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第2章 戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界(8)
046.東西二大陣営の激突(2/3)
極東の中国では国民党と共産党の国共内戦が発生、ベトナムではベトコン(南ベトナム解放民族戦線)とフランス駐留軍の戦闘が始まった。ベトナムの場合、最初は植民地旧宗主国のフランスに対するベトナム人の抵抗運動であったが、フランスがディエンビエンフーの戦いに敗れ撤退すると、米国が後始末に乗り出した。ベトコンはソ連の軍事的援助のもとで米国に対する抵抗を続ける。まさにベトナムを挟んだ米ソ対決であった。
さらに1950年には朝鮮戦争が勃発、北緯38度線を境に戦線は膠着し1953年に休戦したが、朝鮮半島は現在も二分化したままである。欧州大陸では西ヨーロッパと東ヨーロッパが国境を挟んで緊張が高まり東ドイツ領内のベルリンでは1949年に西ベルリン地区を包囲する壁が築かれ、ベルリン封鎖は結局ソ連が崩壊する1990年まで続くのである。
冷戦の構図の中で鋭く対立する東西両陣営は互いに相手国を封じ込めるための軍事・経済のブロック化を推し進めることになる。1949年に西側陣営は軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)を結成、ココム(対共産圏輸出統制委員会)と共に共産主義諸国への軍事技術・戦略物資の禁輸措置を講じた。これに対抗して1955年、ソ連はポーランド、東ドイツなど東ヨーロッパ8カ国を巻き込んだ軍事同盟「ワルシャワ条約機構」を立ち上げている。さらに米国はフランスのベトナム撤退後の東南アジアの空白を埋めるためNATOと同様の軍事同盟SEATO(東南アジア条約機構)を結成した。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com