テレビ朝日開局50周年企画のドラマ「点と線」を見ました。舞台は昭和32年、日本テレビ開局55周年の「華麗なる一族」が1960年代でしたが期せずしてふたつの局がその時代を選んだのにはわけがあるのでしょうか。昭和をあらためて考える、戦後を考えるということでしょうか。振り返ってみますと当時は気づくよしもなかったのですが東京オリンピックこそ日本の戦後の終わりだったのでしょう。
わたしはその頃中学生でした。ドラマの画面...東京駅や地方の駅、アパートの一室や居間の佇まいから当時のことが甦ってきます。茶箪笥 ちゃぶ台 鏡のはまった洋服箪笥はどこの家にもありました....。駅名は紺色のほうろうの板に白抜きで書かれ駅舎の柱にうちつけてあり、電車の中は木製でどこでも煙草が吸えました。背もたれは座席と直角で緑の粗いビロードみたいな生地が張られていました。日本中まだ貧しく、けれども戦争への罪の意識も消えかけ 戦後のある種原始共和制のようなやさしさから過酷な経済戦争へと突き進む時期でもあったのではと思います。教育も変わりはじめていました。
さて 思い出はそのくらいにしてまずはあらすじ.....
昭和32年、福岡市の香椎駅近くのさみしい海岸で男女の死体が発見された。亡くなった男の方は官僚、女は料亭の女中。地元警察はこの2人を服毒による心中と断定し、事件は解決したかに思えたが、一人の老刑事 鳥飼重太郎はこの男女の死に疑問を持った。それは死んだ男の所持品の中に”お一人様”と、書かれた列車車内食堂の領収書があったことからだ。「東京から2人できたはずなのになぜ”二人”ではなく”お一人様”なのか。この男女は本当に心中なのか?」ちょうどそのころ政界では一大疑獄があかるみに出ようとしていた。死んだ官僚佐々木は疑獄のカギを握る男だったのだ。
.....ドラマは実におもしろかったです。ビートたけしという役者を名優とは思いませんが、彼に嵌った役のとき狂気という閃光を放つのです。そしてその狂気がまわりの俳優にも伝播するのでしょうか。ビートたけし演じる鳥飼刑事出没するところビリビリとエナジーが高まるのがテレビの画面からも見てとれました。そういう意味では尋常な役者ではないですね。....緊張感漲るいいドラマでした。また、ワキが凄かった。これは?!というひとが端役で出演していましたね。
そのなかで夏川結衣さん演じる犯人安田の妻....そして柳葉敏郎演じる安田がおもしろかった。鳥飼刑事と対峙する安田の妻こそ真の主役であったかもしれません。夏川さんは夫を守ろうとして鳥飼に立ち向かい嘘をつきとおす安田の妻(けれども別に隠された動機お時への復讐があります)を演じていて、追い詰められるにつれ瞳は耀き背筋はきりりと伸びてゆくのです。一度は崩おれながら、最後の力を振り絞り自分が精緻に組んだトリックに一縷の望みを賭けて追求の手をすりぬける.......。惜しむらくはその身体が豊満に過ぎ夫と夜をともにすることができない妻の苦渋が薄められてしまったことですが、それはよしとしましょう。また、事件の鍵をとくきっかけになったのが 安田の妻が同人誌に書いた随筆であり、その同人誌が謀られ殺されたお時の部屋にあったことを考えたときドラマとは人間の愛や苦しみ 欲や希望のうえに移り気な運命のまなざしが投げかけられたとき起きるのだ...としみじみ思いました。
もうひとり影の主役がいました。それは鳥飼刑事を支える亡き妻でありました。最後のほうに写真が出てきます。つまりこれは幽明を超えた女たちの戦いでもあったのです。ドラマっておもしろいですね。....語りでこんな女の戦いが語れないでしょうか? この三日膝がいたくてあるくのが億劫だったこともあったのですがわたしとしてはのんびりふつうの暮らしをしました。本を二冊読み 買い物に行きカラオケも楽しみました。ぽっぽちゃんのお見舞いに二回行きました。テレビを見てあとははやばやと寝みました。.....でも、つまらない...生きている感じがしないのです。ほんとうに生きること いのちの充実とはどんなことなのでしょうね。わたしは欲が深いのでしょうか...。
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