石油と中東

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見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(48)

2023-09-06 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 

第2章 戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界(10)

 

048離合集散を繰り返すアラブ世界(1/3)

第二次世界大戦後、ヨーロッパ帝国主義の桎梏から解放されたアジア・中東・アフリカの各地で多くの独立国家が誕生した。それぞれの独立国家の成り立ちには民族、宗教、歴史その他種々の要因があったが、一番大きな要因は民族としての独立であろう。

 

中東のシリアで生まれたバース党が掲げた汎アラブ主義はアラブ民族の連帯をめざす思想運動であり、それを最も強く希求したのがエジプトのナセル大統領であった。ナセルは第一次中東戦争(1948年)でイスラエルに惨敗したが、その後非同盟諸国の旗頭として第一回アジア・アフリカ会議(1955年。いわゆるバンドン会議)でアラブ諸国の代表としての名声を確立した。しかし翌1956年の第二次中東戦争(スエズ戦争)で政治的に勝ってスエズ運河の国有化を世界に認めさせたものの、軍事的にはシナイ半島を失い勝利とも敗北ともつかない中途半端な結果に終わった。

 

これらの経験を通じてナセルはアラブ民族による壮大な連合国家の実現こそが目前の敵イスラエルに対抗し、さらには世界にアラブの力を認めさせることになると考えた。彼の頭の中には7世紀のムハンマドに始まり、マッカの正統カリフの時代を経てダマスカスを都とするウマイヤ朝、さらにはバグダッドを都とするアッバース朝と言うアラブ・イスラムの全盛期が思い浮かんだことであろう。なにしろウマイヤ朝時代には西のイベリア半島を支配下におき、アッバース朝時代には東のインドまで征服、学術文化でも当時のヨーロッパキリスト教国家をはるかに凌いでいたのである。その偉業を成し遂げたのはアラブ民族と言う血の絆であり、イスラムと言う信仰心のなせる業であった。

 

(続く)

 

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

 

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