今日の「休日のバッハ」はカンタータ第32番より、冒頭のソプラノのアリアです。
まず、このアリアの歌詞をご覧下さい。
『Liebster Jesu,mein Verlangen,
愛しまつるイエスよ、私の望みよ、
Sage mir,wo find ich dich?
教えて下さい、どこにおられるのですか。
Soll ich dich so bald verlieren
あなたを見失ってしまって、
Und nicht ferner bei mir spueren?
もうお会いできないのでしょうか。
Ach! mein Hort,erfreue mich,
ああ、私の宝よ、私を喜ばせて下さい、
Lass dich hoechst vergnuegt umfangen.
あなたをしっかりと抱きしめさせて下さい』
このカンタータは先日新しく届いたものですが、何故か、聴き込むにつれ胸の奥深くに入り込んで来ました。単純なメロディの繰り返しのように思えますが、半音階をうまく使った実にバッハらしい曲です。
何故、胸の奥深く入り込んでくるのかと思って歌詞を調べたら、上記のような内容でした。今の筆者の喪失感に深く関係するものでした。
彼女を失ってから既に4ヶ月半が経ちますが、まるで昨日のような状態が続いております。何故にこんなに長く悲しみが衰えることなく果てしなく続くのか?
この曲を聴いて、この曲に出会うために彼女の死はあったのかとさえ思うほどです。いや、彼女を失った痛みを早く癒すために、今になってこの曲が現れ出たかのようです。
バッハの全カンタータのCDを計画的に集め出して数年。まだ10曲ほどが手に入っておりません。ところが、ずっと手に入らなかったこのBWV32番。いつものモンテヴェルディ合唱団のガーディナー盤に加えて、1957年ベルギー生まれのMarcel Ponseeleというオーボエ奏者兼指揮によるCDも手に入りました。これは11月初めに発売されたばかりのものです。
どちらも甲乙付けがたい演奏ですが、ガーディナーは何度もご紹介しておりますので、今日は後者をお贈りします。ソプラノは1977年生まれのCaroline Weynantsです。
3分43秒あたりからのクライマックスの歌声には、何度聴いても何とも言えない深い味わいがあります。こうした曲はバッハ以外には作れないものです。20歳の頃から、彼女との出会いとともにバッハの音楽への感受性がそれなりに熟成した後に、彼女の死を経てこの曲が現れ出たとは、何とも言えない巡り合わせと感傷を覚えざるを得ません。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。
まず、このアリアの歌詞をご覧下さい。
『Liebster Jesu,mein Verlangen,
愛しまつるイエスよ、私の望みよ、
Sage mir,wo find ich dich?
教えて下さい、どこにおられるのですか。
Soll ich dich so bald verlieren
あなたを見失ってしまって、
Und nicht ferner bei mir spueren?
もうお会いできないのでしょうか。
Ach! mein Hort,erfreue mich,
ああ、私の宝よ、私を喜ばせて下さい、
Lass dich hoechst vergnuegt umfangen.
あなたをしっかりと抱きしめさせて下さい』
このカンタータは先日新しく届いたものですが、何故か、聴き込むにつれ胸の奥深くに入り込んで来ました。単純なメロディの繰り返しのように思えますが、半音階をうまく使った実にバッハらしい曲です。
何故、胸の奥深く入り込んでくるのかと思って歌詞を調べたら、上記のような内容でした。今の筆者の喪失感に深く関係するものでした。
彼女を失ってから既に4ヶ月半が経ちますが、まるで昨日のような状態が続いております。何故にこんなに長く悲しみが衰えることなく果てしなく続くのか?
この曲を聴いて、この曲に出会うために彼女の死はあったのかとさえ思うほどです。いや、彼女を失った痛みを早く癒すために、今になってこの曲が現れ出たかのようです。
バッハの全カンタータのCDを計画的に集め出して数年。まだ10曲ほどが手に入っておりません。ところが、ずっと手に入らなかったこのBWV32番。いつものモンテヴェルディ合唱団のガーディナー盤に加えて、1957年ベルギー生まれのMarcel Ponseeleというオーボエ奏者兼指揮によるCDも手に入りました。これは11月初めに発売されたばかりのものです。
どちらも甲乙付けがたい演奏ですが、ガーディナーは何度もご紹介しておりますので、今日は後者をお贈りします。ソプラノは1977年生まれのCaroline Weynantsです。
3分43秒あたりからのクライマックスの歌声には、何度聴いても何とも言えない深い味わいがあります。こうした曲はバッハ以外には作れないものです。20歳の頃から、彼女との出会いとともにバッハの音楽への感受性がそれなりに熟成した後に、彼女の死を経てこの曲が現れ出たとは、何とも言えない巡り合わせと感傷を覚えざるを得ません。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。