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見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(12)
プロローグ(12)
012.サイクス・ピコ協定(1/2)
フセイン・マクマホン書簡に続く「三枚舌外交」の二枚目は英国がフランス(そしてロシア)と結んだ旧オスマン・トルコ帝国領土の秘密分割協定「サイクス・ピコ協定」である。
第一次世界大戦で英仏連合国側の勝利が濃厚となった1915年末頃から大戦後のオスマン帝国の分割について英国の中東専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ・ピコが原案を作成、その後ロシア帝国も加わった秘密協定が作成された。二人の名前を取って後に「サイクス・ピコ協定」と呼ばれるこの協定は1916年5月、ロシアのペトログラードで3カ国が調印した。「フセイン・マクマホン書簡」(前項参照)によりマッカの太守フセインが蜂起する直前のことであった。
この秘密の領土分割協定で英国はシリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)を獲得、シリア、アナトリア南部及びイラクのモスル地区がフランスの勢力範囲とされ、ロシアには黒海沿岸が与えられた。サイクス・ピコ協定のうち英仏が分割した中東地域をもう少し詳しく見ると、アナトリア南部からベイルートに至る地中海沿岸一帯はフランスの直接統治領となり、ダマスカスからアレッポ、さらにモスルに至る北メソポタミア地域はフランスの勢力下に置かれた。これらの地域を現在の国境線で見ると、フランスの勢力圏はトルコ南部からシリア全域、さらにイラク北部及びレバノンと言うことになる。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com