3. 軍事・安全保障連携
(著しいサウジアラビアの指導力低下!)
3-3. GCC(湾岸協力会議)
GCC(Gulf Cooperation Council、湾岸協力会議)はアラビア(ペルシャ)湾沿岸の絶対君主制国家6カ国(サウジアラビア、UAE、クウェイト、オマーン、カタール及びバハレーン)により1981年に結成された地域安全保障連合である。2年前の1979年、イラン革命が勃発しイスラム共和制国家が出現したことが結成の経緯であった。
それまで湾岸地域はイランのシャー独裁体制が「湾岸の警察官」を自認し、背後の米国とともに脆弱な湾岸君主制国家を支える構図であった。しかしイスラム共和国のホメイニ最高指導者はイスラム革命の輸出を標榜、湾岸君主制国家の支配者たちは東のイラン、西のイスラエルに挟まれる形となり脅威に駆られて連合を結成した。
GCCの構成国は石油・天然ガスに恵まれているが、大半の国は人口が少なく国土も狭い。そのような中でサウジアラビアは人口が際立って多く、国土も広大である。同国は自他ともに認めるGCCのリーダーである。本部はジェッダ。
イラン革命後もGCCは常に安全を脅かされ続けた。1980年代のイラン・イラク戦争ではアラビア湾のタンカー運行が危険にさらされた。輸出ルートがイランとオマーンに挟まれたホルムズ海峡のみであることがアキレス腱となった。そしてイラン・イラク戦争後の1990年にはクウェイトがイラクの独裁者フセインにより侵攻され、翌年米国を中心とする多国籍軍により解放された(湾岸戦争)。
次いでGCC諸国は国家対国家ではなく国境を越えた宗教或いは民衆活動により体制が揺らいだ。2001年の9.11同時多発テロをピークとするスンニ派イスラム組織アルカイダのテロ活動であり、或いは2011年のチュニジアに端を発する「アラブの春」運動であった。GCCで最も脆弱なバハレーンでは王制打倒運動に火が付いた。この時はサウジアラビアを中心とするGCCの治安部隊によりデモは鎮圧された。
サウジアラビアがGCCの盟主として指導力を誇示できたのはこの頃がピークだったと言えよう。「アラブの春」でサウジはイエメン内戦に巻き込まれサウジとイランの代理戦争の様相を呈して今日に至っている。一方、GCCの同盟国カタールとはイラン及びイスラム同胞団の扱いをめぐって対立、ついにはカタールと断交している。この時バハレーンはサウジに盲従、UAE、クウェイトがサウジに同調、オマーンは中立的立場となり、GCCの結束にひびが入った。
この頃から他の加盟国はサウジアラビアの独善的な姿勢に嫌気がさし、独自の行動に走るようになった。2020年にはUAEとバハレーンがイスラエルと国交を正常化し(いわゆる「アブラハム合意」)、これと並行するようにカタールは米軍のアフガニスタン撤退とその後の外交窓口としての存在感を示し、オマーンは従来から続いていたイランとの友好関係によりイエメンをめぐるサウジアラビアとイランの代理戦争の停戦仲介など重要な外交問題の解決に寄与している。
このようにサウジアラビアの指導力は年々低下しており、むしろGCC内部で孤立しているとすら言える状況である。
(続く)
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