写真はコルドバ中心街のレストラン「タベルナ・サンミゲル(Taberna Sanmigel)」。コルドバは闘牛の本場としても有名だ。1939年夏にデビューしたコルドバ出身のマタドール(闘牛士)マノレテことマヌエル・ロドリゲスは、スペイン内戦終結時のデビューであり、悲し気な黒い目と憂鬱なイケメンの顔と戦闘スタイルはスペイン国民の心をさしづかみにしたという。文豪ヘミングウェイの『日はまた昇る』にも、そのような宿命を背負った闘牛士が陰影を与えている。
コルドバには店主が闘牛にぞっこんで、歴代のポスターやスター闘牛士のイラストや写真が飾られた店も少なくない。この店もその一つ。
【コルドバ気質②】
ただコルドバの人は長考が好きみたい。たとえばメニューを頼むのにとても時間がかかります。昼時のサラリーマンですら、飲みものも頼まずに20分以上、懊悩。なにか悩みがあるのかなあと心配していると、おもむろに普通に注文してすっきり。
夕食の店でも家族連れがメニューを頼む前に10分以上議論して、それから注文するのです。料理はわりと標準的な時間で出てくるので、頼む時間さえ早ければ、日本と同じなのですが。
さすがローマ時代の哲人セネカの生まれ故郷と一人なっとく! いまも「考える」文化が濃厚なのかもしれません。
【世界遺産・メスキータ】
写真はメスキータ内部。
コルドバ最大の目玉メスキータは、とにかく広い。136メートル×138メートルが一部、直線的に見渡せるのです。
ここは、もともとイスラムのモスクだったところに16世紀になってスペイン王カルロス1世(申請ローマ帝国カール5世)の命令で、建物の中心部分を壊してキリスト教の大聖堂を無理やり建てたため、建物はモスクを貫く形でキリスト教の尖塔がモスクの上に飛び出す形となりました。
カール5世はコルドバに住む甥の陳情を許可することでコルドバ市議会の反対をものともせず、工事を強行したにもかかわらず、のちに現地に赴いた際、
「余がもし、あなた方のなそうとしていることをあらかじめ知っていたら、決して許可は与えなかったろう。あなた方がここに造ろうとされているものは、どこにでも見られた。しかしながら、壊されたものは世界のどこにもないものだ。」(旅名人ブックス『アルハンブラ宮殿 南スペイン三都物語』より)
と後悔ともとれる言葉を残しています。
ほかのガイドブックでも「みにくい」とさんざん書かれていたので、教会部分はさぞや見苦しいのだろうと覚悟していったら、今まで見た教会の中でも1,2を争う白い輝きと、手が込んでいるのに開放的でのびのびとした美しい建築物だったので、意外でした。
モスクの建物の一部に完全にはまり込んだ感じなのですが、年月がそうさせたのか思った以上にマッチしていてモスク部分に引けを取りません。
写真はメスキータ内のゴシック様式のキリスト教の聖堂。
一方でモスク部分の赤と白のスとライプ模様のアーチの連続。それが遠近感をともなって、延々と重なるように奥まで続いています。世界史の教科書でも有名な部分なのですが、この修復具合がちょっとひどい。本来は白大理石と赤レンガで飾られていたのでしょうが、下手なペンキで描いたよう。写真で撮る分には美しいのですが、おそらく修復に失敗している気がしました。
(つづく)
※春は異動の季節。いろいろと身辺あわだつほど慌ただしい日々の方もいらっしゃることでしょう。どうぞ、少しでものんびりと。
来週の更新はお休みします。
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