日曜日 事故後 はじめての関節療法をこわごわ受けた。
第四腰椎圧迫骨折 右半身打撲 その後 右膝裏 靭帯損傷 膝の骨からの出血。二ヶ月近くほぼ 寝たきりだった。
すごいね。これはすごいね。と先生は言った。
わたしは 自分の身体が 恐怖の記憶を持っていることを 感じた。長野の山奥 坂道をズルズル ひきづられる恐怖 道路に叩きつけられた時の痛みの記憶 幾晩か 身じろぎもできなかったときの長い夜の記憶。
ずっと身体が緊張していたことも知った。治療の痛みが その恐怖の記憶を清めてくれた気がした。身体が緩んで 心地よかった。
杖をついてヨロヨロ行ったが 痛い痛い治療のあと 杖なく 車まで歩いた。
きのう二回目 の 治療。
わたしは 痛い というのを 潔しとしないほうだ。堪えて堪えて 一年半 治療を受けてきたが 昨日は ヒーヒー … 一度施術する先生の踵を掴んだ。もうダメです。と言った。だが やめるような先生ではなく ときどき わかった……ここだな とうなづきながら 治療はつづき 耐えるだけで 精魂尽きるような 一時間。ウソではなく 心臓が止まるかもと何度か思った一時間。
右ひざ裏 靭帯が 戻ったのが 自分でもわかった。左の腰の脇が嵌まったというか違和感が無くなったのを感じた。
やっぱり 先生は 半端ない。この治療をうけなければ なんらかの後遺症が残ったと思う。もう病院には行かない。ムダにレントゲンを受けるだけ。早く治して 学んで 資格をとる。先生のように身体から心まで癒せる 整体師になる。
この二ヶ月 無為に過ごしたようにかんじてがっかりもしていたのだが 捨てたものでもなかった。五回公演し お話会も三回。公演は充分に稽古できなかったが 車椅子の往復 密度の濃い稽古 メンバーの意識の変化。そしてわたし自身の変容があった。もはや恐くなかった。わたしがしているのではなかった。……いままでもそうだったのだが それ以上に 余分なものがなくなっていった。