の入会金で二の足を踏んでいます。



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意識するとどう変わるか
① なにも考えないで発声
② 自分の内側とつながる
③ 遠方にターゲットを置き ターゲットを意識して発声
④ 背中を意識して発声

みなさん 実験してみてくださいな。ひとりでするときはある程度お声になかに倍音が多く含まれていないとわかりにくいかもしれません。おそらく骨の響く箇所が違うことに気づかれるでしょう。わたしの場合は ④背中を意識したときもっとも響きを感じました。ふたりですると わかりやすいですね。

声についてはさまざまな実験が可能です。次回のカタリカタリのエクササイズのひとつにこれをしてみようかな。

さて わたしはあまりいい妻ではありませんが 夫のためにしているいくつかのことがあります。そのひとつは洗濯物の手洗い.....しみじみと選択がすきなんです。もうひとつは手巻き煙草をつくること 毎晩18本巻きます。夫はタバコがやめられません。市販の紙巻は添加物が多いので手巻きだけにすると約束してもらいました。カーテンも汚れないそうです。きのうは自分のために何本かベリーの葉を巻きました。とてもよい果実の香りがします。儀式用です。

物ではなくて愛するひとにさしあげられるもの  それは手のしごと たくさんの想い ニュアンスをこめたことば そしてまなざし。



→ こちら

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昨日はなぜかわからないけれど ひさしぶりに感覚がひらいていました。目とか耳とかではない 見えないもの聴こえないものとつながる感覚です。reiさんと話しているうちにその感覚はますます鋭敏になってゆきました。

「声」について ちかごろ痛感するのは低音部の不安定さと低音部と高音部のつなぎです。要因になるのは二箇所 声帯の問題ではありません。ひとつは経年劣化。もう一箇所は霊的なものでおそらく王子ホールで起きたできごとによるものでしょう。

仙骨の目覚めを促すこと 骨盤のズレの解消 が 今 力をいれていることで 徐々に効果が出ることでしょう。霊的な問題は霊的に解決するしかありません。

共鳴区をひろげることについては 骨がゆるみ自由になってきて このごろ声が肩甲骨 背中に響くくすぐったいような感覚を覚えるようになりました。胸郭もひろがってきつつあるのですが もうひとつこのごろおざなりになっていたのは 意識 だということに気づきました。トマティスやRADAのあとは意識がとてもひろがり 視野もひろくなり そのことで声が遠くまで響くようになります。声とは不思議なもので 意識がかわるとかわるのです、そしていちどきにたくさんの感覚とつながり 実に多くのことをしている....この多様性も豊かな声の決め手のひとつなのでしょう。

たとえば 自分とつながり 聴き手のひとりひとりと意識でつながり ものがたりのなかの諸象と五官でつながる 季節 風物 温度の感覚 手触りなど そして 登場人物のひとり とつながる。

身体で感じる感覚と意識 それらを統合した声になるとき ものがたりは鮮やかな 色彩 匂い 手触りのあるものとなり ことばではなく 聴き手の扉をひらく......わたしはこのように考えます。目指しているけれど道ははるかに遠いです。いわゆる 文字の音声化 ではない。朗読家の友人が 行き着くところは同じじゃないかといいましたが わたしは違うと思います。身体がないとダメなのよ。それとスピリチュアルの芯。声は声帯が出すものじゃない 通り道に過ぎない 声は息吹 すなわち命 声はひかりそのものなんです。それに気づくか気づかないか....。意識できるかできないか.....。

意識したことは徐々にではあるが カタチになってゆく だから 夢はかぎりなく壮大でいい ただし具体的なイメージが大事かな。あぁ ほんとに道は遠い。だって ただきれいな声が届く 扉をひらくわけではないのだもの。


さて reiさんは最近 師を喪い わたしも二年から三年前に矢継ぎ早に師を三人 失いました。師というのはすばらしいものです。自分ひとりでは見つからないことがとつぜんわかってしまったりする。おもしろいのは 師が気がつかないまま 弟子が受け取ってしまうこともある。ということは 師をとおして天から授かったってことなんでしょうね。

その授かったものをどうするか....できたら体系化する 自分のなかで再構築する そしてつたえてゆく つたえてゆきながら再構築というミチもありますね。わたしはほとんどこれかな。

伝えるひとの胸にちいさな灯を点すように 自分のひかりをつたえてゆくのね。つたえられたひとのなかでその光があかあかと輝いたら はじめて師に恩返し 天に恩返しができるのだと思います。出し惜しみすると それ以上のことは入ってはきません。世のなかはそのようになっているようですよ。あの世にもっていってもしかたない、つたえてつたえて 人間の文化はゆたかになっていったのです。

もう朝になってしまいそうです。今日はこのあたりで.....。少女マンガ 大島 萩尾 山岸 さんのつづき 癒しと再生 も書きたいな.....



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    地デジのテレビはありません。でも紅白は聞きたくて 車の中で毛布にくるまって後半を聞きました。昨年の紅白、震災が歌手の歌う心に灯をともしたのか 胸を打つ歌唱がたくさんありました。ありがとうございました。なかでもわたしは絢香?さんという歌い手さんの声に仰天しました。背筋を戦慄が二度奔りました。この方の声は四次元的にひろがる感じがします。意識されているのかいないのかわからないけれど 声の可能性を限定していない感じがしました。

    松任谷ゆみさん 悪声! ごめんなさい なのに心に響きました。さゆりさんの津軽海峡冬景色もよかった。さぶちゃんもよかった。ヤクザさんと関係がなければいいのに。あと あっこさん 内臓かどこかに病気があるのではないかと感じました。あるレンジの音が出にくいので無理に出そうとしています。千さんもですね ちょっと変だった。内臓とからだの部位によって反響する音域が違うので倍音の響きの豊かな声を出すことと健康は深いかかわりがあります。

    たしかに年齢が上がると高い声は出にくくなるのですが 自分の生活を律することで豊かな声 つやのある声は保たれます。若い声はそれだけでも輝きがありますが 人生に磨かれ 内面の充実に裏打ちされ 健康な体から発せられる「声」を聞くのはそれ以上の喜びです。

    

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今日 自力整体でね おなか ほぐし したのです。腹直筋の下に瘀血がたまります、触診してぼこっともりあがり痛みがあるところをほぐします。 わたしは右の深部が硬くて それが ほぐしているうちに 不思議なことに 声のひびきが変わってきたのです。 

潰瘍のあと ずっと 声が出にくいというか ひびきにくい いつもとちがう感じがしてたのですが それがとれた.....響きだした......それぞれ内臓には固有のヘルツがあって .....どこか内臓がわるいと豊かな倍音が出にくいとは聞いていたのですが......こんなだとは思いませんでした。

あぁ きのうの語りの前ならよかったな.....

四肢 末端は だいぶほぐれてきたので いよいよ 体幹 のインナーマッスルにいきます。たのしみです。

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音は波動 音はエナジー 音はひかり

いのちが息吹となり 音が乗って音魂 音魂に言葉が乗って言魂

祝詞 祈り 天の意に乗る 意乗り


『ひふみ祝詞』

ひふみ  よいむなや  こともちろらね

しきる  ゆゐつわぬ  そをたはくめか

うおえ  にさりへて  のますあせゑほ

れーけー

(ゐ=い ゑ=え)

ひふみ祝詞の意味は→コチラ



『十種の神宝の祝詞』

十種の神宝とともに奏上しますと、死者もよみがえったといいます。


ひふみよいむなやこと

ふるへ ふるへ ゆらゆらとふるへ

(へ=え)



『アワ(天地)のうた』

イザナギ・イザナミは声を合わせ、カダガキ(楽器)をかき鳴らしながら、上 二十四音をイサナギが歌い、下 二十四音をイサナミが歌ってことばのみだれを糾し音声の標準化を図り、農業普及と共に国の再建をしていきました。


ア カ ハ ナ マ

イ キ ヒ ニ ミ ウ ク  

フ ヌ ム エ ケ  

ヘ ネ メ オ コ ホ ノ  

モ ト ロ ソ ヨ  

ヲ テ レ セ ヱ ツ ル  

ス ユ ン チ リ  

シ ヰ タ ラ サ ヤ ワ  




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   すっかりごぶさたしてしまいました。先日から身体が急に開きはじめて、身体と対話することがPCに向かうよりおもしろくなってしまいました。大掃除を開始した故か、仕事や家の状況が音を立てて動きはじめてもいました。

   あしたからワークショップで留守にしますので、とり急ぎお伝えしたいことをUPいたします。


   4年前 ミクシィをはじめたとき、どなたからかいただいたメールを、なぜか肌身離さず 持ち歩いておりました。まとめてみます。

① 呼吸は循環力、バランスをとるためのエネルギーそのものである。
② エネルギー⇒音霊おとだま⇒言霊ことたま
③ 声=身体に振動・共鳴する
  健康体と病がある場合では、共鳴する程度が違う
  心や感情が不安定な場合も共鳴が乏しくなる
④ 健全な魂、心、身体にエネルギー=声が共鳴するとき、程よい倍音成分が含まれた本当の声になる。
⑤ そのために心をリラックスさせ、身体をゆるませることが必要である。
  (ゆるみの会得がないと共鳴しない)
⑥ 即興は古代のひとたちがカミオロシの儀と称していたものと通じるのではないか。
⑦ 自分をなにものかにゆだね、通路として解放する。

   以上のなかで⑥と⑦はわたしの思いそのままだったのですが、そこにいたる③④⑤がよくわかりませんでした。わたしが....語りをはじめて10年のあいだ盲目的感覚的に求めていたのは”たくさんの糸を束ねたような声”でした。求める気持ちが強ければしだいにちかづいてゆけるものです。4年前、求める声が”倍音”であることに気づきました。そこで天音さんに会いに行ったのです。

   1年前 トマティスの聴覚検査で③に気づき、自分の声のなかで身体と共鳴できない部分が足...とくに右、そして首すなわち、不自由さや違和感を感じている身体の箇所であることを知りました。そして自力整体.....いまは名称がちがいます.......をはじめて1年半......⑤の身体をゆるませることがどういうことかわかったのです。

   このところ、手足の末端、そして手足を重点的にゆるめていました。すべての関節が呼応し連動しています。手首⇒足首 肩甲骨⇒股関節 右足首どうよう右手首の可動域がちいさく、右肩甲骨が埋もれ骨盤もおかしい......こうして次第に左右差に気づいたわたしは、重点的に首、肩甲骨、肩をほぐしていました。それとどうじにインナーマッスルを刺激しほぐすために身体にねじりと振動を加えました。意識を持ったことで、ぐっと変わりはじめたのに驚きました。

   肩のラインが左が高かったのが、一挙に水平になりました。首も垂直に近くなりました。からだがゆるむととともに声がかわったように思います。ゆとりがうまれ、まだまだですが声に振動が感じられるようになりました。”たくさんの糸を束ねたような声”に近づいてゆけるのではと、はじめて実感と歓びが湧いてきたのです。なによりじぶんのからだにふれ、確認し変化を実感できる、身体と向かいあって身体の声を聴くのはとてもたのしかった。

   食、睡眠、聴くこと、感じること、五官のすべてで身体とつながってゆきたい.....心と身体のとどこおり、こごなり、よどみ、束縛から自由になりたい.....そのとき響きはより豊かに深くあえかになると.....確信しています。






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   ”日本語はなぜ美しいのか”黒川伊保子著
を読みました。首をかしげるところもないわけではありません。著者の言う”発音体感”は日本語のみにあるのではなく、英語にもあるように思うからです。たとえば日本語のラ行のことばは流転、輪廻、のように回転や螺旋を意味することばが多いのですが、英語でもringとかrollngとか回転にかかわることばが多く見受けられます。けれども全体としては読み応えがありました。著者は子どもたちが早期に英語教育を受けることは母語喪失の危険があると説いていますが、今日は語り手としての立場で紹介しましょう。

    その①
日本語は世界でもめづらしい母音を主体に音声の認識をする国である。

    その②
風土と意識と身体感覚とことばがしっかりむすびついた母国語(日本語)はことばに込められた情感が深い。ひとびとが暗黙のうちに情感で共鳴しあうので意味ではなく”感じ”で伝え合うことが多くなる。   

    その③
母語は親が子へ、息遣いやまなざしまでもつかって、全身全霊で伝えるもの。わが子にことばを与えるということは、宇宙を授けるのと一緒なのである。

    その④
ことばを構成しているのは音韻であり、音韻を構成しているのは発音体感である。発音体感はことばの本質である。
例 おおきい ちいさい ぬくぬく ひえびえ さらさら ころころ
ことばは音韻のならびであり、、その発音体感が、潜在脳にしっかりとことばの象をつくりあげる。ソクラテスはこのことばの象と、実体の事象が合致する言語こそ美しいといった。

    その⑤
わたしたちは.....事象に似た発音体感をあじわうために、言い換えれば魂の共鳴を感じるがために、ことばをしゃべっているのかもしれない。わたしたちは対話によって、意味を超えたより深いものを交換しているのだ。ソクラテスの論を借りればそれのできる言語とできない言語があり、それができる言語こそ美しいのである。

   
    いかがでしたか?
音韻のひびき、ひびくのは母音だけですが、そのひびきで共鳴しあう、親子が交感する、語り手と聴き手が交感する......とてもうつくしいイメージが浮かんできます.......意味を超えたより深いもの......それはいったいなんでしょうか。







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........きのうM先生のところにレッスンに行きました。Yundi Liさんのピアノについて話しました。先生は「一音一音をたいせつにしているから響きがうつくしいのだ」というようなことをおっしゃいました。....そうか! とわたしは思いました。同じ幻想即興曲を素人の方が演奏しているのを聴くと音が濁っているのです。

   一音一音を粒だてるのは地道な日々の修練に身を捧げてはじめてできることなのです。先生の演奏の音色も一音一音がうつくしいです。わたしは恥ずかしく思いました。わたしはただ音を出しているだけ.....。それで進歩がないんですね。レッスンのたびに「やめます」と今日こそは言おうと決心してゆくのですが、先生から教わることはとても深くて、ほんとうにこの方だけは師だと思える、もうすこしがんばろうと思うのです。.......実はきのう叱られました。『どうして自分からやってみようとしないの、調律でも演奏でも、どうしてやってみてそれから「先生 これで どうですか?」って訊けないの?』

   わたしは返すことばがありませんでした。演奏は人間性そのものだ....と先生はおっしゃいました。語りもそうです....とわたしはいいました。困難...を越えれば、幸福しかない...というようなこともポツリ 帰り際におっしゃいました。困難を越えることを楽しめばいい...とわたしは思います。楽しむには重すぎる困難もあるけれど...。

   朝、尾崎豊のバラード を聴きました。美しい声....一音一音のひびきがなんてクリアーで煌いていることでしょう....そして情念にまかせてうたっているように見えて、歌が表現のうえでもみごとにひとつのストーリーとして構築されていることに驚きました。...わたしは今まで好きで聴いていながら気がつかなかったのです。以前にわたしたちが伝えたいものはことば..ではなくて....一音ではなくて....と書いたことがあります。それはそうなのですが、一音をことばをたいせつにすることで ものがたりはより耀くのかもしれないと思いました。

   .....ちいさな朝のひかりに......一音一音をたいせつにして歌ってみました。....するといつもよりくっきりと風景が見えてきたのです。




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    みなさま、お元気ですか? 会社の庭の白梅が咲きました。紅梅はまだつぼみです。わたしはトマティス通いとお仕事で忙しい日々です。本所に移転したトマティスに先週の日曜から通っています。仕事をしてから出るので帰りは夜中の12時ですが、聴覚トレーニングを受けると疲れがとれるし、底力が湧いてくる感じで大不況のまっただなか、会社の改革に懸命です。

    会社の改革というのは社員さんの意識改革とそれを生かす会社のシステムを時代にあわせてつくりなおすことだし、ひいては自分の改革なんですね。どんな組織も人間の筋肉や思考回路とおなじで固まったら衰退あるのみ進歩はありません。芯はかわらない....けれどその芯を保つには柔軟でなくてはいけないようです。

    語り基礎講座をしたことで最も わたし自身の身になったのは あたらしいなにかを得るためにトマティスの聴覚トレーニングとカーヴを受けたことでした。突然姿勢がまっすぐになりました。声が変わった。前より自在になった。そして視界や視野が変わった。(駅前の広場と大通りの広さが以前とはまったく違うのです、たぶん脳内の視野も変わったと思います)....それはわたしがほんとうにしたかったことへの本道につながりました。

    表現にかかわる方はカーヴを受けると、自分自身を知ることにちかづくと思います。それぞれの方々の立ち位置にもよりますが、すくなくとも余分なものが剥がれ落ちることでしょう。本所に移転したトマティスは声を表現につかう方のためのはあたらしいコースをはじめました。日原先生の指導を定員5名で受けるという贅沢な講座です。3/12に第一回がはじまります。もう定員に達したかもしれませんが、惹かれる方はお問い合わせください。

    基礎講座を受けられた方々はどうなさっているでしょう。深奥から発することばを身体を弦にして発しておられるでしょうか? 役者さんの語りや朗読とみずからが語り手として語りたい語りのどこがどう違うか、その後感じ取られたでしょうか。(わたし自身は学ぶべきものは多々ありますが、求めるものは似て全く非なるものと思っております)声をだすこと、聴き手に届けることを歓びにしておられるでしょうか。一期と二期では即興のほんの手始めまでが精一杯で創作についてはふれませんでした。


......けれども最初に書いた絵のように、ご自分のなりたい語り手像をいつも胸に抱いて、その語り手と対話をつづけるなら、きっとあなたは自分の望に一歩ずつ着実にちかづいてゆくでしょう。学ぶことは講座やワークショップばかりにあるのではありません。いつも鏡に自分の姿をうつすことを忘れないでください。自分自身に愛をこめて、けれど愛やほかのものに曇ることのないまっすぐな目で確かめてください。....とてもむつかしいことですが、一番大切なことかもしれません。ずっとずっと応援しています。

    

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   有体に言うと語りをアイディンティティーの拠りどころにしているところがわたしにもあったのです。つまり不在証明.....アリバイです。語ることはわたしの人生、わたしの生命を補完することでもありました。それもわるくはない。

   けれど、声について学んでから、自分の声、ひとの声に耳を澄ませ、気配、仕事の仕方、応対..など視るともなく見、聴くともなく聴いているうちに声というもの、語り、仕事......あらわれるほとんどのことが人格そのものであること....がわかりました。トラブル、ミスはたいてい起こるべくして起こるのです。場合によっては気づかずしてあえて起こしている....人格...パーソナリティといっても今のその方に責任があるものもないものもあるのですが、どちらにしても降って湧いたものではないようです。

   声が変わることと人生が変わることは連関しています。けれどもそれは入り口と出口であって実はもっと深いところ、目に見えないなにかが変わっているようにわたしには思えます。時間ができたら...できないまでも日々の生活のなかで学んでゆきたい、つきとめてゆきたいと思います。

   さて、わたしはわたしの生を「語ること」で補完してきた...と申しました。「語ること」でわたしは...なにがし免れることがあるように思いました。.....わたしにとっても 「語り」はある種のステータスであったのかもしれない。語ることは免罪符になり得ると信じていたわたしは、つい先ごろそれは執行猶予に過ぎないのだと知りました。

   真にむきあうべきはわたしの身体、わたしの心、食べること、生きること、愛すること....わたしの生命 それがかたちを変えて声ともなり、語りともなる、補完するものなどとは思い違いもはなはだしかった.....。

   かといって趣味であったり、芸術であると信じている方が間違っているとはゆめゆめ思いません。述べているのはわたしの感じ方、わたしの生き方なのです。芸能にたずさわる方々は濃い人生を送っている方が多いように思います。それはもともと自分に求めることも多いのでしょうし、芸能とは目に見えないものに直接間接につながってしまうものだからなのでしょう。ある部分を突出して補完してゆくことで徐々に内面も変わってゆける....好きなことだから加速できる。けれども根本から変わろうとして変われるならそれがいちばん自然であるように思います。



....世は波立ち、わたしの生活の場もけっして安泰ではありませんが、こんなに平和でやすらかで自由でいられたことはいままでにありませんでした。ここまで導いてくださった多くの先達の方々、励ましてくれた友人に心から感謝申しあげます。





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