遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

麻生さんのことば そのとおりなんですね。ドイツのワイマール憲法はもっとも堅固な憲法だったのです。緊急事態条項が入ったために ヒトラーの考え一つで国が動くようになり  ドイツ国民は 地獄に落ちたのです。

たぶん憲法改正のとき 緊急事態とは 災害やパンデミックに対処するため ロシアが中国が攻めてきたときのため.... そのために テレビ 新聞が あおっている

 

でも 麻生さんが間違っていることがある... わざと言わないことがある。

1 お国のために命を投げ出されたひとじゃないってことです。 みんな知らなかったんです。 今の日本とおんなじ ラジオと新聞が報道の公器じゃなかった。ラジオも新聞も国と軍部の宣伝スピーカーだった。それにだまされ 今とおんなじ 同調圧力 でわらわらと一億火の玉 お国のために 五族協和 亜細亜の盟主 うかれてうかれて地獄に落ちた。

戦地に行けば軍曹や伍長にいじめられ  食糧はなく へび とかげ 草 虫 ねずみ なんでも食べた。しまいには 僚友の死体を食べた。尻の肉とかえぐって... わたしは語り部ですから 何人ものひとから話をききました。天皇陛下万歳なんて言って死んだ人はいなかった。おかあさん おかあさんのいないひとはねえさん.....といって死んでいった....

兵隊だけじゃない ヒロシマでは その日わざわざ学徒勤労動員の13.4歳の少年少女を ザコバ町へ建物の疎開作業(解体)に駆り出した。陸軍二軍がなぜか ヒロシマに集結させられていた。エノラ・ゲイがその上に原爆を落とした。エノラ・ゲイはイスラエルの名前です。そしてナガサキ 目的地は最初ナガサキではなかった。日本の秘密兵器風船爆弾  の唯一の一貫工場があるところでした。風船爆弾は主に学徒勤労動員の少女たちがつくった。覚せい剤を飲まされてつくった。

特攻だってきれいなものじゃない。半ば強制的に 出陣を決めさせられた少年たちがいる。覚せい剤を のまされたものもいる。怖くておしっこ垂れ流しながら練習機に乗って散華!したものもいる。天候不良機体不良でやむなく帰還したものは 女学校に閉じ込められ 反省文を書かされ 発狂したり自殺したものもいる。

地主になれるとだまされて  80000人の農家の二男三男四男が 満蒙開拓青少年義勇軍として  満州にわたった。そこでなにをしたか? 開拓ではない 関東軍の穴埋めだった。爆弾かかえてソ連の戦車に飛び込む訓練 敗戦をまじかに関東軍の将校や満鉄(調査部はのちに電通)の家族はいち早く逃げた。23000人しか帰れなかった。シベリヤに抑留され死んだ子も大勢いる。

無慚に死んだのです。空襲で焼かれたのです。女 子ども 老人が.....

そんな悲しい悔しい無慚なことが二度と起きないように 草の根の憲法研究会がつくった草案が 日本国憲法に盛り込まれているのです。日本国憲法は祈りです。未来の子どもたちや女性 若者たちが騙されて 殺されないようにという祈りです。

2 靖国とはなにか? 御霊を慰霊するための神社だと思っていますか? わたしは怨霊を封じ込めるための神社と思っています。主祭神がだれか調べてみてください。おふたりの出自 どのように亡くなったか.... 

 

麻生さんのことば

僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。
 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

                                                                     以上

 

麻生さんや自民 公明 維新 の思い通りにしてはならないのです 子どもたちの未来のために!!

なにより大切なのは 日本国憲法の最高法規 基本的人権 です。

これを奪われたら 未来はない。 わたしたちは終わる。

なぜだろう?ヒットラーはユダヤ人でした。

 


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